2018年05月23日

人間が視覚情報のみに依存する理由

前回の記事で、人類というのは、
  
・目に見えない
・機械で計測できない
  
つまり…、一言で言うと
  
【 視覚化できない要素・対象 】
  
これについて考えようとする事が大の苦手である…、と述べました。
  
  
なので、大学の心理学教授、経済学教授、精神科医など、
アカデミーの権威と思われている人ですら、
  
「人間の内面が絡む要素」については、
あまり良くわかっていない…という状況に繋がっているのです。
  
  
そして、視覚化できるのは、統計データぐらいなので、
主に、統計データを研究する事ぐらいしか出来ない訳です。
  
  
しかし、統計でわかるのは、あくまで【 傾向 】です。
  
  
例えば、傾向としては、
  
学校の勉強が出来ない人には、
ガラの悪い人・不良の割合が高いと思いますし、
  
学校の勉強が出来る人には、
ガラの悪い人・不良の割合は少ないと思います。
  
  
でも、絶対じゃ無いでしょ?
  
  
慶応大学の男子学生が、
集団レイプの事件を起こしたってニュースもありますし…。
  
  
じゃあ、「ガラの悪い人を減らそう!」って思ったときに、
  
人に勉強させれば解決する話ですか?
  
  
きっと、【 ガラの悪い人が生まれる根本原因 】は、
別の所にありますよね?
    
  
「傾向」ばかり調べたって、
  
【 根本原因 】は、決してわからないのです。
  
  
根本原因がわからないって事は、問題を解決できないって事です。
  
  
例えば、東京大学に入学する学生の親には、
年収が高い人が多い…、と言われています。
  
だからといって、
金持ちのボンボンが絶対に知性が高い訳じゃ無いでしょ?
  
自分が裕福になったら、子供は賢くなると言い切れるんですか?
  
  
傾向など調べても、問題の解決にはならないのです。
  
「望む結果の出る確率が、多少上がる…」ぐらいの事しか起こりません。
  
  
統計データなんか研究しても、根本解決は不可能で、
  
多少、確率を高められる…ぐらいの事です。
  
  
違う表現をすると、
「博打で勝つ確率を高める」くらいの効果なのです。
  
  
博打で勝つ確率を多少高めたところで、
「金銭の問題解決」って言えませんよね?
  
  
でも、心理学や経済学のアカデミーの権威たちは、
「視覚化できない要素」をほとんど研究せず、
    
統計データぐらいしかアテになるモノが無いので、  
仕方無く、統計データを研究しているのです。
  
  
さて、こっからが本題です。
  
  
じゃあ、なぜ人類は、
「視覚化できない要素」について、考えるのが苦手なのか?
  
  
ちょっと難しいテーマでしたが、
これについて、今朝数十分間、集中して考えて見たところ、
  
答えが見つかりました。
  
  
まず、【 視覚化できるモノの利点 】を整理してみましょう。
  
  
「目に見えるモノ」っていうのは、
  
・ほとんどの人と「共通の認識」を持てる
・一瞬で伝わる
  
という利点があるのです。
  
  
動物の血液の色は、誰が見ても赤色だし、
  
特に色盲でも無ければ、
青色に見える人は居ないでしょう。
  
  
ですから、
  
自分が誰であっても、他人が誰であっても、
ほとんど例外無く、「共通の認識」を持ててしまう…
  
これこそが、【 視覚の利点 】です。
  
  
残りの五感は、「味覚、触覚、聴覚、嗅覚」ですが、
  
「味覚」や「触覚」については、
対象に直接触れないと感じられません。 
  
  
「聴覚」や「嗅覚」は、目に見えませんし、
「なんか臭わない? なんか聞こえない?」と言っても、
  
視覚ほど、一瞬で情報を伝えられる訳ではありません。
  
  
要は、「視覚」は【 情報伝達・共通認識の手段 】として、
  
圧倒的に優れているのです。
  
  
なので、視覚情報に頼りたくなるのもわかります。
  
  
でも、残りの「味覚、触覚、聴覚、嗅覚」も、
視覚ほどではありませんが、共通認識を持てる手段です。
  
・これって美味しいよね?
・これって肌触り良いよね?
・これって良い音色だよね?
・これって良い香りだよね?
  
と、他人と共感する事は可能ですし、
  
視覚情報で無くとも、残りの五感で感じられるモノは、
科学的なアプローチで研究もされています。
  
・「糖度(甘さ)」を測定する機械
・「臭い」を測定する機械
・「音波」を測定する機械
・「滑らかさ」を測定する機械
  
というのは存在していますし、
それぞれ視覚化も可能というです。
  
  
しかし、「感情そのもの」を測定する機械はありません。
  
「脈拍、瞳孔、表情、脳内ホルモン」など、
感情が動いたときの「肉体的な変化」は捉えられても、 
  
それは、「感情そのもの」ではないのです。
  
  
では、なぜ人類は「物理的な感覚」である
「五感」については研究してきたのに、
  
「感情そのもの」については、研究されてこなかったのか?
  
  
ここが、非常に重要なテーマです。
  
  
ちょっと違う視点から、極端な話をしてみましょう。
  
  
例えば、五感はまだ共通認識を持ちやすいですが、
  
「私にはオーラが見える!」と言った時に、
共通認識は多くの場合、持てません。
   
「え? 俺には全く見えないけど?」という感じです。
  
  
「私には守護霊の声か聞こえる!」と言った時にも、
  
「え? 俺には全く聞こえないけど?」という感じです。
  
  
  
じゃあ、「他人と共通認識」を持てなかったら、
  
その人間はどういう扱いを受けるでしょうか?
        
  
多数派から気味悪がられて、
  
【 村 八 分 に さ れ る の で す! 】
  
【 仲 間 は ず れ に さ れ る の で す! 】
  
  
中世ヨーロッパでは、魔女狩りなんかもありました。
  
  
要は、「多数派の感覚・認識」に合わせていないと、
  
「仲間はずれ」や「村八分」にされるリスクがある訳です。
  
  
視覚情報の場合には、そういう怖れはありません。
  
  
「円形」は、誰が見たって円形、
「三角形」は、誰が見たって三角形です。
  
  
だから、気味悪がられる怖れがありません。
  
  
要は、人間というのは、
  
【「多数派の感覚・認識」と大幅にズレる事 】に対して、
  
「大きな恐怖」を抱えているのです。
  
  
視覚情報であれば、
誰とでも共通の認識を持てますから、安心です。
  
  
だから、人類は視覚情報に依存しているのです。
  
  
【 視覚化できない = 仲間はずれの怖れ 】
  
という風に、連想している訳です。
  
  
さらに、多くの人間は「未知」を怖れます。
  
  
よくわからない事は、対処法もわからないので、
よくわからない事自体が、怖いのです。
  
  
目に見えないし、機械でも測定できない要素…、
  
【 人間にとって未知 】という事です。
   
   
多くの人間は、未知が怖いのです。
  
  
ですから、人類にとって【 感情は未知 】 なのです。 
  
  
っという事で、「視覚化できない」という事は、 
  
・「仲間はずれ、村八分」のリスク
・「未知への怖れ」を想起させる
・他人と「共通の認識」を持ちづらい
・世間からも評価されない
  
という風に、
  
現代の人類にとってはデメリットが大きい訳ですよ。
  
  
結局、人間にとって、
「多数派と共通認識を持てるかどうか?」って事は、
  
【 孤独】や【 保身 】と深く関わっているわけですよ。
  
  
大学教授が、
  
「視覚化できない要素」を積極的に研究しないのも、
うなずける話でしょ?
  
  
じゃあ、なぜ私は研究できるんですか?って言うと、
  
未知を怖れず、未知を楽しんでるし、
何よりも、「仲間はずれ」を怖れていないからです。
  
  
自分が人類から仲間ハズレにされようが、
  
「人類の方がアホだ!」って言える人間ですからね(笑)
  
  
普通の人よりは、よっぽど孤独にも耐性がありますし、
  
私が興味あるのは、【 真実を明らかにする事 】です。
  
  
人類全体が真実から目を背けようとも、
  
私は、自分が真実と共に生きることが出来れば、満足です。
  
  
私にとっては、
  
「多数派に所属している事」より、
「真実を理解している事」の方が、
   
圧倒的に【 安心材料 】になっているのです。
  
  
もし自分が多数派に所属していても、
真実がわからなければ、私は不安です。
  
  
要は、人類の多くは、
「多数派」を軸に考え、判断を下していますが、
  
私は、「真実」を軸に考え、判断を下しているという事です。 
  
  
いくら多数派からハブられたとしても、
私は真実と共に心中します。
  
  
ガリレオ・ガリレイみたいな感じですよ。
  
  
いくら、宗教裁判で叩かれようとも、
  
「それでも、地球は回っている…」です。
  
  
真実は、時間が経てば明らかになり、 
  
必ず、【 真実を語る者の味方をする 】のです。
  
  
だから、私は仲間はずれを怖れません。 
 
いずれ、真実が勝つ事を知っているからです。
  
  
コロンブスは、「地上は球形である」と主張しました。
  
ほとんどの人は、コロンブスをバカにしましたが、
実際には、コロンブスの方が正しかった訳ですよ。
  
  
どんな偉人も、
初めは「無知な大衆」からバカにされるモノです。
  
  
でも、本当にバカなのはどっちか、いずれわかる時が来る…。 
  
  
偉人たちは、そういう信念を持ち続けた訳です。 
  
  
だから、「常識が正しい訳じゃ無い」って事くらい、
歴史から学んで頂きたい所ですが、
    
ほとんどの人は、常識が正しいと思っちゃうんですよね。 
  
  
これまでの人類史において、
偉人たちの活躍によって、何度常識が覆ったと思います?
  
100回や200回じゃ無いでしょう?
  
  
学校で歴史の授業を受けても、そういう事が理解できないなら、
  
歴史から学んでいるとは言えないし、無意味です。
  
  
大量の時間を割いて、何を学んでいるのか?  全く意味不明です。
  
  
さて、あなたはコロンブスやガリレオのような、
  
「偉人たちの凄さ」がわかる人ですか?
   
    
それもと、理解できずにバカにする側ですか?


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