2018年03月27日

死と苦痛の関係

昨日は弟子に会って、
「恐怖の克服」に関する相談に乗っていましたが、
  
また、「死の恐怖」を克服していく上で、
役に立つ話を閃きました。
  
  
私にとっては、ごく自然にやっている事なのですが、
  
私にとっては自然すぎるので、
「この習慣が大事なんだ!」と気付くには、 
  
他人の相談に乗って、
「どこで躓いているか?」を知って、
    
その解決手段を考えるのが一番です。
  
  
私にとって、他人の相談に乗っている時というのは、
  
「良い教え方・伝え方」を閃く為の、有益な機会なのです。
  
  
私は、何度も書いている通り、
中学3年生の時に自殺願望を抱きました。
  
毎晩、自宅マンションの最上階から地上を眺め、
飛び降りるかどうか?迷っていたのです。
   
   
別に、イジメられていた訳ではありません。
  
  
寝ることも遊ぶことも断って「受験勉強」をしていたので、
そのストレスが非常に大きかったのと、
  
もうひとつの理由が、「正義」です。
  
  
当時の自分は、「己の正義」に従って生きていました。
  
まぁ、今もですけど。
  
  
で、当時は「ルールを守ることが正義」だと信じて、
  
自分自身もルール(校則)を守ることを重視し、自分を縛り、
他人がルールを破るときには、悪者として裁きまくっていました。
  
  
それが、「良い事」だと信じて疑っていませんでした。
  
  
しかし、先生もクラスメイトも、私の味方をしませんでした。
  
真面目に、「己の正義」に従って生きているのに、
むしろ、「悪者扱い」される自分が居て、
  
【 良い事をしようとしている人間が、不幸になる世の中 】
  
に、絶望したのです。
  
  
それから、学校に行きたくなくなりました。
  
  
でも、親は学校に行かせようとするし、
それも非常に大きなストレスでした。
  
  
受験が控えている大事な時期に、
私のそれまでの世界観は、崩壊してしまったのです。  
  
  
何も「やる気」が無くなって、でも「勉強ができない事」も怖かった。
  
受験に失敗したら、「人生お先真っ暗」だと思っていたからです。
  
  
で、不登校児になっても、
高校に進学しない事も怖かったので、一応受験はしたんですが、
  
受験する学校のランクを落としても、それでもその学校に落ちたのです。
  
  
今思えば、きっと「内申点」が相当低かったんでしょうね(笑)
  
  
まぁ、期末テストの点数がそれほどだったのもあるでしょうし、
  
先生から見れば、
私はクラスメイトと揉め事を起こす問題児に映っていたでしょうから。
  
  
まぁ、「滑り止め」は合格したんですが、第一志望には落ちて、
  
また相当落ち込んで死にたくなりました(笑)
  
  
   
それで、弟子から、
  
「どうやって自殺を思いとどまったんですか?」
  
と聞かれました。 
   
  
まぁ、自分が死んだら親が悲しむっていうのと、
  
当時、好きな女の子がいて、
  
その子はどう思うだろう? とか、
その子にもう会えなくなるな…とか、 
  
  
自分が飛び降りたら、

・自分の死体を見て、第一発見者はどんな反応をするだろう?
・学校ではどんな風に知らせられるんだろう?
・自分の葬式ってどんな感じだろう?
  
とか、
そんな事を考えているうちに、飛び降りれませんでした。
  
  
で、非常に長かったですが、これは「前置き」です(笑)
  
  
当時の自殺願望を抱いている自分は、
「死んだ方がマシだろう」と思うくらいに、
  
布団の中にいても、息を吸うだけでも、
「耐えがたいほどの精神的苦痛」を感じていたのです。
  
  
それで、何回も言っている様に、  
今生きている人類70億人も、いずれみんな死ぬんです。
  
  
大抵の人間って、「みんな一緒」が好きでしょ?
  
  
例え、「やりたくない事」でも、「無意味」だと思っていても、
  
・みんなが学校に行くから、自分も行く
・みんなが受験勉強するから、自分もする
・みんなが就職活動するから、自分もする
  
そんな感じで、生きてるじゃないですか?
  
  
でも、「みんなと一緒に死ぬ」のは、イヤなんですね(笑)
  
他人がみんな死んでいくとしても、自分だけは死にたくない(笑)
  
  
「どないやねん!」 ですよ(笑)
   
   
それぐらい人間は、「死ぬ事」だけはイヤがるのです。
  
  
でも、自殺願望を抱いている人って言うのは、
  
そんな【「死ぬのがイヤ」を軽く上回るほど 】の、
  
強大な精神的苦痛を感じているのです。
  
  
そんな【 死ぬより辛いほどの苦痛 】を感じている人が、
この世の中には、非常に数多く存在しています。
  
  
「死ぬより辛い苦痛」を感じている人にとっては、
  
死ぬ事は、【 救い 】に思えるのです。
  
  
前にも言いましたが、
  
自分が、ドラム缶にコンクリ詰めされて、海に沈められた。
  
それでも死なずに生きていたら、最悪です。
  
  
ドラム缶にコンクリ詰めされて、
それでも自分が生きているときに、天の使いがやってきて、
    
「殺してやろうか?」って言われたら、
  
「お願いだから殺して下さい!」って感じでしょ?
  
  
死を怖れている人は、
   
「お願いだから、私を殺して下さい!」って思うほどの、
肉体的苦痛・精神的苦痛を抱えている人が、
  
この世に多く存在しているのに、
その人たちの境遇について、知ろうともしていません。
  
  
【 この世には、人生には、
 「死ぬより辛い苦痛が存在する」】
  
これも、事実です。
  
  
死を怖れる人は、
  
その「事実」を理解していないのです。
  
  
死ぬより辛い苦痛が存在しているのであれば、
  
死が「救い」になる事だってある訳です。
  
  
精神的苦痛の場合は、さきほど説明したとおりですが、
  
  
肉体的苦痛だったら、拷問されたりもそうですし、
  
大きな病気になって、激痛に苦しんでいるのに、
その病気は治る見込みがまったく無い…、
  
  
そんな時が、「死んだ方がラクになれるし、マシだ…」
  
と思うシチュエーションでしょう。
  
  
この世界には、この日本には、
  
「死んだ方がマシだ!」と本気で思えるくらいの、
肉体的苦痛、精神的苦痛に耐えている人が、たくさん居るんです。
  
  
  
明日学校に行ったら、
クラスメイトから拷問級のイジメを受けるとわかっているのに、
  
親から「学校に行け!」と言われる学生とか…。
  
  
だいたい、自殺したい人って言うのは、
「逃げ場」が無い人なんです。
   
誰も相談できる人がいないし、話し相手がいても、
自分の気持ちをわかってもらえていないのです。
  
  
  
そんな人たちの抱える苦痛に比べたら、
  
私のブログを読んだくらいで、ギャーギャー騒いでいるのは、
  
医者から注射(ワクチン)を打たれて、
被害者意識を感じて泣き叫んでいる、小学生と変わりません。
  
  
要は、考えが「ヌルすぎる」んですよ。
  
  
考えがヌルすぎるから、
  
ちょっとした苦痛でもギャーギャー騒ぐし、
自分が死ぬ事も、オシッコちびるぐらいに怖いのです。
  
  
平和ボケしている人たちは、
もっとこの世の「苦しんでいる人たち」の事を知った方が良い。
  
  
私は、この世の「苦しんでいる人たち」と、
「死んでいく人たち」に感情移入しています。 
  
  
それが、私の習慣です。
  
  
例えば、映画、マンガ、アニメ、ゲーム…、
  
何を見ても、誰か死んじゃうでしょ?
  
  
登場人物が死なない物語なんて、
「児童向けの物語」ぐらいじゃないですか?
  
  
私は、物語をみて、
  
苦しんでいる人、死んでいく人が出てきたら、
  
・どのように苦しいのか? どれくらい苦しいのか?
・死に際して、何を感じ、何を考えているのか?
  
という事を、事細かにイメージします。
  
  
例えば、ジャンヌ・ダルクは、火あぶりの刑になったらしいですが、
  
「自分の身体が燃やされていく感覚ってどんなんだろうな?」
「どれくらいの恐怖や苦痛を感じるんだろう?」
  
という風にです。
  
  
それを私は、物語の人が死ぬシーンに触れる度に、
何度も、何度も、何度も、何度もしています。
  
  
それは、言い換えれば、
  
【 自分が死ぬ時のシミュレーションをしているのと同じ 】です。
  
  
さらに他の言い方をすれば、
  
私は、【 自分が死ぬイメージトレーニング 】をしているのです。
   
  
それを、これまで人が死ぬシーンを見る度に、
何万回もやってきているから、
    
死ぬ覚悟くらい、できるのです。
  
  
それが、死をビビっている人と、私の習慣の差です。
  
  
人と同じモノ(物語)を見ても、
  
そこから濃い学びを得て、何かを吸収する人もいれば、
そうしない人もいるのです。
   
   
そして、
   
【 苦しんでいる人たちに対する想像力 】が欠如しているから、
    
人類は、他者に対して冷たい振る舞いをしているのです。
  
  
日本人は、苦しんでいる隣人に対する共感能力が足りません。
  
  
例えば、ラスベガスで「銃の乱射」がありましたが、 
そこに自分が居て、自分の隣の人が殺されたらどうですか?
  
何を感じますか?
  
  
・「人はいつ死ぬかわからない」とか、
・「生きている事は当たり前じゃ無い」とか
・「この世の中は何かおかしいんじゃないか?」とか、
  
いろいろ、感じたり考える事はあるでしょう?
  
  
イギリスやドイツでも、
自動車で人混みに突っ込むテロがありますけど、
  
自分の親しい人が轢き殺されたらどう思います? 
  
  
自分の職場の同僚が、
包丁を振り回す無差別殺人で殺されたらどう思います?
  
  
自分が直接目にしたら、そういう事を感じるのに、
「ニュースとして見ただけ」では、何も感じられないのです。
  
それが、【 想像力の欠如 】です。
  
  
想像力というより、「想像(イメージ)する意志」ですね。
  
  
私は、遠い国で起こっている事でも、
  
その場に自分が居たら…?
被害に遭うのが自分や親しい人だったら? と想像して、
  
「当事者意識」を持つことができます。
  
  
平和ボケしている日本人には、そういう発想は無いでしょう。
  
  
「目の前が平和」だったら、
「全世界が平和だ」と、どえらい勘違いしているのです。
  
もしくは、他国でテロや無差別殺人が起こっても、
自分には一切関係の無い、「対岸の火事」です。
  
  
自分の目の前が平和でも、
  
まさに今この瞬間、
「もう死んだ方がマシだ!」というくらいの、
  
激しい肉体的苦痛・精神的苦痛を抱えている人が、
世界中にゴマンと存在しているのです。
  
  
だから、現在の私自身の生活は至って平和ですけど、
  
【 この世の中はオカシイし、狂っている 】と思えるのです。
  
  
  
今、死にたいぐらいの精神的苦痛を感じている人に対して、
  
私は、非常に良い経験をしているなと思います。
  
  
それは修羅場ですけど、
  
修羅場をくぐるから人は強くなるし、平和ボケも治ります。
  
  
私も、自殺願望を経験し、
それを乗り越えて本当に良かったと思っています。
  
  
過去の「苦痛に耐えた自分」を、
最大限に賞賛し、賛辞を送りたい。
  
  
死を怖れている人は、
  
【 この世には死ぬより辛い苦痛が存在する 】
  
この事実も、潔く認めて頂きたいと思います。
  
  
【 死ぬより辛い「苦痛」や「絶望」】が存在するなら、
  
死ぬ事は「救い」にもなるのです。
  
  
それが、【 安楽死 】というヤツです。
  
  
「死ぬ事が救いになり得る」と思ったら、 
  
死に対するイメージも、
少しはポジティブになってバランスが取れるでしょう。
  
  
自分の人生でそこまでの苦痛を感じたことが無いのであれば、 
 
「死ぬほど苦しんでいる他人、死んでいく他人」に
  
【 感情移入 】する事です。
  
  
そうしたら、
  
【 今の自分が「どれだけヌルい感じ」で生きているか? 】
   
って事も、客観的にわかるでしょう。


mixiチェック

haxe501 at 12:34│clip!