2018年05月28日

短文と長文の違い

同じ「文章を書く」という行為でも、
短文と長文では、その特性が大きく異なります。
  
  
例えば、「偉人の格言・名言」が好きな人っていると思いますが、
  
短文の特長は、
  
・一瞬でフレーズが頭に入る
・情報量がコンパクトなので、拡散しやすい
・「意図」や「解釈」を考えるのが楽しい
  
という所にあります。
  
  
私は、よく長文を書いてますけど、
  
論理的な文章というのは、
因果関係を解説する、「数学の数式」みたいなモノです。
  
  
数学者が、黒板に数式を書き殴って、
学生に「定理」や「方程式」を説明している風景ってありますよね?
  
私がやっているのは、まさにそういう事です。
  
  
でも、脳みそを使っていない人は、 
 
自分で「数式の因果関係を理解すること」よりも、
ただ、計算ドリルの「正解集」を求めます。
  
  
自分で頭を使って計算したくないから、
手っ取り早く、他人からマルがもらえる答えを教えてよ!
  
と、「カンニング根性」が丸出しなのです。
  
  
それ、自分で問題が解けるようになってないから、
全然意味が無いでしょ?
  
  
例えば、運動部の入部テストで、ズルして受かったとしても、
自分に実力が無ければ、レギュラーになる事は出来ないでしょ?
  
それと一緒ですよ。  まったくの無意味。
  
  
学校教育の弊害でしょうけど、
  
その場しのぎでも、答えが合っていて、
点数が良ければ合格がもらえちゃうので、
  
社会に出ても、その成功法(一夜漬け・カンニング)が、
通用すると思ってるんですよね。
  
  
何回説明しても、
そういう「カンニング根性」が抜けない人がいるので、 
  
その脳みその出来に呆れますよ。
  
  
私の長文は、主体性の高い人ほど深く理解できるでしょうが、
  
主体性が低い人は、まったく理解できないでしょうね。
  
  
そもそも理解する気が無く、
他人からマルがもらえる正解を求めているし、
    
【 因果関係が、頭の中で繋がらないから 】です。
  
  
で、一方「短文」についてですが、
  
短文で論理的な解説は不可能です。
   
   
そもそも短文の目的は、最初に説明した通り、
   
「これって、どういう意味なんだろう…?」と、
   
【 解釈に頭を使わせる効果 】があります。
  
  
まぁ、そこまで凝っていない短文もありますが…。 
  
  
基本的に、人間は興味の無い長文を読むことは出来ません。
  
メリットも無いのに、脳が疲れる事をやりたくない。
  
  
でも、短文であれば、
文章を読むこと自体には頭を使わさせず、 
   
文章を読んだ後に、頭を使わさせる事が可能です。
  
  
長文は、読める人は少なくなりますし、
短文は、読める人を多くする事が出来ます。
  
  
例えば、広告に使われるキャッチコピーなんかは、
まさに短文ですよね?
  
  
よっぽど理由が無い限り、広告は短文の方が効果的でしょう。
  
たくさんの人の目に留まる事が目的ですから。
  
  
私も、別に短文での表現が嫌いって訳じゃありませんけど、
  
私にとって「文字制限がある」っていうのは、   
  
昔のプログラマーが、  
メモリに詰めるデータ量を減らすために、
  
散々工夫を凝らしたような…、そんな行為になりますね。
  
  
「俳句・川柳・短歌」なども、
文字制限があるからこそ頭を使うし、面白いのです。
  
  
「いかに少ない文字数に収めるか?」
  
それを考えるのも嫌いじゃ無いですけど、
  
長文の方が、そういう事を気にせず、
スラスラ書けてしまうという事はありますね。
  
  
あと、同じ文字を書くという仕事でも、 
  
私や小説など、
エンターテイメントが目的の文章を書くのは苦手です。
  
私は小説自体、あまり読みませんからね。
  
あまり情熱が無いのです。
  
  
その中でも、「推理小説を書く」なんていうのが、
  
私にとって一番苦手な行為になるでしょうね(笑)
  
  
謎を解き明かすのは好きですけど、
  
「わざと謎を作る」っていうのは、
自分にとっては非常に難しく感じます。
  
  
同じ「文字を書く」という行為でも、 
  
「目的」や「文字制限」に応じて、
使う能力や、必要なスキルは変わってくるのです。
  
  
何事にも、長所と短所があるので、
それぞれうまく組み合わせて、活用していく事が肝要です。


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