2017年12月17日

無条件に助けてもらえ続ける存在などいない

人間の「甘えたい欲求」には、底がありません。
  
なぜなら、「出来る限りラクをしたい」というのは、
人間の本能だからです。
  
  
走るより、自転車に乗る方がラクだから使う。
  
自転車より、電車の方がラクだから使う。
  
電車より、タクシーの方がラクだから使う。
  
  
こんな風に、
人間は「自分の労力をセーブしたい」のです。
   
   
じゃあ、なぜ人間は、
わざわざ自分に労力が掛かる事をするのか?
  
毎日会社に出勤するのだって、労力が必要です。
  
  
でも、会社に出勤しなきゃ、
  
・お金を稼げなかったり、
・信用を失ったり…、
・他人から怒られたり…、 
  
目先でラクな方に流されると、
後で、自分が大きなダメージを受けてしまう…、
  
それをわかっている人は、
目先のラクに流されない訳ですね。
  
  
つまり、「視野の広さ」の問題です。
  
  
私だって、結局はラクをしたい訳です。
  
そこは、他の人と変わりません。
  
  
ただ、私は「長期的にラクがしたい」から、
「目先のラク」に流されないわけです。
  
  
「目先のラク」に流されていたら、
「長期的なラク」が手に入りません。 
   
  
私にとっては、「長期的なラク」の方が大切なので、
「目先のラク」など、いくらでも捨てるのです。
   
  
一方、これが理解できていない人は、
いくらでも、「目先のラク」に流されてしまいます。
  
  
例えば、自分が何もしなくても
他人が毎月自分にお小遣いをくれる…。
  
  
それだけで、
もう自分がお金を稼ぐ気なんて失せてしまいます。 
  
  
お金を稼ぐには、多大な労力が必要だからです。
  
そして、人間はラクをしたい。
  
  
働くより、小遣いをもらう方が圧倒的にラクです。
  
だから、小遣いをもらうと人は働かなくなります。
  
  
余談を挟みますけど、上記の理由があるので、  
まぁベーシックインカムなんて、上手く行きっこないです。
  
ベーシックインカムを支持する人は、
人間ってモノの性質をわかってない。
  
  
私の弟子たちは、
  
過去に親から経済支援を受けていたり、
現在進行形で経済支援を受けている子もいますが、
  
だからって、情熱的な仕事に目覚めるか?っていうと、
  
そうじゃない。
  
  
「自分の情熱を見つける事」だって、
たくさんの恐怖を乗り越えていかなきゃなりませんから、
  
ラクして生活が出来ているのに、
わざわざ、そんな事をしたい人間はいません。
  
  
親に養ってもらっているニートだって、
別に情熱的な仕事に目覚めてないでしょ?
  
朝から晩まで、ゲームでもやってるんじゃないですか?
  
  
人間の「ラクをしたい欲求」に、底は無いのです。
  
   
ですから人間というのは、
  
「他人に甘えられる」と思っている限りは、
【 とことん、無限に甘え続ける生き物だ 】
  
という事なのです。
  
  
じゃあ、【 甘えさせる側 】はどうでしょう?
  
  
甘える側の「甘え」は無限ですが、
  
甘えさせる側の「資源」は有限です。
  
  
ギャンブル依存症の人間の、
「ギャンブルしたい欲求」は無限です。
  
麻薬中毒者の、
「麻薬をやりたい欲求」は無限です。
  
  
でも、「依存症」や「中毒」の人間が
他人にカネを借りようと思っても、
  
お金を貸す側の人間の持っている「資金」は有限です。  
  
  
甘えたい側の「甘えは無限」ですが、
  
甘えさせる側の「資金には限界がある」のです。
  
  
ですから、【 他人を無限に甘えさせる事 】など、
  
そもそも出来ません。
  
  
例えばの話、
  
もし私の家族が、ギャンブル依存症や、麻薬中毒になって、
  
私に「お金を貸してくれ!」なんて言われても、
私は絶対にお金を渡しません。 
  
世間を眺めてみても、
お金を渡しちゃう人の方が少数派じゃないでしょうか?
  
  
自分の生活を貶めてまで、
なぜ他人を甘やかさなきゃならんねん!?と思うでしょう?
    
  
もし私の家族が闇金にでも手を出して、
私の家に怖いお兄さん達がやってくるようになったら、
  
私は、その家族の縁を切ります。
  
  
よく、お金の話で揉めて、
家族や親族の仲が悪くなったり、絶縁したり…
  
という話がありますよね?
  
  
あれって、【 当たり前の話 】なのです。
  
  
私だって、いざとなったら絶縁しますよ。
  
  
言っておきますが、
私は家族の為にめちゃくちゃお金を使う人間ですよ。
  
  
自分の事より、
他人の為に使っているお金の方が多いくらいですし、
    
私ほど、気前が良く太っ腹な人間も珍しいと思います。
  
  
でも、家族と言えども、
「甘えた人間」に対しては、一切お金は出しません。
   
  
なんでかって言うと、
  
【 人間関係の土台は、「責任」を果たす事 】だからです。
   
   
つまり、
  
・どんなに仲が良くても、
・どんなに相性が良くても、
・家族、親子などの血縁関係だろうとも、 
   
【 責任を果たさない人間関係は、そもそも成立しないのが道理 】なのです。
  
  
全ての人間関係は、【 責任を果たすから成立する 】んです。
  
  
例えば、私は通っている飲食店の人と仲良くしますし、
丁重もてなしてもらえますが、
  
もし私が、一度でも無銭飲食(食い逃げ)したら、
もうその時点で、私は「客じゃ無い」んです。
  
それまでどんなに仲良くしていたとしても、
「二度と来るな!」と言われてしまうでしょう。
  
  
「お金を払う」という責任を果たすから、
丁重にもてなしてくれる訳です。
  
  
【 メシを食ったのに、カネは払わない 】
   
そんな「無責任な人間」は客じゃ無いし、
丁重にもてなす必要が無いどころか、
  
そんなヤツは逆に【 追い出す必要 】があります。
  
  
全ての人間関係は、
【 責任を果たし合うから仲良くしていられる 】のです。
  
  
「一方が責任を果たさなくなった時点」で、
それまでどんなに仲良くしていたとしても、
  
一瞬にして関係は崩れてしまうのです。
    
  
だから、人がよくお金で揉める原因は、
 
「お金の問題」というよりは、根本は【 責任の問題 】なのです。
  
  
全ての人間関係と言いましたが、恋人関係や家族関係も同じです。
  
  
家族だろうと、責任を果たし合っているから、
仲良く出来るのであって、 
  
家族の中に無責任な人間がいたら、
もうその家族とは仲良くはしていられません。  
  
  
これは、いたって【 当たり前の話 】なのです。
  
  
私は、お金が無いときに、
親からお金を借りていましたが、
  
一刻も早く自営業で成功して、経済的に自立するのが、
自分の責任だと思っていました。
  
  
もし、私が親から借りた金を、
ギャンブルなどに使い込んでいたとしたら、
  
親も、お金を貸さなくなって当然だと思いますし、
そうあるべきだとも思います。
  
  
さらに、当然ながら
「家族仲良く」なんてやっていられません。 
    
「大揉め」するでしょうね。
  
  
  
私は他人の為にお金をよく使いますが、
  
基本的に、
【 将来、経済力を高める意志を持っている人間 】に対してです。
  
  
妻も、将来は「自営業の仕事をしたい」と思っています。
  
だから、起業の手助けになるように、
先行投資になりそうな事には、私もお金を出します。
  
  
【 経済力を高める意志を持っている人間に対する先行投資 】は、
  
私にとって「意味のあるお金の使い方」ですが、
  
ただ、「甘えているだけの人間」に対して、お金を渡すのは、
私にとって無意味なお金の使い方です。
  
  
だから、私からお金を出してもらっている以上は、 
   
【「経済力を高める意志」を持っている事が大前提 】です。
  
  
その意志が無くなった人間には、一銭も出したくありません。
  
  
だって、「元が取れないし、ただの無駄じゃん!」って話です。 
  
私は、【 無駄が嫌いの効率の鬼 】です。
  
  
他人にお金を使っても、
「全体として元が取れる事」にしか使いたくありません。
  
  
「元が取れないことにお金を浪費する」なんて、
私の価値観においては考えられない事です。
  
  
あらゆる「経済援助」や「投資」というのは、
将来、【 元が取れる 】という前提で行われます。
  
  
元を取る事を期待しないモノは、【 寄付・募金 】です。
  
  
で、基本的に寄付や募金って言うのは、
  
過酷な境遇で暮らしている、
恵まれていない人たちの為にやるモノであって、
  
日本国内で暮らしている、
「甘えきっている人間」に対して行うモノではありません。
  
  
【 私は、ちゃんとした家に住んで、ちゃんとした食事も食べています。
  スマホも持っているし、ゲームも楽しんでします。 
  どうか、私に寄付・募金してください! 】
    
って言って、誰かお金くれるヤツいるか?って話。
  
  
お金を受け取るときに、「寄付」や「募金」で無ければ、
「投資」や「等価交換」という事であって、
  
必ず【 リターン(見返り)】が期待されていますし、
  
お金を受け取った分、
自分がその「リターン」を生み出すのは、責任なのです。
  
  
その責任を果たさない人間は、
家族と言えども、仲良くはしていられませんし、
  
いざとなったら、絶縁されてもおかしくないのです。
  
  
相手が血縁者と言えども、
「無責任な人間」は仲の良い家族・親族ではいられません。
  
  
【 責任を果たす事は、人間関係の土台 】です。
  
  
逆に言うと、
  
【 自分が無責任である限り、あらゆる人間関係を失う 】
  
と言う事です。
  
  
・無責任な人間と付き合いたい人間はいません。
  
・無責任な人間を助けたいと思う人間はいません。
  
  
ギャンブル中毒の人間に、お金を貸したい人間がいるか?って。
  
お金は当然返ってこないし、
「ただ無駄に浪費されるだけ」とわかっているのに。
  
  
他人から「支援」や「投資」を受け取れるという事は、 
  
それだけ他人から、
  
【「助けるだけの価値」があるであろう 】と思われていて、
   
【「責任」を果たすだろう 】と期待・信頼されての事です。
  
  
ですから、相手が無責任な事(自分勝手なワガママ)をした時点で、
   
もう「期待」や「信頼」も無くなりますから、
   
「支援」や「投資」を打ち切られても当然です。
  
  
【 責任を果たさない人間など、助ける価値無し 】なのです。
  
  
ですから、
  
【 無条件に助けてもらえ続ける境遇 】などあり得ないのです。
  
  
「無条件の愛」って言うのは、そういう意味じゃ無いんです。
  
  
無条件の愛って言うのは、
「無条件に優しくする、される」って意味じゃ無くて、
  
【「厳しさ」も「愛のウチ」だよ 】という意味なのです。
  
  
甘えた人間にお金を渡さないのも、
  
【「厳しい愛」のカタチだよ 】という意味なのです。
  
  
「苦しい試練を与えるのも、厳しい愛のカタチだよ」という意味です。
  
  
  
だから、「愛」って優しいだけじゃなくて、厳しいカタチもある。 
  
  
「優しさだけでなく、厳しさも愛する」のが、【 無条件の愛 】です。
  
  
自他に対する「厳しさ」を拒絶しているウチは、
  
「無条件の愛」というコンセプトなど、
  
【 理解することは不可能 】です。
  
  
   
と言う事で、話は戻りますが、
   
  
責任を果たさない人間など、助けるに値しない訳だから
   
【 支援や投資は全て打ち切られて当然 】な訳で、
【 あらゆる人間関係を失っても当然 】な訳で、
  
実際にそういう境遇に陥ってしまう人も、
  
「バランスが崩れた人間」に対する、
宇宙のサポート(無条件の愛)がちゃんと働いての結果なのです。


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