2018年07月12日

「6段階欲求」と「幸せ」

以前にも書きましたが、
  
「マズローの5段階欲求って、本当に合ってるのかな?」
って事が検証したくなって、
  
人間のあらゆる欲求をカテゴライズしようと、  
数時間ほど真剣に検証してみたら、
  
6段階欲求に落ち着きました。
  
  
・マズローへの挑戦
http://growheart.livedoor.biz/archives/52055695.html
  
  
1.安全と肉体に関する欲求
2.安定と生活に関する欲求
3.自由と享楽に関する欲求
4.他人と情愛に関する欲求
5.自尊と意義に関する欲求
6.使命と大志に関する欲求
    
です。
  
  
難しかったのは、3と4の順番ですが、
    
やはり、人間は自分の趣味に没頭した後で、
次に「趣味仲間」を求めるようになっている訳で、
  
人間関係と言っても、誰でも良い訳では無く、
自分の趣味と共感が出来る相手を求めますから、
  
「自分の楽しみを求める欲求の方が先だな」と結論付けました。
  
  
  
で、「幸せになる」って言うことは、
【 これらの欲求を満たしていく事 】だと言えると思います。
  
  
6段階の欲求を満たしていくだけ…、
  
非常にシンプルですよね?
  
  
しかも、別に自分の欲求を満たすことで、
他人に迷惑を掛けるわけでも無く、
  
自分が幸せになればなるほど、
他人も影響を受けて幸せになりやすくなります。
  
  
でも、多くの人が、
  
【 自分の幸せを追求する 】という、
  
シンプルな生き方が出来ません。
  
  
私は、「実行すればいくらでも幸せになれる方法」を、
これでもか!ってくらいに教えているのにも関わらず、
  
ほとんどの人は、
「目の前の大きなストレス」が無くなっただけで満足して、
  
「それ以上の幸せ」を積極的に追い求めようとはしません。
  
  
【 向上、成長への取り組みを止めれば、
  その先には衰退しか待っていない… 】
  
という事実について、
たくさんの例を出して説明しても、
    
それでも、「やる気」が出てこないのです。
  
  
決して有り得ない、現状維持にしがみついちゃってる。
  
  
む? なんでだろう? 
  
私は大いに疑問に感じました。
  
  
「ある一定以上の幸せ」に関しては、
  
・イメージができないのか? 
・自分に許していないのか?
  
  
とにかく、【 何らかの抵抗がある事 】だけは明白です。
  
本人すら自覚していない、無意識レベルの抵抗がね。
  
  
で、その抵抗っていうのは、
  
「幼少期に植え付けられていること」も、明白です。
  
  
例えば、大人になっても
「遊んではいけない!」と思っている人は、
 
子供の頃に親から「遊ぶな」と言われたことを、
そのまま信じちゃっている訳ですね。
  
  
そこで、
「6段階欲求を満たす事(幸せになる事)」への抵抗を生む、  
  
ありがちな「ネガティブ教育(洗脳))を洗い出してみました。
   
   
1.安全と肉体に関する欲求 → 虐待、いじめ
   
2.安定と生活に関する欲求 → 貧乏、両親同士の不仲
   
3.自由と享楽に関する欲求 → 勉強の強制、遊びの禁止
   
4.他人と情愛に関する欲求 → 劣等の否定
   
5.自尊と意義に関する欲求 → 個性の否定
  
6.使命と大志に関する欲求 → 失敗の否定
  
  
という感じです。
  
  
  
解説しやすいので、
逆順で「6.使命と大志に関する欲求」から解説していきますが、 
  
「夢や理想を描けない」という人は、親から、
「失敗を否定する思想」を植え付けられているからです。
  
  
失敗を否定していると、挑戦ができません。
  
挑戦ができないから、経験も積めないし、
経験を積めないから、実力が高まる事もありません。
  
実力が高まらなければ、自信を持つこともできません。
  
  
【 失敗者には価値が無い 】という洗脳が、
大きな夢や理想を描くこと自体にブレーキを掛けています。
  
  
「夢や理想を実現したい」という、
  
潜在意識下の根源的な欲求を満たそうという気すら
起きなくなります。
  
  
  
  
次に「5.自尊と意義に関する欲求」です。
  
これは、「自分で自分の事を価値ある人間だと思いたい!」
という欲求です。
  
  
この欲求を満たすことにブレーキが掛かっている人は、
【 個性を否定する思想 】を植え付けられています。
  
  
以前にも書きましたが、個性を否定するということは、
人間を「ロボットの様に捉える」という事です。
  
  
個性を否定される状態では、
「全員が一律の評価基準によって、性能を測られる」という事になります。
  
大量生産の商品の様に、
【 一定の性能を満たさなければ、不良品として扱われる 】
  
という事です。
  
  
こういう思想に染まってしまえば、
常に、「自分は不良品になりたくない!」という心理が働きますが、
  
それは、【 人それぞれの、生まれつき備わっている個性 】
に価値を見いだしていないからです。
  
  
まず最初に、「自分自身の生まれ持った個性」に、
「存在価値、存在意義」を認めなければ、
  
自分自身を「ロボットとして優秀かどうか?」
という基準でしか評価できなくなります。
  
  
そういう価値基準では、
自分のダメなところばかりに目が付きますし、
  
いつまで経っても、自分に自信を持つことなど出来ないのです。
  
  
  
  
次に「4.他人と情愛に関する欲求」です。
  
この欲求を満たすことにブレーキが掛かっている人は、 
【 劣等を否定する思想 】を植え付けられています。
  
  
要は、
  
・劣っている人間ほど価値はない
・優秀でなければ、他人から認められない、愛されない
  
という思想です。
  
  
人が集まって集団になれば、その中で、
必ず優れている側の人も、劣っている側の人も生まれますし、
  
分野によっても、人の得意・不得意はバラバラです。  
  
  
「劣っている人間に価値はない」と思っている人は、
  
他人に対して、
常に「優秀な自分像」を見せようとしてしまいます。
  
しかし、それは「建前」と「ハリボテ」です。
  
  
「未熟な人間には価値がない、愛されない」と思っているから、
「未熟な自分」を他人にさらけ出せないし、
  
「自分を他人にさらけ出せない」ってことは、
他人に対してオープンハートではありません。
  
要は、殻に閉じこもっていて、猫をかぶっているわけです。
  
  
未熟な自分をさらけ出せない人は、
他人と【 本物の信頼関係 】を築くことが出来ません。
    
  
そうなると、常に「孤独感」や「寂しさ」を感じることになります。
  
  
本当は、【 深い繋がり、深い絆 】を求めているのに、
  
「劣等」や「未熟さ」を裁いているから、
他人に見栄を張ってしまい、
  
他人に見栄を張っているから、
「深い繋がり、深い絆」が手に入らないのです。
  
  
  
  
次に「3.自由と享楽に関する欲求」です。
  
  
え? もうお腹一杯になってきましたか?(笑)
  
まぁ、そういう人は一休みしてから、続きを読んでください(笑)
  
  
これはわかりやすいですが、
  
この欲求を満たすことにブレーキが掛かってしまう原因は、
「勉強の強制、遊びの禁止」によって植え付けられる思想です。
  
  
【 遊ぶことに、大した価値は無い 】という洗脳ですね。
   
勉強して、高学歴を手に入れ、有名企業に就職…、
そういう「人が賞賛するブランド」には価値があるけど、
    
「遊びには価値が無い」という思想です。
  
  
しかし私自身は、
  
遊ぶことによって仕事に役立つ能力を高め、
遊ぶことによって仕事に役立つアイデアを得てきました。
  
ですから、遊びに価値が無いなんて事はありません。
  
  
奴隷やロボットが遊んでいて、命令に従わなければ、
奴隷やロボットとしては価値が無いかもしれませんけどね。
  
でも今の時代、
  
奴隷やロボットになる事が、
「生き残る事に適した戦略」ではありません。
  
  
仕事では、
【 人が求めるモノを、先手を打って提供する 】
   
って事ができるかどうか?です。
  
  
その為には、
  
「人が求めるモノ」を知らなければなりません、
考えなければなりませんし、
   
何よりも【 経験 】がモノを言います。
  
  
経験せずして、
「人が求めるモノ」などわかりっこありません。
  
多種多様な経験こそ役に立ちます。
  
  
「人が求めるモノの本質」を理解したり、
「流行」にアンテナを張る事も必要です。
  
  
遊ぶこと、贅沢することなどを封じていては、
【「人が求めるモノを察知して提供する」というセンス 】が磨かれません。
  
  
それに、楽しい事をするっていうのも、
純粋に、【 自分の幸せ 】の為です。
  
  
遊びを封じるって言うのは、
  
「幸せ」を犠牲にしてでも、
無難に経済的に困らず生きてける方が良い
    
という思想です。
  
  
【 幸せと経済を両立する事 】を、最初から諦めています。 
  
  
幸せを犠牲にしてでも、無難に寿命を全う出来る方が良いだろ?
    
っていう価値観でしょうけど、私個人はまっぴらご免です。
  
  
精神的苦痛で自殺する人間もいるのですから、
「生死、生命」より「幸不幸、幸せ」の方が大切なのです。
  
  
  
  
次に「2.安定と生活に関する欲求」です。  
  
この欲求を満たせていない人は、
幼少期に「安定した生活」を享受していなかった人でしょう。
  
特に、精神面、経済面おいての安定…です。
  
  
要は、家庭環境が荒れていた人に多いと思います。
  
・両親が不仲でよくケンカしていたり…、
・経済的に不安定で、住居を転々としていたり…、
  
  
精神的にも経済的にも、安定・安心するには、
  
【 自分よりも強く大きな存在に守られている 】
  
という感覚が必要です。
  
  
それは、人によって、
「大衆、社会、政府、勤め先の会社、親」かもしれません。
  
  
守られている感覚を持っていない人は、
  
「自分の生活は、常に脅かされている」と感じています。
  
  
実際に「安定した裕福な生活」を送っていたとしても、
  
【 いつ、目の前の安定が崩れ去るかわからない!】
  
という、恐怖や不安を抱えてしまうのです。
  
  
それは、【 守られている感覚 】を持っていないことが原因です。
  
  
私自身は、
絶対的な「宇宙の法則」と「高次元存在」を信奉していて、
  
それらに守られていると思っているので、安心しています。
  
  
【 守られている感覚 】を持つには、
  
「自分より強くて大きな何か?」が、
自分を守ってくれる事を信じなければなりません。
  
  
要は、【 信頼 】の問題です。
  
まぁ、信じちゃいけないモノを信じて、
騙されちゃってもダメですけどね。
  
  
でも、「信頼できる対象」まで、
疑ってしまって信じられないのは、大きな問題です。
  
  
私は、「宇宙の法則、高次元存在、善意を持った人間」を、
信じています。
  
それらを疑っていると、「2の欲求」が満たせないのです。
  
  
他人の善意を信じられない人は、
自分自身の善意も信じられません。
  
  
「2の欲求」を満たせていない人は、
「自分も悪人で、他人も悪人だ」と思い込んでいます。
  
だから、【 守られている感覚 】を持てません。
  
  
他者を信じるには、
この世には善意を持った存在が存在すると認める事が必要だし、
  
「自分自身の潜在意識下の善意」も感じ取ることが必要です。
  
  
  
  
最後に、「1.安全と肉体に関する欲求」です。
  
この欲求を満たせていない人は主に、
幼少期に「虐待」や「いじめ」を経験している人でしょう。   
  
  
・自分の肉体を、大切に思えていない
・世界も人生も、安全では無く常に脅かされている
・自分が虐げられていても、誰も守ってくれない
  
と、感じているでしょう。
  
  
子供というのは、親を神様ぐらいに思っちゃうモノですし、
家庭環境が世界や人生の基準になってしまいますから、
  
生まれ育った家庭環境が安全でないという事は、
  
世界や人生の全体が、
まったく安全で無いというイメージに結びついてしまいます。
  
  
言い方を換えると、
世界観や人生観が「過剰にネガティブ寄り」になっている訳です。
  
  
「1の欲求」を満たせていない人は、
  
【 自分で自分の身を守る 】という事を、諦めています。
  
  
幼少期に実現できなかったから、
  
あらゆる手段を講じて
「自分を守る」という自信を喪失しているのです。
  
  
むしろ、自分の身を守ろうとして、
一層酷い目に遭った経験から、
  
「為されるがままにしておいた方が良い」くらいに、
思っているかもしれません。
  
  
「自分の身を守る」というのは、生物の基本ですが、
  
それに対する自信が無いというのは、
【「生きとし生けるもの」としての自信が無い 】に等しい訳です。
  
  
自分の身を守るという行為には、
「脅威と戦う、脅威に抵抗する」という事も含まれています。
  
  
ただ、人間は個々で戦うのではなく、
「集団で戦う生き物」ですから、
  
【 集団を味方に付ける自信があるかどうか? 】
  
という事が重要になってきます。
  
  
「2の欲求」と同じですが、 
  
【 より強くて大きな存在に守られる自信 】が必要です。
  
  
それと同時に、肉体保護に関する欲求ですから、
  
「自分の身体を愛し、大事に想うこと」が大切です。
  
  
自分の身体を愛していない人が、
「身の危険」や「暴力」に屈してしまうのです。
  
  
自分の身体を愛さない理由は、
  
「身体的なコンプレックス」のせいかもしれないし、
「物質(モノ)」を大切に思っていないからかもしれません。  
  
  
モノを大切にしない人、モノをよく壊す人は、
自分の身体も大切にしていませんからね。
  
モノによって、自分の生活が成り立っている事を、
もっと理解した方が良いでしょう。
  
  
おそらく、父親とかが、
  
ブチギレた時にモノにあたって、
父親の怒りで、よくモノが破壊される家庭なんかでは、  
  
「モノに大した価値は無い」という思想を
植え付けられてしまうのでしょうね。
    
  
しかし、モノに当たって壊してしまうのも、
自分は他人に対して無力だと思っているからでしょう。
  
私は、怒った時には直接本人にぶつけますから、
モノに当たる事なんてありません。
  
そもそも、あまり怒りませんけど。
  
  
  
と、まぁざっと6種類解説してきましたが、
  
全体像は見えてきたと思います。
  
  
また、それぞれ深掘りしていくかもしれませんが、
  
これを読めば、自分がどこで躓いているのか…、
だいたい解ってくるんじゃ無いですか?


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