2019年01月21日

異分野の人物と比較する方法

私は、大企業を経営したことはありませんが、
  
例え、大企業の経営者を目の前にしたとしても、
まったく物怖じしないと思います。
  
  
むしろ、相手の態度次第では、
怒りが沸いて説教してやりたくなるかもしれません。
  
  
異分野の人間相手に、
どうしてそれほど強気になれるのか?というと、
  
「明らかに自分の方が上だ」と言い切れる部分があるからです。
  
  
さらに言うと、「異分野の人物」と「自分」を
明確に比較する手法を理解しているからです。
  
  
例えば、「A」というサッカー選手と、「B」という野球選手…、
  
どちらがスポーツ選手として優秀でしょうか?
  
  
えー、比べようがないよ…、畑違いだし…、
と思う人も居るかも知れません。
  
でも、私は異分野の人間とでも、比べられるポイントを把握しています。
  
  
それを簡潔に言い表すならば、
  
【「背負っている責任の大きさ」と「覚悟の強さ」】なのです。
  
  
「背負っている責任」が大きく、「覚悟」が決まっている人物ほど、
ストイックで、真剣で、情熱的で、プロ意識が高いのです。
  
自分に対して厳しくできるし、求める理想や基準も高くなります。
  
  
この点においては、まったく畑違いの異分野の人間とでも、
  
【 比較が可能な領域 】という訳です。
  
  
例えば、
  
A.テレビに出ている大御所と呼ばれるお笑い芸人の責任感
B.とある大企業の社長の責任感
C.とある研究を続ける科学者・研究者の責任感
D.人命を握っている心臓外科医、脳外科医の責任感
E.海外で活躍するスポーツ選手の責任感
  
  
それぞれまったく異なる分野でも、
【 プロ意識の高さだけは比較が可能 】という訳です。
  
  
ですから、私は
「相手の責任感・覚悟」と「自分の責任感・覚悟」を比較して、
  
その点で勝っている方が、
【 相手に対して説教する権利がある 】と思えるわけです。
  
たとえ相手がまったく畑違いの異分野の人間だとしても…です。
 
  
  
で、私の背負っている責任感は、世界一の大きさだと自負しています。
  
私は、「世界全体の命運を左右するだけの知識と能力を保持している」
と思っていますからね。
  
  
だからこそ、
  
遠く離れた場所で起こった出来事だとしても、
「死ななくても良い若い命」が失われると怒りが沸くのです。
  
  
「責任感を持つ」ってことは、
【「自分に関係がある」と思えている… 】という事ですから。
  
  
日本国内で若者が自殺する度、怒りが沸きますけど、
それも、「自分に関係のある話だ」と思っているからです。
  
  
自分に関係の無い話だと思っていると、何も感じません。
  
起こった現象に対して、何ら責任を感じていないという事です。
  
  
チャネリングをしてみましたが、
実際に私が背負っている責任感は、
  
アメリカ大統領が背負うべき責任感の
「約30倍」って所じゃないですかね。
  
トランプ大統領の…じゃないですよ(笑) 彼は器じゃないので。
  
オバマ大統領(現役時代)と比較すると、
私の方がその「約28倍」の責任感を背負っているって感じですかね。
  
  
GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)の創業者も、
  
少なからず、「自分は世界を動かしている」という感覚はあるでしょうし、
  
アメリカ大統領と同等かそれ以上に、
世界に対して責任を背負っていると思います。
  
  
それでも、私の方が格段に上で、
  
私の方がマイクロソフトやGAFA創業者の
20〜30倍以上の責任を背負っていると思います。
  
  
責任感に「2倍の差がある」ってだけでも、
【 天と地ぐらいの差 】があるんですよ。
  
  
現役時代のオバマ大統領の2倍の責任感って、
普通の人には、どれほどのモノか想像することすら難しいでしょう。
  
簡単に言えば、
【 アメリカとロシアの大統領を同時に兼任できるレベル 】です。
  
  
20〜30倍の責任感の違いなんて、
  
企業の「中堅社員」と「創業社長」くらい、
店舗の「アルバイト」と「オーナー店長」くらい違いますからね。
  
「天と地の差」どころか、【 別次元 】ってことです。
  
 
アメリカ大統領という「立場」と「仕事」が、
アルバイトぐらいに思える次元って、
  
どんなもんだと思います?(笑)
 
  
で、なんで私はそんなに自分を鍛えられたの?っていうと、  
自分の精神を鍛える事に集中しているからです。
  
  
アメリカ大統領も、世界的企業の創業者も、
  
お金や権力を保持、維持するために、社会に適応するために、
わずらわしい雑務や、人間関係のしがらみを抱えています。
  
その分だけ、【 精神の成長効率は落ちてしまう 】のです。
  
 
私は、それらを一切捨てて、
己を鍛えることに集中している訳ですからね。
  
  
もし、スティーブ・ジョブズほどの熱意のある人物が、

地位、名誉、金儲け、しがらみ、雑務を捨てて、
ひたすら己の精神を鍛える事に集中したら、
  
私みたいになっちゃうってことです(笑)
  
  
で、異分野の人間と比較する方法はあるって話なのですが、
  
私は、【 責任感 】だけでなく、【 知性 】も比較できると思っています。
  
  
例えば、私は数学のプロじゃありませんし、数学は苦手です。
  
でも、20世紀最高の天才と呼ばれるアインシュタインと、
私自身を比較したら、「私の方が知性が高い」と思えます。
  
  
一般大衆から見れば、アインシュタインは、
「ノーベル賞を取っているから、すごいんだろう」
  
くらいの認識しか持たれていないと思いますけどね。
  
  
一般人にインタビューして、
「アインシュタインのどの部分が偉大なのか解説してみてください!」
  
と聞いても、まともに答えられる人はいないでしょう。
  
  
一般人は、「誰がどれくらい賢いのか?」を計る
「目安」や「基準」を持っていませんからね。
  
   
でも、いくらアインシュタインと言えもども、
  
「間違った予測」をしたこともあるし、
「量子力学の学者」からダメ出しされることもあった訳です。
  
  
アインシュタインは、物理学を研究している多くの人の中で、
ひと際輝いていた人です。
 
  
でも、「ノーベル賞」がどうだとか、
「肩書き」がどうかとかを抜きにして、
  
まっさらな気持ちで、
私の研究の「広さ」と「深さ」を眺めてみて下さい。
  
  
私と同じ次元の発想ができる人間は、どれくらい稀有なのか?
  
後世にも、なかなか現れなさそうではないですか?
  
  
物理学の世界には、
ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン…と、
  
定期的に天才が生まれていますし、
過去の天才の研究を、後世の天才が発展させて来ている訳です。
  
  
一方私は?
  
  
世界のグローバルスタンダードの研究と比較して、
  
【 心理学、経済学、形而上学、哲学、教育学… 】
  
すべてが突出していると思いません?
   
  
世界中のあらゆる大学教授が、
私に対して束になって挑んでも、まったく勝ち目が無いですよ。
  
  
物理学、数学、生理学、細胞学、医療分野などは、
過去から連綿と続いている研究の継続と発展がありますけどね。
  
  
私は、たったひとりで、一代で、
どれだけ広範囲の分野をカバーしているのか?
    
そして、そのひとつひとつがどれだけのクオリティなのか?
 
  
そういう事を、まっさらな状態で眺めてみてください。
  
  
過去と未来を広く見渡しても、
私の真似ができる様な人は現れそうに無いと思いません?
  
  
で、そんなアインシュタイン以上の天才の
「最先端の研究」に触れることができる…、
  
【 それを光栄だと思わないんですか? 】って話ですよ。
  
  
光栄だと思わないんだったら、別に触らなくて良いですよ。
  
  
物理学や数学にまったく興味ない人間、価値を感じない人間に、
「アインシュタインの最先端の研究成果が!」って言っても、
  
猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏…ってヤツです。
  
  
でも、数学や物理学を志していながら、
それをすこし学びたい、かじりたいと思っていながら、
  
アインシュタインの最新の研究成果に
興味が無い、価値を感じない…
  
それに触れられることを光栄だと思わない…って。
  
  
そーーーーとーーーーに、センス無いです。


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