2021年05月27日

宗教を信仰する動機

宗教を信仰している人の中で、
  
「宗教の教義が"真実だから"信じてる」
って動機の人は、いないはずなんですよ。
  
(そもそも、宗教の教義なんて、真実かどうか確かめようが無いしね。)
   
  
だって、もし私みたいに「真実」が好きだったら、
  
【 客観的立場、中立的立場、論理、物理、科学 】
  
などを、好きになるはずだから。
  
  
つまり、宗教の実態を客観的に述べるならば、
  
【「自分の精神にとって都合の良い教え」を信仰しているだけ 】
  
  
そんな事は、宗教を信仰している当の本人にも
自覚があると思うんですよ。
    
  
宗教を信仰している人の深層意識では、
   
・「真実かどうか?」なんてどうでも良い
・「自分にとって都合の良い情報」を信じたい
  
という「価値観、優先順位、思想」がある訳です。
  
  
要するに、今以上に自分の精神にとって良い思想があれば、
  
【 別に、鞍替えしたって構わない 】って事です。
  
  
江戸時代に弾圧されましたけど、
  
日本人の中にも、
「新たにキリスト教を信じたい人」がいた訳だから。
  
  
もともと日本にはなかった考えなのに、
それより「海外から来た人の情報」の方を信じたかったわけです。
  
  
・「信じれば神様が助けてくれる」とか、
・「南無阿弥陀仏を唱えていれば、極楽浄土に行ける」とか、
  
そういう宗教の情報は、
当時の庶民の心にとっては都合の良い情報だった訳ですね。
  
  
で、現代でも「自分に都合の良い情報を信じたい」
って人がいるんですけど、
  
そういう人にとっては、
「真実かどうか?」はさほど重要じゃないのです。
  
  
その情報が、「自分にとって都合がよいかどうか?」です。
  
  
だから、「いま信じている以上に都合の良い情報」を提示できれば、
  
【 人の考えなんて、簡単に変わってしまう 】という事です。
  
  
真実でもないのに、
自分の信じている情報を他人に押し付けるなんて、
  
それでケンカするなんて、非常にバカバカしいですね。
  
  
だから、宗教を否定することなんて簡単です。
  
  
問題は、宗教を信仰している人に対して、
  
今信じている情報よりも、素晴らしい情報を提示できるか?です。
  
  
そうでなければ、
今現在、信仰している宗教を否定された場合に、反発が起こります。
  
  
それは、「理屈や論理からくる反論」ではなく、感情的な反発です。
  
ですから、本当は、真実なんてどうでも良いんですよ。
  
  
真に精神的に自立すれば、宗教に頼る必要も無くなりますしね。
  
  
宗教は、人間が作ったものです。
  
「人間が作った」って事は、
「自分たちの精神にとって都合が良いから」です。
  
  
人より先に宗教があったのではなくて、
人が宗教を作ったわけです。
  
  
科学の場合は、
人間の価値観よりも先に「科学(物理現象)」がある訳ですけどね。
    
  
だから、本当に「宗教自体が大好き」って人は、
  
この世にいないはずなんですよね。
  
  
【 自分の精神にとって都合が良いか? 】が全てです。
  
  
だから、普通の人が思ってるより、
  
案外、「宗教の信仰心」ってのはそれほど強くないんです。
  
  
昔と違って、科学でいろんな事が分かってきて、
科学によって宗教の教えが否定されるような事が繰り返されてきたので、
  
現代では尚更です。
  
  
物理学者が、計算と実験の上で「こうだ!」って言ってる方が、
よっぽど強い確信がありますから。


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