2018年10月18日

「教育の限界」と「文明の進歩」

私は、教育によって他人にどれだけ影響を与えられるのか?
  
その限界を追求したかった。
  
  
そして、「先天的才能の影響力」を悟り、「教育の限界」も悟った。
  
  
私の生き方は、
  
【 限界を追求し、限界を悟り、線引きをする… 】
  
その繰り返し。
  
  
そうすることで、
適切な「バランスポイント」が理解できる。
  
  
そして、「先天的要素」と「後天的要素」
それぞれの限界を悟り、線を引けたと思う。
   
 
「後天的教育」という影響によって、
「変わっていく人」と「変わらない人」の線引きが。
  
  
今後は、
  
・「ネガティブな人」の相手はしない
・「才能が無い人」の相手はしない
・「主体性が無い人」の相手はしない
・「人の仕事の価値を低く見積もる人」の相手はしない
  
ポジティブな結果に結びつかない行為だから。
  
  
才能が無い人には、
無い人のなりの幸せがあるのだろうし、
  
才能が無い人間としての人生を歩むことで、
「魂としての学び」を得るのだろう。
  
  
私は、「先天的な才能でメシ食ってる」
ってタイプの人間が嫌いだった。
  
「努力や苦労を積み重ねても結果が伴わない人」
もいる中で、不公平を感じていたから。
  
  
だからこそ私は
  
【 努力型人間にとっての希望 】となる教育を追求したかった。 
    
  
でも、「本物の努力型人間」が存在するなら、
  
私の提供する無料の情報によって、
既に本人の望む結果に繋がっているだろうとも思うし、
  
苦労に耐え、努力できること自体が、
既にひとつの「先天的才能」なのかも知れない。
  
  
とにかく、何事にも限界が存在する以上、
  
私がどれほど限界を追求して「最高の教育」を提供しても、
それを自身の結果に結びつけられない人も必ず存在するという事。  
  
  
それが、よくわかった。 
  
  
でも、ひとつ言える事は、 
  
江戸時代で「殿様」や「大金持ち」の生活をするよりも、
  
【 現代で貧乏な生活をしている方がまだマシ 】ってこと。
  
  
・便利な家電は無い
・一切の「洋食の類い」も食べられない
・コーヒー、紅茶も飲めない
・エンターテイメントも少ない
・医療や衛生面の質も低い
  
江戸時代の「身分の高い人」と言っても、所詮はそういう生活。
  
    
「原始的な文明のお偉いさん」より、  
【 高度な文明に住む一般人 】の方が幸せで快適。
  
  
それは、自分自身の快適さや幸福度は、
  
【 自分の属する文明の影響力 】が大きいからだ。
  
  
なればこそ、
才能が無い人でも幸せに暮らせる社会を作るには、
  
【 文明を進歩させることが最適解 】と言えるのだろう。
  
  
そして、文明を大きく進歩させるのは、 
  
1.自然法則(数学・物理)の解明
2.自然法則を基盤としたテクノロジーの発展
  
この2点がコアと言える。
  
  
文明を進歩させるのは、自然法則を研究する
科学者(数学・物理・論理の専門家)なのだ。
  
  
そして私は、
  
人間の精神を「物理学的観点、科学的観点」で研究し、
解明してきた。
  
  
今後はその知識を、
「ネガティブな人々への教育」に用いるのでは無く、
  
もっと大きな枠で、【 文明の進歩 】という方向性で、
  
最適なルートを模索したいと思う。


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