2021年09月15日
天才学者を名乗ることの難しさ
私に対して、
【「学歴」とか「大学のお墨付き」が無いから信頼されないんだよ 】
と、宣ってくるNPCは居るのですが、論破したいと思います。
建築家の安藤忠雄さんも、大学には行かずに独学ですからね。
別に、「所属大学名」や「博士・教授」などの肩書きが無くとも、
多くの人間は「ある人が賢いかどうか?」くらい、
「見分ける目」を持っています。
だって、音楽の素人でも、「誰かの路上ライブ」を聞けば、
そいつが「プロ級かどうか?」くらい判別付きますもん。
なぜ学問の世界になったら、人々の目が節穴になって、
「肩書き」がなければ評価や判別ができなくなるのですか?
そもそも、私は「天才学者」を名乗っていますが、
「自分で天才を名乗れる学者」って、
この世にほとんど居ませんからね。
賢い人間ほど、「自分を上回る圧倒的に賢い人間」が
存在している可能性を感じますからね。
だから、学問の世界に身を置く人間ほど、
天才を自認するのが難しくなるのです。
そんじょそこらの大学の教授などでは、
「自分を天才」などとは、決して思えないでしょう。
たとえノーベル賞を取ったとしても、
なかなか思えないと思います。
学問の分野で、「自分で自分を天才」って言っちゃうのは、
博士号の取得が客観的に確認されていないのに、
ドクターを名乗っちゃう「ドクター中松」とか、
やたら経歴を盛りたがる苫米地英人とか、
ちょっと「空気が読めなさそうな人」に多いですが、
私は、バリバリ空気を読んだ上で、言えてます。
これは、虚勢では無くて、【 本物の自信 】からです。
私は、自分の実力が正しく評価されれば、
「ノーベル賞を複数個取得できる」と思っていますので。
これまでの研究成果で
「平和賞・物理学賞・経済学賞」は確実に獲れるハズだし、
今後の研究が進めば「医学賞・化学賞」もイケるかも知れません。
そして、多くの人間は
その人の「叩く大口、広げる風呂敷」が、
「虚勢か? 本物の自信か?」
を見分ける目も持っています。
だからこそ、
「本物の自信」を持っている人間というのは、
人の目に留まりやすいのです。
賢い人間ほど、私の文章を読めば、
私が一般と比べて異次元レベルに賢いことが分かるはずです。
そして、賢い人間は誰かの目に留まりますし、
大学に呼ばれます。
ラマヌジャンっていう数学者も、
大学に所属せずに数学の研究をしていましたが、
その実力が認められて、
イギリスのケンブリッジ大学に呼ばれてますから。
優秀な人は、優秀な人を見抜けるのです。
そして、客員教授というポジションがあるように、
大学の中で出世しなくても、
優秀な人であれば、外部からでも大学に呼ばれるのです。
そういう前提がある中で、私が世間の注目を浴びないのは、
完全に「高次元の妨害操作」によるモノです。
そもそも、私の主張である、
【 人間心理にも自然法則が働いている 】
【 統計に基づく心理学など役に立たない 】
という事実は、
科学者であれば、誰でも納得するような事実です。
むしろ、大学の「心理学・脳科学・神経学などの教授」などが、
「この当たり前の事実」を理解できない事の方が狂ってます。
だって、脳の働きにも、
電気信号などの物理法則が働いているわけですから。
【 人間の意識・心理にも物理法則・自然法則は働く 】
という方が、科学者、物理学者にとって「ごく自然な発想」です。
なのに、「統計」に執着し続ける心理学業界の方が、
明らかに狂っているのです。
そして、私の「超わかりやすい論理的解説」で、
私の言ってることが理解できないなら、
私以外の人が何かを説明していることも、
それを理解できる脳みそを持っていないでしょう。
つまり、何を見ても聞いても、
何も理解できない人間って事になります。
それこそが、論理的思考が吹っ飛んでる「NPC」です。
もし、NPCの主張するように、
「大学に所属していなければ、
学問の世界では評価の対象にすらならない」
というのであれば、
なぜ、客員教授というポジションがあるのでしょう?
「大学の外側にも、優秀な人は存在する」
という前提のシステムですからね。
大学の内側に入らなければ、
「知性を信頼されない、評価されない」などと思うのは、
むしろ、自分で
「人間は他人が賢いかどうか見抜く目を持っていない」
と宣言するようなもので、
極端に「頭が悪い人間」の発想です。
頭の悪い医者とか、大学教授とか、腐るほど居るけどね。
医療業界とか、大学業界にいる人ほど、
その事実を知っているでしょう。
業界の外側にいる人ほど、
自分の知らない世界を過大評価・過小評価しがちなのです。
【「学歴」とか「大学のお墨付き」が無いから信頼されないんだよ 】
と、宣ってくるNPCは居るのですが、論破したいと思います。
建築家の安藤忠雄さんも、大学には行かずに独学ですからね。
別に、「所属大学名」や「博士・教授」などの肩書きが無くとも、
多くの人間は「ある人が賢いかどうか?」くらい、
「見分ける目」を持っています。
だって、音楽の素人でも、「誰かの路上ライブ」を聞けば、
そいつが「プロ級かどうか?」くらい判別付きますもん。
なぜ学問の世界になったら、人々の目が節穴になって、
「肩書き」がなければ評価や判別ができなくなるのですか?
そもそも、私は「天才学者」を名乗っていますが、
「自分で天才を名乗れる学者」って、
この世にほとんど居ませんからね。
賢い人間ほど、「自分を上回る圧倒的に賢い人間」が
存在している可能性を感じますからね。
だから、学問の世界に身を置く人間ほど、
天才を自認するのが難しくなるのです。
そんじょそこらの大学の教授などでは、
「自分を天才」などとは、決して思えないでしょう。
たとえノーベル賞を取ったとしても、
なかなか思えないと思います。
学問の分野で、「自分で自分を天才」って言っちゃうのは、
博士号の取得が客観的に確認されていないのに、
ドクターを名乗っちゃう「ドクター中松」とか、
やたら経歴を盛りたがる苫米地英人とか、
ちょっと「空気が読めなさそうな人」に多いですが、
私は、バリバリ空気を読んだ上で、言えてます。
これは、虚勢では無くて、【 本物の自信 】からです。
私は、自分の実力が正しく評価されれば、
「ノーベル賞を複数個取得できる」と思っていますので。
これまでの研究成果で
「平和賞・物理学賞・経済学賞」は確実に獲れるハズだし、
今後の研究が進めば「医学賞・化学賞」もイケるかも知れません。
そして、多くの人間は
その人の「叩く大口、広げる風呂敷」が、
「虚勢か? 本物の自信か?」
を見分ける目も持っています。
だからこそ、
「本物の自信」を持っている人間というのは、
人の目に留まりやすいのです。
賢い人間ほど、私の文章を読めば、
私が一般と比べて異次元レベルに賢いことが分かるはずです。
そして、賢い人間は誰かの目に留まりますし、
大学に呼ばれます。
ラマヌジャンっていう数学者も、
大学に所属せずに数学の研究をしていましたが、
その実力が認められて、
イギリスのケンブリッジ大学に呼ばれてますから。
優秀な人は、優秀な人を見抜けるのです。
そして、客員教授というポジションがあるように、
大学の中で出世しなくても、
優秀な人であれば、外部からでも大学に呼ばれるのです。
そういう前提がある中で、私が世間の注目を浴びないのは、
完全に「高次元の妨害操作」によるモノです。
そもそも、私の主張である、
【 人間心理にも自然法則が働いている 】
【 統計に基づく心理学など役に立たない 】
という事実は、
科学者であれば、誰でも納得するような事実です。
むしろ、大学の「心理学・脳科学・神経学などの教授」などが、
「この当たり前の事実」を理解できない事の方が狂ってます。
だって、脳の働きにも、
電気信号などの物理法則が働いているわけですから。
【 人間の意識・心理にも物理法則・自然法則は働く 】
という方が、科学者、物理学者にとって「ごく自然な発想」です。
なのに、「統計」に執着し続ける心理学業界の方が、
明らかに狂っているのです。
そして、私の「超わかりやすい論理的解説」で、
私の言ってることが理解できないなら、
私以外の人が何かを説明していることも、
それを理解できる脳みそを持っていないでしょう。
つまり、何を見ても聞いても、
何も理解できない人間って事になります。
それこそが、論理的思考が吹っ飛んでる「NPC」です。
もし、NPCの主張するように、
「大学に所属していなければ、
学問の世界では評価の対象にすらならない」
というのであれば、
なぜ、客員教授というポジションがあるのでしょう?
「大学の外側にも、優秀な人は存在する」
という前提のシステムですからね。
大学の内側に入らなければ、
「知性を信頼されない、評価されない」などと思うのは、
むしろ、自分で
「人間は他人が賢いかどうか見抜く目を持っていない」
と宣言するようなもので、
極端に「頭が悪い人間」の発想です。
頭の悪い医者とか、大学教授とか、腐るほど居るけどね。
医療業界とか、大学業界にいる人ほど、
その事実を知っているでしょう。
業界の外側にいる人ほど、
自分の知らない世界を過大評価・過小評価しがちなのです。
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