2022年04月27日

価値観が削ぎ落された先

ここ最近は、「目の前の現実」を正しく捉えるべく、
  
「人間としての価値観」を削ぎ落していく
というプロセスを経ていました。
  
  
過去の著名な哲学者たちと同様の、  
「哲学的な思索」に対して考えを巡らせる事ぐらいしか、
  
やることも無いので。
  
  
例えば、「希少価値がある(ない)」というのは、

【 人間的な価値観 】です。
    
  
時間、お金、物質などの「有限な世界」に生きていればこそ、
希少価値は重要な概念となりますが、
  
例えば、高次元の魂の世界に、
  
なんでも自分が望み描いたことが即座に叶う、
「無制限の自由」が備わった世界があるとします。
  
  
例えば、ゲームプログラマーが、プログラミングを使って、
「自分の思い描いた世界」を作り上げられるのと同様に。
  
  
そんな世界では、「希少価値」など意味を持ちません。
  
  
ゲームの世界では、数値を操作するだけ(チート行為)により、
一瞬で「能力や資源、所持金など」を増やし、最強の金持ちになれるのと同じです。
  
(その代わり、ゲームバランスの崩壊を引き起こしますが)  
  
  
同様に、

「他者と比較して優れている方が価値がある」とか、
「他者に貢献することに価値がある」とか、
「ルールを守ることに価値がある」とか、
  
それらも全ては、「人間的な(社会的)価値観」です。  
  
  
この全てが支配・管理された「シミュレーテッド・リアリティ」においては、
  
【「他人(NPC)」と「自分」を比較して一喜一憂すること 】にも意味はありません。
  
  
「何に価値があるとか、ない(役に立つ、立たない)」などと論じることも、
全ては、あくまで「人間的(社会的)な価値観」です。
  
  
そういった価値観を全てそぎ落としてしまえば、
  
残るのは、【「快」と「不快」という「体験の質」】だけです。
  
  
全ての価値観を失ってしまえば、
  
残るのは、
自分の経る体験が「快なのか、不快なのか」という事だけです。
  
  
それ以外の事は、価値観も、社会も、他人も、

「全てが(高次元によって)創り上げられ、
 操作されている幻想(プログラム)」
   
なのです。
  
  
そして、体験の質を一般的に大まかに分けると、
  
・プロセス(快)+ 結果(快)  (例:生産的な事に情熱を注ぐ
・プロセス(不快)+ 結果(快) (例:勇気を出す
・プロセス(快)+ 結果(不快) (例:自制心を失う
・プロセス(不快)+ 結果(不快)(例:無益な行為を強制される
  
という感じです。
  
  
それらが複雑に絡んで、「総合的な体験の質」が決定されます。
  
  
他人と比較して、自信が付いたり、または失ったり、
他人に貢献して、嬉しい気持ちになったり、
他人に迷惑を掛けて、罪悪感を覚えたり、
  
そういうのは、人間的(社会的)価値観です。
  
  
それを取り除いて、自分の体験を俯瞰して眺め、分析してみると、
  
「退屈、面倒、不自由、心身の苦痛など」が【 不快の本質 】です。
  
  
不快を減らしたいと思うのが、「生物としての自然な本能」だと思いますが、
  
まぁ、それを望んだところで「叶わない不自由」を私には強制されているので。
  
  
無限なる宇宙の中では、
「意味不明な不快を強制される体験」にも何らかの価値があるのでしょうし、
  
その役を、なぜか自分がやっているのでしょうし。
  
  
真っ暗闇の中、身動きの取れないまま、
行動支配によって自殺する事すら許されないまま、
  
自分の意思と無関係に流れ続けるベルトコンベアに乗せられ、
  
日々、淡々と不快を体験し、それに耐えるというのが、
  
「自分に課せられた命運」の様です。
   
   
いつか、「この不快が終わる時」がくるのかと、
ひとかけらの希望を頭の片隅に抱きながら。


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