2021年03月27日
パラレルリアリティを理解したらゲームオーバー
今日は、「バシャールの代弁」でもしようと思います。
現代の物理学者でも、
「パラレルリアリティの存在」について語っている人はいますが、
「パラレルリアリティの概念」を正しく理解してしまったら、
その時点で、ゲームオーバーです。
決して悪い意味じゃないので、
「ゲームクリア」と言っても良いかもしれませんが(笑)
どういう事かというと、
宇宙には無数のパラレルリアリティが存在していて、
「平和な地球」も、「破滅している地球」も、
同時に存在している訳で、
意識を持っている人というのは、
その「無数に存在している世界の間」を移動している訳ですね。
ただ、その移動が「スムーズ」かつ、「ゆっくり」なので、
その事実が認識しづらいだけです。
でも、「大幅なジャンプ(シフト)を体験した人」もいて、
そういう時に、マンデラ・エフェクトを体験する訳です。
これが深く理解できてしまうとどうなるか?
「世界を救う」という事テーマに語るとすると、
【 世界を救うなんてことは不可能だ 】という事になります。
「既に存在している平和な世界」に、
自分が徐々に移動していくだけなので。
「自分が世界を救っている!」と思っている人も、
そういう体験をしているだけで、
実際に世界を救っている訳ではありません。
「自分の経験」と「世界の移動」の【 辻褄 】が合っているので、
【 自分が世界を救っているかのような感覚になるだけ 】です。
つまり、実際には【「光と闇の戦い」なんて無い 】のです。
ポジティブな世界と、ネガティブな世界は同時に存在していて、
自分がどう頑張ろうとも、
宇宙から「ネガティブな世界」を消し去ることは出来ないのです。
「自分が認識できなくすること」は出来ますけどね。
でも、自分が認識していなくても、どこかで存在はしているのです。
日本にいて、目の前に映るのが「平和な世界」でも、
遠い国では「銃を持って戦争している国」があるのと同じです。
だから、世界なんて救えないのです。
自分が「平和に貢献する様な経験を積むこと」と、
自分が「平和な世界に住むこと(移動すること)」しか出来ないのです。
自分が「世界を変えている、世界に影響を与えている」と思うのは、
【「自分の経験」と「世界の移動」の辻褄が合っている 】からこそ感じる、
ただの錯覚なのです。
この事に気づしてしまうと、
もう「真剣にゲームをプレイする事」はできなくなります(笑)
「世界を救わなきゃ!」っていう使命感なんて消え去ります(笑)
例えば、ゲームの「ドラゴンクエスト」に例えると、
ゲーム内キャラクターの勇者自身が、
【「これはプログラミングされたゲームだ!」って気づいちゃう 】
って事ですね。
ドラゴンクエストの勇者が、
ゲーム内で、「これはゲームでしょ? わかってるよ!」
って言い始めたらどうします?(笑)
魔王を倒すモチベーションも、かなり下がってしまうでしょう(笑)
人生は、「自分の経験」と「世界の移動」そして、
「時間」で出来ています。
人間は、「世界を救う」のではなく、
【 既に存在している平和な世界へ移動する事 】しか出来ないのです。
この事に気づくと、「世界を救おう!」ではなく、
世界を救うなんて事は出来ないし、錯覚なのだから、
【 自分の「やりたいこと」をやるしかねぇ! 】っていう結論になります。
一応、「世界で設定されてる社会と経済のルール」
に従う必要はありますから、
「そのルールの範囲内で…」という事にはなってしまいますけどね。
別に、「犯罪を犯しても警察に捕まらない」って事じゃ無いので。
でも、【 大事なことは「自分の経験だけ!」】って事に気づいたら、
【 「社会のルール」の中で、「やりたい事をやる」】って事しか、
人生に用事が無くなります。
だから、バシャールは「やりたい事をやれ!」って言う訳です。
錯覚だとしても、
真剣にゲームをプレイするからこそ、
鍛えられる能力もありますけどね。
例えば、世の中には、「軍事マニア」や「兵器マニア」もいるので、
戦争がある方が「楽しく学べちゃう人」ってのもいますからね。
平和な世界だと、「兵器について学べない人」もいるのです。
そういう人は、
自ら「戦争のある世界」を選択したくなるかも知れません。
でも、「世界を救おう」という気持ちがある人であれば、
ゲームだと気づいちゃったら、もう真剣にはなれません。
緊張感も、切迫感も無くなります。
なので、パラレルリアリティを本当に理解したら、
何かに対して「シリアスに活動する」というゲームは終わり。
ゲームオーバーなのです。
現代の物理学者でも、
「パラレルリアリティの存在」について語っている人はいますが、
「パラレルリアリティの概念」を正しく理解してしまったら、
その時点で、ゲームオーバーです。
決して悪い意味じゃないので、
「ゲームクリア」と言っても良いかもしれませんが(笑)
どういう事かというと、
宇宙には無数のパラレルリアリティが存在していて、
「平和な地球」も、「破滅している地球」も、
同時に存在している訳で、
意識を持っている人というのは、
その「無数に存在している世界の間」を移動している訳ですね。
ただ、その移動が「スムーズ」かつ、「ゆっくり」なので、
その事実が認識しづらいだけです。
でも、「大幅なジャンプ(シフト)を体験した人」もいて、
そういう時に、マンデラ・エフェクトを体験する訳です。
これが深く理解できてしまうとどうなるか?
「世界を救う」という事テーマに語るとすると、
【 世界を救うなんてことは不可能だ 】という事になります。
「既に存在している平和な世界」に、
自分が徐々に移動していくだけなので。
「自分が世界を救っている!」と思っている人も、
そういう体験をしているだけで、
実際に世界を救っている訳ではありません。
「自分の経験」と「世界の移動」の【 辻褄 】が合っているので、
【 自分が世界を救っているかのような感覚になるだけ 】です。
つまり、実際には【「光と闇の戦い」なんて無い 】のです。
ポジティブな世界と、ネガティブな世界は同時に存在していて、
自分がどう頑張ろうとも、
宇宙から「ネガティブな世界」を消し去ることは出来ないのです。
「自分が認識できなくすること」は出来ますけどね。
でも、自分が認識していなくても、どこかで存在はしているのです。
日本にいて、目の前に映るのが「平和な世界」でも、
遠い国では「銃を持って戦争している国」があるのと同じです。
だから、世界なんて救えないのです。
自分が「平和に貢献する様な経験を積むこと」と、
自分が「平和な世界に住むこと(移動すること)」しか出来ないのです。
自分が「世界を変えている、世界に影響を与えている」と思うのは、
【「自分の経験」と「世界の移動」の辻褄が合っている 】からこそ感じる、
ただの錯覚なのです。
この事に気づしてしまうと、
もう「真剣にゲームをプレイする事」はできなくなります(笑)
「世界を救わなきゃ!」っていう使命感なんて消え去ります(笑)
例えば、ゲームの「ドラゴンクエスト」に例えると、
ゲーム内キャラクターの勇者自身が、
【「これはプログラミングされたゲームだ!」って気づいちゃう 】
って事ですね。
ドラゴンクエストの勇者が、
ゲーム内で、「これはゲームでしょ? わかってるよ!」
って言い始めたらどうします?(笑)
魔王を倒すモチベーションも、かなり下がってしまうでしょう(笑)
人生は、「自分の経験」と「世界の移動」そして、
「時間」で出来ています。
人間は、「世界を救う」のではなく、
【 既に存在している平和な世界へ移動する事 】しか出来ないのです。
この事に気づくと、「世界を救おう!」ではなく、
世界を救うなんて事は出来ないし、錯覚なのだから、
【 自分の「やりたいこと」をやるしかねぇ! 】っていう結論になります。
一応、「世界で設定されてる社会と経済のルール」
に従う必要はありますから、
「そのルールの範囲内で…」という事にはなってしまいますけどね。
別に、「犯罪を犯しても警察に捕まらない」って事じゃ無いので。
でも、【 大事なことは「自分の経験だけ!」】って事に気づいたら、
【 「社会のルール」の中で、「やりたい事をやる」】って事しか、
人生に用事が無くなります。
だから、バシャールは「やりたい事をやれ!」って言う訳です。
錯覚だとしても、
真剣にゲームをプレイするからこそ、
鍛えられる能力もありますけどね。
例えば、世の中には、「軍事マニア」や「兵器マニア」もいるので、
戦争がある方が「楽しく学べちゃう人」ってのもいますからね。
平和な世界だと、「兵器について学べない人」もいるのです。
そういう人は、
自ら「戦争のある世界」を選択したくなるかも知れません。
でも、「世界を救おう」という気持ちがある人であれば、
ゲームだと気づいちゃったら、もう真剣にはなれません。
緊張感も、切迫感も無くなります。
なので、パラレルリアリティを本当に理解したら、
何かに対して「シリアスに活動する」というゲームは終わり。
ゲームオーバーなのです。
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