2018年05月17日

自分の親に対する捉え方

ここ最近、「家族・家庭に関する記事」を連投していますが、
  
要約すると、
  
・「自分の本性、ありのままの自分」に自信が無い
・「家庭・家族関係」に自信が無い
  
という人の根本原因を辿っていくと、 
  
必ず【 親子関係 】に突き当たる…、という事です。
  
  
だからと言って、「親を敬え」と言うつもりはありません。
  
  
この世には、
事実として、【 クソみたいな親 】も存在していますから。
  
そんな「クソみたいな親」を敬う必要なんて、全くありません。
  
  
・全ての親が、子の幸せを願っていると思いますか?
  
・全ての親が、自分より子供を大切にしてると思いますか?
  
  
全然、そんな事ありません。
  
  
親によって、子供に対する考え方は千差万別ですよ。
  
  
例えば、私は「学校教育の害」について毎度語っていますが、
それでも、「古い教育方針を捨てきれない親」も居るでしょうし、
  
学校教育を変えるには、社会全体が変わる必要がありますけど、
社会全体を変えるために、何かしようと思う人間も少ないでしょう。
  
  
結局、「自分の子供」や「他人の子供」の事を想って、
  
【 社会の常識を変えるために、自分から何かの活動しよう! 】
  
って思う親は、ほとんど居ないんです。
  
  
【「子供の未来」より、「自分の保身」の方が大事 】…だから。
  
  
本当に「子供の未来」を想っている人であれば、
  
子供の教育方針について、真剣に考えるでしょうし、
  
真剣に考えたら、
「既存の教育は、将来役に立たない」って事もわかるでしょう?
  
  
自分の子供を「クソ学校教育」によって
「ネガティブに洗脳」されたくなかったら、
  
ホームスタディやフリースクールなどを検討したり、
社会の常識やシステムを変えるために、
  
何らかの活動したいと思うでしょう? 
  
  
でも、そうする親が少ないって事は、
  
多くの親は、
子供の未来なんて、真剣に考えていないんですよ。
    
    
【「子供の幸せ」より、「世間体」の方が大事 】って親なんて、
  
腐るほど数多く存在しているでしょう。
  
  
多くの親は、子供の将来に対して、
責任感など微塵も持っておらず、非常に無責任です。
  
   
そんな親たちは、 
  
「世間や学校を敵に回してまで、自分の子供を守ろう」
などと思わないのです。
  
  
ですから、実際のところ、
「クソみたいな親」は、非常に多い訳ですよ。
  
  
なので、そんな親を無理に敬う必要など全くありません。
  
  
もし自分の親が「クソみたいな親」だったら、
  
【 親より尊敬できる人 】なんて、たくさん居て当然です。
  
  
もし、「自分の親を尊敬しています!」って人がいたら、
  
その人は、「素晴らしい親」に育てられた、
「ラッキーな人」って事ですよ。
  
  
じゃあ、「クソみたいな親」の元に生まれ育った人は、
  
親に対してどういう認識をすれば良いのか?
  
  
その答えはひとつです。
  
  
【 親の「未熟さ・ネガティブさ」を許した方が良い。
  何よりも自分自身の為に…。 】
  
という事です。
  
  
親の「未熟さ、ネガティブさ」を
裁いたり、責めたりしていると、
  
自分自身の為にならないどころか、害でしかありません。
  
  
「親に対して被害者意識を持っている」という事は、即ち、
  
【 親のせいで、自分は不幸なんだ! 】って考えている訳です。 
  
  
でも、「自分の不幸」を「親のせい」にしている限り、
  
自分は幸せになれません。
  
  
過去に起こったことは、変えられないからです。
  
  
「決して変えられない事」のせいで、自分が不幸だと思っていたら、
  
即ち「自分の不幸は、決して変えられない」という事になります。
  
  
ですから、
   
【 自分の親の「最悪最低な行為」を許す事で、
  親の呪縛(親への被害者意識)から自由になれる 】のです。
  
  
じゃあ、どうやったら許せるんですか?
  
  
というと、【 ポジティブ面を見つける事 】です。
  
  
物事は表裏一体です。
  
  
もし、自分が酷い目に遭ったとしても、
  
・それをポジティブに捉える意志さえあれば、
・それをポジティブに解釈する意志さえあれば、
  
必ず、ポジティブな側面を発見する事ができるでしょう。
  
  
私なんかは、過去に自殺願望を持っていましたが、
「そのおかげで、今がある」と思っていますし、
   
当時は本当に辛かったわけですが、
今ではその辛い経験に対して、深い感謝が湧いてくるぐらいです。
  
  
酷い目に遭ったとしても、
必ずポジティブ面は存在しています。
  
  
それを見つける事ができれば、許す事ができるのです。
  
  
例えば、
  
辛い出来事に遭遇したおかげで、
  
・学べたこと
・気付けたこと
・決意できたこと
・鍛えられたこと
・能力が高まったこと
・モチベーションが湧いたこと
  
そういう事が、必ずあるはずです。
  
  
そういう、「ポジティブな側面」を理解できれば、
  
必ず、どんな事も許せるようになります。
  
  
「許す」ってことは、
  
・「我慢する・辛抱する」って事じゃありません。
・「不服だけど、容認する」って事でもありません。  
  
  
「許せる様になる」ってことは、
  
  
・起こった出来事が、
 「自分にそれほど大きな害が無い事だと理解する」…とか、
  
・人生単位で見た時に、
 「小さい事や、どうでも良い事をいちいち気にしなくなる」…とか、
  
・どれほど酷い目に遭っても、
 「自分に責任があったと理解する」…とか、
 「そのポジティブ面に気付き、理解する」…とか、
  
  
まぁ、そういう事なのです。
  
  
要するに、「視野」が広がって、
  
【 物事を大きく捉えられるようになったとき 】に、
   
自然と許せる様になるのです。
  
  
って言っても、一人で出来ない事もあるでしょうから、
  
一人で頑張っても、許せそうになかったら、
「プロの手助け」を借りた方が良いですよ。
  
  
私の言っている事は非常識でしょうが、 
  
常識的に生きている人ほど、不幸だったりしますよね?
  
  
むしろ、
非常識に生きている人の方が、幸せそうだったりします。
  
  
つまり、【 常識 】っていうのは、
  
「幸せを保証してくれるモノ」じゃ無い、   
「幸せを担保してくれるモノ」じゃ無い、
  
って事です。  
  
  
当たり前のことですけど…。
  
  
じゃあ、「自分を幸せにしてくれない常識」に、
  
しがみつく理由ってありますか?
  
  
ありますよね? 
  
  
常識に従っている限り、
「他人から白い目で見られなくて済む」って言う(笑)
  
  
じゃあ、「他人から白い目で見られなくて済む」代わりに、
  
「内心は不幸」でも良い訳ですか?
  
  
どっちを取る訳ですか?
  
  
要は、
  
・勇気を出して、
 一時的に傷つくリスクを背負って、幸せを取りに行くか?
  
・恐怖に負けて、
 一時的に傷つくリスクを避けて、不幸に留まるか?
  
  
っていう選択です。
  
  
前者の方が絶対良いじゃん!と思っていても、
  
なかなか前者を選べないのが、人間です。
  
  
勇気を出してこないままに大人になった人間は、尚更です。
  
  
【 ラクな方に流される癖、逃げ癖 】が付いてますから。
  
  
その、「ネガティブな癖・習慣」を断ちきれるかどうか?
  
  
それは、他の例えで言うと【 禁煙 】に近いかも知れませんね。
  
  
「禁煙したいけど、続かない」って人も多いと思いますけど、
  
どっかで、本気の決断をしない事には、
「ネガティブな癖・習慣」は断ち切れません。
  
  
【「本気の決断」をしない事には、人生は変わらない 】のです。
  
  
じゃあ、決断ってどうしたら良いの?っていうと、
  
【 未来をちゃんとシミュレーションする事 】です。
  
  
・タバコを吸い続けた未来
・タバコを止めた未来
  
その両方がちゃんと見えた人が、禁煙できる人だと思います。
  
  
じゃあ、
  
・恐怖から逃げる癖を「直した未来」
・恐怖から逃げる癖を「直さなかった未来」
  
その「両方の未来」がちゃんと見えた人は、 
  
【 勇気を出して恐怖に立ち向かうメリット 】が、
ちゃんと理解できるでしょう。
  
  
って言っても、
  
恐怖心が強い人は、未来の事を考えたく無いんです(笑)
  
  
だから、現実逃避を続けるのです。
  
  
でも、自分が「逃げ癖」を持って「現実逃避」を続けるなら、
  
【「クソみたいな親」と同じ穴のムジナ 】でしょ?
  
ネガティブな親を一方的に責める資格なんて、無いと思いますが…。
  
  
  
まぁ、本人の人生ですし、
「本人の自由意志」で全てを決めれば良いですが、
  
「目先でラクな方に流される逃げ癖」が付いている人の未来は、
  
当然、明るいわけ無いですよね?
  
  
それだけは、確実に言える事です。


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