2017年05月07日

論理と矛盾、ボケとツッコミ

「数学は論理だ」と言っておきながら、
実は私、数学はあまり得意ではありません(笑)
  
  
「数字」とか「記号」にあまり興味が持てなくて、
  
私は「数字」や「記号」を使って考えるのでは無く、
  
代わりに【 意味や定義を持った言葉や行動 】を
方程式に当てはめて、考えている訳です。
  
  
「論理的思考」という部分は共通ですが、
  
・「数字」や「記号」を扱うのが【 数学 】で、
・「意味」や「定義」を扱うのが【 哲学 】だと思います。
  
  
と言いつつ、今、「哲学」をウィキペディアで調べてみたら、
    
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインという哲学者は、
  
【 哲学の目的は、思考の論理的明晰化である 】
  
と言ったらしいです。 私と同じ様な結論ですね。
  
  
別にパクった訳じゃ無くて、
  
記事を書きながら今、調べてみたら、
同じ事を言ってる人がいた訳です(笑)
  
  
で、論理的思考のひとつの目的は、
  
【 矛盾を無くす 】という事にあります。
  
  
私は幼少期から論理的思考に長けていますから、
  
たぶん、普通の人の1000倍くらい、
矛盾に対して敏感だと思います(笑)
  
  
生まれつき、「矛盾を放っておけない性格」だと思って下さい。
  
矛盾を発見すると、矛盾を解きたくて仕方が無くなるのです。
  
  
カンタンな例を出すと、
  
例えば、あなたが友達と食事をしているときに、
   
友達が「私、辛いモノが苦手で無理なのよね〜」と言いながら、
料理にタバスコを振りかけまくって食べていたらどうですか?
  
  
「え? どういうこと?」
「無理なの? 好きなの? どっちなの?」
  
って、その友達にツッコミたくなりませんか?(笑)
  
  
「まぁ、いっか…」と、
スルーできる人の方が珍しいと思います(笑)
  
  
私も、まったく同じ気持ちなのです。
  
目の前で変な事を言われると、ツッコミたくなるのです。
  
  
ただ、普通の人が気付かない様な
「論理的破綻」や「矛盾」にも敏感なだけです。
  
  
目の前で、「渾身のボケ」をかまされていたら、
大阪人として、ツッコまずにはいられないのです。
  
  
私が、他人の「論理的破綻」や「矛盾」を
ブログで解き明かしているのは、
   
【「ボケ」に対する「ツッコミ」】なのです(笑)
  
  
私から見ると、
世間には「やたらと矛盾している人だらけ」な訳ですが、
  
今では、その根本原因も理解しています。
  
  
人間が恐怖心を持っていると、論理的思考力が失われるので、
どこまでも「矛盾を許容してしまう」のです。
  
  
つまり、「恐怖心が強い人」ほど、
どこまでも、【 矛盾した言動や行動 】をする様になるのです。
  
  
ですから、
 
「どうしても独立したいです! 成功したいです!」
とか言っておきながら、
  
カンタンに諦めてしまうような、
【 口だけ人間 】も存在する訳です。
  
  
「恐怖心が強い」=「口だけ人間」なのです。
  
  
「恐怖心が強い人」には、  
論理的思考力も無いし、読解力も無いし、理解力もありません。
  
  
ですから、恐怖心の強い人が、
「わかりました! 理解しました!」と口先では言っても、
  
【 実際には全然理解できていない… 】なんて事もあるわけです。
  
  
【 恐怖心が強い人の「言動」や「行動」】は、
  
ほぼ必ずと言って良いほど、矛盾するモノなのです。
  
  
逆に、【 言行一致 】している人は、
  
そもそも恐怖心が薄かったり、
恐怖に出会っても、乗り越えていく習慣があるわけです。
  
  
私から見ると、
  
「心理系」とか「スピ系」の人間、
「ビジネスのコンサルタント」などの人たちの中でも、
  
多くの人の「言動」や「行動」が、矛盾に満ちています。
  
  
ですから、ひとつずつブログ記事で、
  
その「論理的破綻」や「矛盾」を解き明かしている訳です。
  
  
まぁ、別に解き明かされたくない人は読まなくていいんですけど。
  
  
ただ、私の気持ちとしては、
ボケ(矛盾)に対してツッコミを入れたいし、
  
そのツッコミ(論理的解説)が役に立つ人もいるだろうから、
書き続けます。
  
  
自分がやりたくても、
他人の迷惑にしかならないなら、やりませんよ(笑)
   
  
自分もやりたいし、誰かの役にも立つだろうから、
書き続けているのです。
  
  
例えば、下記の記事などで、
私がどれほど「学校教育の遅れや弊害」を語ろうとも、
  
・40年ギャップ説  
http://growheart.livedoor.biz/archives/52024336.html
  
未だに、「子供の教育費・学費を貯めないと…」
と考えている親もいるでしょう。
  
  
「将来的に役に立たない」って言ってるのに、
それは、どう考えてもわかりきった事なのに、
   
【 常識と違う事をする 】のが怖いのです。 
  
  
「常識から外れることが怖い」という恐怖心から、
  
【 論理的に破綻した、矛盾した行動 】をするのです。
  
  
そういう人の恐れは、
  
【 もし、「常識」や「大勢の人々」と違う事をやって、
  子育てに失敗したらどうしよう? 】
  
という、恐怖です。
  
  
結局、「子育ての責任」を、自分で取りたくないのです。
  
子育ての責任を、自分では無く、
【「世間」とか、「国」とかの責任 】にしたいのです。
  
  
「世間」や「国」の教育方針が間違っていたとしても、
    
自分の責任で子育てに失敗して、
「他人から責められるよりは良い」と思っているのです。
   
  
子供の教育に関して、国の教育機関(学校)に丸投げしていて、
親自身が、責任を取ろうとしていないのです。
   
そんな「無責任な親」に育てられている時点で、
子供にとっては有害です。
   
   
そして、親は恐怖でバカになってしまって、
子供を「奴隷養成所」に送り込む事になるのです。
  
  
結局、そういう親は、子供の将来の事なんか、
まったく考えていないという事です。
  
  
いや、考えたくても、冷静に考えられない訳で、
  
「子供に対する愛が無い」とは言いませんが、
恐怖でバカになっているから、頭が働かずに、
  
【 裏目、逆効果の教育 】をしてしまうのです。
  
  
親自身が恐怖を克服しないと、
  
【 子供が「とばっちり」を受けることになる 】という事です。
  
  
もし、本当に子供を想うなら、
  
親自身が恐怖を克服していく必要があります。
  
  
そして、私は「恐怖の克服法」を教えているのです。
  
でも、現時点で私から学ぼうとする人は非常に少数ですけどね。
  
  
  
親がチキン(臆病者)だと、子供が可哀想です。
  
まぁ、そういう「チキンな親」に育てられる子供も、
カルマ(自業自得)ですけどね。
   
  
恐怖心は、人間をどこまでもバカ(非論理的)にします。
  
バカから脱出し、賢くなるには、
「恐怖心」を克服していくしかありません。
  
  
実際、私の弟子やお客さんも、
  
恐怖を克服すればするほど、
頭が冴えて、明晰になる感覚を感じています。
  
  
そして、私は「恐怖心を克服する方法」を教えているのに、
  
なかなか、需要が少ないみたいですね(笑)
  
  
まぁ、
  
【 痛い目を見ないと気付かない、本気になれない 】
  
というのも、「人間の性(さが)」ですから、
  
まだそれほど痛くないんでしょうね。
  
  
ま、私は他人の自由意志を尊重しているので、
 
どっちでも良いですけどね。
  
  
この世には、
  
ボケ担当(矛盾している人)ばかりで、
ツッコミ担当(矛盾を突く人)が足りないですよね。
  
  
私もなかなか、ボケ担当の「渾身のボケ」が多すぎて
全部ツッコみたくてもツッコミ切れないくらいです(笑)


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