2018年03月20日

チカラに伴う責任

有名な「ブラックジャックによろしく」 
という漫画があります。  
   
  
第2巻は、心臓外科の話です。
  
  
そこで、北三郎という心臓外科医が登場するのですが、
  
その北三郎のセリフに、
  
「極論すれば、俺はこの手で何人もの患者を殺している。
 殺したんだ。 その自覚が無い者は医者をすべきではない。」
  
というモノがあります。
  
  
BJ

  
(著作権がフリーなので、ネット上にて無料で読めると思います。
 前後のストーリーが知りたい人は、読んで下さい。)
  
  
私はリアルタイムに単行本を買って読んでいましたが、
たぶん、高校生の頃ですね。
  
当時の若い私には、
   
・なぜ、そういう発言に至るのか?
・なぜ、患者を殺したと思わなければならないのか?
   
その根拠がわかりませんでした。
  
  
今なら、
  
よーーーくわかります。
  
  
  
一言で言えば、
「それくらいの責任感を持て!」って事です。
  
  
もし、自分が関わった患者が死んだとき、
  
・手に負えなかったから仕方無い
・自分は悪く無い
  
という風に思ってしまえば、
「今以上に、自分の腕を磨こう」と思いません。
  
  
「救えるはずだった患者を、
 自分の実力不足で救えなかった」
  
「救えるはずだった患者を、
 自分の実力不足で殺した」
  
そういう風に捉える方が、
  
ひとつひとつの判断も慎重になり、
自分の腕を磨く事にも本気になります。
  
  
「殺した」という意味は、
「殺意を持って殺した」という意味ではなく、
  
【 本当に最善を尽くしていくためには、
  結果が伴わなくて患者が死んだときに、
 「自分が殺した」と思うくらいの責任感が必要だ 】
    
という事なのです。
  
  
じゃあ、みなさんに
ここで考えて頂きたいテーマがあります。
  
  
もし、マンガみたいな奇跡が起きて、
超能力を手に入れたとしましょう。
  
  
その超能力とは、
  
「人に自分の手をかざせば、その人の怪我や病気を治せる」
  
という超能力です。
  
  
しかもその能力は、継続的に努力すれば、
さらにレベルアップさせていく事が出来ます。
  
  
その気になれば、
  
たくさんの人々の怪我、病気を治し、
命を救えちゃう超能力を手に入れてしまいました。
  
  
さて、みなさんは、
その能力をどのように使いますか?
  
  
・自分の為だけに使いますか?
・他人の為にも使っていきますか?
・その能力を努力して磨いていこうと思いますか?  
  
  
もし、自分の目の前に「死にそうな人」がいて、  
自分次第(超能力)でその人の命を救える…。
  
  
そんな状況の時に、超能力を行使しなかったら、
  
・それは、
 「見殺しにした」という事になりますか?
  
・それとも、
 「元々死ぬ予定」だったから「殺したとは言えない」ですか?
  
  
どちらの解釈になりますか?
  
  
  
私は、どちらも正しいと思います。
  
  
どちらの解釈を採用するかは、人の好みだし、
  
細かい状況によっても変わっていくと思います。
  
  
  
ただ、本当に人を救うような生き方をしていきたいのであれば、
  
死にかけている人を「救えたのに救わなかった事」を、
「自分が殺した」という解釈を採用する方が、
  
それくらいの責任感を持つ方が、
  
結果的に、たくさんの人々を救えるようになるでしょう。
  
  
何が言いたいかというと、
  
大きなチカラを持ってしまった時点で、
「それをどのように扱うのか?」
  
という事には、責任が伴う訳です。
  
  
例えば、宝くじに当たって、1億円手に入りました。
  
  
そのお金を、
  
・「自分の快楽の為だけ」に使うこともできれば、
・「他人の命や人生を救うこと」にだって使えるのです。  
  
  
「他人の命を救えるチカラ」を手にしておきながら、
そのチカラを行使しなかったら、
  
それは、殺したという事になりますか?
  
  
「他人の命を救える超能力」を手にした人は、
  
もし、そのチカラを他人の為に行使しなかったときには、
それは、殺人になるのか?
    
というテーマと、向き合わざるを得ません。
  
  
死にかけの人を見て、
自分次第で生かす事も、死なすことも出来る。
  
  
そんな「自分の判断で人命を左右する責任」を、
  
【「自動的」に、背負う事になる 】のです。
  
  
  
つまり、大きなチカラには、
  
それに伴う大きな責任が付随するモノなのです。
  
  
では、ここからが本題です。
  
  
「知識」や「知恵」も、大きなチカラでは無いですか?
  
  
私は、「人の人生や命が救われるような情報」を、
提供していると思っています。
  
  
私のブログに出会い、
そして内容が理解できた人は、
    
先ほどの超能力の例の様に、
  
好む、好まざるに関わらず、
  
人の人生や命を救えるほどの、
大きなチカラを手にしてしまっているのです。
  
  
でも、そのチカラを他人の為に役立てようという人は、
日本国内に皆無です。
  
(※ 居たら、互いに引き寄せ合って既に一緒に仕事してます。)
  
  
要は、自分の為だけにしか、使いたくないのです。
  
  
そのチカラを他人の為に使おうとした時に、
  
・自分や他人にとって良い結果が出なかったら怖い
・他人からどう思われるかが怖い
  
そんな所でしょう。
  
  
もし、本当に他人の役に立ちたいと思っている人であれば、
  
他人に役立つチカラを手にしておきながら、
そのチカラを行使しなかった場合、
  
・自分が、救えるはずの人を不幸にしている
・自分が、救えるはずの人を殺している
  
そういう解釈になるでしょう。
  
  
本当に他人の役に立ちたいと思っている人であれば、
  
他人を不幸にしない為に、殺さないために、
  
人の役に立つチカラを、積極的に使っていくでしょう。
   
  
みなさんは、
何かしら他人の役に立てるチカラを持っているハズです。
  
  
私の提供している知識や知恵などは、その最たるモノのひとつです。
  
  
でも、誰もそれを他人の為に行使しません。
  
  
「他人を救いたい気持ち」より、「怖れ」の方が勝っているのです。
  
  
そういう意味で、
  
一番最初の話に戻りますが、心臓外科医ってすごいですよね。
    
  
医者って、手術でミスしたら人を殺す事になって、
  
患者や遺族から訴えられたり、業務上過失致死で  
刑務所に入れられたりするリスクもあるのです。
  
  
そのリスクを背負ってでも、積極的に人を救っているのです。
  
  
そんなハイリスク、普通は背負いたくありません。
  
  
それでも、そのリスクを上回るほどの、
  
「やりがい」「達成感」「自己重要感」などの、
  
【 精神的報酬 】の為に、責任の重い仕事をしているのです。
  
  
  
別に、自分が人を救うチカラを手にしておいて、
  
それを行使しなくても、悪い事ではありません。
  
  
自分なら救えたかもしれないけど、
  
そもそも死ぬ予定の人間だったし、
死んでも予定通りじゃん。 
  
見殺しにしても、自分は悪く無い。
  
  
そんな風に思っても、間違っちゃいない。
  
  
ただ、
  
・自分は本当に人を救いたいのか? 救いたくないのか?
   
・過去に「人の役に立ちたい」と発言していた人は、
 その気持ちは本物だったのか?
  
  
自分の「考え」と「発言」と「行動」が矛盾しないように、
  
そういう事を、考えてみて頂きたいですね。


mixiチェック

haxe501 at 01:41│clip!