2018年06月20日
マズローへの挑戦
私は昔から、
「マズローの5段階欲求(人間の欲求のシフト)」と、
「社会の流行」には関連性があると思っていました。
マズローの5段階欲求では、
人間の欲求には段階があって、欲求を満たせば満たすほど、
「低次の肉体的欲求から、高次の精神的欲求にシフトしていく…」
という事が言いたいわけです。
近代の「時代の流れ」を観察してみると、
物質的に満たされた後に求めるのは、人間関係であって、
・SNS
・人材派遣、転職、恋愛、結婚の「マッチングサービス」
を運営する企業が台頭してきました。
経済(お金・仕事)の流れも、
「物質」から「精神」へとシフトしている訳です。
で、そういう「経済の変化」に関わる記事を書こうと思って、
「マズローの5段階欲求」を引用しようと思ったのですが、
【 そもそも、マズローの5段階欲求の切り分け方は正しいのか? 】
という疑問が沸きました。
【 低次の肉体的欲求から、高次の精神的欲求にシフトする… 】
という「大筋」は、疑いようも無く同意します。
ただ、人間の持つ「ありとあらゆる全ての欲求」を、
マズローの5段階欲求に当てはめようとすると、
あぶれてしまう欲求もあって、
ちょっと自分流に
「新しい切り分け方、モデル」を模索したいと思って、
この1〜2日間、仮説と検証(思考実験)を繰り返してみました。
で、自分でそこそこ納得できる「切り分け方」が出来たので、
公表したいと思います。
まだ研究の途中ですので、
変わる可能性もあるかも知れませんが…。
《 1.安全と肉体に関する欲求 》
・目の前の身の危険を回避したい
・食べたい
・眠たい
《 2.安定と生活に関する欲求 》
・肉体、経済、精神面で安心できる環境を確保したい
・安定した生活を確保したい
・定住できる住居が欲しい
《 3.自由と享楽に関する欲求 》
・やりたい事をやりたい
・欲しいモノを手に入れたい
・知りたい事を知りたい
・趣味や娯楽を楽しみたい
《 4.他人と情愛に関する欲求 》
・他人と会話したい、共感したい、触れ合いたい
・他人から認められたい
・他人と愛し合いたい
《 5.自尊と意義に関する欲求 》
・理想的な外見を手に入れたい
・高度なスキルを身に付けたい
・自分で自分の事を高く評価したい
・他人の役に立ちたい
・自分にしか出来ない事がしたい
《 6.使命と大志に関する欲求 》
・大きい事を成し遂げたい
・果てしない追求と挑戦を続けたい
6段階に分けてみましたが、
さらに大きく3段階に大別すると、
1〜2は、「安全・安定を手に入れたい」という欲求
3〜4は、「楽しみたい、喜びたい」という欲求
5〜6は、「自分に価値を感じたい」という欲求
という風に言えると思います。
で、これは基本ですが、
人によって欲求が大きく異なる場合があったり、ムラがあったり、
欲求の高次シフトがスムーズに行かない場合があるのは、
人それぞれ、「コンプレックス(劣等感)」や「恐怖」を抱えているからです。
高次の欲求を満たそうとした時に、
「低次の欲求が奪われてしまうのではないか?」
という怖れがあると、
高次の欲求にシフトする事が難しくなります。
例えば、「5の欲求」を満たすことを目指し、
自分の事を尊重し始めようとすると、
《 他人に目を付けられて、孤独になるんじゃないか? 》
という、「4を失ってしまう怖れ」が沸いてきたり、
「3の欲求」を満たすことを目指し、
「やりたい事をやろう! 欲しいモノを手に入れよう!」
と思ったら、
《 経済を圧迫して、生活に困ってしまうんじゃ無いか? 》
と、「2を失ってしまう怖れ」が沸いてきたり…です。
より「高次の欲求」を満たせば満たすほど、
人間は精神的に満たされ、
いわゆる「幸福感」や「充実感」が増していく訳ですが、
高次の欲求を満たそうと思えば思うほど、
【 低次の欲求を失う事に対する怖れ 】を
克服しておかなければならないのです。
・死ぬこと
・日々の生活に困ること
・自由に使えるお金や時間を失うこと
・他人から嫌われること
こういう怖れを乗り越えてこそ、
自尊心や使命感などの、【 高次の幸福 】が手に入る訳です。
あと、人間は劣等感を抱えていると、
持っていないのに、
見栄を張って持っているフリをする…
という行為に走る場合があります。
他人から「素敵だ」と思われたいが故に、
業者にお金を払ってリア充偽装写真を撮ってもらったり…、
本当は自尊心(自己肯定感)が低いから、
他人から高く評価されることで、自尊心を埋めようとしたり…、
決して、【 結果に繋がらない手段 】に固執している人は多いです。
1〜3の欲求は、「経済・仕事・お金」で解決できる部分が多いですが、
4〜6の欲求は、「心理・意識・精神」の分野です。
自分の本心を語り、自己保身に走らず、正々堂々と筋を通す。
そういう行為の積み重ねによって、
「人間関係」は充実し、「自尊心」は高まるのです。
ただ、4〜6の精神的欲求を満たそうとすると、
1〜3の物質的欲求が失われてしまうのではないか?と不安になり、
【 お金の為に、自らの幸せを犠牲にしている人 】も多い訳です。
そこで、私は【 全てを両立する方法 】を教えているのです。
ここで、経済学の話をしておきますが、
大昔の経済学者は、
【 人類が精神的欲求を求める時代 】に暮らしていた訳ではありません。
おそらく、
【 先進国に暮らす人が、全体的に精神的欲求を求める時代 】
に突入したのは、人類史上初のことなのです。
ですから、昔の経済学者は
「物質的欲求がメイン」という視点でしか、
人間の行動を研究できなかったでしょう。
そして、「大昔の経済学者の理論」を踏襲している、
現在の大学の経済学者たちは、何もわかっていないのです。
経済は、人間が動かすモノです。
しかし、人類は「人間という生き物」に対して無知です。
「細胞、臓器、骨格などの物質的側面」については、
多少理解はあるでしょうが、
「心理、意識、精神などの精神的側面」については、
まるで理解できない、てんでダメ、からっきしです。
なぜか?
心理学も、経済学も、人間の内面が深く関わっている訳ですが、
【 人間の内面で起こる事は視覚化できないから 】です。
私はどうやって心理研究を行っているか?というと、
ある人間が、特定の思想や観念を持っているなり、
特定の状況に置かれるなりした時、
一体、どういう心理状態になるだろうか?
と、イメージを膨らませ、
その人間になりきって感情や欲求を感じている訳です。
「感情や欲求を感じる感覚」と「論理的思考力」をフルに使います。
人間の精神の働きは、
感じる感覚を使わず、机上の理論だけで説明付けようとしても、
絶対に不可能です。
現在の時代、人類(特に先進国)の欲求は、
物質的欲求から、精神的欲求にシフトしているのです。
なのに、【 その欲求の満たし方 】を知っている人はほとんどいません。
そもそも、
学校教育によって、【 自分の欲求を感じる感覚 】まで、
サビつかせてしまっている始末です。
【 満たされていないのに、何が欲しいのかもわからない… 】
そんな、「迷える子羊」を大量に生み出してしまっているのです。
満たし方を知らないから、
「意識高い系」とか「リア充偽装」など、
見栄を張る事で寂しさを埋めようとする人間が、
ゾロゾロと出てくるのです。
《 3.自由と享楽に関する欲求 》が満たせていないのは、
学生時代に勉強ばかりしていて、やりたい事をやってこなかったから。
自分の親に、遊びを価値の低いモノとして禁止されたから。
《 4.他人と情愛に関する欲求 》が満たせていないのは、
他人に自分の本性をさらけ出すことを怖れているから。
自分の親に、自分の本性を認めてもらえなかったから。
《 5.自尊と意義に関する欲求 》が満たせていないのは、
自分で自分の長所を認めていないから。
自分の親に、あまり褒めてもらえなかったから。
って所です。
まぁ、ネガティブな親と学校教育によって、
《 1.安全と肉体に関する欲求 》
《 2.安定と生活に関する欲求 》
という低次の欲求の為に、
とにかく遊ばず勉強して、
安定した「公務員や大企業のサラリーマン」になって欲しいと、
それ以外の「高次の欲求」を、
全て諦めなさいと洗脳されてきたわけです。
ソーシャルゲームやオンラインゲームが流行っていますけど、
これは、
《 3.自由と享楽に関する欲求 》
《 4.他人と情愛に関する欲求 》
を、同時に満たしてくれるモノですね。
人間の欲求は、どんどん高次にシフトしていきます。
それを提供する為には、
自分自身が、率先して高次の欲求を満たしておく必要があります。
自分の欲が満たせない人間に、他人の欲は満たせません。
ゲームを開発している人は、ゲーマーじゃ無いとだめでしょ?
ゲームをやったこと無い人がゲームを開発しても、
面白く無いに決まってますから。
自分の欲求をスムーズに満たせないとしたら、
それは、「怖れ」があるからです。
自らの内面に抱える「怖れ」を乗り越え続けなければ、
より高次の欲求は、満たせようがないのです。
「マズローの5段階欲求(人間の欲求のシフト)」と、
「社会の流行」には関連性があると思っていました。
マズローの5段階欲求では、
人間の欲求には段階があって、欲求を満たせば満たすほど、
「低次の肉体的欲求から、高次の精神的欲求にシフトしていく…」
という事が言いたいわけです。
近代の「時代の流れ」を観察してみると、
物質的に満たされた後に求めるのは、人間関係であって、
・SNS
・人材派遣、転職、恋愛、結婚の「マッチングサービス」
を運営する企業が台頭してきました。
経済(お金・仕事)の流れも、
「物質」から「精神」へとシフトしている訳です。
で、そういう「経済の変化」に関わる記事を書こうと思って、
「マズローの5段階欲求」を引用しようと思ったのですが、
【 そもそも、マズローの5段階欲求の切り分け方は正しいのか? 】
という疑問が沸きました。
【 低次の肉体的欲求から、高次の精神的欲求にシフトする… 】
という「大筋」は、疑いようも無く同意します。
ただ、人間の持つ「ありとあらゆる全ての欲求」を、
マズローの5段階欲求に当てはめようとすると、
あぶれてしまう欲求もあって、
ちょっと自分流に
「新しい切り分け方、モデル」を模索したいと思って、
この1〜2日間、仮説と検証(思考実験)を繰り返してみました。
で、自分でそこそこ納得できる「切り分け方」が出来たので、
公表したいと思います。
まだ研究の途中ですので、
変わる可能性もあるかも知れませんが…。
《 1.安全と肉体に関する欲求 》
・目の前の身の危険を回避したい
・食べたい
・眠たい
《 2.安定と生活に関する欲求 》
・肉体、経済、精神面で安心できる環境を確保したい
・安定した生活を確保したい
・定住できる住居が欲しい
《 3.自由と享楽に関する欲求 》
・やりたい事をやりたい
・欲しいモノを手に入れたい
・知りたい事を知りたい
・趣味や娯楽を楽しみたい
《 4.他人と情愛に関する欲求 》
・他人と会話したい、共感したい、触れ合いたい
・他人から認められたい
・他人と愛し合いたい
《 5.自尊と意義に関する欲求 》
・理想的な外見を手に入れたい
・高度なスキルを身に付けたい
・自分で自分の事を高く評価したい
・他人の役に立ちたい
・自分にしか出来ない事がしたい
《 6.使命と大志に関する欲求 》
・大きい事を成し遂げたい
・果てしない追求と挑戦を続けたい
6段階に分けてみましたが、
さらに大きく3段階に大別すると、
1〜2は、「安全・安定を手に入れたい」という欲求
3〜4は、「楽しみたい、喜びたい」という欲求
5〜6は、「自分に価値を感じたい」という欲求
という風に言えると思います。
で、これは基本ですが、
人によって欲求が大きく異なる場合があったり、ムラがあったり、
欲求の高次シフトがスムーズに行かない場合があるのは、
人それぞれ、「コンプレックス(劣等感)」や「恐怖」を抱えているからです。
高次の欲求を満たそうとした時に、
「低次の欲求が奪われてしまうのではないか?」
という怖れがあると、
高次の欲求にシフトする事が難しくなります。
例えば、「5の欲求」を満たすことを目指し、
自分の事を尊重し始めようとすると、
《 他人に目を付けられて、孤独になるんじゃないか? 》
という、「4を失ってしまう怖れ」が沸いてきたり、
「3の欲求」を満たすことを目指し、
「やりたい事をやろう! 欲しいモノを手に入れよう!」
と思ったら、
《 経済を圧迫して、生活に困ってしまうんじゃ無いか? 》
と、「2を失ってしまう怖れ」が沸いてきたり…です。
より「高次の欲求」を満たせば満たすほど、
人間は精神的に満たされ、
いわゆる「幸福感」や「充実感」が増していく訳ですが、
高次の欲求を満たそうと思えば思うほど、
【 低次の欲求を失う事に対する怖れ 】を
克服しておかなければならないのです。
・死ぬこと
・日々の生活に困ること
・自由に使えるお金や時間を失うこと
・他人から嫌われること
こういう怖れを乗り越えてこそ、
自尊心や使命感などの、【 高次の幸福 】が手に入る訳です。
あと、人間は劣等感を抱えていると、
持っていないのに、
見栄を張って持っているフリをする…
という行為に走る場合があります。
他人から「素敵だ」と思われたいが故に、
業者にお金を払ってリア充偽装写真を撮ってもらったり…、
本当は自尊心(自己肯定感)が低いから、
他人から高く評価されることで、自尊心を埋めようとしたり…、
決して、【 結果に繋がらない手段 】に固執している人は多いです。
1〜3の欲求は、「経済・仕事・お金」で解決できる部分が多いですが、
4〜6の欲求は、「心理・意識・精神」の分野です。
自分の本心を語り、自己保身に走らず、正々堂々と筋を通す。
そういう行為の積み重ねによって、
「人間関係」は充実し、「自尊心」は高まるのです。
ただ、4〜6の精神的欲求を満たそうとすると、
1〜3の物質的欲求が失われてしまうのではないか?と不安になり、
【 お金の為に、自らの幸せを犠牲にしている人 】も多い訳です。
そこで、私は【 全てを両立する方法 】を教えているのです。
ここで、経済学の話をしておきますが、
大昔の経済学者は、
【 人類が精神的欲求を求める時代 】に暮らしていた訳ではありません。
おそらく、
【 先進国に暮らす人が、全体的に精神的欲求を求める時代 】
に突入したのは、人類史上初のことなのです。
ですから、昔の経済学者は
「物質的欲求がメイン」という視点でしか、
人間の行動を研究できなかったでしょう。
そして、「大昔の経済学者の理論」を踏襲している、
現在の大学の経済学者たちは、何もわかっていないのです。
経済は、人間が動かすモノです。
しかし、人類は「人間という生き物」に対して無知です。
「細胞、臓器、骨格などの物質的側面」については、
多少理解はあるでしょうが、
「心理、意識、精神などの精神的側面」については、
まるで理解できない、てんでダメ、からっきしです。
なぜか?
心理学も、経済学も、人間の内面が深く関わっている訳ですが、
【 人間の内面で起こる事は視覚化できないから 】です。
私はどうやって心理研究を行っているか?というと、
ある人間が、特定の思想や観念を持っているなり、
特定の状況に置かれるなりした時、
一体、どういう心理状態になるだろうか?
と、イメージを膨らませ、
その人間になりきって感情や欲求を感じている訳です。
「感情や欲求を感じる感覚」と「論理的思考力」をフルに使います。
人間の精神の働きは、
感じる感覚を使わず、机上の理論だけで説明付けようとしても、
絶対に不可能です。
現在の時代、人類(特に先進国)の欲求は、
物質的欲求から、精神的欲求にシフトしているのです。
なのに、【 その欲求の満たし方 】を知っている人はほとんどいません。
そもそも、
学校教育によって、【 自分の欲求を感じる感覚 】まで、
サビつかせてしまっている始末です。
【 満たされていないのに、何が欲しいのかもわからない… 】
そんな、「迷える子羊」を大量に生み出してしまっているのです。
満たし方を知らないから、
「意識高い系」とか「リア充偽装」など、
見栄を張る事で寂しさを埋めようとする人間が、
ゾロゾロと出てくるのです。
《 3.自由と享楽に関する欲求 》が満たせていないのは、
学生時代に勉強ばかりしていて、やりたい事をやってこなかったから。
自分の親に、遊びを価値の低いモノとして禁止されたから。
《 4.他人と情愛に関する欲求 》が満たせていないのは、
他人に自分の本性をさらけ出すことを怖れているから。
自分の親に、自分の本性を認めてもらえなかったから。
《 5.自尊と意義に関する欲求 》が満たせていないのは、
自分で自分の長所を認めていないから。
自分の親に、あまり褒めてもらえなかったから。
って所です。
まぁ、ネガティブな親と学校教育によって、
《 1.安全と肉体に関する欲求 》
《 2.安定と生活に関する欲求 》
という低次の欲求の為に、
とにかく遊ばず勉強して、
安定した「公務員や大企業のサラリーマン」になって欲しいと、
それ以外の「高次の欲求」を、
全て諦めなさいと洗脳されてきたわけです。
ソーシャルゲームやオンラインゲームが流行っていますけど、
これは、
《 3.自由と享楽に関する欲求 》
《 4.他人と情愛に関する欲求 》
を、同時に満たしてくれるモノですね。
人間の欲求は、どんどん高次にシフトしていきます。
それを提供する為には、
自分自身が、率先して高次の欲求を満たしておく必要があります。
自分の欲が満たせない人間に、他人の欲は満たせません。
ゲームを開発している人は、ゲーマーじゃ無いとだめでしょ?
ゲームをやったこと無い人がゲームを開発しても、
面白く無いに決まってますから。
自分の欲求をスムーズに満たせないとしたら、
それは、「怖れ」があるからです。
自らの内面に抱える「怖れ」を乗り越え続けなければ、
より高次の欲求は、満たせようがないのです。
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