2018年08月15日

幸せに値する条件

私のメソッド(方法論)は非常にシンプルですが、
真剣に実践しなければ、大した効果はありません。
  
  
なぜなら、「感じる事」にしても、「世界観の崩壊」にしても、
  
無意識レベルの【 非常に強い抵抗 】が存在しているからです。
  
  
「巨大な不快感から逃れたい」という抵抗です。
  
  
「無意識下に抱える、膨大なネガティブ感情」から、
目を背けたいのです。 
  
それが、シンプルメソッドに対する抵抗感です。
  
  
私のメソッドを実践するには、
その抵抗感に打ち克つだけの、【 強い意志、真剣さ 】が必要です。
  
  
じゃあ、その「強い意志・真剣さ」は、どこから生まれるのか?
  
  
それは、【 自分の幸せを渇望する事 】から生まれるのです。
  
  
私のメソッドは、
【 自分と他人と社会を幸せにする為 】のモノです。
  
その「幸せにする」という目的に対して
モチベーションが上がらないのであれば、
  
私のメソッドを真剣に実践できる訳がありません。
  
  
という事は、
  
私のメソッドを真剣に実践したいと思えない人は、
  
【 そもそも、自分の幸せを渇望している訳では無い! 】
  
という事になります。 
  
  
それ以外に理由はありません。
  
  
「え? 幸せになりたい訳じゃ無いんだったら、
 なんで、中井貴雄の記事を読み続けるの?」
  
って所が疑問になりますけど、
  
【 別に幸せになりたくなくても、
  これ以上、不幸になりたくない、不幸のドン底を回避したい 】
  
という気持ちは、そこそこ強い訳です。
  
  
「努力してまで幸せになりたくなくても、
 今以上に不幸にはなりたくない、落ちたくない…」
  
そういう風に、
どっちつかずでブラ付いている人も居るのでしょう。
  
  
そういう人が無意識レベルで求めているのは、
「幸せになる方法」では無く、「不幸にならない方法」です(笑)
  
  
しかし、残念なお知らせがあります。
  
  
この先の未来に、「平凡」は有り得ません。
  
「二極化」しかありません。
  
  
テクノロジーの進化がそれを推し進めますし、
  
シンプルに言えば、主体性を持って、
「AIを使いこなせる側の人間」になれるかどうか?
  
という事が、将来の自分の経済力を大きく左右します。
  
  
さらに、スピリチュアル的に言うと、 
 
地球の波動が高まれば高まるほど、
  
無意識レベルに抱えている
ネガティブな感情と向き合わざるを得なくなります。
  
  
健康体になろうとすればするほど、
体内のデトックス(排毒)が加速するのと同じです。
  
健康体になろうとすれば、脂肪の中に隠されていた毒素が、
次々と体内に溶け出してくるわけです。
  
一旦そうしなければ、排毒できませんから。
  
  
不健康な人が、急激なデトックスを推し進めると、
血流に過剰に毒が回りすぎて、死んでしまう人もいます。
  
  
そうならないためには、
  
内臓の「解毒・排毒機能」がオーバーフローを起こさないように、
徐々に排毒を進めていくのがベストです。
  
  
精神領域で言うと、
  
・毒素とは、「ネガティブ感情」の事で、
・毒素を次々と製造し続けるのが「ネガティブ観念」です。 
  
  
  
地球は今後、健康体に向かってまっしぐらです。
  
好むにしろ、好まざるにしろ、
「浄化」のために、「排毒」は強制的に行われます。
  
  
好むにしろ、好まざるにしろ、この先、
  
無意識下に溜め込んでいる「ネガティブ感情」は、
次々と噴出してくる事になります。
  
  
A.その毒素をスムーズに手放していくか?
  
B.毒素を隠し続けようと、無駄な抵抗を続け、
  いずれ、毒が心に溢れすぎて死んでしまうか?
  
  
という決断を迫られる訳です。
  
  
強く大きなネガティブ感情は、人を殺します。
  
それは、他人かもしれないし、自分かも知れません。
  
  
罪悪感、被害者意識、後悔、不安…、からの絶望…。
  
強すぎるネガティブ感情に直面すると、
人間は自ら死にたくなります。
  
  
そして、地球全体が浄化されていく過程では、
  
・ネガティブ感情を一掃していくのか? 
・ネガティブ感情を抱えたまま死ぬのか?
  
という、二択を迫られるわけです。
  
  
なので、
  
「ネガティブ感情を隠し続けたまま向き合わず、
 排毒もせず、平凡に生き続ける…」
  
という事は不可能なのです。
  
  
幸せか? 不幸か? 極端にどちらかです。
  
  
なので、
  
「別に、幸せになりたくなくても、
 今以上に不幸にはなりたくない、落ちたくない…」
  
という、中途半端にブラ付いている人は、
  
  
まず最優先で、
  
【「幸せになりたい」と渇望する精神状態 】を、
手に入れなければなりません。
  
  
その「幸せを求める精神状態」では無いという事は、
  
絶対に、幸せを求める気持ちにブレーキを掛ける抵抗感があります。
  
  
・努力しても幸せになれない人がいる(そもそも可能性が無い)
  
・幸せになっちゃいけない人がいる(罪人は不幸になるべき)
  
という、世界観で生きているのでしょう。
  
  
そういう世界観で生きていると、
  
「自分が幸せになっている姿」がイメージが出来ません。
  
 
「イメージが出来ない事」に対しては、モチベーションは湧きません。
  
明確にイメージができるから、モチベーションが湧くのです。
  
  
ですから、【 幸せを渇望する精神状態 】では無い人は、
  
「自分の幸せな姿」を、そもそもイメージ出来ていないのです。
  
  
歪んだ世界観によってね。
  
  
まぁ、私が幸せになるためのシンプルな方法論を確立しているので、
  
「努力しても幸せになれない人がいる」っていう世界観は、
結構、崩されていると思いますが、
  
  
問題は、
  
【 幸せになっちゃいけない人がいる(罪人は不幸になるべき)】
  
という世界観ですね。
  
  
私の記事を読んでもなお、自分の幸せを渇望できない人は、
  
・幸せになっちゃいけない人がいる
・罪人は不幸になるべき、罰を受けるべき
  
という世界観で生きている訳です。
  
  
以前の記事で書きましたけど、
  
ポジティブな世界観から見れば、 
「この世に罰を受けるべき存在」など、存在しません。  
  
  
むしろ人間は、自分が満たされていないからこそ、
ネガティブな行為に手を染めてしまうのです。
  
  
・これまでの正義感
http://growheart.livedoor.biz/archives/52057716.html
  
  
なので、人にネガティブな行為を止めさせる方法は、
  
「そいつが幸せになっちゃえば良い」のです。
  
  
「罰を与える」という発想と、真逆です。
  
  
  
もちろん、幸せになれば良いと言っても、
「甘やかす事」とは違いますし、
  
「罰を受けさせる」のではなく、
「やったことの責任を取らせる」という意味で、
  
【 厳しい処置 】は必要です。
  
  
しかし、責任を取らせて、責任感を強めていくことで、
人は幸せになれる訳です。
  
  
「幸せな人間」とは、「責任感が強い人間」の事ですから。
  
  
なんでもかんでも、
「悪い事が起こったら他人のせいにする人」っていますよね?  
  
そういう人が、不幸なのです。
  
  
「他人を責める被害者意識」と、
「自分を責める罪悪感」の、
  
【 ネガティブ感情のシーソーゲーム 】を繰り返し続けるのです。
  
  
なので、【 罰 】という概念が、
  
この世にそもそも必要ないのです。
  
  
【 罰 】という概念自体、そもそも宇宙に存在しないのです。
  
「罰という概念」は、【 人間が創り出した妄想 】に過ぎないのです。
  
  
他人から厳しい態度を取られたときに、
    
それを【 罰 】だと捉えている人は、
幸せにもなれないし、責任感も強まりません。
  
  
【 責任感を鍛えるための厳しさ 】だと捉えたときに、
  
責任感が強まり、幸せになれる訳です。
  
  
全人類に、「罰」など必要無いのです。
  
  
同じ厳しさでも、「罰」では無く、
  
必要なのは、「責任を取らせる」という観点です。
  
  
これを混同しているから、ポジティブな思想を持てないのです。
  
  
「罰せられるべき存在」など居ないのだから、
  
幸せになりたいヤツは、全員幸せになれば良いのです。
  
  
「幸せに値する条件」など、存在していないのです。
  
  
  
人間は、時にネガティブな行為をしてしまう事もあるでしょう。 
  
他人に多大な迷惑を掛けてしまう事もあるでしょう。 
  
  
それでも、「罰」は一切必要無いのです。
  
  
例えば、会社を倒産させた社長の元には、
債権者たちが「金を返せ〜」って押し寄せますよね?
  
  
債権者たちは、「金を返す」という責任を果たして欲しいのです。
  
  
会社を倒産させた社長から、
  
「私は今からムチに打たれて、罰を受けます!
 だから許して下さい!」
  
って言われても…、債権者は嬉しいと思いますか?(笑)
  
  
どうでもええわ、知らんがな…って。 
  
  
アンタが拷問を受けようが、一銭にもなりませんがな。
  
そんな事より、一円でも多く金を返すことに全力を尽くせよ!
  
  
って、そう思いません?
  
  
そういう事ですよ。
  
  
アナタが罰を受けようが、誰も喜びません。 
  
許されもしません。
  
  
それより求められているのは、
  
「全力で責任を果たせよ」って事です。
  
  
【 失敗したなら、その失敗のリカバリーを全力でやれよ! 】って。
  
  
求められているのは、それだけですよ。
  
  
まぁ、責任を取る気も無く、ネガティブな行為を続ける人間は、
  
善良な市民を守る為に、
刑務所に閉じ込めて隔離する必要があるでしょうけどね。
  
  
それでも、それは「罰」などでは無く、
  
【「やったことの責任を取らせる」という目的 】であるべきです。
  
  
「罰」という概念を、
自分の人生の中で「大切な指針」だと考えている人は、 
  
まぁ、【 多大なる勘違い 】をしている訳ですよ。
  
   
じゃあ、「罰」っていう概念は誰から教わりますか?
  
  
親と学校でしょう?(笑)
  
  
私の父親は、自分が小さい頃には厳しくて、
厳しく育てられましたが、
  
「罰を受けろ!」という概念で叱られていたのでは無く、
「反省しろ!」という概念で叱られていたと思います。
  
  
しかし、多くの親は、
  
【(悪い事をした)「罰」という概念 】で我が子を叱るでしょう?
   
  
それこそが、「子供の人生」を不幸にしている訳です。
  
  
子供を罰している人が、自分と子供を不幸にしている訳です。
  
  
精神的に未熟な親から育てられ、
  
「間違った、歪んだ、ネガティブな世界観」を植え付けられたら、
人生が大変ですね。
  
  
そんな人が、
「定められた不幸路線」をひっくり返そうと思ったら
  
気合いを入れて、「学び、理解し、実践する事」が必要でしょう?
  
  
将来、不幸のドン底に落ちたくない人は、
  
「無意識レベルの強い抵抗感」に打ち克つ為に、
  
【 本気の気合い 】を入れて下さい。


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