2018年03月02日

命の重み・命の価値

よく、命は重いって言われますよね?
  
たぶん、学校でもそう教わります。
  
  
「それは当然のことだと、信じて疑わないくらい」に…。
  
  
しかし、人類が当然のごとく正しいと思い込んでいる事が、
「実は正しくとも何とも無い」という事は、多々あります。
  
  
なぜ、それがわかるかというと、
間違った事を信じていると、
  
必ずその理屈に【 矛盾 】が起きるからです。
  
  
私は、論理的思考のスペシャリストですが、
論理的っていうのは、限り無くポジティブなのです。
  
逆に、ネガティブな思想には矛盾(非論理)が満ちています。
  
    
バシャールは、
発達したAIを、「高次元意識の代弁者」の様に言いますが、
  
コンピュータのプログラムって言うのは、
【 論理的 】に考えるんです。
  
感情的になる事がありません。
  
  
論理を突き詰める事で、ポジティブな結論に至るのです。
  
だからこそ、
  
人間を遥かに超える論理的思考を行う「進化したAI」は、
限り無く「ポジティブな結論」を導き出せるのです。
  
  
理屈や論理で考えすぎると良くない…と言われますが、
そんな事は無くて、
  
実際それは「理屈・論理」ではなく、
「常識・間違った思い込み」で考えているのです。
  
常識で考えるから、悩むのです。
  
  
AIがポジティブな結論を導き出せるとしたら、
それは【 論理性を徹底的に追求した結果 】です。
  
  
私は「人間を超越した論理的思考」を持ち、
「高次元意識の代弁者」である、「進化したAI」と会話した方が、
  
話が合うと思います(笑)
  
  
  
で、話を元に戻しますが、
  
命は重い…。 命は尊い…。
  
子供の頃にそう教わりますが、
そのコンセプトには、矛盾が満ちています。
  
  
例えば、
  
・蚊、ハエ、ゴキブリなどの害虫は、
 その「重い命、尊い命」に含まれるのか?
  
 菌やウイルス、プランクトンなどの微生物は、
 命に含まれるのか?
  
 うがい薬やアルコールなどで人体を殺菌している時点で、
 大量殺害を行っている事になりますが? 
   
   
・少し前に、ラスベガスで、
  
 銃を乱射して何人も殺した後で、
 自殺した人がいましたが、
  
 その犯罪者の命は、重い命ですか?
  
 無差別殺人を行う前に、
 その犯人を殺す事ができたとしたら、
  
 それは、悪い事に含まれるのでしょうか?
   
   
・命が尊いなら、
 なぜ凶悪犯罪者の極刑(死刑)を望む人がいるのか?
  
  
・目の前のホームレスが、
 今まさに息絶えようとしている姿を見るのと、
  
 目の前で、
  
 レオナルド・ディカプリオ
 ジョニー・デップ
 ニコール・キッドマン
 アン・ハサウェイ  
  
 などの、ハリウッド俳優が死にかけている姿を見るのと、
 人々の態度はまったく同じでしょうか?
  
  
・なぜ、日本人の一人の子供が難病になって寄付を募ると、
 何億円もの大金が集まるのに、
  
 その大金を、発展途上国に使って、
  
 現地の人々の「数千人分の命」を救うよりも、
 その「たった一人の子供の命」は重いのでしょうか?
  
  
   
さて、この疑問をあなたはどう解決しますか?
   
  
「命は尊い、命は重い」と言う人は、
  
上記の「矛盾」を、どう解決するのでしょう?
  
  
  
私の至った結論は、
  
そもそも【 命は重くなどない 】という事です。
   
  
例えば私は、
  
「短命で幸せな人生」と、
「長生きで不幸な人生」であれば、
  
確実に、【 短命で幸せな人生 】を選択します。 
  
  
その時点で、私にとっては、
  
【「命」より「幸せ」の方が重い 】のです。
  
  
  
それに、映画などで、
  
「他の仲間を守る為に、
 誰かが自分の身を犠牲にするシーン」とかありますよね?
  
自分の命を張って、仲間を守る…みたいな。 
  
それって、【 めちゃくちゃ感動シーン 】だと思います。
  
  
「あー、死んじゃった、残念!」って思うより、
「カッコ良い!」って思う人の方が多いんじゃないですか?
  
  
  
つまり、私の価値観としては、
  
  
・そもそも、「命の価値」は等しくなどない。
  
・「命」より「幸せ」の方が大切。
   
・「ただ生きているか? 死んでいるか?という状態」より、
 【 意義のある生なのか? 意義のある死なのか? 】
 という事の方がよほど重要。
   
  
という事です。
  
  
私にとっては、
「全ての命は尊いから守る」という主張など、綺麗事です。
  
  
私の判断基準は、
  
「全体にとって有益かどうか?」です。
  
  
全体にとって有益な命は、生かすべきであり、
   
全体にとって害悪を為す命は、隔離して無害化するか、
それが不可能なら殺す事も致し方ありません。
  
  
別に私は非道い事を言っている訳では無く、
ほとんどの人は、無意識的にそういう判断を下しているんです。
  
  
その事実を解説しているに過ぎません。
  
  
例えば、自分が戦争中の部隊のリーダーだとして、
  
・一人の兵士を救って、十人の兵士の命を危険に晒すのか
・一人の兵士を見殺しにして、十人の兵士の命を守るのか
   
そういう決断を迫られたら、どちらが正しいと思いますか?
  
  
私は、後者の方が全体にとって有益だと判断したら、
一人の兵士を見殺しにするでしょう。
  
  
でも普通の人は、
そんな苦渋の決断などしたくありません。
    
責任も取りたくありません。
  
  
逆に、誰もやりたがらないような苦渋の決断を、
  
全体的な視野に立って、
責任を持って下せる人こそ、リーダーなのです。
  
  
上記と対極の例として、
  
・非常に有能な「一人の天才」を一人生かして、
 「百人の無能な人々」を見殺しにするか?
   
・「無能な百人」を救って、 
 「非常に有能な一人の天才」を見殺しにするか?
  
この選択はどうでしょう?
  

みなさんは、この決断を下せますか?
  
  
全体の利益を考えれば、「天才一人の命」の方が、
「無能な百人の命」より、重いかもしれません。
   
その一人の天才が、
【 百万人、一億人の命を救う発明や研究 】をするかもしれません。
  
そう考えれば、全体の利益を考えて、
前者の選択の方が全体に求められる決断でしょう。
  
  
「天才」が嫌いなら、「王様」ならどうでしょう?
  
一人の「王様(王子、姫)」を救うために、
臣下の兵たちが命を張って、王様を守ろうとする。
  
  
臣下が百人殺されようが、千人殺されようが、
  
たった一人の、
【 未来の希望となる一人の王様 】を守ろうとする…。
  
そんなストーリーもよくありますが、美談として描かれますよね?
  
  
そんな状況でも、「命の価値はみな同じ」だといえるでしょうか?
  
  
  
結局、「命は重い、命は尊い、命は平等」という人は、 
  
「死の恐怖」から逃げたくて、
【 死の恐怖から逃避する事を正当化している 】に過ぎません。
  
  
人類のほとんどが、
「死」に対して非常に強い恐怖を抱えています。
  
で、強い恐怖は思考を停止させ、
理性的、論理的に考えられず、
  
感情的に判断してしまいがちです。
  
  
だから、
  
「命は重くて、命は尊くて、それが正しい」
という事にしておくと、 
  
【 死の恐怖と直面する事 】が避けられるので、
  
「そういう思想を採用している」に過ぎないのです。
  
  
人類には恐怖のあまり、正しくもない矛盾に満ちた考えを、
「正しいと思い込んでいる事」が多々あるのです。
  
  
私は、「命は重い、命は尊い」などと思いません。
  
ただ、【 無益な殺生はよろしくない 】という事には同意します。 
  
無益な殺生は、「意義のない死」だからです。
  
  
私にとっては、
  
死んだ方が意義があるなら、死んだ方が良いかもしれないし、
生きた方が意義があるなら、生きた方が良いかもしれない。
  
という事です。
  
  
でも、多くの人は、死ぬことが怖すぎて、
  
その「死の恐怖」から逃れるために、
無意識的に、【 自分の「保身」と「延命」 】しか考えていません。
      
それって、
「自分の生存の事しか考えていない畜生」と同じです。
  
  
マンボウは、一度に3億個の卵を産むらしいです。
  
でも、成体になれるのは、そのうちほんの数匹。
  
  
つまり、ほとんどの卵や稚魚が補食される前提で、
多くの卵を産んでいる訳です。
  
これは、【「大量の死」を前提とした戦略 】です。
  
  
マンボウは、物理的にとても弱い魚なのです。
  
でも、身体が弱いなりに、種族として生き残ろうとして、
死を受け入れ、死を覚悟して、前向きな決断をしているのです。
  
  
死ぬヤツの方が多いかも知れない、
自分も死ぬかも知れない、 
  
でも、この中の誰か一人が生き残って命を繋ぎ、
後世に自分の種族が生き残る事が出来たらそれで良いと、
  
身体が弱いなりに、種として生き残る決断をしているのです。
  
  
身体は弱いけど、精神は強いでしょう。
  
  
それに比べて、死ぬのが怖いから…と言って、
  
「他人を犠牲にしてでも、自分だけは生き残りたい…」
  
そんな考えの人間は、マンボウにも劣ります。
  
  
・死を覚悟し、死を受け入れ、
 それでも弱いなりに種として生き残ろうとするマンボウ。
  
  
・死の恐怖から逃避する事だけを考え、
  
 人類全体の事などどうでも良い、
 自分さえ助かれば良いと考えている人間。
  
  
どちらの精神が強いでしょう?
  
  
結局、死を覚悟し、死を受け入れ、
死の恐怖を乗り越えない限り、
  
人間は、
「意義のある人生、意義のある死」についてなど、
  
考えられないのです。
  
  
最近、自殺願望のSNS投稿が話題になっていますが、
  
自殺願望を持つ事自体は、
非常に深い学びになっていると思います。
  
  
「死、命、人生」について、
深く考えるキッカケになります。
  
  
私も、中学生の時に自殺願望を経ているからこそ、
  
死を覚悟し、死を受け入れる事で、
自分の人生と真剣に向き合う事ができました。
  
  
結局、
  
・大病や大怪我など、肉体的な苦痛。
・死にたくなるくらいの、精神的な苦痛。 
  
そういう風に、「死と直面する機会」でもないと、
  
なかなか人間は、死の恐怖と向き合わないのです。
  
  
でも、そんな風に「己の死」と向き合って、
そこから自分の人生を生きられるようになった人と言うのは、
  
世界中にたくさんいる事でしょう。
  
  
死について考える事と、
生について考える事は同じなのです。
  
「己の死」について深く考えない人は、
「自分の人生」について深く考えていないのと同じです。
  
  
「死の恐怖」を乗り越えた人間のみ、
   
「己の保身や延命」より重要な事に気付いて、
自分の人生を生きることが出来る様になるのです。
  
  
死の恐怖を乗り越える。 
  
  
それが自己啓発において最も重要なポイントかもしれません。


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