2017年11月16日

「ポジティブ・ネガティブ」と「善悪」の違い

今日は、弟子に対して、
   
【「ポジティブ・ネガティブ」と「善悪」の違い 】
  
という、超基本的な話をしました。
  
  
私が話をするってことは、
  
今までに何度も語ってきた事でも、
本人はまったく理解できていない…と言うことです。
  
  
「ポジティブ・ネガティブ」と「善悪」は、
まるで違います。
    
  
「バナナ」と「ち〇ち〇」くらい違います。
  
  
私が「ポジティブ」という言葉を使うときに、
相手が【「善」をイメージする 】と言う事は、
   
私が「バナナ」と言っているのに、
相手が「ち〇ち〇」をイメージしている様なモノです。
  
  
まるで、意思の疎通が取れていません。
  
  
だからこそ、他者とコミュニケーションを取る上では
まず「言葉の定義」を明確にする必要がありますし、
  
私は、「言葉の定義」について、よく語るのです。
  
  
そこがズレていたら、
  
私が「リンゴ」と言っても、
相手は「梨」をイメージしているかもしれないのです。
  
  
で、「ポジティブの定義」なんて言うのは、
  
心理やスピリチュアルにおいては初歩中の初歩ですが、
未だに理解できていないとなると、
  
私が「巨峰」がああでこうで…と言って来たことを、
全て「き〇たま」と解釈して聞いていたということです。
  
まさに、「どんだけ〜〜〜!」です。
  
  
そこで私は
  
【「ポジティブ・ネガティブ」と「善悪」の違い 】
    
が理解できる絵(作品No.68)を描いた訳ですが、
  

・これまでの絵画一覧(No.41 〜 )
http://growheart.livedoor.biz/archives/52038027.html
  
  
その絵を見ていると、どうも悲しくなってくるらしいです。
  
  
だから、
そのメンタルブロックがあるから理解できないんだって。
  
  
心理のメカニズムから言うと、
   
何かしら「強いメンタルブロック」を抱えている時点で、
【 その領域ではアホ確定 】なのです。
  
  
恐怖が邪魔をして、まったく論理的に考えられませんし、
理解力、読解力もほとんど皆無になってしまいます。
  
  
で、理解力が無いから、いくら言葉で説明しても理解できない。
  
だから、私は「超・高波動の絵」を描くわけです。
  
  
私の絵は、
重度の「優等生病、奴隷病、従順病」を治療する特効薬です。
  
  
例えば、「ガンの特効薬」が開発されて、
  
その価格がサラリーマンの毎月の給料で払える額だとしたら、  
それが高いなんて言う人間はほとんど居ないはずです。
  
  
「優等生病、奴隷病、従順病」を治療しようとした時、
  
患者には言葉が通用しませんから、
  
もう非言語で無意識レベルに作用する
「絵の波動」に頼るしかありません。
  
  
私の描く絵は、
  
ある意味、他の医者に見捨てられた
「難病患者に対する特効薬」みたいなモノです。
  
  
もう、その方法しか「活路」が無いのです。
  
  
それを「高い」なんて言われたら、
  
じゃあ、巷にある「他の治療法」でもやるか、
「一生、その難病と付き合って生きて行けよ!」って話です。
  
  
私が、その「特効薬」を開発する為に、
「どれだけの努力と研究を積み重ねてきたのか、わかってんの?」
  
「他で作れそうな人がいると思うなら、どうぞ探しに行って下さい」
  
って話です。
  
  
・自分がどれだけ精神的に重症なのかまるで解っていないか、
・私の描く絵がどれだけ希少価値の高いモノなのかわかっていないか、
    
まぁ、その両方でしょうね。
  
  
  
ポジティブ・ネガティブと善悪の話に戻りますが、
  
  
「善悪」とは、
人それぞれの主観であって、非常に曖昧なモノです。
  
  
「殺人は悪」だと思われるかもしれませんが、
  
アメリカで銃を乱射している凶悪犯を、
警官が狙撃して射殺するとしたら、それは「悪の行為」なのでしょうか? 
  
それとも、無実の人々を助ける「善の行為」なのでしょうか?
  
  
日本では死刑制度がありますが、死刑も殺人です。
  
 
そして、倫理的な観点、防犯の観点、善悪の観点から、
  
「犯人の死刑」を望む人もいれば、
逆に、「犯人の死刑」に反対する人も居るのです。  
  
   
善悪は「人それぞれの主観」なので、
明確な基準など無く、とても曖昧なモノです。
  
  
一方、ポジティブには明確な基準があります。
  
  
ポジティブとは、簡単に言うと、
【 全体のバランス(調和)が取れている 】という事です。
  
  
全体のバランスを取る行為は、ポジティブな行為なのです。
  
  
例えば、他人にお金を渡す、渡さない。
  
どちらが正しいですか?って話ですが、
  
  
お金を渡すにしても、
相手に対して過保護にするなら、それはネガティブです。
  
なぜなら、全体のバランスが崩れる方向に向かうからです。
  
  
逆に、お金を渡すことでエネルギーのバランスが取れるなら、
お金を渡すことはポジティブな行為です。
  
  
こういう、シンプルな基準です。
  
  
じゃあ、さっきの殺人の話になりますが、
  
全体のバランスを崩そうとするネガティブな人間が居て、
  
そのネガティブな人間を殺す事は、
状況によってはポジティブな行為になり得るのです。
  
  
一方、善悪は「人それぞれの主観」ですからね。
  
  
例えば、「他人の感情を害するのは悪い事だ!」
  
っていう観念を持っている人も居るでしょうが、
  
そういう観念を持っていると、
「子供を叱ること」すらできません。
  
  
叱ることで、「子供の感情を害してしまうから」です。
  
  
私が「他人の感情を害すること」に躊躇が無いのは、
それが「ポジティブな行為」だと理解しているからです。
  
  
「全体のバランスを取り、調和の方向に向かう行為」
だと理解しているからです。
  
  
よりバランスが取れたポジティブな精神状態に向かうには、
  
「一時的にネガティブ感情を感じる事」は、
決して避けては通れない道です。
  
  
私にとっては、
自分が善人か悪人かはどうでも良い事です。
  
私の事を悪人だと思う人もいるでしょうし、
それも当然のことです。
  
  
ゴキブリや蚊などの害虫を駆除しようと思ったら、
害虫にとっては自分は悪人なのですから。
  
  
でも、害虫を駆除する事で全体のバランスが取れるなら、
私は躊躇なく害虫を駆除します。
  
  
私は、常に可能な限りポジティブな方向にエネルギーを割く
と決めていますからね。
  
  
「他人の感情を害する人間は悪人だ」と思っている人にとっては、
  
私は【 とんでもない悪人 】でしょう(笑)
  
  
別に構いません。 
  
  
善悪は主観ですから、他の誰かにとっては悪人です。
  
  
つまり、結論を言うと善悪なんてどうでも良いのです。
  
善悪なんて「クソくらえ」って話です。 
  
  
自分の主観で、善だと思っている事も、
他の誰かにとっては悪になるのです。
  
  
「絶対的な善」など存在しない中で、  
自分が「(主観的な)善」を追求しようとしても、
  
何の得もありません。
  
  
私は、中学生の時に、
「ルールを守ることが善」と思っていましたが、
  
ルールを守らないクラスメイトを裁きまくった結果、
人間関係で揉め事が増え、先生からも怒られ、
  
たぶん、高校受験の時の内申点も、
かなり低くなっちゃったんじゃないかと思います(笑)
   
   
結局、なんにも良いことはありませんでした。
  
  
私の思う善を追求した結果、
  
ネガティブな方向に突き進み、
ネガティブな結果を生んだのです。
  
  
・世間の人が悪だと思っているけど、実はポジティブ(厳しさ)
・世間の人が善だと思っているけど、実はネガティブ(過保護)
   
という事なんて、腐るほどあります。
  
  
ですから、ポジティブ=善などでは、まったくありません。
   
    
  
ただ自分自身が心地の良いポジティブな状態を好むなら、
  
善悪なんて気にせず、
「バランスを取る事だけ」を考えれば良いのです。
  
バランスを取る事こそが、ポジティブなのですから。  
  
  
お年寄りには優しくしましょうって言いますが、
  
そのお年寄りがこれから無差別殺人を犯そうとしていたら
「優しくすることが善なのか?」って話です。
  
  
全体のバランスを大きく崩す「無差別殺人」を止めるために、
  
厳しさが必要であれば、
厳しくする方がポジティブな行為なのです。
  
  
こういう話も、
  
私の「超高波動の絵」を見ながらじゃ無いと、
理解できないんでしょうけどね。
  
  
私は同じ事を言い続けていますが、
  
それだけ、「言葉が無力だ」という事です。
  
  
特に、主体性に乏しい人は、
  
【 論理的な理解力が皆無 】ですから。
  
  
論理的な理解力などなくても、
「短期的な暗記」と「計算」ができれば、
  
学校で良い成績を収め、
そこそこ偏差値の高い大学に行けますからね。
  
  
学校教育と受験なんて、
「暗記力、計算力、命令に対する従順さ」を鍛えるだけの
  
【 あなたはコンピュータの代わりが出来ますか? 検定 】です。
  
  
現代の仕事で必要とされる、
  
「コミュニケーション能力」や「論理的思考力」なんて、
まったく鍛えられない訳です。
  
  
そこそこ学歴が高くても、 
  
「そこそこコンピュータの代わりが出来る証明」
にしかなりません。
  
  
つまり、コンピュータがあれば、要らなくなる人材です。
  
  
暗記と計算は得意でも、
  
恐怖心が強くて、
コミュニケーションの能力や論理的思考力に乏しいとしたら、
  
現代社会においては立派な「役立たず」です。
  
  
そろそろ、
「自分が頑張って積み上げてきたモノ」や「信じてきたモノ」が、
  
実は「何の役にも立たないものだった…」という事実を、
  
きちんと受け止める時期ではないですか?
  
  
いや、「役に立たない」は言い過ぎですね。 良い方に。
  
もっと正確に言うと、【 邪魔でしかないお荷物 】です。


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