2022年06月27日

認識をイジる操作

ようやく、記事を書けます。
 
もう一年以上、
ガチガチの行動支配を受け続けていますが、 
  
さらに、ここ何週間かは、
去年レベルの「激しい精神攻撃」に苦しんでいました。
  
  
先日、【「次元」とは「認識」による 】
  
という事を書きましたが、
精神攻撃を受けるときには、

自分の「認識」をイジられていると思います。
  
  
例えば、「罪悪感」という感情を
ダイレクトに送られてくる事がありますが、
    
私は通常であれば、
他人に対して罪悪感を持つことはほぼありません。
    
  
なぜなら、自分のベストを尽くしてきた自負があるし、
  
私の周囲で起こる問題のほとんど全ては、
「他人(NPC)側」に問題があることばかりです。
  
  
もし、他人が私の持つ知識の普及に協力してくれていたら、
 
世界は平和になり、コロナ禍も収まり、良い事づくめです。
  
  
いまだに、コロナのせいで経済的に苦しいという、
事業者、芸能関係者の声を聞きますが、
  
私の持つ知識が広まっていれば、
コロナなんてとっくに終わっているハズです。
  
  
そういう背景があるので、
私自身が他人から責められ様ものなら、
  
「お前の方は、自分の責任を果たしているのか!?」
と、逆に問い詰めるつもりでした。
  
  
その態度のせいもあって、
現在、家族とはほとんど音信不通ですが…。
  
  
とにかく、自分を責めるより遥かに前に、
「他人の責任を問いたくなるような背景」があるわけです。
  
  
だから、理屈で考えれば、
罪悪感なんて感じる要因は無いのですが、
  
精神攻撃では、罪悪感を与えてくる訳です。
  
  
理屈には全くそぐわないのですが、
  
「何か、自分が悪いのではないか? 」
「この不甲斐ない結果に対して、誰かに謝らなければならない」
  
という気がしてくるのです。
  
  
これは、妨害操作によって、
自分の「認識」をイジられている結果です。
  
  
「現実や他人に対する認識」をイジって、
「罪悪感」を強制的に感じさせようとしてくる訳です。
  
  
でも、それは自分の理解している「論理・理屈」とは矛盾します。
  
自分の思考の中に「明らかな矛盾」が存在しているとき、
人間は、混乱します。
   
    
これまで、あまり混乱してこなかった自分でも、
「矛盾する認識」を持つようにイジられたら、
  
流石に混乱せざるを得ません。
  
  
それで、私はこれまでこのメチャクチャな現実に対しても、
真正面から受け止め、分析を行ってきました。
  
  
でも、認識を大幅にイジられたら、
もう、現実を受け止める事ができません。
  
  
よく、親しい人が急死して、
「信じられない、現実を受け止められない」
  
というコメントをする人がいますが、
私は「人は死ぬ」という前提で生きているので、
 
人が死んだくらいで、
私は「現実を受け止められない」とはなりませんが、
  
  
認識をイジられた結果、
もう現実をまともに受け取れなくなりました。
  
「現実を直視しろ! 現実を真正面から受け止めろ!」
  
と、主張してきた側ではありますが、流石にもう無理です。
  
  
他人とも、どういう態度で接すれば良いのかわかりません。
  
相手を「一人の人間」として認識しなければ会話できませんが、
相手は「NPC」だと理解している自分もいます。
  
  
ここで、また「大きな矛盾」が発生しています。
  
  
矛盾が嫌いだからこそ、論理を極めてきた自分ですが、
     
現実に対しても、他人に対しても、
「大きな矛盾」が前提として存在していて、
  
「一貫した態度」を持つ事ができません。
  
  
「他人と、どう接したら良いかわからない」なんて、
まるでコミュ障の発言みたいですが、
  
相手をNPCだと認識すれば、何を話しても無駄だし、
「気を遣う必要もない」と思いますが、
  
相手を「一人の人間」として認識しなければ、
必要な会話すら、したいとも思いません。
  
  
そして、その認識は「妨害操作」によってイジられ、
認識自体をコロコロと変えさせられるのです。
  
これで混乱しない方が異常でしょう。
  
  
私は「妨害操作」を分析してきて、
  
妨害操作は、
【 自分の生きる現実を完全完璧に支配している 】
  
と理解しました。
  
  
いかに妨害操作が強力であろうとも、
  
私の「論破力」さえあれば、
【 他人と語り合える機会があれば、絶対に理解・納得してもらえる 】
  
そういう自信を持っていた時期もありましたが、
  
妨害操作の「人と現実に対する支配力」の前では、
全ての考えが打ち砕かれます。
  
  
そもそも、会話する機会をほぼ与えられないし、
  
会話する機会があったとしても、
「わからん、わからん、その話は終わりにしてくれ」
  
と、向こうから会話を打ち切られたら、お終いです。
  
  
みんな、「自分は論理的に会話が通じる」という
皮を被っていますが、
  
「論理ベースで、納得し合えるまで話し合う」
  
という大人同士の「暗黙の了解」すら、
NPCは、いざとなれば捨ててきます。
  
  
  
妨害操作の目的は、私に【 精神的苦痛 】を与える事です。
  
その為なら、容赦無く、機械的に「精神的な拷問」を行ってきます。
  
  
妥協無く努力して、苦労して、積み重ねてきた財産も、
容赦なく、粉々になるまで、理不尽に踏みにじられます。
   
  
「世界平和」と「人類の幸福」に命を懸けてきたのに、
協力者はほとんどおらず、
自分よりショボい著名人たちに支援者が集い、崇められ、
積み上げてきた仕事の成果も無効化され、
理不尽な精神的苦痛を与えられたら、
  
誰でも発狂して、気が狂います。
      
  
しかも行動支配によって、自殺する事は決して許されません。
  
  
私が人生でこれまでに得てきた
「精神的苦痛の量」をわかりやすく表すと、
  
その苦痛の量をまんべんなく他人に分散すれば、
「約35億人ほど」を自殺に追い込めるくらいらしいです。
  
  
・想像を絶する
・言葉では形容できない
・筆舌に尽くしがたい
  
とか、
  
そういった言葉で表現しても、
甘過ぎると感じるくらいの苦痛です。
  
  
しかも、その量の9割以上が、
妨害操作を自覚して以降の、ここ数年での精神的苦痛です。
    
チャネリングによると。
  
  
「亜人」という漫画がありますが、
死んでもすぐに生き返る人の話で、
  
死ねないまま延々と拷問され続ける人の話が出てきます。
  
  
自殺に対して否定的なイメージを持つ人は多いですが、
  
それ以上に、「死にたくても死ねない」という事の方が
遥かに残酷なことなのです。
  
  
「自殺しようなんて思ったことも無い」
という人が多いという事は、
    
それだけ、世界の大半の人々が
「恵まれた平和な暮らし」をしているという事です。
  
  
  
そして、この現実に起こるあらゆる現象が、
「私に対して精神的苦痛を与える」という目的のために、
  
利用される「駒」です。
  
  
私はそもそも、苦痛自体は悪いことでは無いと思っています。
  
  
例えば、「生まれた時から金持ちの家庭」でいるよりも、
  
「貧乏な家庭」から、自力で金持ちになった方が、  
人生経験や視野は深く、広くなります。
  
  
たとえ結果は同じだとしても、
  
「苦労を経ることでしか得られない価値」が
存在している事も理解しています。
  
  
しかし、世界一優秀な自分の頭脳で考えても、
  
この妨害操作を経て「得られる価値」が何なのか?
そもそも、「得られる価値」などあるのかどうか?
  
ということが、わかりません。
  
  
妨害操作は、いつ終わるかもわかりません。
  
終わらないかもしれません。
  
  
「いつ終わるのか?」と期待することも止めました。
  
  
このまま妨害操作が終わらず、月日だけが経てば、
私はそのうち「何も考えられない廃人」になると思います。
  
・混乱せざるを得ない世界
・理解しあえない他人
・与え続けられる精神的苦痛
・身動きが取れない行動支配
  
こんなのが続けば、
自分の意図する全てが無駄だと思わざるを得ません。
  
  
そもそも、認識すらイジられている訳で、
  
この記事を書いているのも、
自分の意思なのか、高次元の意思なのか、
     
そもそも「自分の意思」など初めから存在しておらず、
  
「これが自分だ」と、
勘違させられているだけだったのではないか?
  
  
疑い出せばキリがありません。
  
  
「苦痛を感じる為の感覚」だけを与えられ、
思考も、認識も、行動も、「管理・操作」されて、
  
どこまでが自分で、どこからが高次元なのか?
何が自分なのか、自分とは何なのか?
  
  
考えても答えの出ない問いですが、
  
「これが自分だ」とハッキリと明言できず、
思考、認識、行動が支配され続ければ、
  
何を考えても無駄。 何を意図しても無駄。
  
廃人同然になるしかありません。
  
  
まぁ、高次元が私を廃人にさせたくなければ、
それも妨害操作で如何様にもできるかも知れませんが、
  
ただ、時間が経てば経つほど、私は賢くなります。
 
  
賢くなった結果、認識を大幅にイジらなければ、
精神攻撃を与えられなくなってきている訳で、
  
その副次的な効果として、
私は現実を受け止められなくなってきています。
  
  
私が賢くなればなるほど、
妨害操作も荒っぽくなって、無理やりになって来ています。
  
  
高次元の「妨害操作」に限界は無いかも知れませんが、
  
私の肉体や精神には限界があります。
  
  
「認識を大幅にイジる」というのは、
一つの限界のように感じます。
  
  
認識を無理やりイジられると、
現実と他人に対する認識に、大きな矛盾が生じ、
  
流石の私も「混乱」せざるを得なくなり、
生活自体に大きな支障をきたしてくるからです。


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