2017年08月20日

偽りの希望を捨てる

私はこれまで、
  
主体性に乏しい人を「奴隷思考」と称して、
【 主体性の重要性 】を説いてきました。
  
  
そうは言っても、奴隷思考の人々は、
でなかなか主体性を高める事ができないようです。
   
  
奴隷思考の人ほど、自分を変えるのは難しいのです。
  
  
その理由を深く探っていくと、
【 なぜ主体性を持ちにくいのか? 】
  
というメカニズムが明らかになりました。 
  
  
まず、「人生に対する主体性」に乏しい奴隷思考の人は、
  
その分だけ、【 依存心が非常に強いわけ 】です。
  
  
その依存対象は、
  
・国家であったり、
・世間であったり、
・常識であったり、
・会社であったり、  
・両親であったり、
・異性であったり、
・先生であったり、
  
様々です。
  
  
  
そういう依存対象が、
  
「自分の人生の面倒を見てくれそうだ…」と、
勘違いしているのです。
  
  
でも、その【 勘違い 】を指摘されても、
なかなか、止める事ができません。
  
  
なぜか?
  
  
「依存的な人」にとっては、
【「依存対象」こそが「希望」】だからです。
  
  
希望を失った先にあるのは、【 絶望 】です。
  
  
人間は、どうしても絶望したくないので、
   
【 依存対象(希望)を自ら捨てる事が出来ない 】のです。
  
  
でも、私から言わせれば、
  
依存対象に対して抱いているのは「偽りの希望」です。
  
  
誰も、他人の人生の責任を取ることなど出来ないし、
他人が自分の人生を何とかしてくれる訳が無いので、
  
「依存対象が、自分の人生を何とかしてくれるだろう…」
  
というのは、【 偽りの希望 】なのです。
  
  
何の役にも立ちません。 
  
  
何の役にも立たないんだけど、
  
「偽りの希望」を捨てる事は、【 絶望する事 】だし、
  
絶望したくないので、
「偽りの希望」にしがみつき、「現実逃避」を続けるのです。
  
  
要は、【 絶望したくないから、自らウソを信じ続けている 】のです。
  
  
マンガに出てきそうなストーリーですけど(笑)
  
  
【 本物の希望 】とは、
   
「自分は学習と努力によってこれまで人生を変えてきたし、
 これからも変えて行ける!」
  
という「自信・確信」から生まれます。
    
  
それこそが、主体性に基づいた【 本物の希望 】です。
   
   
「本物の希望」を持つためには、
一旦、「偽りの希望」を捨てる必要があります。 
  
   
つまりは、【 一旦、絶望しろ 】って事です。
  
  
偽りの希望を捨て、一旦【 絶望 】を通らないと、
「奴隷思考」から「主体的な人間」に生まれ変わる事はできません。
  
  
まぁ素直な人ほど、スムーズにシフトしていけるんですけど、
  
・勇気や覚悟を持てない人
・恐怖から逃げ続けている人、
・ひねくれている人ほど、
  
この「希望のシフト」に【 大きな痛み 】を伴うことになります。
  
  
つまり、「偽りの希望(依存対象)」への【 固執 】が強い分だけ、
   
それを失う時の絶望も大きくなる…と言うことです。
  
  
私の仕事は、「偽りの希望」を砕いて、
  
【 人を一旦絶望させる事 】なのです(笑)
  
  
  
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」と言いますが、
   
一旦、谷底に叩き落として、
そこから這い上がらないと、【 本物の希望 】は持てないのです。
  
  
私がいくら、
  
・他人はアテにならない
・現実と世間は厳しい 
  
という話をしようとも、 
  
  
人間の「絶望したくない!」という気持ちは非常に強いので、
  
私の話を信じたくもないし、検証したくもないし、
事実だと認めたくも無いのです。
  
  
それは、奴隷思考の人にとっては、
  
「依存対象」を失い、【 一旦、絶望する事 】だからです。
  
  
私は、他人にポジティブな影響を与えるために、
一旦、人を「ネガティブな気持ち」にさせますけど、
  
それも、ラクではありません。
  
  
私の文章を読んで、誰かが「ネガティブ感情」を感じたら、
それは、私に対する「邪念」となって影響します。 
  
  
その「邪念」を処理するにも、
自分の生命エネルギーを大きく消費します。
  
  
私は他人(読者)の「ネガティブ感情」を背負ってまで、
相手にポジティブな影響を与えようとしているのです。
  
  
ネガティブ感情を背負ってくれている事に感謝こそされど、
   
私の文章に対して被害者意識を持つようなら、
読んで頂かない方が、私としては有り難いのです。
  
  
奴隷思考の人間が、
主体的な人間に生まれ変わろうと思ったら、
  
依存対象(偽りの希望)を捨て、一旦絶望する必要があります。
  
  
でも、人間の「絶望したくない!」って言う気持ちは、
非常に強いです。
  
現実逃避を続けてでも、絶望したくないのです。
  
  
しかし、その【 絶望の川 】を渡らないと、
  
「奴隷思考」から「主体人間」に生まれ変わる事はできません。
  
  
私が、いくら文章で
  
「偽りの希望(依存対象)」を捨て、
「本物の希望(自信)」を持たせようとしても、
  
「絶望の川」を渡らせようとしても、
  
本人が頑なに拒否しているので、生まれ変われないのです。
  
  
奴隷思考の人間が、主体的な人間に生まれ変わるには、
  
一旦、偽りの希望(依存対象)を捨て、絶望しなければなりません。
   
  
  
例えば、恋愛で言うと、 
 
【 この人以上に、自分にとって良い人はいない! 】
  
と思っている時、失恋するのがものすごく怖くなります。 
  
  
その人を失う事は、
【 恋愛分野において絶望する事 】だからです。
    
  
でも、大きな失恋を乗り越えるから、
以前より素敵な人と巡り会うこともできるのです。
  
  
それと同じような事で、
  
奴隷思考の人間は、 
【 この依存対象を失ったら、もう自分の人生は終わりだ! 】
  
という「強い恐怖」を抱えて生きています。
  
  
だから、「依存対象」にしがみ付き続けるのです。
  
  
でも、依存対象を捨てないと、
  
自信も、主体性も、希望も、何も手に入りませんん。
  
  
奴隷思考の人間にとって、
  
【「依存対象」を失う事は、「絶望」する事 】なのです。
  
  
どのみち、「絶望の川」を渡る覚悟を持てなければ、
  
一生、主体的な人間に生まれ変わる事は出来ません。
  
  
何の役にも立たない「偽りの希望」にしがみつき、
  
【 現実逃避 】を続ける人生です。
  
  
クラゲの様に流され、周りに翻弄され、
問題が起こっても、自分で対処もできず、
  
時間と共に、
どんどん悪化していく人生が待っているだけです。
  
  
若い頃は、奴隷思考でもまだ生活に余裕はあっても、  
年老いても奴隷思考を続けている人は、
  
精神的にも、経済的にも、
非常に苦しい生活を強いられることになるでしょう。
  
  
江戸時代は、奴隷思考でも何とか生きられたかもしれませんが、
  
現代は、全体の進化のスピードが非常に速いので、  
成長しない人間は次々と淘汰される運命なのです。
  
  
今の時代は、
チャンスも大きければ、対極のピンチも大きいのです。
  
  
どちら側に転ぶか?は、
  
勇気と覚悟と根性を持って、  
【「絶望の川」を渡れるかどうか? 】に掛かっています。


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