2019年07月18日
証明できるのか?
私の生徒(リアライザー)が、
「中井貴雄の心理メソッド」と
「世間一般の心理学」の違いを説明するときに、
【 中井心理は、「法則」に基づいているんですよ 】
という説明をしているらしいのですが、
ある人から、
「法則って言ってるけど、証明できんのか?
ニュートンの法則は数式で証明できるけど?」
という風に言われたみたいです。
私は、そうやって「突っ込んでくる人」が大好きですね。
重箱の隅をつついてくる様な人が。
根拠も無く「盲信」したり、
根拠も無く「斜に構えて疑ったりする人」じゃなくて、
思考がロジカルだから。
【「論理」という共通言語 】で会話できるのであれば、
確実に相手と理解し合う事が出来ます。
論理は数学と同じなので。
扱うのが「数字」なのか「言語(概念)」なのかの違いです。
こちらが「論理」なのに、
相手が「感情」で話している場合には、
残念ながら、理解し合えないのです(笑) 共通言語が違うからです。
じゃあ、その「証明できるのか?」という疑問に対して、
私が思いつく「返し(答え)」は何だと思いますか?
《 A.科学的証明について 》
・まず、「ビッグバン理論」というのがあるけど、
ビッグバン自体は証明されている訳では無くて、
「筋の通る説明」を考えていくと、
「現時点で、一番妥当である」と思われているということ。
完全に証明されていなくても、妥当性が高い場合は、
その仮説が「事実と仮定」され、頻繁に利用される事がある。
・アインシュタインは、「重力波の存在」を予言したけど、
その存在は、最近になってようやく実際に確認された。
ブラックホールについても同じだけど、
「ほぼ確実に存在するであろう」と予言されている事でも、
実際に証明されるまでには、時間が掛かる事もある。
・「ニュートンの数式」では説明できなかったことを、
「アインシュタインの数式」で説明できるようになった。
「アインシュタインの数式」では説明できなかったことを、
「超ひも理論の数式」で説明できるようになった。
「つまり、既に証明されている数式」でも、
あらゆる全ての現象を説明する事はできない。
数式は、時代と共に進化していく。 逆に言うと、不完全。
・考古学などでは、通説が覆される事も多い。
たとえ証明されていなくても、
仮説を事実と仮定して、話を進めていくしかない分野もある。
そして、その証明されていない仮説が
小中学校の教科書にも記載されている。
《 B.心理という分野について 》
・音楽にも理論というものは存在していて、
ドミソの様に、人間が「安定を感じる和音」もあれば、
逆に、不協和音の様に「気持ち悪く感じる和音」もある。
それを証明できるのか?って言われたら、
「実際に音を聞いてみてちょーだいよ!」という風になる。
心理という分野も、理論を証明するためには、
「自分で感情や意識の動き」を確かめてもらう必要がある。
つまり、感覚器官という観点から見ると、
心理は目に見える「物理」や「数学」とは異なる分野であり、
「料理」や「音楽」など、視覚以外の「聴覚、味覚」を用いる分野に近い。
当然の事ながら、視覚を用いない分野は、
「視覚以外の感覚器官」を用いる事でしか、証明されない。
「砂糖は甘く、塩はしょっぱい味がする」だって?
証明できるのか? 答えは、「舐めて見ろ」だ。
《 C.大衆の理解について 》
・「証明できるのか?」という問いだけど、
例えば、アインシュタインの相対性理論は
「科学的に証明されている」とされているけど、
その数式を実際に理解できる人は少ないだろう。
つまり、「証明されている、されていない」の判断が、
【 自分自身が内容を理解できたかどうか? 】ではなく、
多くの場合、「世間一般に認められているかどうか?」
という事にすり替えられている。
ガリレオ・ガリレイは、地動説という真実を唱えたが、
当時の人々には受け入れられなかった。
同じように「証明できるのか?」と言われても、
当時のガリレオは、全てを理屈で説明できただろう。
本来であれば、
「理屈で証明できること」と「世間に認められること」
には一切の関係がない。
でも多くの場合、科学的証明というテーマについて、
「証明できる」=「世間に認められている」
大学教授が言っていた…、テレビで特集されていた…、
という事と、イコールで考えている人が多い。
私から言わせると、
大学教授の発表やら、テレビの特集やらでも、
統計データを採って、「エビデンス」とか言ってる連中は、
全員科学的(自然法則)じゃない。
…とまぁ、私の「返し(返答)」はこんな感じですかね。
いやぁ、ロジックって本当に良いですよね。
論理という共通言語で会話する限り、理解し合えるんだから。
いつも言っていますが、
国語や社会は、国によって教える内容が変わってきますが、
算数と理科は、国によって教える内容は同じです。
算数と理科は、【 世界共通言語 】なのです。
それは、算数と理科が【 自然法則と論理の学問 】だからですよ。
論理は、世界中の人々が理解し合い、共通認識を持つためのツールです。
【 世界平和の鍵 】なのです。
「中井貴雄の心理メソッド」と
「世間一般の心理学」の違いを説明するときに、
【 中井心理は、「法則」に基づいているんですよ 】
という説明をしているらしいのですが、
ある人から、
「法則って言ってるけど、証明できんのか?
ニュートンの法則は数式で証明できるけど?」
という風に言われたみたいです。
私は、そうやって「突っ込んでくる人」が大好きですね。
重箱の隅をつついてくる様な人が。
根拠も無く「盲信」したり、
根拠も無く「斜に構えて疑ったりする人」じゃなくて、
思考がロジカルだから。
【「論理」という共通言語 】で会話できるのであれば、
確実に相手と理解し合う事が出来ます。
論理は数学と同じなので。
扱うのが「数字」なのか「言語(概念)」なのかの違いです。
こちらが「論理」なのに、
相手が「感情」で話している場合には、
残念ながら、理解し合えないのです(笑) 共通言語が違うからです。
じゃあ、その「証明できるのか?」という疑問に対して、
私が思いつく「返し(答え)」は何だと思いますか?
《 A.科学的証明について 》
・まず、「ビッグバン理論」というのがあるけど、
ビッグバン自体は証明されている訳では無くて、
「筋の通る説明」を考えていくと、
「現時点で、一番妥当である」と思われているということ。
完全に証明されていなくても、妥当性が高い場合は、
その仮説が「事実と仮定」され、頻繁に利用される事がある。
・アインシュタインは、「重力波の存在」を予言したけど、
その存在は、最近になってようやく実際に確認された。
ブラックホールについても同じだけど、
「ほぼ確実に存在するであろう」と予言されている事でも、
実際に証明されるまでには、時間が掛かる事もある。
・「ニュートンの数式」では説明できなかったことを、
「アインシュタインの数式」で説明できるようになった。
「アインシュタインの数式」では説明できなかったことを、
「超ひも理論の数式」で説明できるようになった。
「つまり、既に証明されている数式」でも、
あらゆる全ての現象を説明する事はできない。
数式は、時代と共に進化していく。 逆に言うと、不完全。
・考古学などでは、通説が覆される事も多い。
たとえ証明されていなくても、
仮説を事実と仮定して、話を進めていくしかない分野もある。
そして、その証明されていない仮説が
小中学校の教科書にも記載されている。
《 B.心理という分野について 》
・音楽にも理論というものは存在していて、
ドミソの様に、人間が「安定を感じる和音」もあれば、
逆に、不協和音の様に「気持ち悪く感じる和音」もある。
それを証明できるのか?って言われたら、
「実際に音を聞いてみてちょーだいよ!」という風になる。
心理という分野も、理論を証明するためには、
「自分で感情や意識の動き」を確かめてもらう必要がある。
つまり、感覚器官という観点から見ると、
心理は目に見える「物理」や「数学」とは異なる分野であり、
「料理」や「音楽」など、視覚以外の「聴覚、味覚」を用いる分野に近い。
当然の事ながら、視覚を用いない分野は、
「視覚以外の感覚器官」を用いる事でしか、証明されない。
「砂糖は甘く、塩はしょっぱい味がする」だって?
証明できるのか? 答えは、「舐めて見ろ」だ。
《 C.大衆の理解について 》
・「証明できるのか?」という問いだけど、
例えば、アインシュタインの相対性理論は
「科学的に証明されている」とされているけど、
その数式を実際に理解できる人は少ないだろう。
つまり、「証明されている、されていない」の判断が、
【 自分自身が内容を理解できたかどうか? 】ではなく、
多くの場合、「世間一般に認められているかどうか?」
という事にすり替えられている。
ガリレオ・ガリレイは、地動説という真実を唱えたが、
当時の人々には受け入れられなかった。
同じように「証明できるのか?」と言われても、
当時のガリレオは、全てを理屈で説明できただろう。
本来であれば、
「理屈で証明できること」と「世間に認められること」
には一切の関係がない。
でも多くの場合、科学的証明というテーマについて、
「証明できる」=「世間に認められている」
大学教授が言っていた…、テレビで特集されていた…、
という事と、イコールで考えている人が多い。
私から言わせると、
大学教授の発表やら、テレビの特集やらでも、
統計データを採って、「エビデンス」とか言ってる連中は、
全員科学的(自然法則)じゃない。
…とまぁ、私の「返し(返答)」はこんな感じですかね。
いやぁ、ロジックって本当に良いですよね。
論理という共通言語で会話する限り、理解し合えるんだから。
いつも言っていますが、
国語や社会は、国によって教える内容が変わってきますが、
算数と理科は、国によって教える内容は同じです。
算数と理科は、【 世界共通言語 】なのです。
それは、算数と理科が【 自然法則と論理の学問 】だからですよ。
論理は、世界中の人々が理解し合い、共通認識を持つためのツールです。
【 世界平和の鍵 】なのです。
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