2017年06月21日

「善意」と「歪んだ愛情」

昨日は、「悪意を持った存在」について書きましたから、
  
次は、「善意」について書きたいと思います。
  
  
創造主は、
  
宇宙の法則の枠内で「創造可能なモノ」を、
全て創造します。
  
  
つまり、この世に「悪意が存在する」とすれば、
  
その裏側で、「善意も存在する」という事です。
  
  
この事は、
「陰陽表裏一体」や「コインの裏表」などと言われます。
  
  
つまり、この宇宙では、
  
「極端な悪意」も創造されていますし、
「極端な善意」も創造されているのです。
  
  
私は「悪意」を、
  
【 自己の為に他を犠牲にする事に抵抗がなく、
  さらに「積極的な攻撃性」を持った精神的主義 】
  
という風に表現したいと思います。
  
  
「善意」はその逆ですから、
  
【 自己の「損得・利害」に関係無く、
  むしろ自分に一時的に負荷が掛かろうとも
 「全体に奉仕」しようとする精神的主義 】
  
という風に表現したいと思います。
  
  
  
創造主の創り出す宇宙というのは、
   
【 善意と悪意のせめぎ合い 】であり、
  
その中で起こる様々なドラマを、私たちは経験しているのです。
   
   
ですから「極端な善意」も「極端な悪意」も、
  
その両方が、この世に存在しているのです。
  
  
  
でも、人によって性善説であったり、性悪説であったりで、
  
「悪意の存在」を認められなかったり、
「善意の存在」を認められなかったりします。
  
  
陰陽表裏一体なんだから、
  
【「どっちもいる」っちゅーに! 】って話なんですけど(笑)
  
  
「極悪人」もいれば、「聖人・偉人」もいるのが、この地球です。
  
  
  
昨日は、「悪意が存在する」という話を書きましたから、
今日は善意について書きますが、
  
人によっては、
「他人の善意を信じられない」という人が存在しています。
  
  
・どうせ裏があるんだろ?
・どうせ保身に走るんだろ?
  
という「斜に構えた態度」で、他人を見ているのです。
  
  
そういう人は、
なぜ「他人の善意」を素直に信じられないのでしょう?
  
  
この理由が最近明確にわかりましたが、
  
他人の善意を信じられない人は、
【「愛される」という事 】がわからないのです。
  
「愛される感覚」がわからない。
  
「愛とは何か?」がわからない。
  
だから、他人を信頼することもできません。
  
  
私は、両親から深く愛されている事を感じています。
  
だから、両親からたとえ
「厳しい事」や「ネガティブな事」を言われても、
  
【 自分の事を心配して言ってくれてるんだな〜 】
   
と、そこから愛を感じる事ができます。
  
  
私は両親からの愛を感じ、両親を信頼しているのです。
  
  
でも、「愛される感覚」が解らない人は、
  
【 自分の「目先の感情」を満たしてくれるかどうか? 】
  
を、「愛の基準」にしてしまっています。
  
  
つまり、他人から「厳しい事」や「ネガティブな事」を言われて、
自分が少しでも「ネガティブな感情」を感じたら、
  
その瞬間に、「自分は愛されていないんだ!」
  
と、解釈してしまうのです。
  
  
本当の愛は、「厳しさ」も含むのに、
  
「厳しい愛」を受け取っても、
【 自分は愛されていない 】と解釈してしまうのです。
  
  
なぜ、そういう風な考えになってしまうのでしょう? 
    
  
全員とは言いませんが、ほとんどの場合、
  
両親から「歪んだ愛情」を浴びて育ってきたからでしょう。
  
  
親から「愛が込められたポジティブな叱られ方」
などされたことなど無いのでしょう。
    
  
愛が解らない人の多くは、【「自分の親」を恨んでいる 】と思います。
  
  
でも、「親を恨んじゃいけない」という儒教的な思想に囚われ、
  
その恨みの感情すら、抑圧してしまっています。
  
  
でも、本当に親を許したければ、
  
まず、「親を恨んでいる自分の気持ち」を、正直に認める必要があります。
  
  
「恨み」を認めてこそ、次に「許す事」が可能になるのです。
  
  
私は「心理」と「宇宙の法則」のプロフェッショナルとして言いますが、
  
【 親を恨むこと 】は、なんら悪い事ではありません。 
  
「素晴らしい親」もいれば、「ろくでもない親」もいるのです。
  
  
全ての子の親が、成熟している訳がありませんからね。
  
  
親から虐待されたら、親を恨んでもいいですよ。
  
素直に恨んだ次に、許しがあるのです。
  
  
「恨み」を抑圧していたら、永遠に許せません。
  
  
本当は「恨みの気持ち」があるのに、
その「恨みの気持ち」を認めずに許そうとしても、
  
許せる訳がありません。
  
  
「腐った弁当箱」の中身をキレイにするには、
弁当箱を開ける必要があります。
  
箱を開けずに、「腐った中身」を触らずして、
弁当箱の中身をキレイにする方法はないのです。
  
  
まず、「腐った中身」の存在を認め、向き合わなければ、
弁当箱はキレイにできないのです。
  
  
もし自分が「他人の善意」を信頼しているのであれば、
  
その他人が「自分にとって理解不能な行為」をしても、
自分に「ネガティブ感情が沸くこと」をしてきても、
  
【 きっと、自分の為を思ってやってくれてるんだな〜 】
  
と、思えます。
  
  
まぁ、それも度が行き過ぎると、
  
「カルト宗教の教祖を盲信する信者」になってしまうので、
バランスが大切です。
  
  
カルト宗教の盲信者は、
善意を認めていても、悪意を認めていないから、
   
「教祖が悪意を持っている可能性」を見抜けず、
教祖に騙されるのです。
  
  
「悪意」を認められなくても、「善意」を認められなくても、
どちらにしてもバランスが崩れ、現実に害が及ぶ…
  
と言うことです。
  
  
人間関係でトラブルがある人は、 
  
「性善説と性悪説のバランス」が取れていないのです。 
  
  
善意も悪意もどちらもあるのに、
  
どちらかを否定していて、その存在を認めていないのです。
  
  
そして、「他人の善意を信じられない人」は、
  
多くの場合、【 親を恨んでいる 】という事です。
  
  
自分にとって一番身近な「親」を信じられないのに、
  
他人を信じられる訳がありませんからね。
  
  
自分の親を許さなければ、
「他人の善意を信じる事」など出来ないでしょうし、
   
もし目の前に「善意の人」が現れても、
「その人の善意」が見抜けないでしょう。 
  
  
そして、親を許したければ、
  
まず、「親を恨んでいる自分の気持ち」を、
【 素直に、正直に認める事 】です。
  
  
「親を敬え」っていうのは、儒教の教えです。 
   
  
でも、全ての親が「尊敬できる対象」であるハズがありません。
  
  
どちらかというと、「未熟な親」の方が、圧倒的多数でしょう。
  
  
でも、その親を選んで産まれてきたのは、
「自分で自分に課した修行」なのです。
  
  
親を恨んでいる人は、親を許さない限り、
  
「他人を信頼すること」など絶対に出来ないでしょう。
  
  
この世には、
「信頼に足る人」もいるし、「信頼できない人」もいます。
  
  
親を許さなければ、
そういう人たちの差を見抜く眼力すら持てません。
  
  
ネガティブな親に育てられたからこそのメリットも、
たくさんあるハズです。
  
  
親の持つ「ネガティブ面のメリット」を理解し、
親のネガティブさを許す事は、
  
あらゆる人間関係をポジティブにしていく上で、
避けられない課題です。
  
  
私の善意を理解できない人も、
  
結局は、親から「歪んだ愛情」で育てられてしまって、
  
他人の善意を信じられない、他人を信頼できない
  
だから、「目先の感情」で愛を計ってしまう。
  
  
・「愛」って何?
・「愛される感覚」ってどんなの?
・どうやったら「他人の善意」を信じられるの?
  
って感じで、
  
【 愛のある厳しさ、ポジティブな叱り 】
  
が、理解不能なのです。
  
  
そして、ネガティブな自分の両親も、
また祖父母からネガティブな教育を受けて育ってきた訳で、
  
これは、先祖代々受け継がれてきた「ネガティブ連鎖」なのです。
    
  
それを、【 自分の代で断ち切るかどうか? 】
  
は、自分次第なのです。


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