2021年09月13日

物理学上の大発見に繋がるかもしれない仮説

「脳科学」と「意識」についての考察が一段落したので、
次は、「時間」に興味を持ちました。
  
  
で、「時間」について考えようとすると、
「特殊相対性理論」は避けて通れません。
  
要は、「光の性質」について詳しくなければ、
「時間」のことも分からないと訳で、
  
「特殊相対性理論」から、「量子力学」まで、
「物理学史」と「光の性質や法則」を学習していました。
  
  
ある程度の予備知識はありましたが、深掘りして
詳しいメカニズムや概念を理解しようとするのは初めてで、
  
【 光速度不変の原理 】であるとか、
【 光は「粒子」と「波」の両方の性質を併せ持つ 】とか、
  
常識的な考えでは理解し難い事実がたくさんあり、
  
知識としては知っていたことですが、
深く腑に落とすのに時間が掛かりました。
  
  
特に、「光速度不変の原理」を深く理解しようとすると、
非常に奇妙でした。
  
  
たとえば、自分が「陸上競技場の中心」に立って、
周囲のトラックを走っている「選手A(光役)」を眺めると、
  
「時速20kmぐらいで走ってるなー」と思うとします。
  
  
で、もう一人の選手B(人間)が登場して、
その選手Aを追いかけようとします。  
  
選手Bはどんどんスピードを上げますが、
どんなにスピードを上げても、
  
選手Aは自分から見て
常に時速20kmで走っている様にみえ、
    
いくら追いかけても捕まえられ無いどころか、
距離を離されていきます。
  
  
その現象を成立させるために、
  
選手Bの「時間の流れ」は遅くなって、
  
距離を引き離されているように感じさせるために、
「空間まで歪ませる」と言うことです。
  
  
実際、光速に近づくほど、時間の流れは遅くなる訳ですが、
もし光に意識があるとしたら、「時間の経過」を全く感じずに、
  
何十億年、何百億年も移動し続けることができる訳ですよね。
  
  
実際、人類は「100億年以上前の光」を観測している様です。
  
  
もし光に意識があれば、
  
「何億光年」の距離を移動しても、
「何億年」の時間を経過しても、
  
「一瞬の出来事に感じる」ってのは不思議です。
  
  
おそらく、「高次元の存在・意識」の中には、
  
物理次元における「何百億年もの悠久の時間」すらも、
「一瞬の出来事」のように処理できる知性が存在しているのでしょうね。
  
人間と比較したら、頭が良過ぎて意味不明でしょうけど(笑)
  
  
で、私が疑問に思ったのは、
  
なぜ「宇宙の仕組み」というのは
  
「光速度不変の原理」という、
「ややこしい仕組み」になっているのか?です。
  
  
「ガリレオ」「ニュートン」「アインシュタイン」
までの「古典物理学」では、
  
客観的に物理現象を説明するための知識体系でした。
  
  
しかし、量子力学の時代になってくると、
  
時間や光などの物理現象に、
「人間の主観」が入り込んでくる訳ですね。
  
  
「光の速さ」は主観によって変わらず、
「粒子の動き・時間の流れ」は主観によって変わるのです。
  
  
さらに、「量子のもつれ」という、
光のスピードを超えて瞬時に情報が伝達される現象もあります。
  
それもおそらく、「高次元」が関係しているのでしょう。
  
  
「超弦理論」や「M理論」が示すように、
高次元というコンセプトを取り入れたら、
  
解ける謎はたくさんあると思います。
  
  
私は、「宇宙・世界・現実」というものが、
  
「高次元の知性によって創造されたモノ」だと確信しています。
  
  
まるで、人間がコンピュータプログラミングで、
「3Dグラフィックのゲーム」を作り出すのと同じです。
  
  
高次元の知性に掛かれば、
自由自在に物理法則も設定できる中で、
  
なぜわざわざ、
「光速度不変の原理」という、ややこしい仕組みにしたのか?
  
別に、そんな法則にしなくても、宇宙は作れそうなのに?
  
  
その疑問について、しばらく考えていました。
  
  
光の速度で「光」を追いかけようとしても、
  
時間・空間の方が歪んでしまい、
光は捕まえられず、止まった状態の光を観察することはできない。
  
  
「自然はシンプルを好む」という世界観の私にとって、
  
どうしても、「光速度不変の原理」は、
不可解で、納得しづらい現象だったのです。
  
  
「光の速度の維持」を優先する為に、
「時空が無理に歪まされている」としか思えない。
  
  
普通の物理学者であれば、
宇宙はそういうモンだから仕方ない…、
  
と、そこで思考を止める人も多いかも知れません。
  
  
でも、私の持ち味は、常識や既成概念に囚われず、
  
【 高次元の視点・都合で物事を考え続ける 】という事です。
  
  
私は、「光速度不変の原理」に関して、
  
【 高次元側の都合によって、
  人間にとって「ややこしい仕組み」になっているんじゃないか? 】
  
と、予想したのです。
  
  
じゃあ、光速度が不変だと、
高次元側にとってどんなメリットがあるのか?
  
  
そこで、思考実験としてイメージしたのが、
ファミコンの「ドラゴンクエスト4」です。
  
  
ファミコンの一般的なRPGでは、
  
「主人公のキャラクター」は画面中心に位置していて、
上下左右に動かすと、「背景」の方が動きます。
  
  
そして、ゲーム内の時間経過も設定されていて、
プレイ中にゲーム内の世界では、朝・昼・夜を繰り返します。
  
  
そういう世界の中に、
「光速度不変の光」を用意するとどうなるでしょう?
  
  
・キャラクターがどの方向に動こうが、
・気球に乗ってキャラクターのスピードが速くなろうが、
・ゲーム内の時間の流れがどうであろうが、
  
全く影響を受けずに、
「一定のスピードで画面上を移動し続けるボール(光)」
  
  
そういうモノがあったら、
ゲーム内のキャラクターから見れば不思議に思うかも知れませんが、
  
ゲームをプレイしている人間からすると、
「人間側の時間の経過」を測るモノサシとして便利ですね。
  
  
ゲーム内の状況に関わらず、
  
一分間で、画面の「左端から右端」まで移動し、
それを「繰り返すボール」が画面上に用意されていたとしたら、
  
ゲーム内のキャラクターから見れば、不思議な物体ですが、
プレイしている人間から見たら、「一つの基準」になります。
  
  
そういう「高次元側のモノサシ」として利用するために、
  
どんな立場から見たとしても、
「光の速度は常に一定」という風に設定されているのではないか?
  
  
そう考えると、筋が通るし、納得も出来ます。
  
  
「ゲームキャラクター側からの思考」では辿り着けませんが、
「高次元側の都合」という視点で考えると、納得できる結論です。
  
  
物理次元を生きる人間にとっては、
「時間と空間」が現実の土台であり、基準です。
  
  
人間は常に、自分の存在している
「時間」と「場所」を気にしながら生きています。
  
だからこそ、時間と空間が歪んだりすると、
人間は大きな違和感を感じます。
  
  
しかし、高次元にとってはそうでは無い様です。
  
  
時間と空間など、一定に保たなくても良いし、
その代わり、「光の速度」を一定に保ちたい理由があるのでしょう。
  
  
その理由とは、きっと「時空」よりも「光の速度」こそが、
  
【 物理次元の在り方の根幹に関係している 】という事だと思います。
  
  
結局、物理次元も「意識の産物」ですからね。
  
  
高い次元では、「意識 = 光」だと思いますし、
  
「意識と光の関係」こそが、現実の様相を創っているのでしょう。


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