2017年05月16日

有名人に対する過大評価

「人類ほぼ全員」に共通するネガティブ観念に、
【 有名人に対する過大評価 】があります。
  
  
私も、昔は「お金持ち」を過大評価していたので、
  
相手が「お金持ち」というだけで、
「スゴイ人なんだ!」と、盲目的に思い込んでいました。
  
  
でも、冷静に考えてみれば、
「何をもってすごいと評価するのか?」よく分かりません。
  
思い直してみれば、「漠然としたイメージ」でしかありません。
  
  
【 お金持ちを過大評価してしまう人の理由 】は、
   
自分がお金を持っていないことに対する劣等感があるからです。
  
  
自分の抱える劣等感により、
「お金を持っていない自分」を実質よりも過小評価している分だけ、
  
逆に、「お金を持っている人」を、実質よりも過大評価してしまうのです。
  
  
  
それと同じ理屈で、ほとんどの人は【 承認欲求 】に飢えています。
   
大勢から「認められていない自分」に、大きな劣等感を感じているのです。
  
  
だからこそ逆に、大勢に認められている有名人を、
  
実際の中身よりも【 過大評価 】してしまうのです。
  
  
【「有名人」=「スゴイ人、自分より格上」】
  
と、盲目的に思い込んでしまう訳です。
  
  
  
でも、私には自分が有名でない事に対する劣等感はありません。
  
ですから、「有名人=スゴイ、格上」という認識はありません。
  
  
相手が有名人だろうが、
  
自分にケンカを売ってくる(議論をふっかけてくる)連中は、
全員「論破」して、返り討ちにしてやるつもりです(笑)
  
  
実際、私のブログは「有名人」と呼ばれる人たちもたくさん読んでいます。
  
(※ テレビ、雑誌、新聞などの「メディア関係者」も読んでいますが。)
   
   
で、その特定の有名人が、
  
私の思想や主張に対してケンカを売る様な発言や異論を、
他所で展開している事もありますが、
   
結局は、相手の方が自分の考えの間違いを認めて、
私の主張に寄ってきていますからね。
  
  
有名人に嫌われたところで、何も怖いことなどありません。
  
  
そもそも、私は日本人に期待してないですし、
  
海外で仕事をすると思うので、
日本の有名人にいくら嫌われても、自分に害はありません(笑)
  
  
なぜ、私にそんなに自信があるか?というと、
  
【 論理は最強だから 】です。  
  
  
数学の数式と同じで、
論理には必ず【 誰もが認めざるを得ない答え 】が存在します。
  
  
そして、その【 絶対的な解 】を理解している私に、
議論を挑むというのが、そもそも無謀な挑戦です。
  
  
数学の世界チャンピオンに、数学で勝負を挑むようなモノです。
  
  
ということで、
私自身、有名人は怖くないし、別段すごいとも思いません。
  
  
政治の世界を見ればわかりますが、
必ずしも優秀な政治家が選出されるとは限りません。
  
知名度だけで、実力が無い人も選ばれたりします。  
    
  
「低レベルな多数の民衆」が支持する人間も、同じく低レベルなのです。
  
  
特に、日本は心理・スピリチュアル後進国ですから、
そもそも、人々の意識レベルが低い訳で、
  
そのレベルの低い人たちが支持する、
心理やスピリチュアルを語っている巷の有名人は、
  
一人残らずレベルが低いですね。
   
   
で、ほとんどの人は【 承認欲求 】に飢えていて、
  
「他人から認められる、認められない」という事に、
  
強い劣等感や優越感を感じています。
  
  
それが、有名人に対する過大評価を生んでいる訳です。
  
  
逆に言うと、
  
【 有名でない自分や他人を、過小評価している 】のです。
  
  
  
という事で、
  
【 有名人=スゴイ 】という価値観を持っている人は、
   
現段階で有名ではない私の実力を、過小評価して舐めている訳です。
   
   
でも、私はおそらく来年以降、有名になります。
  
  
私が有名になった途端、非常に多くの人が、
  
【 手のひらを返したような態度 】を取るでしょう(笑)
  
  
でも、私はそういうのが、めちゃくちゃ大嫌いです。
  
  
映画やドラマでも、
  
相手がスゴイ人だと思った瞬間、急にコロッと態度を変える人って、
   
観客から「気持ち悪い」と思われる役どころです。
  
  
なんの美学も持っていないし、
「自分の保身しか考えない人間だ」ということです。
     
   
結局、
  
【「人を見かけで判断してはいけない」という教訓は大事だよね! 】
  
って言っている人間が、
  
「人を見かけで判断している」という事です。
  
  
イエス・キリストの例もわかりやすいですが、
  
二千年前の存命時点で、
イエスは聖人では無く、「異端者扱い」だったわけです。
    
  
私は「イエス・キリストが好きです!」って言っても、
現時点で大衆から「聖人扱い」されているイエスが好きでも、
  
自分がその二千年前の当時に生きていたら、
  
当時の凡人たちと同じく、
イエスを異端者扱いしてたんじゃ無いか?
  
って話です。
  
  
凡人たちは、人を見かけで判断しているから、
  
【 有名人=スゴイ 】と盲目的に思い込むのです。
  
  
いくら、映画やドラマで、
【 人を見かけで判断してはいけない 】
  
という教訓が描かれていても、
本当は自分も見かけで判断しているくせに、
  
「自分は、たぶん他人を見かけで判断しない人間だぞ!」
   
と、勘違いしている訳です。
  
  
自分が他人を見かけで判断する人間かどうか?は、
    
「承認欲求の強さ(劣等感の強さ)」と比例します。
   
   
・他人から認められていないと価値が無い
・他人から認められる事によって、自分の価値を感じたい
   
  
そういう人間ほど、【 無能な有名人 】を過大評価し、
   
その分だけ、【 無名の天才 】を過小評価するのです。
  
  
ってことで、人を見る目がなくなってしまうわけです。
  
  
精神的な成長に取り組み、
   
【 他人から認められていなくても、自分には価値がある 】
     
そういう風に思えた人間から、私の実質が理解できるでしょう。
  
  
結局、「自分軸」を持っていない人間は、
目に見えるまでわからないのです。
  
  
だから、人を見かけで判断する。 
  
人を見る目が曇っているのです。
  
  
私が近い将来有名になったら、その瞬間、
  
他人がコロッと手のひらを返すのが目に浮かびます。
  
  
でも、そうなってからじゃもう遅いですけどね。
  
  
「他人から認められないこと」に
  
【 恐怖 】や【 劣等感 】を抱いている時点で、
  
    
「人を見る目」など、
【 完全に節穴になっている 】ということなのです。


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