2019年06月09日

やること(生き甲斐)が無い苦痛

昨日弟子に話した話。
  
「昔の人」っていうのは、生きていくのだけで大変だった。
  
自分の食料を確保しようとしている間に、
自分が生きていくための活動をしている間に、
  
一日が終わり、一生が終わっていった。
  
  
昭和の人々は、
  
冷蔵庫買うぞ! 洗濯機買うぞ! 
テレビ買うぞ! エアコン買うぞ!
  
って事で、「生活を便利にしてくれる家電」を求め、
その為にバリバリ働いていた。
  
  
つまり、やることがあった。
  
  
で、平成に入って人々は、
【 次に目指すべき目標 】を失っていった。
  
なのに、一方で人間はどんどん死ににくくなっていく。
  
  
食料品は、安くて美味しいモノが開発され、 
  
親や先祖の「資産(持ち家など)」があったり、
「医療や、病気の治療薬」も進化していく。
     
   
人類が生き続ける限り、
「人間は死ににくくなっていく一方」なのに、やることは無い。
  
これこそ、現代の地獄。
  
  
人間が死ににくくなったら、
次は「人生をエンジョイする事」を考えるべきなのに、
  
昔の人の教育は、
  
「人生のエンジョイなんて、贅沢言う暇があったら、  
 生存!生存!生存だろ!」って。
  
まるで【 時代の変化 】に対応できていない。
  
  
生存だけは許されているのに、
エンジョイすることは許されないし、特にやることも無い。
  
そういう人たちが、現代のニート。
  
  
日本に【 何十万人〜百万人単位 】でいるみたいだけど。
  
  
で、ニートが人生をエンジョイし始めようと思ったら、
  
「無職の癖に贅沢言いやがって! 大人しくしてろ!」
と言われる。
    
  
「人生をエンジョイする目的」が無いから、
「一生懸命に働く動機」も失っている訳で、
  
まさに八方ふさがり。
  
  
・「遊ぶな、楽しむな、喜ぶな、贅沢するな!」
・「生存」と「安定」を最優先に考えろ!
  
この教育こそが、
  
生存することがラクになって、
「ますます死ににくくなっていく現代人」にとっての、
  
人生の地獄を生む。


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