2018年04月13日
「死の恐怖」を上回る苦痛
平和ボケしている人は、
タイトルだけで拒絶反応起こりそうですね(笑)
ただ、「勇気を持って現実を直視できる人間」だけが、
人生を思い通りにコントロールできるのです。
先日、人と話していて、
「死の恐怖」を乗り越える為の助言をしていました。
で、基本的に一般的な人々って言うのは、
【「死」に対するイメージ 】が悪すぎるんです。
私は、「死に対するイメージ」が悪くありません。
「イメージが悪く無い」から、【 怖くない 】のです。
じゃあ、なんで人々は「死」に対するイメージが悪いのか?
っていうと、
やっぱり、【 存在が消えて無くなってしまう事 】に、
ネガティブイメージがあるんですね。
まぁ、スピリチュアルの世界では、
魂は永遠であり、死後も意識は続くと言われていますが、
普通の人は、そういう教育を受けていないので、
無意識的に、【「死」=「消滅」】だと思っている訳です。
私は例えそうだとしても、
「無」から生まれて「無」に還るなら、
「別にそれでいいじゃん、自然じゃん」って思います。
私は、死ぬ事を「ゼロ」だと思っているんですが、
死を怖れる人は、死を「マイナス」だと思っているんです。
その基準が、私とは違う。
なぜ、死を怖れる一般的な人々は、
【 死を「マイナスの出来事」】だと捉えるのでしょう?
それは、
【 この世には、「死ぬより辛い事」が存在する 】
という事実を、
「知らないから、理解していないからだな…」と思います。
年間3万人近く…、ということは、
毎日、日本では80人近くの人が自殺している訳ですが、
そういう人たちは、実際に、
「死ぬより辛い苦痛」に遭遇しているのです。
「治る見込みの無い病気」による【 身体的な激痛 】だったり、
はたまた、
「誰も相談できる相手や味方」がいない、【 精神的な苦痛 】だったり…、
です。
自殺のニュースなんて、頻繁にやってるでしょ?
ってことは、
【 自殺した人は、「死ぬより辛い苦痛に遭遇した」】って事です。
これが、事実です。
でも、激しい苦痛に見舞われても、
実際に死ぬ人は一部ですから、
実際に自殺願望を持っている人は、
その「数十倍」は存在しているでしょう。
って事は、日本の中で「最低100万人」くらいの人は、
自殺願望に見舞われていると思います。
つまり、【 死ぬより辛い苦痛 】に遭遇しているのです。
日本の中で100万人って、普通に多いでしょう?
日本の中において、
交通事故で死ぬ人が、年間3000〜4000人です。
死にたくなるぐらいの苦痛に見舞われ、自殺願望を持つ可能性は、
【 交通事故に遭遇するより、よっぽど高い確率・割合 】って事ですよ?
「交通事故より可能性が高い」のに、
交通事故より、全然気を付けていないですよね?
水難事故で死ぬより、
「自殺願望を持つ可能性」の方が、よっぽど高いのです。
なのに、全然気を付けていません。
なぜか?
【 人生では、死ぬより辛い苦痛に遭遇する可能性がある 】
っていう「事実そのもの」から目を背けて、
「認識する事を拒絶しているから」です。
つまりは、現実を直視せず、事実を認めず、
【 現実逃避 】をしているのです。
飲酒運転をしながら、「自分は絶対に事故る訳が無い!」
と思い込もうとしている人と同じです。
私は、人生において、
【「死ぬより辛い苦痛」が存在している事 】を理解しています。
私にとっては、
「死ぬより辛い苦痛」こそが、【 マイナス 】です。
そして、「死ぬ事」は【 ゼロ 】なのです。
もし、自分の大切な人、愛する人が、
「治る見込みの無い病気」に罹って、
【 毎日、死ぬより辛い激痛 】に見舞われているとしたら、
私は、お医者さんに
「安楽死させてあげて下さい」ってお願いすると思います。
「死ぬより辛い激痛」が存在するなら、【 死は救い 】なのです。
人生の中で、辛い境遇の人もいると思いますが、
もし、自殺願望が沸いていないとしたら、
【 人生の底(地獄)というのは、まだまだ深い 】という事です。
「死ぬより辛い(精神的・肉体的)激痛がある」
という事実を知っているからこそ、
私は、【 死に対するイメージが悪く無い 】のです。
それに、現在生きている人も、
いずれ全員死ぬわけですし、いつ死ぬかもわかりません。
誰にでも訪れることを「マイナス」に捉えるのも、どうかと思います。
この世に生まれて、生きている事自体が、
既に「大きなマイナス決定」じゃないですか。
オギャーと生まれた時点で、死ぬ事は決定しているのだから、
死が悪い事だというなら、
赤ちゃんを産む事自体が、「悪い事をしている」
ってことになっちゃいますよ?
死ぬって事は、「ゼロ」なのです。
そう思えば、死の恐怖も和らぐでしょう。
「死に対する恐怖」を軽減したければ、
【 死ぬより辛く苦しい、肉体的苦痛、精神的苦痛が、
この世には存在している 】
その「歴然たる事実」を、ちゃんと真正面から認める事です。
「死の恐怖」を乗り越える事で、
自分の「生きたい人生」を、生きることが出来るのです。
それに、「死ぬより辛い事は存在しない」って思っていると、
現に今、「大きな苦痛を感じている人たち」を、
【 存在しないモノとして、無視している事 】になります。
「苦しんでいる人たちの存在」を感じていないのであれば、
「苦しんでいる人たちの為に、何かをしよう!」とも思いません。
「苦しんでいる人たちの存在を無視する」って、
私から見れば、【 とても冷たくて、非道い事 】です。
でも、それが「平和ボケしている人の意識」です。
平和ボケしている人は、
「苦しんでいる人の存在そのもの」を無視していて、
とても冷酷な態度なのです。
近くにイジメられている人がいても、
その存在すら見ないようにして、無視しているのです。
当然、「助けの声」を聞く気もなければ、
「助けの手を差し伸べてあげよう」とも思いません。
冷たいねー。
事実を直視しなければ、
「まともな感覚、まともな神経」を持つ事は出来ません。
「狂った感覚」と「狂った神経」は、
「狂った人生」と「狂った世の中」を生み出します。
まず、「感覚」と「神経」を【 まとも 】にする為には、
たとえ自分に都合の悪いことだとしても、
【 事実を直視して、認める事 】から始めなければなりません。
この話も、ニュースを見る時みたいに、
「想像力」と「感じる感覚」のスイッチを切って読んでいたら、
まったく意味が無いので、
レストランのメニューを眺めながら、
食べたい料理の味をイメージする様に、
ちゃんと【 想像力を働かせる事 】が重要です。
タイトルだけで拒絶反応起こりそうですね(笑)
ただ、「勇気を持って現実を直視できる人間」だけが、
人生を思い通りにコントロールできるのです。
先日、人と話していて、
「死の恐怖」を乗り越える為の助言をしていました。
で、基本的に一般的な人々って言うのは、
【「死」に対するイメージ 】が悪すぎるんです。
私は、「死に対するイメージ」が悪くありません。
「イメージが悪く無い」から、【 怖くない 】のです。
じゃあ、なんで人々は「死」に対するイメージが悪いのか?
っていうと、
やっぱり、【 存在が消えて無くなってしまう事 】に、
ネガティブイメージがあるんですね。
まぁ、スピリチュアルの世界では、
魂は永遠であり、死後も意識は続くと言われていますが、
普通の人は、そういう教育を受けていないので、
無意識的に、【「死」=「消滅」】だと思っている訳です。
私は例えそうだとしても、
「無」から生まれて「無」に還るなら、
「別にそれでいいじゃん、自然じゃん」って思います。
私は、死ぬ事を「ゼロ」だと思っているんですが、
死を怖れる人は、死を「マイナス」だと思っているんです。
その基準が、私とは違う。
なぜ、死を怖れる一般的な人々は、
【 死を「マイナスの出来事」】だと捉えるのでしょう?
それは、
【 この世には、「死ぬより辛い事」が存在する 】
という事実を、
「知らないから、理解していないからだな…」と思います。
年間3万人近く…、ということは、
毎日、日本では80人近くの人が自殺している訳ですが、
そういう人たちは、実際に、
「死ぬより辛い苦痛」に遭遇しているのです。
「治る見込みの無い病気」による【 身体的な激痛 】だったり、
はたまた、
「誰も相談できる相手や味方」がいない、【 精神的な苦痛 】だったり…、
です。
自殺のニュースなんて、頻繁にやってるでしょ?
ってことは、
【 自殺した人は、「死ぬより辛い苦痛に遭遇した」】って事です。
これが、事実です。
でも、激しい苦痛に見舞われても、
実際に死ぬ人は一部ですから、
実際に自殺願望を持っている人は、
その「数十倍」は存在しているでしょう。
って事は、日本の中で「最低100万人」くらいの人は、
自殺願望に見舞われていると思います。
つまり、【 死ぬより辛い苦痛 】に遭遇しているのです。
日本の中で100万人って、普通に多いでしょう?
日本の中において、
交通事故で死ぬ人が、年間3000〜4000人です。
死にたくなるぐらいの苦痛に見舞われ、自殺願望を持つ可能性は、
【 交通事故に遭遇するより、よっぽど高い確率・割合 】って事ですよ?
「交通事故より可能性が高い」のに、
交通事故より、全然気を付けていないですよね?
水難事故で死ぬより、
「自殺願望を持つ可能性」の方が、よっぽど高いのです。
なのに、全然気を付けていません。
なぜか?
【 人生では、死ぬより辛い苦痛に遭遇する可能性がある 】
っていう「事実そのもの」から目を背けて、
「認識する事を拒絶しているから」です。
つまりは、現実を直視せず、事実を認めず、
【 現実逃避 】をしているのです。
飲酒運転をしながら、「自分は絶対に事故る訳が無い!」
と思い込もうとしている人と同じです。
私は、人生において、
【「死ぬより辛い苦痛」が存在している事 】を理解しています。
私にとっては、
「死ぬより辛い苦痛」こそが、【 マイナス 】です。
そして、「死ぬ事」は【 ゼロ 】なのです。
もし、自分の大切な人、愛する人が、
「治る見込みの無い病気」に罹って、
【 毎日、死ぬより辛い激痛 】に見舞われているとしたら、
私は、お医者さんに
「安楽死させてあげて下さい」ってお願いすると思います。
「死ぬより辛い激痛」が存在するなら、【 死は救い 】なのです。
人生の中で、辛い境遇の人もいると思いますが、
もし、自殺願望が沸いていないとしたら、
【 人生の底(地獄)というのは、まだまだ深い 】という事です。
「死ぬより辛い(精神的・肉体的)激痛がある」
という事実を知っているからこそ、
私は、【 死に対するイメージが悪く無い 】のです。
それに、現在生きている人も、
いずれ全員死ぬわけですし、いつ死ぬかもわかりません。
誰にでも訪れることを「マイナス」に捉えるのも、どうかと思います。
この世に生まれて、生きている事自体が、
既に「大きなマイナス決定」じゃないですか。
オギャーと生まれた時点で、死ぬ事は決定しているのだから、
死が悪い事だというなら、
赤ちゃんを産む事自体が、「悪い事をしている」
ってことになっちゃいますよ?
死ぬって事は、「ゼロ」なのです。
そう思えば、死の恐怖も和らぐでしょう。
「死に対する恐怖」を軽減したければ、
【 死ぬより辛く苦しい、肉体的苦痛、精神的苦痛が、
この世には存在している 】
その「歴然たる事実」を、ちゃんと真正面から認める事です。
「死の恐怖」を乗り越える事で、
自分の「生きたい人生」を、生きることが出来るのです。
それに、「死ぬより辛い事は存在しない」って思っていると、
現に今、「大きな苦痛を感じている人たち」を、
【 存在しないモノとして、無視している事 】になります。
「苦しんでいる人たちの存在」を感じていないのであれば、
「苦しんでいる人たちの為に、何かをしよう!」とも思いません。
「苦しんでいる人たちの存在を無視する」って、
私から見れば、【 とても冷たくて、非道い事 】です。
でも、それが「平和ボケしている人の意識」です。
平和ボケしている人は、
「苦しんでいる人の存在そのもの」を無視していて、
とても冷酷な態度なのです。
近くにイジメられている人がいても、
その存在すら見ないようにして、無視しているのです。
当然、「助けの声」を聞く気もなければ、
「助けの手を差し伸べてあげよう」とも思いません。
冷たいねー。
事実を直視しなければ、
「まともな感覚、まともな神経」を持つ事は出来ません。
「狂った感覚」と「狂った神経」は、
「狂った人生」と「狂った世の中」を生み出します。
まず、「感覚」と「神経」を【 まとも 】にする為には、
たとえ自分に都合の悪いことだとしても、
【 事実を直視して、認める事 】から始めなければなりません。
この話も、ニュースを見る時みたいに、
「想像力」と「感じる感覚」のスイッチを切って読んでいたら、
まったく意味が無いので、
レストランのメニューを眺めながら、
食べたい料理の味をイメージする様に、
ちゃんと【 想像力を働かせる事 】が重要です。
ツイート mixiチェック
haxe501 at 17:33│clip!