2018年10月17日

「先天的」と「後天的」のバランス

私は教育者として、「教育」と「努力」という後天的要素が、
生み出せる結果を大きく左右すると信じていたかった。
    
  
理屈では、先天的と後天的は「50:50」だと知っていても、
無意識レベルでは、後天的要素を過大評価していた。
 
実際私自身、20歳半ばまで、
自分に先天的才能があるとは思っていなかったし、
  
現在まで自分は「苦労と努力型の人間」だと思っていた。
  
  
しかし、実際には私が思う以上に、
先天的才能の影響は大きいのだと思う。
  
過去を振り返っても、
自分には子供の頃から「他人には無い視点や知性」があったと思う。
  
  
ただ才能の影響の強さを認めると、生まれつきの先天的要素で、
「収入」や「地位」や「幸福度」が決まってしまような気がして、
  
身分制度のように「不公平」や「不運」によって
人の可能性が閉ざされてしまうようなイメージがあった。
  
  
しかし、才能が無い人は、
「無い人なりの理想」を本人の努力で手に入れて、
  
本人の満足の行く幸せを手に入れることは出来るのだろう。
  
  
【「先天的な天才」を「努力家」が超越する 】
って言うストーリーは、少年マンガでも好まれる美談だけれども、
  
後天的要素では、
決して超えられない壁も存在するのが事実なのだろう。
  
  
だとすれば、特定の才能を持った人間が、
  
その才能を活かして、
才能が無い人には手に入れられない程の大金を稼げるとしても、
  
【 才能によって大金を稼ぐ人間としての責任 】を果たさねばなるまい。
  
  
それに、才能があるのも良いことばかりじゃない。
  
例えば「将棋が強い」と言う事にしたって、
  
「人と大きく違う」と言うのは、
【 理解と共感されない「苦しみ」や「孤独感」】も生む。
  
  
才能が無い人には、
孤高の天才には決して得られない「多数派の共感」が得られる。


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