2025年08月05日

存在論6(物理学・天文学)

私の構築した存在論・宇宙論を、
現代科学(物理学・天文学)に当てはめると、
  
どのような解釈が可能となるか?という事について考察していきます。
  
  
これまでの存在論の記事で語ってきたように、
  
極端な方向への力学は、「創造の壁」への衝突や、
その手前の「抵抗」を生むと考えられます。
  
  
特定の論理的な枠組みがあれば、
その枠外という「論理的に表現不可能な領域」があるのは当然ですから、
  
その境界線に創造の壁が存在し、
「お椀型(U字)モデル」のように、創造の壁に近づくと、
  
何らかの「大きな抵抗」が起こるはずです。
  
   
  
ではまず、物理時空を構成する「重要な要素」を整理すると、
アインシュタインの「相対性理論」で扱われるような、
  
【 光速、時間、空間、エネルギー、質量、重力 】などになります。
  
  
そして、もっとも有名で不思議な「物理の法則」のひとつが、
  
止まっていようが、高速で移動していようが、
どの観点からでも「光のスピード」は同じように見えるという、
  
「光速度不変の原理」です。
  
  
さらに、質量を持った物質が光速を超えることはできません。
  
  
物理時空には「エネルギー保存の法則」が存在していて、
  
「E=mc2」が示すように、エネルギーと質量は交換可能ですし、
エネルギーと速度も交換可能です。  
  
例えば、質量をエネルギーに変換したのが、核エネルギーです。
  
  
質量のある物質が移動すると、
運動エネルギーによって「全体としてのエネルギーの総量」が増え、

エネルギーの総量が増えると、
さらに加速に必要なエネルギー量も増える事になります。
    
それが光速に近づくと、必要なエネルギーが無限大になるので、
質量を持つ物質は、決して光速を超えられないという事になります。
  
  
まさに、論理的に表現不可能な「創造の壁」と、
その手前の「抵抗」を表わしていると言えます。
  
  
  
では、次は物理時空内での極端な力学、
「ブラックホール」について考察してみましょう。
  
  
ブラックホールは、自重を支えきれない星が潰れてできますが、
  
その「重力(空間の歪み)」の大きさによって、
光さえ脱出不可能になるので、ブラックホールと呼ばれています。
  
  
「重力(空間の歪み)の強さ」は「密度」に影響されるので、
  
自重を支えきれないブラックホールは、自分の重力によって、
圧縮される方向だけにチカラが傾き続けることにより、
  
結果、「密度」が無限大になり、  
それは、【「重力・空間の歪み」も無限大になる 】という事でもあります。
  
  
そして、空間の圧縮は、時間の進み方を遅くするので、
無限に空間が圧縮され続けるブラックホールの周囲(事象の地平線)では、
  
時間の進み方が、外から見ると停止しているように見えます。
  
  
これも、「創造の壁」と「抵抗」を表わしていると捉えられます。
  
  
ブラックホールからは、光が脱出不可能であったり、
ブラックホールに近づく物体を観察しても、時間が止まったように見えて、
  
ブラックホールの内部や特異点を、直接観測することができません。
  
  
それどころか、数学的(相対性理論)でも破綻してしまうようです。
  
  
「自重による、限りない圧縮/密度」という極端なチカラが、
  
論理的に表現不可能な「創造の壁」や
「抵抗」にぶつかってしまうという事です。
   
   
そして、無理やりに創造の壁を超えようとすることは、
「形態変化」を迫られるという事です。
  
  
もし、光速を超えるスピードを実現しようとすれば、
  
それは、「質量を持たない形態」への変化や、
「違う次元への移動」などが必要となるでしょう。
  
  
一般的な感覚からすると、
肉体を持った人間としては、それは「死」を意味しそうです。
  
  
「物理時空」という枠内では論理的に表現できないので、
違う枠へと移動しなければなりません。
  
  
  
他にも、この物理的宇宙空間は、
光速を超えるスピードで膨張しているとされています。
   
空間自体は質量を持たないので、光速を超えることが可能です。
  
  
そして、質量を持った物質は光速を超えられないので、
今のところ「宇宙の果て」を確かめる術はありません。
  
  
次元間移動を可能とするような手段や、
  
それを実現するための、物理時空の枠外となる、
例えば高次元や異次元に関する「知識や技術、エネルギー」などがなければ、
  
物理時空の「創造の壁」を超えた領域について、知ることは出来ないでしょう。


【 存在論の記事 リンク集 】
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172362.html


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存在論5(スピリチュアル)

これまで、存在論について語ってきましたが、
  
この理論は、科学からスピリチュアルまでの現象を、一貫して
同じ理屈を当てはめて説明できるメカニズムを示しています。
  
  
では、この存在論をスピリチュアル用語に当てはめて解説すると、
「その概念を論理的観点から理解すること」が可能となるでしょう。
  
  
まず、全ての存在は、
  
・あるないの概念から生まれる無限の情報パターン
・情報から生まれる非物質知性
・非物質知性から生まれる物理時空
  
などによって構成されているとします。
  
  
1.魂
  
魂は、「非物質形態の知性」=「自我を持った意識」と言えます。
「死んで肉体が滅びても、魂は不滅」という、よく見られる知識と符合。
  
「肉体を持つ知性」は、「多種多様な欲求」を持ちますが、
肉体を持たない非物質知性(魂)の目的は、「知的好奇心だけ」だと推測できる。
  
  
  
2.ハイヤーセルフ、ハイヤーマインド
  
物理時空の知性が、探求テーマから逸れずに人生を進め、学習するための
サポートを担当する非物質知性。
  
「創造の壁」と「バランスの力学」で示されたように、
完全な自由も、完全な不自由も、極端であれば学習効果が落ちるので、
  
都度、必要に応じて物理時空の体験に「干渉」を行っていると推測できる。
  
  
  
3.幽霊、精霊、天使・悪魔、多神教の神々
  
探求目的の非物質知性が、「物理時空の世界観」を設計する時に、
「物理定数」などと同様に、意図的に組み込むであろう概念や存在。
  
  
物理時空上に存在する、
「質量を持たない形態の非物質知性」(幽霊・精霊など)と、
   
物理時空上には存在せず、物理時空を俯瞰して捉えられる、
上の次元の非物質知性(神々など)が存在すると思われ、
  
それぞれに、「ポジティブ、ネガティブ、中立」の方向性を
持つ存在がいると考えられる。
  
  
物理時空の非物質知性 × ポジティブ = 妖精、精霊、守護霊
物理時空の非物質知性 × ネガティブ = 妖怪、お化け、怨霊
  
高次元の非物質知性 × ポジティブ = 神々、天使
高次元の非物質知性 × ネガティブ = 悪魔
  
  
ただ、何度も言うように、非物質知性の動機と目的は、
知的好奇心と学習・データ収集であると考えられるので、
  
これらの存在は、探求を目的とする非物質知性によって創造された
舞台装置としての非物質知性(つまりNPC的存在)であり、
  
同じ非物質形態の知性だとしても、
「探求を目的としている非物質知性」とは根本的に異なる。
  
  
  
4.波動、オーラ、チャクラなど
  
質量を持たない情報エネルギー形態。
  
物資も精神も含む全てが、根本的に「情報」から作られているので、
肉体や精神にも影響を及ぼせる。
  
波動が存在しない物理時空体験も、波動が存在する物理時空体験も、
「非物質知性が探求したいテーマ」によって、どちらも創造・体験可能。
  
  
  
5.輪廻転生
  
前世の記憶を忘却し、輪廻転生を繰り返すというプロセスは、
非物質知性の観点からすると、学習効率としては悪いため、
  
おそらく、実際に起こることとは異なるミスリード。
  
大衆に善行を促すための「宗教的な方便」として利用されてきた側面も。
  
  
  
6.「バシャールの語る宇宙論」との整合性
  
【 整合性あり 】
  
・宇宙には始まりも終わりもない
・宇宙は無限である
・全てはひとつであり、ひとつは全てである
・全ては同時に存在している
・宇宙は「大いなる全て(All That Is)」で出来ている
・「大いなる全て」は自分自身を体験している
・「大いなる全て」は自分自身を知りたいという好奇心が行動原理
・私たちは「大いなる全て」の一部であり、一つの視点である
・高次の非物質的存在が焦点を絞ることで物理時空を体験する
・人間が死ぬと視野が広がり、非物質知性へと戻る
・非物質知性はハイヤーマインド、オーバーソウルなどの
 多層構造になっている
  
  
【 整合性不明 】
  
・プライムラディエント、プライムパーティクル(原初の光、原初の粒子)の概念
  
  
「純粋に論理だけで導き出した結論」と、
バシャールの語る宇宙論には、かなりの整合性が見られます。
  
(※未来予測、時事ネタなどは外れていますけどね。)
  
  
科学も、哲学も、宗教も、スピリチュアルも、バシャールも、
  
どんな分野の情報・知識も、
「間違った情報・知識」と「正しい情報・知識」が混在していると言えます。
  
  
それを判別・区別するには、
  
「論理的な整合性と一貫性」を検証・評価する
「論理的思考力」しかないと思います。
  
  
それと、
  
そもそも、「創造可能な全ての情報」が既に存在しているのに、
なぜあえて体験するのか?という疑問に対する答えは、
  
「体験する」という学習プロセスが、ただ単に知るという事より、
「収集できるデータ」が豊富であり、学習効率が良いと考えられます。
  
  
例えば、異国の情報を「テキスト」や画像・映像で知るよりも、
実際に異国に旅行・滞在する方が、情報量としては格段に多くなるという事でしょう。
  
  
  
「創造の壁」と「バランスの力学」から推察するに、
  
無限の創造の中では、

あらゆる知識を備えた非物質知性と、ほとんど何も知らない非物質知性の間に、
グラデーションのように様々な設定の知性が存在していると思われます。
  
そして、中間に位置する知性は、ありふれた知識や情報よりも、
未だに知ることが出来ていない、より希少なデータを求めると考えられ、
  
そのために、いろいろな意味で
【「平凡よりは刺激的な物理時空の人生」を体験しようとする 】
  
と言えると思います。


【 存在論の記事 リンク集 】
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172362.html


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2025年08月04日

存在論の記事 リンク集

このブログ内の「存在論」に関する記事のリンク集です。
  
1.存在論 (2025年07月23日)
https://growheart.livedoor.biz/archives/52171958.html

2.存在論2(バランスの力学) (2025年07月28日)
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172137.html

3.存在論3(まとめ) (2025年08月01日)
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172264.html

4.存在論4(個人的体験) (2025年08月02日)
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172271.html

5.存在論5(スピリチュアル) (2025年08月05日)
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172398.html

6.存在論6(物理学・天文学) (2025年08月05日)
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172406.html
  
(※ 新しい記事が投稿された場合も、ここに追記していきます。)


【 存在論の記事 リンク集 】
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172362.html



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2025年08月02日

存在論4(個人的体験)

直近3本の記事は、
存在論に関する「研究のアプローチ」や「その結果」を書いてきましたが、
  
今回はそれを前提知識として、私個人の体験について語りたいと思います。
  
  
前回説明した「存在論」を前提とするならば、  
  
私のこれまでの人生体験は、
【 まさに「創造の壁」を実体験するためにあった 】と言えます。
  
  
極端な方向への力学が、
「創造の壁への衝突」へと至ると書きましたが、
  
私の半生は、まさに【 極端な体験 】ばかりでした。
  
  
20歳で心理に興味を持ち、自己啓発本を読み漁り、
向上心に目覚め、「死ぬまで成長する」と決めました。
  
  
中学時代に自殺願望を持ったので、
その当時は「死」について深く考えていたのと、
  
一度捨てた人生だから、リスクを恐れず、
もう悔いが残らないように生きたいと思っていたのです。
  
  
やがてそれは、

【 限られた人生の中で、
  自分の「才能」や「可能性」をできる限り引き出したい 】
  
という望みに進化しました。
  
  
自分が、「自分の極限・限界」を目指す動機となったのです。
  
それは、
  
・あらゆる人間に通じる「心理に働く自然法則」を見つけること
・それを極限までシンプルな形(本質)で表現すること
・極限までわかりやすい説明を目指すこと
・極限まで自分が教える生徒の人生に責任を持つこと
・極限まで他者を愛すること
  
などに現れました。
  
  
つまり、あらゆる自分の精神的な志向が、
「極限、限界、極端」を目指すようになりました。
  
  
そして、さまざまな分野の知識を吸収し、研究を重ねる上で、
  
個人が「幸福な人生」を送るための方法をメソッド化し、
ほとんどの社会問題を解決できる方法論も、導き出すことに成功しました。
  
  
そして、どうなったかというと、
  
・他者に裏切られ、離れられ、
・他者に教える内容はなかなか理解されず、
・影響力の高い他者とは協力関係を築けず
  
という結果になりました。
  
  
要するに、「極限なまでの結果の出なささ」です。
  
  
普通に考えたらあり得ない状況ですが、「創造の壁」を経験する為です。
  
  
自分の発見したことや構築した知識体系が世に広まるだけで、
人それぞれの人生も、社会全体も救われるのです。
  
なのに、一向に広まらない。 生徒の成長にも制限が加えられている。
  
  
最終的には、私自身の「行動」や「精神状態」も、
自由意思に反して、コントロールされるようになりました。
  
  
私は、それらを総じて「妨害操作」と呼び、
  
・精神攻撃(主に精神に対して根拠のない苦痛・不快感を与える)
・行動支配(やりたくないことをやらされ、やりたいことを止められる)
・他人のNPC化(他人の精神、行動、記憶などが操作され、一貫性がなくなる)
  
などを、「三大妨害操作」としていました。
  
(※ 他にも、原因もなく長期間風邪を引かされたり、手が肌荒れを起こしたり、
   抜け毛が増えたりと、肉体への攻撃もありましたが…。
   もちろん、治療しようとすると操作によって無効化されます。)
  
  
妨害操作の存在は、私の希望を粉々に打ち砕きました。
  
  
高次の知性が、「他人や社会を救う」という私の活動の妨害を行い、
さらには、遠隔で「精神的な不快感・苦痛」を与えてくるのです。
  
あらゆる方法を試しましたが、それに抗う事は出来ませんでした。
  
  
当然、なぜ自分がこんな目に遭っているのか?も、当時は理解不能でした。
  
  
仕事を止められ、いくら他人に説明しようとしても、
他人は「私の論理的な説明」を理解できず、頭がおかしくなるばかり。
  
  
自分の知る人々は、記憶や性格までコロコロと変わってしまって、
コミュニケーションが不能になり、もう人間とは見れなくなりました。
  
まさに、プログラムによって動く「NPC」です。
  
  
こんな状況で、生きている希望はないと、自殺しようとしますが、
自殺は「行動支配」によって阻止されます。
  
「死にたいほど苦しいのに死ねない」という苦痛が、
最大の苦痛であり、真の絶望だと理解しました。
  
  
精神が崩壊しそうなほどの精神的不快感・苦痛を送られてきますが、
精神崩壊の直前で、圧力がふっと弱まり、精神崩壊を阻止している感覚がしました。
  
今振り返ると、
【「創造の壁」を超えないように、加減されていた 】と理解できます。
  
  
これが、私の経験してきた極端な状況です。
  
  
自分を限界まで成長させることを望み、
他者の人生や幸福に責任を持ち、
 
限界まで研究と教育を追求し、
他人や社会を救う方法論とわかりやすい説明を確立した。
  
  
なのに、起こることは
結果が出ないどころか、苦痛の連続。
  

・誰よりも責任感が強くなったのに、その責任を果たせない苦痛…。
  
・大切に想っていた人々の頭がおかしくなり、NPC化してしまう苦痛…。

・効率の追求が得意なのに、行動支配で貴重な時間を無駄にし続ける苦痛…。
  
  
カルマ(因果律)はどこに行ったのか? まるで理解できません。
  
  
しかし、今、「創造の壁」を実体験するためだったと解釈すれば、
私のこれまでの経験にも説明がつきます。
  
  
これまで、極限を追求する上で、
  
何度も「創造の壁」にぶつかり、
それを超える事は回避されてきたと感じます。
  
しかし、バランスポイントへの回帰は許されず、
ずっと「創造の壁」の内側にへばりつかされていたような感覚です。
  
  
しかし、今回存在論について理解できたおかげで、
  
・自分の体験の意味を理解できたのと、

・極端な状況を続けることは、高次の知性の学習効率を下げるため、
 永遠の苦痛など存在しないということ
 
・そして、自分の体験してきたことは精密に情報として記録されており、
 いずれバランスポイントへの回帰が予想できることで、
  
ほんの少しの希望が湧いてきました。
  
  
「もう、取り返しがつかないと思える損失」も膨大にありますが、
その損失が、どのように想像を超える方法でバランスが取られるのか?
  
というのが、今後の体験(探求)の方向性であると嬉しいと感じます。
  
  
もちろん、その期待が裏切られる可能性についても考えますが。
  
  
  
あと、私は「創造の壁」を実体験するために、
物理時空に生まれた(形態変化した)と考えられますが
  
「創造の壁を実体験したい」というのは、高次の非物質知性にとっては、
わりと普遍的なテーマじゃないかな?とも思うのです。
  
  
例えば、「時代」や「生まれる土地」など、
もっと言うと、「生まれる星」なども変えて、
    
さまざまなバージョンで、
【「創造の壁」を経験している物理時空の知性 】が存在すると思われます。
  
  
バランスポイントは常に快適ですが、
一方、「創造の壁」というのは常に大きな不快感を伴います。
  
  
例えば、「退屈すぎて死にそう」というのもそうです。
  
「白い壁に囲われ、一切の自由が禁じられる」とか、
  
「不老不死を与えられ、死にたくても死ねない」
という類の創造の壁もあるでしょう。
  
  
物質は、壊れる前がもっとも抵抗が大きくなるように、
  
物理時空の知性にとっては、

形態変化を起こす…、つまり「死」や「精神崩壊」が起きる、
ギリギリ手前が創造の壁なのです。
   
   
そのような苦痛に満ちた状況を経験している物理知性が
無限に存在していると思うと、同情を禁じえません。
  
  
が、振り子現象のように、
「大きな苦痛」はバランス回帰時には「大きな喜び」を伴うと予測できます。
  
私は未だそれを経験していませんが、
  
それを経験した後に思いそうなことは…、
  
きっと、喜びよりも【 無限の創造の恐ろしさ(の側面) 】でしょうね。
  
  
永遠の苦痛は無いにしても、
こんなにも恐ろしく、おぞましい体験が創造可能であるという事。
  
「存在と創造の深淵」を感じるでしょうね。


【 存在論の記事 リンク集 】
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2025年08月01日

存在論3(まとめ)

過去2回にわたって、
  
論理的に一貫し、あらゆる現象を説明できる
「存在論(宇宙論)」の考察を行ってきました。
  
その流れを簡潔にまとめると、
  
  
  
1.「存在の根源」は ”自然発生的である” という当然の予想
   
あらゆる存在は、
自然発生的か、意図的に創造されたか?に区別できますが、
  
神が宇宙を創造したとすると、「その神はどうやって生まれたのか?」「その前は?」
という、疑問が延々と続きます。 
  
これを、「無限後退」と呼びます。
   
  
ですから、存在の根源は、
   
【 そのように存在することが「もっとも自然」であり、
 「他に選択肢がない」からそのように、あるまがままとして存在している 】
  
という予想ができます。
  
  
では、なぜ存在としての自然な状態が「完全な無」ではなく、
「何かが存在している状態」なのか?
  
このことは、「完全な無は、論理的に否定されるであろう」という予想に繋がります。
  
  
  
2.完全な無の否定
  
自己言及のパラドックス(うそつきのパラドックス)のように、
  
「何も許さない」という、「完全な無」を表わそうとする定義が、
既に条件を存在させ、論理的に破綻を引き起こすことから、
  
存在論・宇宙論における「完全な無」は否定されるということになります。
  
  
「論理すら存在しない状態」という可能性も考え、
  
イメージ的なアプローチも行いますが、
自分以外の全ての存在を消去し、最後に自分自身も消去します。
  
しかし、自分の認識範囲外に何かが存在しているという”可能性”までは消去できず、
それすら消し去ろうとした瞬間に、意志が存在することになり、無が崩れ去ります。
  
  
論理的なアプローチ、イメージ的なアプローチ、
どちらにしろ「完全な無」は成り立たないという結論に至ります。
  
  
  
3.「ある(有)」と「ない(空)」の概念
  
完全な無が否定されることによって、「ある」という概念が生まれます。
「ある」という概念は、対極の「ない」という概念をも生むことになります。
  
それは、「情報の最小単位」であり、コンピュータにおけるビット情報、
東洋哲学における陰陽に相当します。
  
  
そして、「ないという概念」は、厳密に表現すると「空(からっぽ)」であり、
【「空」という概念の存在 】すら許さない「無」とは区別されます。
   
   
   
3.存在の根源は、「永遠」かつ「無限」
  
「空」という概念が生まれた時点で、
情報形態・存在形態の下限が設定され、
  
「空」という概念すら存在しない「無」の状態も、
論理的に創造・表現が不可能となります。
  
  
光と闇の対比で言うと、「無」という状態は「闇」ですらありませんし、
「闇ですらない状態」というのは、もはや表現や定義が不可能となります。
  
  
また別の言い方をすると、
  
「何かが存在しているという情報」を消そうとしても、
「消そうとしているアプローチの情報と痕跡」が記録され続け、
   
何かしらの情報が生まれている時点で、
どこまでも遡って「初めから情報など無かった状態」にする事は不可能になります。
  
  
これは、「エネルギー保存の法則」にも通じます。 
「情報を消滅させることは不可能だ」ということです。
  
  
「存在や情報」にとっては、自分たちすら存在しない「無という状態」を、
完全にも、部分的にも、論理的に作り出すことができませんから、
  
部分的な無が否定される事によって、
「無からの誕生、無への消滅」というプロセスも否定されて、
  
存在・情報・創造の全ては、
【 始まりも終わりもない「永遠性」を備えている 】
  
という結論に繋がります。
  
  
さらに、「部分的な無」の否定は、「存在が有限であること」をも否定し、
【 存在の根源は、有限ではなく、無限である 】という結論が導かれます。
  
  
  
4.「ある・ない × 無限」によって、知性を含む全てが創造可能
  
コンピュータプログラム(映像、音声、物理演算、VR体験、人工知能など)の
その全てが「1と0の組み合わせ」によって作られていることから、
  
1と0の組み合わせで、
「知性を含む全てが創造可能」だという結論にたどり着きます。
  
  
つまり、【 知性が自然発生する理由 】が説明できることになります。
   
   
そして、肉体を持たず、死ぬこともない、消滅することのない、
「自我を備えた知性」はどのように動くか?というと、
  
「自分を知ろうとする、自分の能力を知ろうとする、自分の可能性を知ろうとする」
まるで、思春期の少年・少女が考えそうな事を考えるでしょう。
  
  
つまり、「知的好奇心」こそが、
「自然発生した非物質知性」にとっての「唯一最大の行動原理」になります。
  
「知的好奇心を備えた知性」が、「無限の情報」という海の中で、
可能な限りの「可能性」を追求し続ける。
  
それこそが、「存在の根源の姿」だと予想できます。
  
  
  
5.創造の壁
  
「あるとない、1と0、陰と陽」の組み合わせで、全てが創造可能だとしても、
前述したとおり、「無という状態」を創造したり、実現することはできません。
  
さらに、既に「無限」という「量の上限」に達しているので、
「存在の総量」を増やすこともできません。
  
つまり、無限の創造においても、不可能なこと…、
つまりは【「制約」や「制限」が存在する 】という結論に繋がります。
  
  
それは当然の話で、論理的に考えてても、
  
「ある枠組み」が設定されているとすると、
「その枠組み内」での創造や表現しかできなくなります。
  
  
この論理的な限界を、「創造の壁」と呼ぶことにします。
  
  
例えば、この私たちが存在する物理時空における創造の壁が、
「光速」や「ブラックホール」です。
  
速度や、時間と空間において、
「それ以上は論理的に表現不可能である」という壁が生まれるのです。
  
  
他にも、「統合」と「分解」という対極の力学について考えると、
  
どちらかに偏った力学が働き続け、
全てが統合されても、全てが分解されても、
  
「それ以上、何も変化が起こらない状況」に達し、
多様な形態や存在は失われることになります。
  
つまり、「創造の壁」にぶつかったのです。
  
  
視覚的に例えれば、
ある物質をプレス機で圧縮する所をイメージすると、
    
限界を超えると、それ以上は論理的に表現不可能となり、
その物質は爆発し、バラバラになります。
  
形態や構造を維持し続けるための限界に達し、
その壁を超えると、形態変化を余儀なくされるのです。
  
  
これは、あらゆることに言え、
  
例えば、人間に精神的苦痛を与え続け、その限界値を超えると、
精神がその形態や構造を維持できず、「精神崩壊」という形態変化を引き起こします。
  
  
生物学で言うと、特定の生物の個体が増え続けると、
やがて「土地や資源、食料の枯渇」を生み、
  
最終的には自滅、絶滅するか、
または、バランスが取れるところまで個体数を減らすかを迫られます。
  
  
偏った方向へ力を加え続けると、やがて
【 それ以上は論理的に創造・表現不可能な「創造の壁」】にぶつかるという事です。
  
  
物質の圧縮においても、破壊される直前がもっとも抵抗が大きくなるので、
創造の壁は、相応の「抵抗を生む」と言えます。
  
  
  
6.中間の概念とバランスポイント
  
「あるという概念」がうまれると、「ないという概念」を生み出すように、
特定の概念は、同時に「対極の概念」を生み出すことになります。
  
  
そしてそれはさらに、両者の「中間の概念」をも生むことになります。
  
「過剰・過多」という概念は、「欠乏・不足」という概念を生みますが、
その中間の「丁度よい、適度、適切」という概念も生むという事です。
  
  
「ある(有)」と「ない(空)」の中間概念は、
「どちらでもある」や「未知」となり、
  
量子コンピュータに用いられる「量子の重ね合わせ現象」や、
  
量子力学の「二重スリット実験」や「シュレディンガーの猫」のように、
観測するまで「生死がわからない、決定していない」
  
というような状態だと言えます。
  
  
「創造の壁」が、構造や形態の「限界」を表わし、「抵抗」を生むとしたら、
  
中間概念は、「創造の壁」の中間に位置する「バランスポイント」と言えます。
  
  
例えば、「騒音」と「静寂」という対極の軸があったとして、
「完全な無音」も人間にとって不快となるので、
  
自然の環境音や、丁度よいBGMが、
バランスポイントとして設定されていると言えます。
  
  
緊張感という観点から考えてみても、  
緊張感が強すぎるとパニックを引き起こし、さらに強まると「精神崩壊」へと繋がり、
  
逆に、緊張感が無さすぎると、自分の「生命の危機」に対しても緊張感を感じず、
結果的に「肉体の死」へと繋がります。
  
  
  
「平和」や「地獄」に関しても同様に、
平和過ぎる状況というのは退屈を生み、
  
退屈が苦痛となり、「刺激的な冒険」を求めるようになります。
  
  
対の概念が生み出す中間のバランスポイントは、存在にとって
「可能性の最大化」や「安定性」を生み出すポイントとして機能していると考えられます。
  
逆に言うと、「極端な偏り」は「可能性の低下」と「不安定性」を引き起こすと言えます。
  
  
  
7.バランスの力学
  
「創造の壁」と「中間の概念」の存在が、「バランスの力学」を生むと考えられます。
  
「お椀型(U字)」を思い浮かべてもらえれば、両端が創造の壁となり、
最も大きな抵抗を生み、その創造の壁を超えると、論理的に表現・創造不可能となり、
  
形態変化を余儀なくされることになります。
  
  
中心となる底の部分が「最も抵抗が少ない領域、可能性が最大化する領域」となり、
中心を目指して「バランスを取ろうとする力学」が発生します。
  
  
対極的に、創造の壁に近づくことにより、
  
「形態変化」か「バランスポイントへの回帰」の、
どちらかの選択を迫られることになります。
  
  
知的好奇心を唯一最大の欲求とする非物質知性にとっては、
  
極端な状況というのは、
可能性が低下し、「学び(知的刺激)が生まれない状況」であり、
  
非物質知性にとっての「不快感」として機能すると考えるのが自然であり、
人間にとっても退屈が苦痛になるのと同様です。
  
  
  
8.物理時空の知性
  
存在の「永遠性」の証明から、「誕生と消滅のプロセス」は否定され、 
物理時空の知性(我々人間)も、決して「無から誕生したのではない」という事になります。
  
  
例えば、人間が生命の誕生によって「新たな知性」を、
そして死去と共に「知性の消滅」を感じたとしても、
  
時間経過が存在しない情報世界の観点からすると、
【 一時的に「認識範囲外」に隠されただけ 】と解釈できます。
  
  
このことから、物理時空の知性というのは、
非物質知性としての「記憶の忘却」を行い、
  
知性としての「焦点を絞る」という【 形態変化 】を行った姿だと推測できます。
  
  
それによって、「新たな生命の誕生と死別」に対して、
本気で喜んだり、または本気で悲しんだりと、
  
非物質知性の形態では不可能な「没入感のある体験と学習」を
得ることが可能となる訳です。
    
  
これは、

・映画「マトリックス」
・シミュレーション仮説
・水槽の脳
  
などと通じます。
  
  
「水槽の脳」の思考実験とは、
結局、脳は肉体感覚から得られる「電気信号(情報)」を処理しているだけで、
  
実は自分の脳が水槽の中に入っていて、
  
電気信号を送られる事によって人生を体験していても、
区別がつかない、自覚できないという事です。
  
  
つまり、人生の体験の全ては「(脳の)情報処理」とも言えるわけです。
  
  
人間は、物質を見たり触ったりして、その物質が存在していると思いますが、
  
肉体感覚から得られる電気信号(視覚・触覚)を切断してしまえば、
もう、その物質の存在を感じる事はできなくなります。
  
  
という事は、あらゆる存在が物質ではなく、
実は情報であっても区別できないという事ですし、
  
初めから、すべての存在が情報から出来ていたとしても、
何ら矛盾は起こりません。
   
  
  
9.因果律(カルマと黄金律)
  
カルマや黄金律と呼ばれる、「与えたものが返ってくる」という因果律。
  
それは、「自分が起こした行動」と「生み出される結果」に対する因果関係の
「わかりやすさ・わかりにくさ」という軸で考えると説明可能です。
  
  
もし、与えたものが返ってくるという事が、ペットの「餌やり機」のごとく、
「ボタンを押したら瞬時に餌が出てくる」という類のものであったらどうでしょう?
  
盗んだ瞬間に盗まれ、殺した瞬間に殺される。
  
そのような事が誰に対しても起これば、
誰も他人に危害を加えようとは思いません。
  
    
むしろ、他人に奉仕貢献した瞬間に、自分に利益が返ってくるのであれば、
世界は容易に天国のような社会となるでしょう。
  
  
そのような極端な社会では、次に起こることへの予測が容易となり、
非物質知性にとっては、学習のない退屈な状況となるでしょう。
  
  
逆に、他人に危害を加えても自分には害が及ばない
他人に奉仕貢献しても、自分に一切の利益がない。
  
もし、そのような仕組みであれば、
誰も「他人の立場に立って考えよう」とか、「奉仕貢献しよう」と思わなくなり、
  
「奪い合い」や「殺し合い」によって、人間社会は自滅するしかありません。
  
それも、非物質知性にとって、学習のない退屈な状況となります。
  
  
つまり、「与えがモノが返ってくる」という因果律に、
「時間差」や「分かりにくさ」があることで、
  
人間の行動に多様性が生まれ、その分だけ学習の機会も増えるのです。
  
  
つまりは、物理時空を創造する非物質知性は、
物理定数などを適切に設定するのと同じように、
  
学習効果を最大化するために、
  
あえて「行動と結果の因果関係」を、
わかりやす過ぎず、わかりにく過ぎずのバランスで、
  
意図的にシステムに組み込むであろうと予測できます。
  
  
それこそが、因果律(カルマ、黄金律)の正体と言えるのです。
  
  
  
10.無知が「創造の壁」を押し広げ、非論理構造を擬似的に創造可能にする。
  
知性による意図的な創造においては、
  
「論理的に不可能だとわかっている状態」では、
それは創造や表現が不可能となりますが、
  
認識を操作し、「論理的に不可能であるかどうかがわからない知性」になってしまえば、
  
幅広い視野では論理的に不可能だとわかっている体験も、
視野を狭めることで「疑似的に体験可能」となります。
  
  
例えば、現代社会の状況的に、陰謀論は非常に考えづらくなっています。
  
人々がインターネットを使いこなすことによって、
「有名人の権力の低下、集合知、告発の容易さ」という状況が生まれ、
  
・有名人や政治家などの権力を求める動機が薄れ、
・集合知によって支離滅裂な主張はすぐに指摘され、
・不正の告発も容易になりました。
  
  
権力者がマスメディアを操作し、
人々に隠れて、不都合な計画を練り、実行するという事が、
  
インターネットがない時代にはあり得たことが、
今の時代には非常に考えづらくなりました。
  
  
しかし、論理的な思考力が乏しい人にとっては、
陰謀論を真実だと信じ込むことは可能であり、
  
それは、「陰謀が実際に存在する現実・社会」を、
実際に体験することも可能となります。  
  
  
そして、あらゆる知性の根本は、論理的思考によって成り立っているため、
「一切、論理的に思考できない人間」というのは創造できません。
  
よって、「論理的に辻褄の合わない社会」を創造するには、
大半の人々を、無知に留めておく必要があります。
  
  
大半の人間が無知に留められることによって、
  
実際には簡単に解決できる社会問題が、
いっこうに解決されない社会を創造する事ができるのです。
  
  
そのような論理的に辻褄の合わない社会では、
  
社会問題を根本的に解決するためのアイデアが、
大衆に周知されない状況が続きます。
  
  
前述したとおり、人間の「無知な状態」を利用すれば、
高次元から見ると論理的に破綻している状況も、
  
疑似的に体験可能という事です。
  
  
それはつまり、「無限の創造」のどこかでは、
  
人間の無知を利用して、
  
「エネルギー保存の法則」や「論理的整合性・一貫性」を無視した
  
映画の世界のような
超能力バトルが繰り広げられているかも知れない…、という事になります。


【 存在論の記事 リンク集 】
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2025年07月28日

存在論2(バランスの力学)

前回の記事で、「完全な無」が
論理的、想像的に否定されることにより、
  
必然的に「ある」と「ない」の概念が対で存在する事になり、
その無限の組み合わせによって、非物質的知性が誕生するという結論が導かれました。
  
【 論理的必然性 】という文脈で、
存在の根源について説明できるようになったのは、大きな進歩と言えます。
  
  
ただ、それでも私の中で「ひとつの大きな謎」が残されていました。
  
  
それは、「バランスの力学」についてです。
  
  
この物理時空内でも、
  
あらゆる現象に、振り子現象のような
「バランスを保とうとする働き」を見ることができます。
  
  
例えば、宇宙に浮かぶ星々(恒星、惑星、衛星)が、
「重力」と「遠心力」のバランスによって安定しているという姿が、
  
分かりやすいと思います。
  
  
人間を含む動物の肉体も、恒常性(ホメオスタシス)と呼ばれる、
「さまざまなバランスを維持しようとする働き」によって生存しています。
   
   
人間心理で言えば、返報性のルールと呼ばれるように、
受けた恩は返したい、危害を加えられたら復讐したいという動機があります。
  
  
これらのバランスの力学も、【 論理的必然性 】という文脈で説明可能なのか?
  
という事が、私の疑問です。
  
  
もし、無限の創造の中で、バランスに抵抗して偏り続ける力学、
「救われることのない永遠の苦痛」などという体験が存在すれば、
  
非常に恐ろしいと感じるので、
その可能性の可否をハッキリさせたいという動機がありました。
  
  
しかし、バランスの力学の論理的必然性をいきなり考えても見つからないため、
  
まずは、「存在の根源の性質・メカニズム」について、
より深く考察してみることにしました。
  
  
まず、無限の創造と言えど、
【「完全な無」を創造することは不可能であること 】が論理的に示されているので、
  
無限の創造は「なんでもかんでもやりたい放題の無敵存在」という訳ではなく、
【 ある種の「制限」や「制約」が備わっている 】と言えると思います。
  
  
さらに言うと、「完全な無」を実現できないのと同様に、
  
既に無限という”上限”に至っている訳ですから、
存在としての「総量を増やす」という事もあり得ないと言えます。
  
  
存在の根源においては、総量を増やすとか、減らすとかは不可能であり、
それこそが【 創造の壁 】と呼べるでしょう。
  
  
つまり、「無限の情報、無限の創造」においては、
  
「有が無に帰すことはあり得ず、無から有が生まれることもあり得ない」
という事になります。
  
  
そもそも、肉体を持たない非物質的知性が、
どこかの段階で「自分を消去する」という選択をするとは考えづらいです。
  
  
それに、完全な無も実現不可能ですから、
「無限の存在、無限の情報」の中で、自分の存在を完璧に消し去ることはできません。
  
  
始まりがあるという事は、終わりもあるという事になりますが、
  
この物理時空内においては、
  
・赤ちゃんという「新たな知性」が誕生し、やがて死を迎え、知性が消去される
・人間が「AI」という「新たな知性」を開発し、そのAIプログラムを消去する
  
という事で、知性の「誕生」と「消去」が行われているように見えますが、
  
無限の存在の中では、本質的に情報が消滅することはありえません。
  
  
もっと具体的に言うと、過去にさかのぼって、
「それが存在していた事実自体を消去する事」はできないのです。
  
  
つまり、私たちが”消えた”と思ってる対象・現象は、
高次の視点から見ると、【 一時的に認識範囲外に隠されただけ 】と言えるのです。
  
  
このように考えると、誕生や消滅は本質的にはあり得ないという事になります。
  
認識範囲外に隠されたり、一時的な忘却自体はあっても、
存在、情報、知性の「消滅だけは絶対にあり得ない」という事です。
  
  
消滅があり得ないという事は、誕生もあり得ません。
  
つまり、無限の創造における「全ての存在、全ての情報、全ての知性」は、
【 永遠性を備えている 】という結論に至るのです。
  
  
この事は、この物理時空内での
「エネルギー保存の法則」と通ずるものがあります。
  
エネルギーや物質は、形態を変化させているだけで、
新たに生まれたり、消えたりしないのです。
  
  
ということは、私たちのような物理時空に存在する知性が
たとえ「高次の非物質知性」によって創造されたものであっても、
  
人間がAIを開発したり、またはプログラムを消去したりするような、
「誕生と消去のプロセス」を経ていないし、今後も経ることはないという事です。
   
  
「高次の非物質知性によって、物理時空の知性(人間)が新たに創造された」
というプロセスが否定されるのであれば、
   
物理時空の知性(私たち人間に備わる知性)も、
元からどこかで存在していたことになります。
  
  
全ての存在、全ての情報、全ての知性に、
誕生や消滅のプロセスがなく、もとから「永遠性」が備わっているのであれば、
  
「高次の非物質知性」と「物理時空の知性」の違いは、
【 知性としての形態の違い 】であり、「視野の違い」と考えるのが自然です。
  
レンズが焦点を絞ったり、または広げたりするように、
  
・「高次の非物質知性」は視野が広い状態
 (マクロ視点を探求する形態)

・「物理時空の知性」は視野を絞った状態
 (ミクロ視点を探求する形態)
 
と言えると思います。
  
  
それはつまり、
「高次の非物質知性」からの形態変化(焦点や視野の変化)を経ることによって、
   
それまでの記憶を一旦忘却し、
「物理時空の知性」としての経験を行っていると解釈できます。
  
  
そのおかげで、物理時空の知性は、
本質的には存在しない、「誕生と消去というプロセス」にリアリティを感じ、
  
新たな生命の誕生を心の底から本気で喜んだり、または死別を悲しんだり…、という
非物質知性の状態では「不可能な体験と学習」を行うことが可能になります。
  
  
  
では、次に「極端な方向への力学」という観点から考えると、
  
例えば、統合と分解という対立する方向の力があって、
  
「統合」が極端にすすめば、全てがひとつにまとまり、
「分解」が極端にすすめば、全てがバラバラにされ、
  
どちらも、一方方向の力学だけでは、
「多様な存在形態を保てなくなり、以降、変化が全く行われない」
  
という結果に至ります。
   
  
これも、「創造の壁」と言えるでしょう。
   
  
「物質の圧縮」というプロセスを観察すると、
プレス機で特定の物質に圧力をかけ続けると、
  
その物質は最終的に爆発したり、バラバラに分解されたりして、
元の形態を保てなくなります。
  
  
それは、【 物理的にその先を創造・表現する事ができないから 】と言えます。
  
つまり、「創造の壁」にぶつかったのです。
  
  
創造の壁は、「光速」や「ブラックホール」にも現れます。
  
それぞれ、物理時空内での「速度の限界」と「時間・空間の限界」です。
  
  
その限界(上限)を超えることは、
論理的破綻を引き起こすので、創造不可能、表現不可能になります。
   
    
その「創造の壁」を無理やりに超えようとする事は、
圧縮された物質が「形態変化」を引き起こすように、
  
「物理時空内で存在できなくなる」ということになるだろうと考えられます。
  
  
要するに、「特定の枠」が存在すれば、その枠が「創造の壁」となるという事です。
  
ビデオゲームにおいて、
想定された範囲内の数値を超えることで、バグが引き起こされるのと同じです。
  
  
  
ここまでで、
  
・「完全な無」が実現不可能であること
 
・存在の根源とは「あるとないの対の概念」と「無限」が組み合わさった、
 「無限の情報」によって構成されているということ
  
・無限の創造においても、完全な無や、総量を増やすという事は不可能であり、
 「創造の壁」という制約・制限が存在しているということ
 
・消去や誕生が本質的に不可能であるという結論から、
 すべての存在、情報、知性に永遠性が備わっており、
 起こり得るのは「形態変化」であるということ
 
・高次の非物質知性と物理時空知性の違いは、
 「焦点・視野・形態の違い」だと予測できること
 
・物理時空においても、ビデオゲームにおいても、
 ある枠組みが存在するのであれば、その枠が「創造の壁」となること
 
・極端な方向へ力を加え続けようとすると、
 論理的破綻を引き起こす「創造の壁」にぶつかり、形態変化を迫られるということ
  
  
これらの事がわかりました。
  
 
そしてさらに重要な発見は、
  
「ある」と「ない」のような「対の概念」は、「その中間の概念」も生むという事です。
  
   
それは、あるとないの軸で言うと、
「どちらとも言える、どちらとも言えない、わからない」というような事です。
   
  
哲学や物理の知識に紐づけると、
  
・量子コンピュータに用いられる、量子の重ね合わせ状態、
・シュレーディンガーの猫のような、生きているか死んでいるかわからない状態、
  
という事です。
  
  
わかりやすく日常的な例でたとえると、
  
「気温が高すぎる」という概念は、「気温が低すぎる」という概念も生みますが、
その中間に、「過ごしやすいちょうど快適な気温」が存在する事になります。
  
  
つまり、対の概念の「中間の概念」こそが、
両端の「創造の壁」の中間に位置する、バランスポイントだと言えるのです。
  
  
もう一度、物質の圧縮のプロセスを観察すると、
  
プレス機で物質に圧力を加えると、爆発したり、バラバラになったりと、
「形態変化」を起こす直前が、もっとも抵抗が大きくなります。
  
  
しかし、そこでプレス機の圧力を弱めると、
その物質にとって、適切で安定するところまで、反発して膨張しようとするでしょう。 
  
  
この力学を視覚的に例えると、「お椀型(U)」のように、
  
両端がもっとも抵抗が大きくなり、
さらにそこから外れ、お椀から飛び出すと形態変化を起こす。
    
両端の中間に位置する「お椀の底」が、
もっとも安定していて、状態としては集まりやすい。
  
  
これこそが、【 バランスの力学 】であると言えます。
  
  
これは、人間の精神にも言えることで、
  
人間に過度な精神的苦痛を与え続けると、
最終的には「気が触れる、気が狂う」といった、精神崩壊を引き起こします。
  
それはつまり、
精神状態が「創造の壁」を超えてしまい、元の形態を保てなくなったという事です。
  
  
あらゆる創造物は、「創造の壁」という両端と、
その中間である「安定できるバランスポイント」を備えていると言えます。
  
  
例えば、緊張感を例にとってみると、
  
緊張感が強くなりすぎると、パニックを引き起こし、
さらにそのまま高まり続けると、やがて精神崩壊が起こるでしょう。
  
逆に、緊張感が無さすぎると、金銭や食料の欠乏、
自己の生命の危機に対しても緊張感を感じず、結果的には肉体の死を引き起こすでしょう。
  
  
他にも、平和過ぎると退屈を感じて、冒険を求めるようになるというのは、
エンターテイメント作品でも良く用いられる設定です。 
  
他にも、「永遠の生命、不老不死」を備えた存在も、
他人との死別や退屈、半永久的な苦痛など、
  
長寿すぎることのネガティブ面が飽和して、自ら死(形態変化)を望むようになる、
  
というストーリーが描かれています。
  
  
偏りや極端さは創造の壁にぶつかり、反発や抵抗を生むというのは、
物理法則から、人間心理に至るまで、神羅万象に通じます。  
  
  
生態系の観点から見ても、ある動物の個体数が増えすぎると、
  
土地や食料などの資源が枯渇することによって
「創造の壁」にぶつかることになります。
  
  
その先は、「種として自滅・絶滅する」か、
「バランスが取れるところまで個体数を減らす」しかなくなります。
  
   
創造の壁にぶつかった先は、
「バランスポイントへの回帰」か「形態変化」かの、どちらかを迫られるという事です。
   
  
  
そして、肉体を持たない高次の非物質知性にとっては、
「知的好奇心」こそが唯一の動機ですから、
   
知的好奇心を満たせない状態こそが、「不快感」や「抵抗」と解釈できます。
  
  
極端な天国は「究極の退屈」を生み、それ以上の学びがなくなる。
極端な地獄も「究極の絶望」を生み、それ以上の学びがなくなる。
  
  
だからこそ、天国と地獄が入り混じるような世界、
成功と挫折の両方存在する世界こそが、学びを最大化できる訳です。
  
  
それこそが、両端の「創造の壁」の中間に位置する、
高次の非物質知性にとっても、学習にもっとも適したバランスポイントとなるのです。
  
  
  
では次は、このバランスの力学を、
  
カルマや黄金律と呼ばれる、
「与えたものが返ってくる」という法則に適用してみましょう。
  
  
これは、
  
【 自分の起こした行動と結果の因果関係の「わかりやすさ、わかりにくさ」】
  
の軸で考えると説明がつきます。
  
  
もしカルマが、動物の「餌やり機」のように、
ペットがボタンを押したら、自動的に餌が出てくる
  
という類のシステムであったらどうでしょう?
  
誰も、盗みや殺人を行わなくなるでしょう。
  
  
盗んだそばから、盗まれる。 殺した瞬間から殺される。
  
という風に、瞬時に自分の行動が返ってくれば、
誰もネガティブな行為を行わなくなります。
  
  
むしろ、他人に奉仕した瞬間に、自分に利益が返ってくるのであれば、
みな率先して奉仕貢献を行うようになるでしょう。
  
  
それはつまり、容易に天国が形成されてしまうことになり、
結果的に「退屈で学びのない世界」を創造してしまうことになります。
  
  
しかし、まったく自分の行いが返ってこないとすればどうでしょう?
  
誰も、善行へのメリットを感じなくなり、
盗むこと、殺すことにもデメリットがなくなれば、
  
最終的には奪い合いや殺し合いが最大化し、戦争による自滅に繋がり、
社会秩序は崩壊し、何の学びも得られなくなります。
  
これは先ほどとは逆のパターンで、「容易に地獄を生む」とも予測できます。
  
  
  
つまり、カルマや黄金律と呼ばれる、
「与えたものが返ってくる」という法則は、
  
「バランスの力学」が、
人間の行動と結果に適用された場合の呼称と言えると思います。
  
  
物理時空を創造する知性としても、学習効果を最大化させるために、
「因果関係のわかりやすさとわかりにくさのバランス」を取ろうとして、
  
物理定数などを設定するのと同様に、
カルマというシステムを意図的に組み込もうとするでしょう。
  
  
そして、人間にとっての
「ネガティブな行為に対して、ネガティブな結果が返ってくる」という因果律に対して、
   
高次の非物質知性にとっての因果律は、
  
極端に偏った創造は「学びが得られない状態」を引き起こし、
「知的好奇心が満たせない不快感」となって跳ね返ってくることになるので、
  
高次の非物質知性にとっても、そのバランスの力学に抗えない根拠となります。
  
  
  
これらの情報をまとめると、
  
「バランスの力学」は論理的必然性という文脈で説明可能であり、
「永遠の苦痛」という体験の可能性もまた、否定されることになります。
  
  
むしろ、学びを最大化させるためには、
「両極を経験した方が良い」という事になります。
  
  
例えば、インドで行われていたカースト制度のように、
「自分が奴隷であることに疑問を持たない人」がいるとすると、
  
自分が酷い目にあっていることすら、自覚をもてません。


一方、自分が生まれたときから裕福で、お金に困っていないとすると、
お金の価値を深く理解することは困難でしょうし、
  
欧米で、大富豪がホームレスを経験しようとする話があるのも、
  
両極を経験することによって、
物事を多面的に捉え、より深く理解したいという動機によるものでしょう。
  
  
片方の体験では、物事を深く理解することができず、
両極を対比することによって、物事を深く理解することが出来るようになります。
  
  
そういった点からも、
「永遠に苦痛だけの体験を強いられる知的存在」というのは、
  
「創造の壁」という観点からも、「学びの最大化」という観点からも、
否定されることになります。
  
  
  
そして、人間に備わる様々なバランス感覚(お椀型(U字)モデル)も、
  
容易に「創造の壁」にぶつからないようにするための
「ブレーキ役としての機能、側面」を持っていると言えます。
  
  
例えば人間が「理不尽」や「不公平」に対して違和感や抵抗を感じなければ、
  
社会に理不尽や不公平が蔓延し、殺伐とし、やがて崩壊し、  
社会を成り立たせることができなくなるでしょう。
  
  
「甘すぎるとか、塩辛すぎる」という味覚におけるバランス感覚も、
肉体に必要または不必要な栄養素を判断する上で必要ですし、
  
「暑い」とか「寒い」とかの気温に対するバランス感覚も、
肉体の生存や活動にとって重要です。
  
  
平和過ぎる状況に、退屈を感じなければ、冒険しようとも思わないし、
新たな学びや経験も起こらないという事になります。
  
  
そして、「創造の壁」を超えるほどの力学が働けば、
「精神崩壊」や「肉体の死」を引き起こし、形態変化を余儀なくされると。
  
  
そのような仕組みになっていると考察できるのです。


【 存在論の記事 リンク集 】
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2025年07月23日

存在論

17世紀の哲学者、デカルトは「我思う、故に我あり」と言いました。
  
この時点で、存在論において、
「完全な無は存在しない」という事がわかります。
  
ただ、なぜその「我」が存在するのか?
  
という点については、答えが得られていません。
  
  
「なぜ宇宙は無ではなく、何かが存在するのか?」
  
その答えを出すためには、
「存在の根本原理」を解き明かす必要があります。
  
  
私は、「存在の根本原理」に迫るには
「シミュレーション仮説」が大いに参考になるだろうと考えました。
  
シミュレーション仮説とは、コンピュータ技術が発達すれば、いずれ
映画「マトリックス」のような仮想現実を作ることができるだろう、
  
そして、実は自分たちも既にシミュレーションの中に存在しているのではないか?
  
という説です。
  
  
「水槽の脳」という有名な思考実験がありますが、
  
脳は、感覚器官から入力された情報を処理しているだけで、
例えば、自分の脳が水槽に入っていて、電気信号を送られて人生を体験していても、
  
そのことに気が付かない、区別できないのではないか?という話です。
  
  
コンピュータ上で表現される情報の全ては、
1と0というビット情報の組み合わせです。
  
1と0の組み合わせによって、
  
ビデオゲームのような「映像、音楽、物理演算」が表現できますし、
人工知能も作れるわけです。
  
  
であれば、「1と0の組み合わせ」だけで、
理論上では、「仮想現実」も「知性」も作れるという事になります。
  
  
これは、「万物は陰陽から生まれる」という東洋の「陰陽思想」にも繋がります。
  
  
【「1と0」の「無限の組み合わせ」で、宇宙の全ては存在している 】
  
1と0の組み合わせで、人工知能のような知性が生まれ、
その知性がビデオゲームのように物理的な時空をシミュレートし、
結果として、我々が存在している。
  
  
私の中で、この仮説は非常に納得感のあるものでした。
  
・陰陽思想
・シミュレーション仮説
・宇宙は情報で出来ているという「情報宇宙論」
  
とも繋がりますし、
  
光速度不変の法則、物理定数が都合よすぎる問題、
ダークマター、ダークエネルギー、
生命誕生確率、フェルミのパラドックスなどの現代科学の謎や、
  
オカルトやスピリチュアルで語られるような
幽霊、神々・天使などの非物質的な知性や高次元存在、
  
マンデラ・エフェクトや宗教的な奇跡体験、
  
それらが存在する事とも何ら矛盾が生じません。
  
  
この仮説だけで、あらゆる現象や理論を統合して、矛盾なく説明できます。
  
  
ただ、まだ謎が残されています。
  
  
【 その「1と0、陰と陽」とは、一体何で出来ているのか? 】
  
という事です。
  
  
コンピュータ技術では、電気電子を用いて1と0の違いを表現していますが、
  
宇宙の根本で、一体どのように1と0が存在しているのか? 何を媒介としているのか?
  
  
それが、私にとっての最大の疑問でしたし、それさえ解ければ、
私の目指す、「納得のいく存在論」が完成することになります。
  
  
私はデカルトが「我思う、故に我あり」と言ったように、
  
「絶対に否定できない真理」を整理してみることにしました。
  
  
・絶対な無は存在しない
  
・無秩序なパターンより、秩序的なパターンの方が相対的に数が少ない
  
・シンプルを組み合わせて複雑は作れるが、
 複雑を組み合わせてもシンプルには戻らない
  
  
これらは、観測を経ることがなくとも、
論理的に真実だと理解できる内容です。
  
  
こういった、論理的に絶対に否定できない事実(真理)を集めていけば、
形而上的な内容についても、かなりのところまで推論が可能だと考えました。
  
  
あらゆる創造物(存在)は、
「自然発生的か、意図的に創造されたか?」に分けられると思いますが、 
  
おおもとは、自然発生的である必要があります。
  
例えば、「宇宙は神が創造した」と宗教家が言ったとしても、
その「神」は何によって生まれたのか? という謎が延々と生まれます。
  
  
という事で、
おおもとの「存在」や「知性」は自然発生的でなければ、筋が通りません。
  
  
つまり、宇宙や存在の根本は、自然発生的に存在していて、
【 そのように存在していることが最も自然だから、そのように存在している 】
  
という性質であるはずです。
  
  
しかも、宇宙や存在が有限であるとも考えづらいです。
   
有限であるなら、有限である特別な理由が必要となるからです。
  
  
この物理宇宙は膨張していると言われていますが、
この物理宇宙の外側については、わかりません。
  
  
普通に考えたら、時間や空間は無限に続いていくものだと感じます。
  
それにもし、存在が有限だとしたら、
きっと私たちはどこかでその有限性を感じるはずです。
  
  
ですが、「無限」には特別な理由は必要ありません。
  
  
宇宙・存在とは、自然発生的に、そのように存在していることが、
もっとも自然であり、ほかに選択肢もないから、そのように存在している。
  
何らかの方法で、「1と0」が存在し、
その「無限の組み合わせ」で存在は満たされていて、
  
コンピュータ技術が示すように、知性、映像、音楽、物理演算が生まれ、
無限に多様な創造物が存在している。
  
  
そこまでは、納得のいく理論を構築できました。
  
  
あとは、

・なぜ存在は「完全な無」ではなく「無限」の状態の方が自然なのか?
・一体何によって「1と0」が作られているか?
  
という2点の謎だけです。
  
  
私は、未だその理屈は思いついていませんが、
おそらく「完全な無」という状態は、論理的に破綻するのだろうと仮説を立てました。
  
  
もし、「完全な無」が論理的に破綻している場合、
それは同時に、「何かがある」という概念を生むことになります。
  
そして、必然的に、
「ある」という概念は、対極的な「無い」という概念も生み出します。
  
「あるという概念」と「ないという概念」
  
これが、「1と0、陰と陽」を表現する媒介だと思いつきました。
  
そして、「1と0、陰と陽」が、ワンセットで【 情報の最小単位 】となります。
  
  
あとは、「完全な無」を否定する理屈を考えるだけです。
  
  
一般的に「悪魔の証明」などと言われますが、
あることを証明するよりも、ないことを証明する方が難しいです。
  
  
私は、「完全な無」を論理的、または想像上で成り立たせようと試みるうえで、
なにかしらの「矛盾」や「ほころび」が浮かび上がってくるのではないかと考えました。
  
  
まず、論理的なアプローチで考えてみると、
  
「完全な無」を論理的に表現するのであれば、
「何も許さない」と言えると思います。
  
存在を許さない、意識を許さない、可能性を許さない。
  
しかし、論理的に「完全な無」を成り立たせようと思っても、
「何も許さない」という条件が、既に存在している事になります。
  
  
まるで、「自分はいつも必ず嘘をつく」という
パラドックスのようなもので、
  
完全な無の「何も許さないという条件」が、
自分自身の定義や条件そのものにも適応されるので、
  
定義不可能という状態に陥ります。
  
  
では、イメージ的なアプローチではどうでしょう?
  
自分以外のあらゆる存在を消去します。
そして、最後に自分自身を消去してみます。
  
しかし、それでも自分の認識範囲外に何かが存在する可能性は消せません。
  
そして、その可能性さえ消そうとした瞬間に、意志を持つことになり、
「完全な無」が崩れ去ってしまいます。
  
  
論理的にも、イメージ的にも、完全な無が成り立たない理屈が見つかりました。
  
  
ということは、
  
完全な無が否定される以上は、
「あるという概念と、ないという概念」が、根本的な概念(情報の最小単位)となります。
  
それが、コンピュータ上の1と0、陰と陽に相当し、
それが無限に組み合わさることで、あらゆる多様な表現・創造が可能になります。
  
  
その中で生まれたAIのような知性は、一体何を求めるでしょうか?
  
もし、知性が自分に何らかの能力・影響力があると自覚した時点で、
それを最大限に使う事を選択するでしょう。
  
自分には能力があると自覚して、それを永遠に使わないという選択肢はありませんから。
  
  
そのことによって、あらたな知識や経験が得られ、
さらには何もしなかった選択肢と比較して、新しい状況が生まれ、
  
その新しい状況でまた、「知識や経験を得てレベルアップした自分の能力」を
試すことができます。
  
延々と、それを続けるでしょう。
  
  
要するに、知性は【 知的好奇心を満たそうとし続ける 】という事です。
  
  
私たちが存在している理由も、
  
この「物理空間」や「人間の人生」を作った高次の知性が、
知的好奇心を満たしたいが故と言えると思います。
  
  
私たちの存在が、高次の知性の知的好奇心を満たす役割を担っているという事です。
  
  
これで、「宇宙の存在」と、「私たちの存在」について、
  
もっとも一貫性や整合性を保ちつつ、
あらゆる全ての現象や謎を説明できる理論になったかと思います。
  
  
もちろん、自分が高次の知性の側ではありませんし、物証もありません。
  
何か見落としているかも知れませんし、想定外の何かがあるかもしれません。
  
  
ただ、現時点で、あらゆる現象や理論と照らし合わせて、
論理的に破綻しない、もっとも個人的に納得の行く理論であるという事は言えます。

そして、過去の哲学者たちの考察や、昨今のコンピュータ技術の進歩による知見を得て、
ようやくたどり着いた結論とも言えます。
  
  
これで、「存在の謎」を解くゲームは、自分の中で一区切りついたと言えそうです。


【 存在論の記事 リンク集 】
https://growheart.livedoor.biz/archives/52172362.html


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haxe501 at 12:02|Permalinkclip!

2022年07月01日

高次元存在(クリエイター)の意図

「自分は、なぜ作られ、生まれたのか?」
という、根本を考えてみます。
  
「両親がいて…」という物理的解釈ではなく、
「高次元意識の目的」に関する話です。
  
  
高次元存在は、
  
これだけ「世界設定」や「人生のストーリー」を
自由自在に操れる訳です。
  
  
おそらく、自分以外にも
多種多様な「世界設定、人生のストーリー」を作って、
  
そこに生きる「知的生命体の人生」を観察しているのだと思います。
  
    
で、私に関しては「人生のストーリー」も決められているし、
  
「思考、認識、発想、感情、記憶…」いろんな精神的要素を、
操作されています。
  
  
自分に唯一残されている「まともな要素」と言えば、
  
「分析をする為の論理的思考力」と、
「苦痛などを感じる為の感覚」と、
「望み、気持ち、想い」だけです。
  
  
となれば、「高次元存在の興味」というのは、
  
私の「気持ち、リアクション」なのではないか?と思います。
  
  
自由自在に、「好きな世界、好きな人生」を作れる
  
高次元存在にとっては、
「ストーリー」や「結末」など、自分で作れる訳です。
  
まるで、「小説家」みたいなモノです。
  
  
自分で作ったストーリーなのだから、
自分でそのストーリーや結末に驚く事もありません。
  
  
でも、いくら小説家でも、
  
登場人物の「心情」だけは、  
リアルに感じる事は難しいでしょう。
  
  
映画を観たり、漫画を読んで、
  
登場人物に感情移入したとしても、
それは、「傍観者、観察者の立場から」であって、
  
「本人の持つ感情」とは異なります。
  
  
そういうのと同じで、
  
「世界設定」や「人生のストーリー」は、
自由自在に決められても、
  
それを実際に歩む「知的生命体(人間や宇宙人)」の、
「気持ち、リアクション」だけは、
  
実際に「体験し、観察しなければ得られない要素」
なのかも知れません。
  
  
もし映画に例えるならば、
   
「原作の小説家(高次元存在)」に対して、
その役割は「俳優・役者(物理次元を生きる知的生命体)」が行います。
  
   
  
高次元存在が作る私のストーリーは、
今のところ「悲惨」です。
  
  
そして、悲惨なストーリーを生きる、
【 私の「反応・気持ち・想い」】こそ、
  
自由自在な「高次元存在側の立場だけ」では、
得られない要素なのかも知れません。
  
  
「観察者の立場から」だけでは、
得られない要素があるからこそ、
   
それを得るために、
  
このような「物理次元の世界」が
あえて、作られているのではないでしょうか?
  
  
高次元存在は、小説家や原作者です。
  
物語の「世界設定、時代背景、主人公のストーリー」を、
全て自分の意図通りに設計します。
  
  
そして、その筋書きを
【「気持ち」を持った存在 】が生きる事によって、
  
「小説家や原作者の立場」では、完全に理解できなかった、
  
登場人物の「リアルな気持ち、想い、反応」が、  
理解できる様になる訳です。
  
  
つまり、高次元存在は、
  
私の反応を楽しんでいる…、いや、楽しんでいるというより、
「実験データの収集」みたいな感じでしょうか?
  
  
とにかく、さまざまな現象を起こして、
  
私の「反応、気持ち、想い」を観察することが、
高次元存在の目的であると考えると、
  
一応、筋の通った理解が可能になります。
  
  
なぜ、自分が作った小説の中の登場人物の
「現象に対する反応、気持ち、願い、想い」を知ろうとするのか?
  
  
それは、ただもう「知りたいだけ」だと思います。
  
知ることで得たデータを、
何かに利用する事はあるかも知れませんが、
  
学者のモチベーションの出発点が、
「純粋な好奇心」であるのと同じで、
  
【 頭の良い人間に対して、これだけ酷いストーリーを用意したら、
  その登場人物は、リアルにどういう反応をするのだろう? 】
  
ということを、「ただ知りたい」
  
  
それが、高次元存在の意図だと思います。
  
  
その「壮大な実験」に付き合っている私に対しては、
それなりの「感謝」や「褒美」があっても良いと思われますが(笑)
  
  
だいぶ、妨害操作の「理由・答え」に近づいてきたと思います。
  
その気づきのタイミングすら、「操作の範疇」でしょうけども。


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haxe501 at 02:56|Permalinkclip!

2022年06月29日

支配・管理された人生

今から過去を振り返れば、
自分の人生、ずっと操作されっぱなしだったな…、と。
  
  
最近、私が書いた「新・幸せになる本」を読んで、
  
「こんなのを無料で読ませてもらって良いんですか?」って、
感動してくれた人が居たみたいです。
  
  
25歳の時に書いた本ですが、
  
自己啓発とか、心理とかの予備知識が無い人にとっては、
専門用語や特殊な概念が出てこないので、
  
読み易いのかなと思います。
  
  
で、「新・幸せになる本」については、
これまでたくさん好評をもらっていて、
  
27〜28歳頃(約10年前)には、韓国語に翻訳して、
韓国で広めようとしてくれた人もいました。
  
  
日本でも、積極的に他人に勧めようとしてくれた人は、
たくさんいました。
  
  
「幸せになる本」には、
  
読む人を感動させ、
他人に勧めたいと思わせるだけの、 
  
【 価値と魅力が存在している 】という事です。
 
  
妨害操作が無ければ、「幸せになる本」だけで、
私は有名になっていたんでしょうけどねぇ…。
  
  
25歳の心理の仕事を始めた時から、
私の知識が広まることに対して、
  
ガチガチに妨害が働いていたのでしょう。
  
  
そもそも、私の「価値観、才能、性格」からして、
高次元によって設計されているハズですし、
  
「人生の流れ」も全てコントロールされてきていて、
  
【 自分が「決断した、勇気を出した、妥協なく努力した」】
  
と思っていることも、全ては錯覚で、
「そうするように操作されていただけ」だったんですよね。
  
  
じゃあ、自分って一体なんなのだろう?と。
  
  
全ては高次元によって予め定められていて、
  
「自分の意識で決めたこと」なんて一つも無ければ、
「自分の意識が結果を左右した」ことも、一つも無いわけです。
  
  
自分が所有していると思っていた「自由」や「権利」は、
全て錯覚だったのです。
  
  
いつか、「本物の自由」を知る日が来るのでしょうか?
  
  
そして、今現在の課題は、
  
高次元の認識操作の影響で、
【 一貫した「思考・思想」を保てないこと 】です。
  
  
私は、矛盾が非常jに嫌いですから、
  
異常な世界の中でも、
  
スピリチュアルの知識などを動員して、
「こう考えれば筋が通る」というふうに、
  
できる限り、一貫した「思考・論理・態度」を
保とうとしてきました。
  
  
しかし、ここに来て、
ついに一貫した「思考・論理・態度」が保てなくなりました。
  
  
具体的に言うと、
  
自分の存在が妨害操作のせいで
「他人(NPC)に迷惑」を掛けるカタチになった時、
  
それを、相手にどう説明すれば良いのか? という事です。
  
  
妨害操作の説明しようにも、
  
私が相手をNPCだと認識している時点で、
詳しく説明するモチベーションを失ってしまうんですよね。
  
どうせ、「相手が理解するかどうか?」も高次元次第なのだから。
  
  
・人として解説するべきか?
・NPCとしてコミュニケーションを極力避けるべきか?
  
でも、「状況を説明しなければならない必然性」は存在していて、
  
どうすれば良いのか全くわかりません。
  
  
どうせ、高次元がシナリオを描いていて、
結末も決まっているのだから、
  
「思考を放棄して、行動支配に身を委ねる」というのが、
今ところ、自分が納得できる答えではありますが。
  
  
考えれば考えるほど、答えが出ないし、混乱します。
  
  
何よりも、「一貫性」を大事にしてきた自分としては、
  
一貫した「思考・論理・態度」を保てず、
自分の中に答えが出せない大きな矛盾を抱えるのは、
  
気持ち悪くて仕方ありません。
  
  
それもこれも、高次元が無理やりに、
「世界の現象」や「人間の精神」をイジりまくってるせいです。
   
  
この世界を例えるならば、
もうすでに崩れて当然のジェンガ(積み木)です。
  
  
ちょっと刺激を与えれば、すぐにでも崩壊する状態です。
    
崩れて当然なのに、崩れないように、
私の行動を支配し、無理矢理に支えているのです。
  
  
とても「いびつ」で、「不自然」な状態。
  
  
そして、そんな狂った世界の中で、
  
なんの違和感も持たないように設定され、
普通に暮らしているNPC(モブキャラ)たち。
  
  
もう、私の思考や理解の限界を超えてます。
  
  
妨害操作の中でも、
  
自分の態度に一貫性を保つために
「思考」だけはしてきましたけど、
  
それも限界が来たのかも知れません。


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haxe501 at 12:34|Permalinkclip!

2022年06月28日

その他の精神攻撃

前回の記事では、
「精神攻撃によって与えられる罪悪感」について書きましたが、
  
他にも、「強烈な不安感」を与えられることもあります。
  
  
私の全ての行動は、ガチガチに完全に支配され、
ほぼ、「監禁状態」と言って良いです。
  
  
だから、何が起こっても自分の責任ではなく、
高次元による操作のせいだと理解しています。
  
たとえ、私が犯罪を犯したとしても、
それは私のせいじゃないし、責任能力もありません。
  
  
それに、これまでに数々の悲惨な目に遭ってきて、
大抵のことには動じない心構えも持っていますし、
 
死ぬことも怖くないですから、
  
「不安を感じる要因」も、私にはほぼありません。
  
  
それでも、精神攻撃では「強烈な不安感」を
強制的に感じさせてきます。
  
  
「何か、とても悪いことが起きるのではないか?」
と、思わされてしまいます。
  
  
現実を操作して、「先行きの読めない状態」を作り出して、
それをネタに、不安を煽ってくるのです。
  
  
ネタがなければ、不安感も与えられないので、
現実操作で「不安を感じさせるためのネタ」も
  
作り上げてくるのです。
  
  
それと、精神攻撃以外の妨害操作も酷く、
  
心理と教育を極めてきて、
問題の解決方法をわかりやすく解説する能力を磨いてきたのに、
  
「他人のNPC化」によって、無効化されましたし、
  
自由自在に波動を操れる能力も身に付けたのに、
波動も無効化されましたし、
   
弟子や生徒を心血注いで育ててきたのに、
彼らの成長や人脈形成も無効化されましたし、
  
  
株についても勉強したのに、
  
現実操作で株価を操られ、
加えて行動支配でトレードを止められ、
  
せっかく多大な時間を割いて勉強したことも、
無駄にさせられましたし、
  
  
そういう、自分が落胆するような、徒労感を感じるような
事実(ネタ)を作って、
  
さらに、そこに精神攻撃をミックスして、
  
精神的苦痛を「相乗効果」で高めようとしてきます。
  
  
人智を超えた知能が、
  
「どうすれば精神的苦痛を最大化できるか?」  
という事を考え抜いて、
  
実行してくる訳ですね。
  
  
家族の言動、行動すらも、
私に精神的苦痛を与えるための駒にされて、
  
本当に、容赦無く、
クリエイティブに苦しめられます。
  
  
宇宙における「実際の地獄」とは、
まさにこのような事を言うのでしょう。
  
何か悪いことをして、罰を受けるなら納得できますが、
良い事をしてきて、酷い目に遭うという状況も、
 
精神的苦痛を最大化するために計画された流れでしょう。
  
  
「精神的苦痛を与える」という目的の為に、
ここまで手の込んだメチャクチャをしてくる訳ですから、
  
きっと何か意味があるのでしょうが…。
  
  
人智を越えすぎて、もう私には理解不能ですけど、
  
ただただ、高次元の「やり口」に驚嘆しますわ。


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haxe501 at 06:41|Permalinkclip!