2020年10月29日

アメリカで陰謀論が流行る理由

なぜ、アメリカでは陰謀論を信じる人が多いのか?
  
って話なんですけど、
  
「言語の違い」から読み取っていくと、
その「答え」が見えてきます。
  
  
以前にも書いていますが、
言語には【 その国家・民族が大切にしている価値観 】が現れます。
  
  
「日本語の表現が多様」なのは、
  
遺伝子レベルで、  
日本人が【 共通認識を持ちたい 】という思いを持っているからです。
  
  
日本語は、【 他人と共通認識を持つ為の言語 】です。
  
  
だからこそ日本語は、「細かいニュアンス」を使い分けるのです。
  
  
じゃあ、英語(や中国語)は何の為の言語なのか?というと、
  
【 主張をする為の言語 】です。
  
  
日本語とは大きく目的が異なります。
  
  
そもそも、地理的には日本の方が特殊(少数派)で、
  
日本は、「島国」で「単一民族国家」です。
  
  
一方、大陸の国家になると、
「文化背景の異なる様々な民族と交流してきた歴史」があります。
  
  
日本語は、他者と理解し合う為の言語ですが、
  
大陸で暮らす人々は、
そもそも【 互いに理解し合える 】と思っていないのでしょう。
  
  
だから、相手の話を理解する事ではなく、
「自分の意見を主張するコミュニケーション」が発達した。
  
  
人間は、自分の生き方に指針を求めますが、  
日本の場合は、「常識」がその役割を担っています。
  
  
しかし、大陸の人々になると、
その「常識」がそれぞれ違いすぎるわけですね。
  
  
「自分の常識」と「他人の常識」は違う、それがスタンダード。
  
だからこそ、主張しなければ伝わらない。
  
  
そういう前提を持っているわけで、
生き方の指針は、常識ではなく【 宗教 】が担っている訳です。
  
  
大陸の人々にとっては、
【 価値観や思想は人それぞれ違う 】のが当たり前。 それが常識。
  
何を信じるかはその人の自由なのです。
  
  
日本では常識という大きな指針があります。
  
しかし、もし日本人が「常識という指針」を失ってしまったら、
「どう生きていけば良いのか?」
  
迷いが生まれ、困る人がたくさん出てくると思います。
  
  
大陸では、何を常識(指針)にするかは「その人の自由」であって、
多数決で決まるものではありません。
  
「日本の様な常識(暗黙の了解)」がないからこそ、
「契約書」や「法律」に細かく明記しなければならなくなります。
  
  
そんな世界に放り込まれた、日本人は困るでしょう。
  
  
「選択肢が多い」ということは、
  
裏を返せば【 選ぶことが「負担」】になるのです。
  
  
選択肢が多いと言えば、日本語は「表現の選択肢が多い言語」です。
  
だから、話す側に回る人が、頭を使わなければなりません。
  
  
その負担を減らす為に日本語では、
  
「お世話になります、よろしくお願いします、拝啓、敬具」などの、
コミュニケーション方法に「型」がある訳です。
  
  
大陸では、「思想の選択肢」が多いからこそ、宗教がある訳ですが、
日本では、思想の選択肢は「常識(多数決)」が大きな指針です。
  
  
大陸では、主張に重きを置くコミュニケーションが発達しましたが、
日本では、相互理解に重きを置くコミュニケーションが発達しています。
  
  
だから、日本では素人のおばちゃんでも
他人にカウンセリング(悩み相談)を行います。
  
  
海外(大陸)の人に悩み相談をすることを想像すると、
  
「私はこう思う!以上!」って感じで、
  
「話を深く聞いて共感してくれる感じ」はしないですよね?
  
  
だから、専門のカウンセラーやセラピストが重宝される。
   
  
日本では、「世話焼きな人」が自然とカウンセラーになる(笑)
  
  
よく、日本人は論理的なのか?という議題がありますが、
  
日本語自体は、非常に論理的な言語です。
  
  
海外ドラマなどでアメリカ人のコミュニケーションを見ると、
  
主張と感情のぶつかり合いで、
一対一での会話が平行線を辿る事がよくあります。 
  
  
しかし、日本語になると「会話が平行線を辿ること」は少ない訳です。
  
(逆に多数での合議制の会議になると、
 同意・合意までのプロセスに時間が掛かったりしますけどね。)
  
  
日本語は、話す方に負荷が掛かり、聞く方がラクな言語です。
英語は、聞く方に負荷が掛かり、話す方がラクな言語です。
  
   
だから、日本人には「話す事が苦手」という人が多くなるのです。 
 
上手く話せることは、日本人にとって重宝されるスキルです。
  
  
一方、大陸では「他人の話を上手く汲み取れる方」が、
重宝されるスキルです。
  
  
論理というのは、「客観的な思考プロセス」であり、
共通認識を持つ為に非常にパワフルなツールです。 
    
  
しかし、日本語はその表現方法の種類の多さや、文法、礼儀作法によって、
「主張や概念を言語化し、伝達する事に対する負担」が大きいです。
  
  
だから、【 思っていることをうまく言えない人が多い 】ということです。
  
  
英語の場合は、「思っていることを言うのが簡単な言語」です。
  
  
簡単すぎて、逆に「日本語の常識」を当てはめて難しくなってしまい、
日本人が英語に苦手意識を持ってしまう訳です。
  
  
そういった意味で、日本人は論理が苦手なのではなく、
  
日本語の言語設計ゆえに、【 言語化の負担が大きい 】ということです。
  
  
日本人は論理的だからこそ、科学を重視します。
  
  
新型コロナの問題でも、日本人は科学を軸に考えますが、
  
海外では、迷信だとか、陰謀だとか、宗教だとか、
全然違う軸で考える人も多い訳で、
  
そういう人は日本では少ない訳です。
  
  
日本語は論理的なので、「相手の矛盾を正す」にも有効ですが、
  
英語はそういう風にできていないので、
「論理的根拠に乏しい主張」を行う人が多いのです。
  
  
まぁ、アメリカでは大統領暗殺とか、情報の隠蔽とか、
そういうのは多かったので、
  
大衆が陰謀を疑いたくなる様な事を
「実際にやってきた」ってのも大きいですけどね。
  
  
ということで、
  
日本語は論理的だけど、言語化が難しい言語。
  
日本人は、天然で「心理の理解」と「カウンセリング能力」
に長けた民族。
  
   
言語の違い(英語)がネックですが、日本人が海外に出ていくと、
この長所を活かした仕事はたくさんあるように思います。


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