2018年04月21日

中間の無い選択

私がここ最近、テーマにしているのは、
   
【 たった一人の人間の影響力の大きさ 】です。
  
  
これを、伝えようとしています。
  
  
「責任」を背負いたくない人は、  
私の記事を読むことすら避けたいと思います。 
  
  
ですが、「責任感」こそ、「やり甲斐」に繋がるのです。
  
  
【 責任感 = やり甲斐・存在価値・存在意義 】です。
  
  
ですから、責任感を感じない人は、
人生において「やり甲斐」を感じる事はありません。
  
  
例えば、最近は「財務省の文書改ざん」が話題になっていますが、
  
あれだって、
誰かたった一人の人間が、マスコミにリークしたから、
  
安倍政権を揺るがすような事になっている訳です。 
  
  
じゃあ、その「たった一人」って、
どういう人で、何したんですか?
  
特別な才能を持った人で、
物理的に難しい事を成し遂げたんですか?
  
  
違いますよね?
  
きっと普通の人で、
  
ただ知っている情報や掴んだ証拠を、
他人に伝えただけですよね?
  
  
  
別に、「特別な才能」など無くても、
「物理的に難しい事」をしなくても、
  
世の中に強い影響を与える事など、出来てしまうのです。
  
  
例えば、人通りが少ない場所を歩いていると、
「血まみれで倒れている人」を発見しました。
  
  
みなさんなら、どうしますか?
  
救急車を呼びますか? 素通りしますか?
  
  
・救急車を呼んだら、「命の恩人」かも知れません。
   
・素通りしたら? 「見殺し」かも知れません。 
  
  
この場合、
  
【「命の恩人」と「見殺し」の中間は無い 】のです。
  
  
血まみれで倒れている人を見かけたのは、
たまたまかも知れません。
    
でも、「見つけちゃった人に、責任が発生する」のです。
  
  
・救急車を呼べる立場にある。
・見殺しにできる立場にある。
  
  
別に、天才じゃ無くても、普通の人でも、
  
【 それが出来る立場にある 】というだけで、
  
責任は発生してしまうのです。
  
  
みなさんの多くは、
  
「特別な人だけが、重い責任を背負っている…」
  
そんな風に感じているかも知れませんが、
  
  
たまたま、重大な犯罪の現場を目撃しただけで、
  
自分が事件解決の鍵を握ってしまうかも知れないのです。
  
  
そこに、【 特別な才能 】など必要ありません。 
  
  
たまたま、そういう場面に遭遇しただけです。
  
  
みなさんは、目の前に血まみれの人が倒れていたら、
  
きっと、救急車を呼ぶと思います。
  
  
じゃあ、インターネットの向こう側には、
  
助けを求めて「苦しんでいる人たち」がいっぱい居るのに、
  
その人達の存在は無視で、その人達は見殺しなんですか?
  
  
【「肉眼」でしか、「人間の存在」を捉えられないのですか? 】
  
  
そんな事はありません。
  
  
私は事実を伝えましょう。
  
  
・お金を払ってでも、問題を解決したい。
  
・でも、自分の問題を解決できそうな人や情報が見当たらない…
  
  
そんな人は、【 腐るほど存在している 】のです。
  
  
精神科、心療内科、カウンセラー、
  
いろいろ通っても、苦しみが全然減らない…
  
  
そんな人も、たくさん居るわけです。
  
  
スピリチュアル業界では、 
  
私から見れば何のエネルギーも放っていない、
スピリチュアルのアイテムを、
   
平然と高額で売っている人間もゴマンといます。
  
  
代表的なのは、
パワーの宿っていないパワーストーンとかね。
  
  
私の記事を読んでいる人は、知っていますよね?
  
  
たった今、そういった詐欺にあっている人たちが、
たくさんいる訳です。
    
  
オレオレ詐欺は、銀行や警察が
「気を付けて下さい!」って頻繁に啓蒙活動しています。
  
だから、「騙されるおばあちゃん」は減っていると思います。
  
  
じゃあ、心理やスピリチュアルの業界で、
そういう啓蒙活動をしているのは? 
  
私ぐらいじゃないですか?
  
  
だから、騙される人は全然減らないのです。
  
  
私の情報を理解している人は、 
 
【 詐欺を止めさせる情報 】を持っているのに、
なぜ詐欺を止めさせようとしないのですか?
  
  
それは、血まみれで倒れている人を発見して、
  
素通りして見殺しにするのと、何が違うのですか?
  
  
目の前で肉眼に映らない人間は、存在していないのですか?
  
  
【「命の恩人」と「見殺し」の中間 】は無いのです。
  
  
「命の恩人」を選択しなきゃ、それは「見殺し」という選択です。
  
  
大金の入ったバッグを拾ってしまったら、
  
【 盗むか? 警察に届けるか? 】 だいたいどちらかです。
  
  
盗んだら犯罪で、
警察に届けたら、持ち主から深く感謝されるでしょう。
  
  
これも、ほとんど【 中間が存在しない選択 】です。
  
  
「元の場所に置いておく」っていう選択も有り得ますが、
ほとんどの人は、そうはしないでしょう。  
  
  
たまたまです。
  
  
・たまたま、知ってしまった
・たまたま、見てしまった
・たまたま、遭遇した
  
  
それだけで、既に責任は発生しているのです。
  
  
困っている人を見つけて、自分が救える立場にある…。 
 
そんなときは、
  
【 恩人か、見殺しか? 】   
  
極端に、どちらかなのです。
  
  
そんなとき、
  
【「善行・善業」と「悪行・悪業」の中間 】は、
  
存在していないのです。
  
  
ただ知っている。 ただそれができる立場にいる。
   
 
特別な人間じゃ無くても、それだけで既に責任は発生しています。
  
  
で、私から見れば、
【「見殺し」を選択するヤツが多いなぁ 】と思う訳ですが、
  
  
でも、ただこの事を知らなかっただけかも知れません。
  
  
苦しんでいる人たちがいて、その人たちに対して、
  
・自分が何かしらの影響を与えられる「立場」にいる。  
・影響を与えられる「情報」を持っている。
  
  
その事を、知らなかっただけかも知れません。
  
  
でも、もう知ってしまった訳ですから、
  
今この瞬間から、責任は発生しました。
  
  
いえ、正確には過去からずっと責任は発生し続けているのです。
  
怖いから、あえて見ないようにしてきたんでしょ?
  
  
  
恩人か? 見殺しか?
  
  
極端に、どちらかしか選べない選択は、多いのです。
  
  
救急車を呼ぶくらいなら、
自分にはリスクがないので呼べるでしょう。
  
  
じゃあ、「他人から変な目で見られる」っていうリスクがあれば?
  
    
他人から「変な目」で見られる事を怖れて、
  
目の前の血まみれの人を、見殺しにするんですか?
  
  
それは、仕方の無い選択と言えますか?
  
  
ぜひ、自分の心に問うてみて欲しいですね。
  
  
自分に降りかかる「ほんの少しのリスク」を怖れて、
  
もう「人助け」を止めて、他人を「見殺し」にする人たち…。
  
  
そういう人たちの事を、私は【 偽善者 】と呼ぶのです。


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