2021年02月20日

科学を理解するか、常識を盲信するか

私が「波動を科学的に研究している」というと、
  
「エビデンスはあるのか?」
「論文はあるのか?」
  
ということを聞いてくる人がいますけど、
今回は、そういう人たちの事を「論破したい」と思います。
  
  
私は、「自分と反対の意見を持つ人」との「議論・会話」が大好きです。
  
例えるならば、「詰将棋」をやっている感覚ですね。
  
  
逃げようとする「王将」を、
どう「チェックメイト(詰み)」まで持っていくのか?
  
それを考えながら議論することが楽しいのです。
  
  
【 私はどうせ"絶対に"負けないので 】
  
  
で、じゃあまずは「エビデンス野郎」から処理したいと思いますが、
  
エビデンスは「科学的根拠」と訳されますが、
  
「地球が丸いという事のエビデンスを出せ!」
「地球が太陽の周りを回っているというエビデンスを出せ!」
  
という風には使われない訳ですよね。
  
  
当たり前に理解されている事には、
エビデンスという言葉は使われないのです。
  
「エビデンスを出せ」という言葉は、
「統計データを出せ」という意味に置き換えられます。
  
実際、ウィキペディアの解説でも、
エビデンスは「確率・統計」という風に書かれています。
  
  
しかし、確率や統計では、
因果関係を解明することが出来ませんし、
  
「自然法則」や「因果関係」が解明されていない対象…、
つまり、前提として【 人類が詳しくない分野 】に対して、
  
「エビデンス」という言葉は使われているのです。
  
  
因果関係がわからないからこそ、統計に頼るしか無いのです。
  
  
一方、私が研究しているのは「統計・確率」ではありません。
  
「論理(ロジック)」と「自然法則(物理法則)」です。
   
  
ロジックも、自然法則も、
  
・客観的
・世界共通言語
・因果関係
・再現性100%(百発百中)
  
という要素を含んでいる訳です。
  
  
物理法則に比べたら、
「エビデンスがあるかどうか?」なんていう議論は、
  
「はるかに低レベルな議論」です。
  
  
名探偵コナンをイメージしてください。
  
彼が「犯人」を追い込むのは、
当然ながら「客観的事実」と「論理的思考」です。
    
そして、「統計データ」も、「数式」も使いません。
「エビデンス」なんていう言葉も使いません。
  
  
【「統計データ」と「エビデンス的」に、犯人はお前だ! 】
  
って言われて、説得力があると思いますか?
  
  
ここで分かるように、統計やエビデンスなどより、
【 情報の信憑性としては、「論理」の方が「はるかに格上」】です。
  
テレビドラマなどで繰り広げられる裁判所での会話も、
「論理(ロジック)をベース」に繰り広げられますし、
  
「論理」と「証拠(客観的事実)」によって、犯人かどうかが決定されます。
  
  
【「統計データ(割合)」に基づく情報 】なんかで、
自分が犯人だと決めつけられてたまるか!
  
って話でしょ?
  
  
「黒人の犯罪率が高いし、アンタは黒人だから有罪ね!」
って言ってるのに等しいのです。
  
  
この世で「確実にこうだ!」と言えるのは、
  
「論理」と「自然法則」くらいしか無いのです。
  
  
例えば、地球が誕生して46億年と言われますが、  
その間、「太陽の周り」を公転し続けている訳です。
  
もしその途中で、
  
「遠心力や重力に関する自然法則」に変更が加わったら、
太陽系はバラバラになっていますよね?
  
  
もし、途中で「摩擦」に関する自然法則が変化したら、
  
「ネジや釘の強度」も変わってしまうし、
「電車や自動車のブレーキの掛け方」も変わってしまいます。
  
もしそんなことがこの現代社会で起こったら、大混乱です。
   
   
「現象が安定的に起こる」という事は、
ベースに「自然法則(物理法則)」が働いているからなのです。
  
「自然法則が変わる」という事は、
「宇宙規模の大混乱が起こる」という事です。
  
だから、自然法則はそうそう変わるわけがないのです。
  
  
そして、この宇宙のあらゆる現象に対して、
「自然法則・物理法則は絶対に働いている」のです。
  
「物理法則が存在しない世界」などあり得ません。
   
  
摩擦も、重力や遠心力、慣性の法則、電磁力の法則…
  
そういう「あらゆる物理法則がコロコロ変わる世界」
をイメージしてみてください。
  
  
全てが混沌としていて、
「生物が存在すること」すら、不可能な世界です。
  
  
そして、「自然法則に基づく現象」というのは、
【「百発百中でそうなる」という因果関係 】を持っています。
  
手に持った物体を放したら、百発百中で下に落下しますよね?
  
1万回に1回でも、「空に向かって昇って」いったり、
「空中で静止すること」があり得ると思いますか?
  
  
そして、「自然法則がすでに解明されている分野」に対して、
  
「エビデンス(統計データ)を出せ」などという言葉は使われないのです。
  
  
「論文を出せ」とか言っている人間も、
  
「そいつは何を信頼しているのか?」というと、
  
論理や科学(物理学)ではなく、【 常識・権威 】です。
  
  
例えば、携帯電話を利用している人の中で、
「携帯電話の仕組み」を理解している人間は非常に少ないでしょう。
  
携帯電話については、理解していなくても利用していますよね?
  
なぜなら、携帯電話は仕組みが理解できなくても、
大多数の人々が利用していて、常識と化しているからです。
    
  
「仕組みがわからない、怪しい!」
「エビデンスを出せ! 論文を出せ!」
  
と、のたまう人間はいないのです。  
  
  
  
私は、「客観的事実」と「自然法則」をベースに、「論理的」に話します。
  
どれもこれも、「客観的・中立的」で、
「この世で最も確かだ」と言えるモノです。
    
  
そして、私は「自分で検証すれば分かることだ!」
  
という事も言っています。
  
  
なぜ、「自分で簡単にできる検証(自分の経験)」ではなく、
「他人が書いた論文」をアテにするんでしょうか?
  
  
要は、【「知性」や「判断」を他人に依存している訳 】です。
  
【「自分で考え、理解すること」を放棄している 】のです。
  
  
「論文を出せ!」とかいう人間は、賢ぶっていますけれども、
  
【 自分で考え、検証し、判断する事を放棄しているアホ 】です。
  
  
私が、「このラーメンすっごく美味しいよ!」って教えているのに、
  
本当ですか? 怪しいなぁ。 こんなの聞いたことが無いけど?
「著名な美食家や料理研究家」がそう言ってるなら信じますけど?
  
と言っているのと同じです。
  
  
【 は? まず、自分で食え! 】
  
って話でしょ? 目の前にあるんだから。
  
  
なぜ、「目の前にあるラーメンを食う」のに、
  
「美食家や料理研究家の意見」が気になるのでしょう?
  
  
自分の「舌(味覚)」に自信が無いからでしょう(笑)
  
  
自分が「バカ舌」であることを宣言しているのと同じです。
  
  
「エビデンス野郎」も、「論文バカ」も、
  
【 賢ぶっている割りには、頭が悪い人種 】です。
  
  
自分で「論理的に考え、簡単な検証実験」をすれば、真実は理解できるのです。
  
  
それを、他の学者はどう言ってるのか?が気になるのだとすれば、
   
【 自分で思考・検証・判断する気がない 】という事です。
  
  
それは、【 知性の依存と放棄 】です。
  
  
「自分で検証すればすぐに真実が理解できる話」をしているのに、
  
なぜ、著名な大学の教授の意見が必要なのでしょう?
  
  
著名な大学の教授は、神様ですか? 絶対的な知性を持っているんですか?
  
もう、これは「宗教」と言っても過言では無いでしょう。
  
  
現代社会の「大学の教授」や「学会」は絶対的な知性を持っていて、
絶対に判断を間違えず、利権などにも固執せず、常に善なる行動を取る。
  
という、【「知性の神様」を信仰する宗教 】です。
  
  
で、その神様を信仰している人間は、
  
「自分の頭で考え、検証し、判断を下す気がない」のです。
  
  
目の前のラーメンを食って「味を判断する」にも、
  
【「著名な美食家や料理研究家」の意見が気になる人間 】なのです。
  
  
よほど、自分の舌に自信が無いんですね〜。
  
  
賢ぶってる割りに、
  
「科学を理解」しようとしてるんじゃなくて、
「常識や権威を盲信」してるんですよ。
  
  
そういう人間は、
「自分で思考・理解・検証・判断しよう」とする気がないアホです。
  
  
以上、「エビデンス野郎」と「論文バカ」の対処法でした。


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