2018年03月31日

麻酔中毒者

自分の本心・本音、
潜在意識下の情熱・意志・感情・願望を知るには、
    
とにもかくにも、
【 感じる感覚 】を取り戻さなければなりません。
  
  
あらゆる幼児は、
「感じる感覚」が正常なハズなのに、
  
成長過程において、または社会人になるにつれ、
その「感じる感覚」を閉ざしていくようになるのです。  
  
  
まぁ、「閉じている人間」ばかりと会って会話していると、
自分も知らない間に影響を受けて、無意識的に閉じて行くのです。
  
  
  
先日、人と会っているときに、
「幼児の性質」について語りましたが、 
  
人間というのは、何も意識しなければ、
とにかく「エネルギー消費が少なくて済む方」を選択します。
  
  
幼児が連続して、またはコロコロと、
「自分のやりたい事」をやり続けるのは、
  
やりたい事をやる方が、
【 消費するエネルギーが少なくて済むから 】です。 
  
  
私も、会話や記事などで、
人にメッセージを伝えようとする時には、
  
非常に高い集中力を発揮していますが、
  
それでも、【 やりたい事だから、疲れない 】のです。
  
(※ 私が疲れる理由は、ほぼ邪気・邪念・怨霊の類いの影響)
  
  
私が「自分のやりたくない事」をやろうとすると、
やりたい事の「一万倍」くらいのエネルギーが必要で、
  
実際にやるとなるなったら、極度に疲れてしまいますね。
  
  
だから、やりたくない事に関しては、
他人に頼んだ方が良いのです。
  
  
人間は、「やりたい事」をやる方が、
【 エネルギーの消費が少なくて済む 】のです。
    
  
さらに、「信じる」と「疑う」だったら、 
 
「信じる」の方が、
【 圧倒的にエネルギ−の消費は少なくて済み 】ます。
  
  
それに、疑うためには「情報」が必要です。
  
オレオレ詐欺も、
「オレオレ詐欺って言うのがありますよ!」
  
って、ニュースなどで知るから、警戒する様になるのです。 
  
掛かってきた電話を、疑う様になるのです。
  
  
・騙す人間がいる
・人は真実ばかりを語らない
・巷に出回る情報は本当の事ばかりじゃない
  
そういう情報を得て初めて、
人は「疑うこと」を覚えるのです。
  
  
子供は、そもそも「得ている情報」が少ない訳ですから、
  
親と学校が、「同じ情報」を提供するなら、
もう疑う余地など無いのです。
  
  
だから、一部の例外を除いて、ほとんどの子供は、
  
キリスト教の家庭に生まれたらキリスト教に染まるし、
イスラム教の家庭に生まれたらイスラム教に染まるのです。  
   
(※ 一回何かに染まってから、真っ白に戻すのは大変ですが…)
  
  
学校が、「1+1=2」と教えて、
親も、「1+1=2」と教えたら、
  
それを真実だと思い込みます。 
  
  
学校が、「1+1=2」と教えて、
親が、「1+1=3」と教えたら、
  
あれ? どっちかがウソを付いているのかな?
   
と、初めて【 疑うこと 】を覚えるのです。
  
  
幼児は、
  
・やりたい事をやろうとするし、
・得ている情報が少ない分、何でも鵜呑みに信じてしまう
  
それは、「エネルギーの消費量が少ない」から…。
  
  
これが、【 幼児の性質 】です。
  
  
それで、残念ながら、
  
親や学校から、
  
生きていく為には、  
【 やりたくない事をする方が正しい 】
  
と教育されていき、それをそのまま信じるのです。
  
  
「やりたくない事をやる方が正しい」と教育されると、
「自分の本当のやりたい事 」は邪魔になりますから、
  
そういう気持ち(情熱・意志)を、感じない様にしていきます。
  
  
そして、幼児の時には正常に働いていた感覚を閉ざして、
    
自分の本心・本音、
潜在意識下の情熱・意志・感情・願望がわからない、
  
【 感覚障害者 】に育っていくのです。
  
  
で、感覚障害者になるから、
  
「他人が抱えている苦痛」もわからなくなります。
  
  
自分の「本音・本心・情熱・意志」も感じられないし、
「精神的苦痛・ネガティブ感情・不快感」も感じられません。
  
そういうのを感じないように、麻痺させている状態です。
  
    
言うなれば、
痛覚を麻痺させる為の麻酔を打っている様なモノです。
  
  
ずっと自分の心に麻酔を打って、
「精神的な痛み」から逃げ続けてきているのです。
  
それはまるで、麻酔ジャンキー(中毒者)です。
  
  
で、その麻酔を止めて、
  
幼児の頃と同じような、
「正常な感覚」を取り戻そうとすると、どうなるでしょう?
  
  
今まで麻酔を打って「無視して来た痛み」が、
  
一気に感じられる様になると思いません?
  
  
それが怖いから、麻酔と麻痺を止められないのです。 
  
  
でも、麻酔で痛みを麻痺させている状態は、
  
ハッキリ言って、異常です。
  
  
麻酔を打って麻痺していて、
  
「自分の本心や痛み」を無視するような、
【 異常な感覚 】になっているから、
  
社会の異常(ネガティブ要素)にも気付けないのです。 
  
  
もし異常な情報を見ても、感情移入できずに、
「自分には関係無い事だ」と思うのです。
  
  
私はネガティブな人と会話している時に、
  
相手が私にとって、
すごく不可解な感覚を持っている事があります。
  
それは、【 自分の人生が他人事に思える 】です。
  
  
これぞまさに、【 感覚障害 】でしょう。 
  
  
私は、自殺願望を持っているときも、
自分の持っている感覚はそれなりに正常だったと思います。 
  
  
もともと持っている感覚が鋭敏なのもあると思いますが、
  
感覚が正常だったからこそ、
精神的に激痛を感じていたのかも知れませんし、
  
そこから逃れられなかったのかもしれません。
  
  
だから私は、自分の感覚器官を切断して、
  
【 自分の人生が他人事に思える 】という状態に、
  
私は陥ったことがありません。
  
  
経験が無いから、私にはその感覚がわかりません。
  
  
でも、「自分の人生が他人事に思える」と言っても、 
  
「自分の人生がどうなっても良い」という訳では無くて、
  
そういう人こそ、
実際には、「死に対する恐怖」は誰よりも強い訳です。
  
  
「なんか、自分の人生じゃないみたい…」と言いつつ、
  
頭に銃口を突きつけられたら、
誰よりも「絶対に死にたくない!」と、保身に走るでしょう(笑)
  
  
実際に死に直面することで、
「生きている感覚」が取り戻せるんじゃないですか?(笑)
  
  
「自分の人生が他人事に思える」っていうのは、
  
「痛み」から一時的に逃れるための【 麻酔状態 】です。
  
  
自分の潜在意識は、まったくそんな事思っていないのです。
  
  
その自分の潜在意識の声を遮断しているから、
  
自分自身がわからないし、生きている感じがしないし、
人生も他人事に思えるのです。 
  
  
自分を生きていないのだから、他人事に思えるのです。
  
自分の本音や本心に従って、自分らしく生きていないのだから、
他人事に思えるのです。
  
  
要するに、自分の本音・本心に従わずに、
  
【 保身・延命が動機の、建前で生きている 】という事です。
  
  
建前で生きすぎて、本心がわからなくなっている状態です。
  
それが、【 自分の人生が他人事に思える状態 】です。
  
  
で、「保身と延命の動機」が強い人ほど、 
  
潜在意識下に抱える
「ネガティブ感情と恐怖心」が強いのです。
  
  
強すぎるから、
感じたくなくて麻痺させているのです。  
  
  
「痛み」と向き合うのは怖いかも知れませんが、
とりあえず、その麻痺を止めていかないと、
  
本当は誰よりも強い恐怖心を抱えているのに、
麻痺によってそれを感じないように生きているので、
  
死ぬまでずっと他人事です。  
  
  
で、実際に死ぬ直前になって、自分の本音が少し見えたときに、 
   
【 自分の正体 】を知ることになるのです。
  
  
情熱がわからない、他人事に思える…という人は、
  
感じる感覚を麻痺させて、感覚障害に陥っているのです。
  
  
情熱がわかる事と、精神的な痛みがわかる事は同じです。 
  
  
「痛み」を避けているから、「情熱」もわからないのです。 
  
   
麻酔を切って、
己が実際に抱えている「激痛」と向き合って初めて、
  
自分の本心・本音、
潜在意識下の情熱・意志・感情・願望が理解できるのです。
  
  
つまりは、幼児の頃の正常な感覚を取り戻せる訳です。
 
  
そうして初めて、
ようやく「人間らしく」生きられる様になるのです。
  
  
まぁ、どう生きるかは個人の好みですから、
  
ネガティブに生きたい人は、麻酔を続けてもらって、
  
ポジティブに生きたい人は、
まず自分が麻酔を切りたいかどうか?を感じる事です。


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