2018年04月01日

他者から注がれる「愛」を感じる感覚

今回は、人生における最大の精神的苦痛である、
「絶望」について書こうと思いましたが、
  
やっぱり止めました。
  
  
先ほど、
はこぶね倶楽部メンバー全員の精神状態を眺めていて、
  
どうも不可解な点があったので、その部分を分析していました。
  
  
「感じる感覚」が高い人でも、
  
・潜在意識内の「ポジティブな勢力」や、
・人生の分岐における「ポジティブな選択」が、
  
【 比例して増えている訳では無い 】のです。
  
  
これは、ただ「感じる感覚」を高めたからと言って、 
必ずしも、ポジティブになっていく訳では無い事を示しています。
  
  
それよりも、
【 もっと重要で根本的な要素がある 】という事です。
   
  
で、少し考えてすぐに閃きました。
  
  
【 他者から自分に注がれている愛を、どれだけ感じられているか? 】
  
  
これが、ポジティブな生き方をする為には必須なのです。
  
  
ホームレスでも、
  
ボランティアで炊き出しをしてくれる、
「赤の他人」から愛されているのです。
  
  
あらゆる人は、「既に他人から充分に愛されている」のに、
  
それを、【 当の本人がまったく感じられていない… 】 
  
  
これこそ、不幸の原因です。
  
  
で、「感じられない」と言っても、
感覚器官に問題がある訳では無く、 
  
無意識で【 感じたくない理由がある 】という事です。
  
  
他人から既に注がれている愛を
感じたくない理由があるにも関わらず、
  
そのくせ、「愛されたい」と願っているのです。
  
  
矛盾しまくりです(笑)
  
  
例えば、わかりやすい例でいうと、
  
他人から親切にされるって事は、
他人から愛されているって事です。
  
  
他人から親切にされても、
「自分が愛されている」と思えない人は、 
  
・「親切なんて、大した価値が無い」と思っているか…、
・そもそも、「親切にされている」と認識できていないか…、
・「何が裏があるんじゃないか?」と親切心を疑っているか…、
  
  
まぁ、そんな所じゃないですか?
  
  
他人から何かしてもらっても、
上記の様な、【 うがった見方・捉え方 】をしているから、 
  
愛を感じられないのでしょう。
  
  
それは、

【 他者からの愛を感じたくない理由 】が存在しているからです。
  
  
私は他人から親切にしてもらったら、
「優しいなぁ! 有り難いなぁ!」と、素直に思えますが、
  
ほとんどの人は、そう思えないのでしょう。
  
  
それって、【 すげぇ傲慢な態度 】だと思います。
  
  
日本人が、「親切に大した価値が無い」と思っていても、
外国人は、その親切に驚いてくれるから、
  
外国人が「日本の親切やおもてなし」に感動する話を、
日本人は好きなのでしょう(笑)
  
  
日本人より外国人の方が、
    
【 他者からの愛を感じる感度が高い 】のです。
  
  
  
日本人の傾向として、
  
【 他者からの愛を感じたくない理由 】があって、
  
そのせいで、先進国の中で幸福度が低く、
自殺率が高かったりするのでしょう。
  
  
例えば、「愛される事」や「愛を求めること」を、
   
【「弱い人間のやる事」だと、ネガティブに定義している… 】
  
とかね。
  
  
他にも、他者から愛される事自体に、
「強い恐怖心」を感じている人も居るでしょう。
  
   
・裏切られるのが怖いのか?
・自分は愛されると思ったときに、直面するトラウマがあるのか?
  
そんな所でしょう。
  
  
とにかく、ポジティブな生き方ができない人は、
  
「他者から注がれる愛」に対して、【 不感症 】です。
  
  
これも日本人の国民性ですかね。
  
  
何よりも「仲間はずれ」を怖れ、
「和」からはみ出す事、「和」を乱すことを怖れ、
  
「他人に合わせる為」に生きていて、
  
他人に親切にするのも、自分に自信が無いから、
「他人からの評価が下がるのが怖いという動機」で、
   
「自分の愛」も「他人の愛」も、わからなくなっているのです。
  
  
日本人ほど、
  
「和」を重視するあまり、「個」を尊重せず、
「個」に対する自信が無く、  
  
「個に注がれる愛」が、
感じられなくなっている民族も珍しいでしょう。 
  
  
マジで、過剰すぎるほどの【 全体主義 】です。
  
正直言って、キモいです。
  
  
全体(平均)に合わせる為に、
「個を押さえつけ、潰すのが正しい」と思い込んでいるのです。
  
だから、日本からは天才が生まれにくいし、
もし生まれても、海外に流出していくのです。
  
  
日本の今の教育を見ていると、日本は「沈む大船」です。
  
  
でも、沈むと言っても、
「小さい船」より「大きい船」に安心するのが、日本人です。
  
  
「自分一人だけ幸せになる」より、
「みんなで一緒に不幸に突入していく方」が好きなのです。
  
  
自分一人でも幸せになった方が、
他人の幸せに貢献できるのに、
  
「自分の幸不幸」より、「他人の幸不幸」より、
何よりも、【 みんな一緒 】が一番大事。
   
  
不幸に突入していくとしても、
【 みんな一緒 】が一番大事なのです。
    
  
私には共感も理解もできませんね。
  
  
自らを「和(全体主義)の中に押し込むこと」を最優先としているから、 
 
【 他人から自分に注がれる愛 】が分からないのでしょう。 
  
  
【 自分という「個」】に注がれている愛が、わからないのです。 
  
  
かといって、全体の為に死ぬほどの覚悟もないし、
  
個より全体を優先しているのも、自分が傷つかない為であって、
  
全体の為に我が身を犠牲にする意志も無く、
  
結局は【 自己保身の塊 】です。
  
  
全てではありませんが、
  
自己保身しか考えない人間が非常に多い。
  
  
それが、日本人です。 
  
  
政治家を見ていればわかるでしょう?
  
国会議員は、
日本人の代表であり、総意を表しているのです。
  
  
「政治家って、日本の為に頑張ってると思いますよ?」
   
っていう人は、建前と本音が見抜けていないだけです。
  
  
善人ぶっているのも、
結局は選挙で選ばれるためのパフォーマンスです。
  
  
例えば、ヤフーニュースのコメント欄に、
  
「日本の為にこうするべきだ!」って書き込む人いるでしょ?
  
  
そういう人の中で、
本気で世の中の事を考えている人は少ないのです。 
  
  
真面目な正しい事を主張して、
賢い人ぶりたい、良い人ぶりたいのです。
  
  
でも、正論を言うだけなら簡単です。
  
【 実行してこそ、本物 】です。
  
  
「政治家は、正論を実行できますか?」って。
  
  
正論は言えても、実行できない人が圧倒的多数でしょう。 
  
  
だから、本音ではなく、建前なのです。
  
  
国民も、良い人ぶりたいし、
政治家も、良い人ぶりたいのです。
  
  
それを、「実際に良い人だ」と勘違いしてはいけません。 
  
  
私は、「口だけ人間」をたくさん見てきましたから。
  
  
良い事を言う。 正論を言う。
  
でも、自分自身がリスクを背負ってまで実行しない。 
  
  
それは、【 本物 】じゃないんです。
  
  
全体の為に、我が身を犠牲に出来てこそ、
  
本物の「全体主義」ですが、
  
  
それが出来ないのであれば、
  
ニセモノの全体主義であり、ただの【 保身目的 】です。
  
  
結局、日本人は、
「全体からはみ出すと、愛されない」と思っているのでしょう。 
   
だから、保身の為に全体を優先するパターンが染みついている。
  
  
実際は、全体からはみ出そうが、
  
ホームレスぐらい落ちぶれようが、自分に愛は注がれるのです。
  
  
日本人は、「愛される自信」が無さ過ぎて、
  
【 既に自分に注がれている愛すらも、感じられない 】のです。
   
   
まぁ、私が他人に注ぐ愛などは、
大きすぎて理解できないでしょう(笑)
  
  
まず、【 愛される自信 】を高めなければ、
  
ポジティブな生き方も出来ないし、幸せになる事もできません。
  
  
でも、愛される事を感じたくないってことは、
  
無意識が拒否しているって事ですし、 
 
・「愛される事を感じよう」とすることには、
・「愛される自信を高めよう」とすることには、
  
【 恐怖がある 】って事です。 
   
   
自分が既に愛されている事を感じる事にすら、
  
【 勇気 】が必要なのです。
  
  
「勇気」を持てない人は、
  
心理を学んで多少のストレスは減らせるでしょうが、  
それで行き止まりで、
  
それ以上、幸せになれないのです。
  
  
【 ストレスを減らす事 】と【 満たされていく事 】は違います。
  
  
ストレスを減らすのは、割と簡単です。
  
低レベルな心理のプロでも、多少は出来るでしょう。
  
  
でも、満たされていくことは、次元が違います。 
  
本人の勇気も必要だし、サポートには卓越したプロが必要です。
  
  
・多少の向上心が芽生えても、
 ストレスを減らしてそこでストップ。
  
・それ以上の幸せなど求めない。
  
・自分が愛されている事など感じたくない。
  
・あとは、保身が最優先。
  
  
それが、日本人の傾向です。 
  
  
孤独が怖いのでしょう?
  
「孤独は、愛されていない事だ」と思い込んでいるから。
  
  
日本人が抱える怖れは、【 孤独への怖れ 】です。
  
それが、世界において稀なほどの大きさです。
  
  
しかし、孤独感を通り抜けた先に、
  
「真の人間関係」と、「真の幸せ」が待っています。
  
  
ただ目の前に他人に合わせているだけだと、
  
それは、孤独感から一時的に逃避するために、
「傷を舐め合っている」のと同じ事です。
  
  
多くの人々にとって、
  
・「愛される自信」を高めていくことと、
・「孤独感」を乗り越えていく事は、
   
きっと連動しているのでしょう。
  
  
「愛される自信」を高めようとすると、
「潜在意識下に溜め込んだ孤独感」を感じて吐き出さなきゃならない。
  
それがイヤで、
【 ずっと孤独感を潜在意識に溜め込み続ける選択 】をしている。
  
  
私はこれまでの人生において、
究極とも言えるほどの孤独感を味わってきました。
  
だからこそ、私は【 愛を感じられる 】のです。
   
  
だからこそ、「他人の評価」が気にならないし、
  
「他人からどう思われるか?」を怖れないのです。
  
  
愛を感じられるから、
勇気を出せるし、自分の本心に従えるのです。
  
  
愛は、誰に対しても既に注がれています。
  
なんてったって、ホームレスですら、
ボランティアの人から愛されているのです。
  
  
自分への愛を感じられないから、
「全体からはみ出す事」を、極度に怖れ続けているのです。
  
「自分が愛されている事」を感じられたら、
「全体からはみ出す事」など、まったく怖くありません。
  
  
孤独を極度に怖れているから、
自分に向けられた愛がわからないし、
  
自分一人で幸せになるより、
みんな一緒に不幸になる方がまだマシだと思うのでしょう。
  
  
勇気を持って、
  
【 自分に向けられた愛を感じる、理解する、受け取る 】
  
  
それが出来なきゃ、次に進めません。


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