2022年06月01日

プレイヤーとNPC

Twitterを眺めてみると、
「シミュレーテッド・リアリティ」と「NPC(s)」
という概念について語っている人がチラホラいる。
  
  
私自身、妨害操作によって精神を弄られまくっているので、
もう「まともな人間」とは言えないのだけれども、
 
それでも、自分がNPCではなく、プレイヤー側だと思うのは、
  
1.途切れる事のない「連続した記憶」を持っている
  
2.「経験の蓄積」と「視野の広がり」が一貫して続いている
 
3.「論理的思考」が保たれている
  
の3点があるから。
 
  
逆を言うと、NPCたちには、上記の3点の要素が見られない。
  
  
通常、人間は一度何かを理解したら、
「理解していない状態」に戻ることはない。
  
アルツハイマーや記憶障害など、
医学的に特別な理由でも無ければ、
  
通常、一度何かを知ってしまったら、「知る前」には戻れない。
 
これは、不可逆。
  
  
もし不可逆でなければ、
毎日、学校で授業を受けている学生が、
  
学んだことをランダムに忘れ続けることになるし、
そんな事があれば、教師の方も「異常状態」だと認識するだろう。
  
  
しかし、NPCに関しては、
  
何かを知り、理解した後に、
「知る前、理解する前の状態」に戻っている事が多々ある。

これは、「まともな意識の状態」としては、あり得ない。
  
    
例えば、私が「波動や心理の法則」、
「パワーストーンの性質」について散々教え、理解させてきたのに、
  
その内容をすっかり忘れたかのような言動を繰り返す人もいる。
  
  
・連続した記憶
・拡大し続ける視野
・論理的思考
  
これらの「まともな意識」に備わっている要素が、見当たらない。
  
  
じゃあ、NPCは何のために存在しているのか?
  
スピリチュアルの情報では、
【 人間が生まれるのは「霊的な学び」を得るため 】
  
と言われる事もあるが、
  
NPCの様に「記憶」も「視野」も「論理的思考」も
正常に働いていない状態では、
  
とても「学び」なんか得られない。
  
  
つまり、NPCは「プレイヤー」の体験・学びをサポートする為の、
「駒」として機能しているだけで、
  
NPC自体が、自分の人生から何かを学んでいるとは考えられない。
  
  
そして、自分以外にプレイヤーだと思える人もいないし、
社会現象が、あまりにも自分を狙い撃ちしているかのように動いている。
  
他のプレイヤーが、「私だけを狙い撃ちしている社会現象」に
付き合わされるとも考えにくい。
  
  
つまり、この世界は「自分専用に用意された世界」だと言う結論になる。
  
  
私は最初の方に書いたように、
  
・連続した記憶
・蓄積し続ける経験値、広がり続ける視野
・論理的思考
  
が備わっているからこそ、
自分は「プレイヤー側」だと思うわけだけど、
  
もし、この自分以外に「この世界を共有しているプレイヤー」がいたとしたら、
  
この異常な世界に対して、「強烈な違和感」を感じるだろうし、
この世界に対して、文句も言いたくなるだろうし、
  
何より、私の投稿記事に対して、激しく共感するだろう。
  
  
とてもじゃないけど、
  
「世界や他人に対する違和感や絶望感」が強すぎて、
普通の生活をエンジョイなんて出来ない。
  
  
そういう人が出てこない以上、
自分以外にプレイヤーが存在しているとは思えないし、
  
存在していたとしても、人口に対する割合を考えれば、
【 NPCが圧倒的多数 】ということは言える。
  
  
じゃあ、ここからが「重要なポイント」だけれども、
  
【 NPCだらけの世界で、プレイヤーが死んだらどうなる? 】
   
  
NPCは、プレイヤーの体験をサポートする為の「駒」にすぎない。
  
  
プレイヤーが死んだ後、
「NPCだけが残された世界が存続するのか?」
  
一体、何の為に?
  
  
それは、考えにくい。
  
  
コンピュータプログラムに照らし合わせれば、

プレイヤー専用の世界において、
プレイヤーがいなくなると言うことは、世界が消えるのと同じ。
  
  
だから、私が死んだら、
【 この世界は消える 】と言うことに確信がある。
  
  
「幼い子供を残して親が死ぬ」なんて、
一般的には悪いことだと捉えられるけど、
  
その子供ですら、「NPC」なのだから。
  
  
私は、教育者として世界一だという自負があるし、
  
孤児院でも運営して、
関わった子供を全員ポジティブに育てるのが一つの夢だった。
  
  
でも、「子供の発育」に対しても、妨害操作は強く働いているし、
  
私がどれだけポジティブに育てようとしても、
妨害操作の前には無力。
  
  
結局、私がどれだけやろうとしても、
子供を自分の意図通りにポジティブに育てることは出来ないと悟った。
  
  
子供も、「駒として機能するNPC」なのだから、
プレイヤーの私が死んだら、世界も、子供も消える。
  
だから、生命(死亡)保険の心配は要らない。 
  
  
プレイヤーである私だけは。
  
  
生命保険という概念も、プレイヤーに対して、

この世界が自分専用ではなく、  
「多くの人々と共有している世界」で、
  
「自分の死後も世界は続く」
と思わせるトリックとして機能している。
  
  
NPCは死んでも、プレイヤーが死なない限り世界は続くから、
NPCが生命保険を利用する事に否定は無いが、
  
プレイヤーにとって、生命(死亡)保険は無意味。
  
  
プレイヤーにとって、世界は自分専用のバージョンであり、
プレイヤーが死んだら、そのバージョンの世界は消える。
  
  
これは、バシャールが語ってきた
「物理的な現実・体験について」とも共通している内容と結論。
  
  
通常では、NPCというのは、プレイヤーに対し、
世界に対してリアリティを感じさせる役割があるのだと思うが、
  
ここまでNPCが頭のおかしい挙動をするようになってしまえば、
逆に、世界に対してリアリティを感じられなくなっていく。
  
  
私が、「この世界はゲームの世界だ」と気付いたとして、
今後、NPCはどういうふうに挙動していくのだろうか?
  
・「プレイヤーのフリ(意識があるフリ)」を続けるのか?
・「NPCとしての自覚」を持つのか?
  
  
どちらにしても、
ゲームとしては既に一貫性を失って破綻しているわけだし、
  
いくら異常な現実に論理的なツッコミを入れようとも、
妨害操作によって、いくらでも結果は操作されるから、
  
私は、「自分の人生の傍観者」になるしかない。
  
  
私としては、論理的な会話ができれば、
NPCだろうが、プレイヤーだろうがどっちでも良いが、
  
  
NPCの本来の役割は、
【 プレイヤーの体験をサポートする駒 】
  
でも、一人の人間として、
  
「自分の生命や人生を大切にしている」
というフリもしなきゃならない。
  
その間に、大きな矛盾が生じている。
  
  
その矛盾については、どうケリをつけるのだろうか?
  
  
私としては、
「もう正体がバレてるんだし、気持ち悪いから人間のフリやめろ!」
  
って言いたいトコだけど、
  
「気持ち悪がらせてストレスを与えよう」ってのが、  
高次元の魂胆(意図)っぽいし、
  
これからも、
  
「記憶」や「論理的思考」が吹っ飛んでいるのに、
【 まともな人間のフリをする「気持ち悪いNPC」】
  
は、居なくならないかもな。
  
  
それならそれで、私としては、
  
【 アタマが狂っているのに、「狂っていないフリ」をする、
  気持ちの悪いNPC 】
  
と呼ばせて頂くまで。


mixiチェック

haxe501 at 08:09│clip!