2019年01月23日

心理の法則性を認めたくない理由

私の記事の継続的な読者は、
何度も何度も目にしていると思いますが、
  
私は幼少期より「理科大好き人間」でした。
  
  
憧れていたのはエジソンだし、
  
学研の「科学」という小学生向けの「実験付録付き雑誌」を、
毎月毎月、楽しみにしていました。
  
  
家にオモチャ、マンガ、ゲームもさほど無かったので、
同じ「児童向け学習本」を、繰り返し繰り返し読んでいました。
  
  
私が理科から学んだことは、
  
【 この宇宙は法則が支配している 】という事です。
  
  
全ての存在や現象には、何らかの法則性が関わっているし、
  
人間(意識)は、「その法則を理解して利用する事」しかできず、
「法則そのものを改変する事」は、決して出来ない。  
  
という事です。
  
  
ですから、人間心理にも法則性が備わっているのが当然。
  
  
それは、私にとっては「当たり前の発想」でしたし、
そのコンセプトで心理研究を行う事こそ、
   
私の研究者としての優位性であると確信していました。
  
  
少し話は変わりますが、
最近はクオーラ(Quora)というサービスを利用しています。
  
( どうもアート関連の情報収取しているときに登録したみたいです )
   
英語版を読んでいると、心理やスピリチュアルに対する
「英語圏の人々の認識」が読み取れるし、
  
質問を繰り出せば、「マーケティングリサーチ」も出来ます。
  
  
で、昨日に質問をしてみました。
  
What do you think that psychology should be studied
from the viewpoints of physical law and natural law, not statistics?
  
心理学は統計学ではなく、
物理法則や自然法則の観点から研究されるべきだと思いませんか?
  
という内容です。
  
  
今のところ、3件の回答があり、
その全てが「何言ってんの? 統計はアテになるぜ!」という内容でした(笑)
  
まぁ、予想の範囲内でしたけどね。
  
  
日本は、「海外の大学教授やらの心理研究」を、
そのまま鵜呑みにして利用している訳ですから。
  
日本の心理学のレベルと、海外の心理学のレベルが、
さほど変わらないのは予想範囲内です。
  
  
共感してくれる人が一人でもいれば嬉しかったんですけど。
  
( はぁ、これから英語圏の人間も論破して行かなきゃいけないのか… )
  
…というのは心の声(笑)
  
  
ただ、私が疑問に思ったのが、
  
【 人間心理にも法則性が備わっているかもしれない… 】
  
という非常にシンプルなコンセプトが、
いくら説明を重ねても、なぜこうまで理解されないのか?
  
という事です。
  
  
私はこれまでの経験から、
  
明快に説明しても理解されない場合は、 
【 何かしら「絶対に否定したい理由」があるに違いない 】
  
と見当を付けました。
  
  
【 人間の「心理・意識・精神」の働きに「法則性」が関わっている… 】
  
という事を、「頑なに認めたくない理由」です。
  
  
コロンブスが生きていた時代のキリスト教は、
地球が球体であることを認めたがらなかったようですが、
  
それは、「認めたくない理由」があったからです。
  
  
「経典の否定」や「教会の権威失墜」などに
繋がっていたからでしょう。
    
  
一方、織田信長が生きていた時代、
  
フランシスコ・ザビエルがやってきて、
日本に鉄砲が伝わった時代。
  
地球が球体であると教えられても、
織田信長はそこまで驚かなかったらしいです。
  
まったく、否定する気もない。
  
「認めたくない理由」が特に無かったからです。
  
  
  
そして、人間が頑なに認めたくないこと…、
  
つまりは、【 人間にとって「最大の恐怖」を感じること 】は、
  
  
1.「依存対象」を引き剥がされること
(※ 宗教、政府、親、先生、常識、権威…、みんなアテにならないよ!)
  
2.自分が「無価値な存在である」と感じること
  
  
だいたい、その2点なのです。
  
このことも、これまでの経験が活きていて、
すぐに見当が付きました。
  
  
つまり、途中の「式」はわからなくても、
  
「心理の法則性を認める」=「???」=「自分は無価値である」
  
と、【 連結して繋がっているに違いない 】と着眼しました。
  
  
じゃあ、あとはどのように繋がっているか? だけです。
  
  
【 心理の法則性を認めると、何がそんなに嫌なのか? 】
  
   
「自分の感情に責任を持たなきゃいけないこと」は、
もちろんイヤだろうけど、でもそこまでじゃないハズ。
  
うーん、えーと…、と考えていると、わかりました。
  
  
心理の法則性を認めると、
自動的に、「己の内面」と向き合わなきゃいけなくなる。
  
それが、どうしても嫌なんだ! という結論です。
    
  
この結論で「これで間違いない!」と確信しましたね。
  
  
普通の人は、
  
【 どうしても、「自分の内面」と向き合いたくない! 】のです。
  
  
要するに、普段から抑圧している潜在意識の蓋を開けたくないのです。
     
「パンドラの箱」だから(笑)
  
  
「自分がネガティブな存在であること」を思い知るし、
「ネガティブな存在は無価値である」と信じているし、  
「自分がその無価値な存在に当てはまっている」という事を知りたくないし…
  
という理屈です。
  
  
「心理の法則性を認める」=「パンドラの箱を開けなきゃいけなくなる」
 
という事が、繋がっていた訳です。
  
  
別に、これまで散々言われ続けてきている事ですが、
「ネガティブな存在は無価値じゃない」ですけどね。
  
  
でも、「ネガティブな存在は無価値である」と
潜在意識レベルで信じている人にとっては、
  
それが「非常にリアルに、真実のように」感じてしまうのです。
  
  
USJのハロウィンイベントで、パーク内を徘徊しているゾンビは、
「ぜんぶ偽物だよ!」といくら伝えても、
  
本物のゾンビだと思い込んで、
「殺されるーーー!!」と、発狂している様なモノです(笑)
  
完全なパニック状態です(笑)
  
  
いくら「偽物だ」と理屈で語っても、
その人にとっては、偽物ではなく「真実」に感じてしまうのです。
  
  
つまり、「自分は無価値な人間である」というのは、
客観的な視点から眺めてみれば嘘なのですが、
  
「自分が無価値な人間」という事が、
いかにも真実であるかのように、感じてしまうのです。
  
  
そして、「己の無価値感」を感じることこそ、
  
【 人間最大の「恐怖」であり、「精神的苦痛」】なのです。
  
  
なぜか?
  
  
「無価値」ということは、
  
存在していてはいけない、邪魔な存在、有害な存在、
排除されるべき、罰せられるべき、
死ななきゃいけない、消えなきゃいけない…、
  
という事ですよ? 最大の精神的苦痛でしょ?
  
  
そんな風に自分を思いたい人などいません。
  
壮大な勘違いではあるのですが、本人にとっては真実に感じるのです。
  
  
心理の法則性を認めることは、
    
人間最大の精神的苦痛である無価値感…、
パンドラの箱を開くことに繋がっていたのです。
  
  
じゃあ、人間はそんなに無価値感を抱えちゃってるの?って話ですけど、
  
それは、完全に【 親の教育 】が原因です。
  
  
鳥は、卵から生まれて、
初めに見た動くモノを、親だと認識するらしいです。
  
人間も同じですよ。
  
初めて親から教えられたことを、真実だと認識するのです。
  
  
私は幸いながら、比較的ポジティブな親に育てられましたが、
  
大半のネガティブな親というのは、
  
・〇〇をしたら無価値である
・〇〇に当てはまったら無価値である
  
という定義を、無意識内にたくさん保有しています。
  
  
・頭が悪かったら無価値
・ルールを破れば無価値
・他人に迷惑や負担を掛ければ無価値
・役に立たなければ無価値
・お金を持っていない人間は無価値
・お金を無駄遣いする人間は無価値
・目上に対して従順じゃないと無価値
・礼儀やマナーが悪いと無価値  
・偉そうだと無価値
・和を乱すと無価値
・怒ると無価値
・暴力をふるったら無価値
・失敗したら無価値
・恥を掻いて、他人から白い目で見られたら無価値
・○○な男は無価値
・○○な女は無価値
  
挙げればキリが無いほど、そういう定義がたくさんあります。
  
  
そういう親に育てられちゃうと、
  
何をしたって、どうしたって、
自分が無価値であるように思えてきます。
  
  
でも、普通の人は、その悲しみを感じない様に、
自分の潜在意識に蓋をして、感じないようにしています。
    
  
それこそが、パンドラの箱なのです。
  
  
心理の法則性を認めることは、ネガティブな親から教えられた
  
【 お前は無価値な子供だ! 悪い子だ! 】
  
という情報を思い出させてしまうのです。
  
  
それが嫌だから、「心理の法則性」など絶対に認めたくないのです。
  
  
要するに、【 見たくないモノを見なくちゃいけなくなる 】のです。
  
  
でも、自分がネガティブを抱えているのに、それを認めないとなると、
  
ネガティブを変えることは出来ません。
  
  
ただ、ジワジワと追い詰められていくだけです。
  
  
例えば、自分が着ている毛皮のコートが、
  
「動物を酷い目に遭わせた結果である」としましょう。
  
  
そんな事、いちいち考えたくない人もいるでしょうが、
  
考えなければ、動物虐待が続いてしまいます。
  
  
この世の「悪いこと」を変えたければ、まずそれを見なきゃ行けない。
  
事実を認めなきゃいけない。
  
  
自分をポジティブにしたい! 
世の中をポジティブにしたい!
      
と思える人は、
  
己の無価値感と向き合ってでも、心理の法則性を認めるべきです。
  
その無価値感っていうのも、真実ではなく嘘ですしね(笑)
  
  
自分はネガティブなままで良い! 
世の中もネガティブなままで良い! 
   
その結果、ジリ貧が続いて
その先に、「己と世界の破滅」が待っていたとしても!
  
と思う人は、
  
己の無価値感と向き合う事を避け続ければ良いし、
心理の法則性を認めなくても良いでしょう。 
  
  
この先は、あなたの選択です。


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