2022年05月24日

「世界への没入」と「感情移入」の条件

自分は過去、スピリチュアルな世界については、
「バシャール」や「リサ・ロイヤル」の発信する情報を学んできた。
  
  
今や、バシャールも「NPC化」してしまっていて、
「宇宙人すらNPCかよ」と思う訳だが、
  
過去に、バシャールの情報を
「ある程度信頼に足る」と判断していたのは、
  
内容に「論理的整合性」を感じていたから。
  
  
結局、「論理(ロジック)」というのは、
  
・「客観的な事実」を突き止める
・他人と「共通認識」を持つ
  
という目的において、非常にパワフルなツールであり、
  
日常的にテレパシーなどを使っていない人類にとっては、
「ほぼ唯一の手段」と言って良い。
  
  
そして、私は「論理的思考力」において特に優れているので、

・客観的事実(自然法則)を解明すること
・解明したことを分かりやすく他人に理解させること
  
においても、非常に長けてきた。
  
  
まぁ、この広大な宇宙においては、
  
【 論理に依存しない「思考」や「コミュニケーション」】を
主とする知性(体)が存在していても、何ら不思議はないのだが、
  
とりわけ人間にとっては「論理」こそが、
「思考」や「コミュニケーション」において最重要のツールになっている。
  
  
警察、弁護士や裁判官など、人間同士のトラブルに関わる職業では、
異なる価値観を持つ人同士でも、共通認識を持てるように、
  
また、主観や感情に流されず、客観的、中立的な判断ができるように、
【 論理的なプロセス 】が用いられる訳で。
   
  
とにかく、人間にとって【 論理 】はとても重要だということ。
  
  
論理的におかしな所があると、人間は違和感を感じるし、
その人間の持つ「矛盾センサー」というのは、非常に優れている。
  
  
例えば、「他人が嘘をついているとき」、
その嘘の辻褄が合わないと、すぐにそれを感じ取れるだろう。
  
人間は、論理的に筋が通ってるかどうか?
それを察知する為の優れたセンサーを持っている。
  
  
だからこそ、「論理的思考が吹っ飛んでいるNPCたち」には、
【 強烈な違和感 】を感じざるを得ないし、
  
到底、「まともな人間」とは思えない。
  
  
で、話は戻るが、
バシャールの情報には、論理的に筋の通った解説が多い。
  
  
「現実とは、夢のようなモノだ」というバシャールの解説は、
今になって、非常に納得できる情報だった。
  
  
夢を見ている時、それは「自分の意識」が展開している訳で、
  
「自分の夢に登場してくる他人」に、意識はあるだろうか?
  
  
おそらく、ない。
  
  
この現実においても、他人に意識がないからこそ、
「NPC」みたいなことが起こっている。
  
  
哲学的ゾンビという言葉もあるが、
「他人に意識があるかどうか?」を確認するのは非常に難しい。
  
  
いや、意識があるかどうかなんて、この際どうでも良いことだ。
  
  
それよりも重要な事は、
【 相手と論理的なコミュニケーションが取れるかどうか? 】
  
という事だ。
  
  
この世界・現実がゲームだとしても、人間はゲームに感情移入する。
  
主人公になって、自分を成長させ、謎を解き、
困っている人を助け、感謝され、良い気分に浸る。
  
  
たとえゲームだとしても、世界に没入し、感情移入ができる。
  
  
問題は、「記憶」や「論理的思考」が吹っ飛んでいて、
論理的な会話の噛み合わない他人(NPC)がいるということ。
 
  
ゲームをやっていて、
「言動が支離滅裂なNPC」ばかり登場したらどうだろう?
 
そんなゲームは、全く面白くない。
  
  
世界に没入することも、登場人物に感情移入することも出来ない。
  
全く、リアリティを感じない。
  
  
それに、ゲームでは「論理的なプロセス(フラグ)」に基づいて、
イベントが進行していく。
  
それも、論理的に矛盾が生じると、バグと見なされる。
  
  
バグだらけのゲームはどうだろう?
  
全く面白くない。
  
  
つまり私は、この現実を支配するゲームマスター(高次元存在)によって、
【 究極的に面白くないゲーム 】をプレイさせられている事になる。
  
  
加えて、「精神、経済、肉体」に対しても、
攻撃を加えられ、苦痛を味わわされている。
  
  
高次元存在は、
私が「苦痛貯金を貯めること」を是としているのだから、
  
最近では、自分が苦痛を感じるたびに、
「苦痛を味わうことが正解なのだ」と言い聞かせている。
  
  
どうせ、この世界・現実というのは「自分自身の意識が展開しているだけ」だ。
  
  
とにかく、何が言いたいのか?というと、
  
時を経るにつれて、
【「現実味」というものが益々感じられなくなっていく 】ということ。
  
  
昔は、事件や事故のニュースを見て怒りが沸くこともあったが、
今は怒りなど微塵も感じない。
  
他人は「NPC」であり、「駒」なのだから。
   
  
その他人に、
「論理的に会話の通じる相手」と、「そうでない相手」がいるという事。
  
  
特に、「論理的に話の通じない相手」に対しては、
  
人間として見れなくなっている。
  
  
だから、可哀想と思うこともないし、気遣おうという気にもならない。
  
苦しんでいるように見えても、「駒として」そう振る舞わされているだけ。
  
  
先ほどのゲームの話に戻るが、
  
論理的に話の通じる相手には感情移入できるが、
論理的に話の通じない相手には、感情移入は出来ない。
  
  
昔は、「頭の悪い人」と見なしてきたが、
   
もう、人ですら無い。 人として見なせない。
  
  
そもそも、「自分に苦痛を与えるための駒」として動いているNPCに対して、
  
まともに相手をするだけ、自分の精神が無駄に疲弊するだけ。
  
  
まぁ、赤の他人なら連絡を取らなければ良いだけだが、
  
その駒が「家族である」という所に、高次元のイヤらしさが光っている。
  
  
まぁ、子供の頃に生活を共有した家族であろうとも、
  
現在ではNPC(駒)であることには変わりないし、
自分に絡んでくるなら、「NPC扱い」することに変わりはない。
  
  
まぁ、そこんとこを直接論理的に詰めようと思っても、
行動支配で止められるのだが。



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