2017年04月19日

信じる基準

最近、私の「思考法」について、
他人にお話しする機会が多いのですが、
  
私は非常に論理的・合理的に考えます。
  
  
論理的思考…、英語ではロジカル・シンキングですね。
  
  
その「ロジカル・シンキング」の一種に、
「クリティカル・シンキング」という思考法があります。
  
  
どんな情報に対しても、
「鵜呑み」にせず「批判的な態度」で疑ってかかり、
   
目的や前提を明らかにし、問題や原因を特定し、
「最適解に辿り着くため」の思考法です。
  
  
既存の常識を疑ってかかり、
ゼロベースで考える思考法とも言えます。
   
  
私もこのクリティカル・シンキングという言葉を最近知ったのですが、
  
私は、この「クリティカル・シンキング」に、
非常に長けている様です。
  
  
おそらく、世界トップレベルに長けていると思います。
  
  
ちなみに、私は「計算」が苦手です。
  
「短期記憶」の能力もそれほど高くありません。
  
  
「ペーパーテストの点を取る為の能力」には、長けていないのです。
  
  
特に、暗算が苦手なので、暗算能力だけが問われる場にいれば、
私はその中で「アタマが悪い人」になってしまうでしょう。
  
別に、仕事に支障が無いので全然か構いませんけど。
  
  
ということで、「学校のお勉強」で言うと、
  
おそらく私の学力は、
全体から見て「中の上」くらいだと思います。
  
  
学校の勉強だけがアタマの良さではありませんからね。
  
私の才能と能力は、学校教育では計れない訳です。
  
  
しかし、コンピュータが発明されるまでは、
  
「計算力」と「記憶力」は、非常に重要な能力だったのでしょう。 
  
  
ですから、学校ではそれらを鍛える教育をしていた訳です。
  
  
ここで、私お得意のクリティカル・シンキングを発動させると、
  
「そもそも、勉強の目的は何なのか?」という問いが生まれます。
  
  
で、「子供が勉強する目的」はひとつしかありません。
  
【 将来、仕事をして、お金を稼ぐ為 】です。
  
  
勉強の本来の目的は、「お金(経済力)」なのです。
  
  
昔は、
  
勉強 → 学歴(大卒) → 公務員・一流企業 → 高卒よりも良い給料
  
という事で、【「学力」と「収入」】が連動していました。
  
  
ですから、
  
「学力が低い」=「経済力に期待が持てない、お先真っ暗」
  
と言うことで、「勉強できるかどうか?」は、
死活問題だと思われていた訳で、
  
勉強ができない事は、絶望的だった訳ですね(笑)
  
  
で、コンピュータが誕生すると、「仕事の全て」が変わりました。
  
計算と記憶は、コンピュータがやってくれます。
  
  
学校で鍛えられた能力は、大した価値を持たなくなりました。
  
  
今、ちょっと意識の高い親は、
子供に英語を教えようとしていますけど、
  
それも、将来の仕事に役立つだろう…と思っての事でしょう。 
 
  
しかし、人工知能の自動翻訳機能が発達したら、
「仕事における英会話の必要性」が、かなり下がってくるハズです。
  
  
今、子供に教えている事は、将来全く役に立たない可能性もあります。
  
  
「仕事の役に立たない知識や能力」の事を、【 趣味 】と呼びます。
  
  
ですから、現代の学校教育では、
    
何百時間もかけて、「趣味」を教えている事になります(笑)
  
  
思い出して頂きたいのですが、
  
勉強の目的は、「仕事」の為であり、「お金」の為です。
  
  
それ以外の知識や能力は、【 趣味・教養 】と呼ばれる部類です。
  
  
現代の学校教育では、
「趣味」や「教養」をたくさん教えていて、
 
将来、仕事に役立つ知識や能力を
身に付けさせられる場所ではありません。
  
  
コンピュータとインターネットの誕生で、
  
【「仕事」と「お金」に必要な知識と能力 】は、
昔とは、ガラッと変わってしまったのです。
  
  
次は、AIの波がやってきますからね。
  
それを見越して教育しないと、教育も無駄になります。
  
  
  
こうやって常識を疑ってかかるのが、
クリティカル・シンキングです。
  
  
しかし、普通の人は、常識を疑いません。
  
常識を鵜呑みにして、信じます。
  
  
次は、【 信じる 】っていう精神的行為について次は語ります。
  
  
人にはそれぞれ、何を信じるか?という、
   
【 信じる基準 】というモノが存在しています。
  
  
・常識だから、信じる
・親の言うことだから、信じる
・学校で教えられたから、信じる
・信頼している相手だから、信じる
・尊敬している相手だから、信じる
・大手のメディアだから、信じる
・有名人の発言だから、信じる
・大学教授や権威の発言だから、信じる
  
  
人は、「何を信じて、何を信じないのか?」という基準を、
   
無意識に持っています。 
  
  
そして多くの人は、
  
【「多数決で多い方」を信じる 】という基準を持っています。 
  
  
しかし、コペルニクスやガリレオが地動説を唱えたとき、
  
常識(多数決)では、天動説が信じられていました。
  
  
ほとんどの人が、
【 事実と異なる間違ったこと 】を信じていたのです。
   
  
そして、現代でもそれは同じです。
  
【 事実と異なる間違ったこと 】を多くの人々は信じています。
  
  
私は、「間違った事」を信じてしまうのがイヤです。
  
間違った事を信じていては、自分の望む結果が出せないからです。
   
  
例えば、子供がお金持ちになりたい!と思ったときに、
  
学校の先生に「どうしたらいですか?」と聞いたら、
「とにかく勉強しなさい!」って教えられると思います(笑)
  
  
それを信じていては、お金持ちにはなれません。
  
  
間違った事を信じていると、
自分の望む結果には辿り付けないのです。
  
 
私は、間違った事を信じたくないから、 
  
信じる基準が、人とは違って非常にシビアです。
  
  
私が信じる基準は、
  
「論理的に筋が通っているかどうか? 矛盾がないか?」
 
「自分が検証した事を、他人にも試してもらって、
 数多くの他人も同じ結果が出た、
 そして、それを覆す出来事は未だ起こっていない」
  
という事などです。
  
  
常識とか、有名人とか、権威とか、学校の先生とか、親とか、 
   
そういうのは、一切信じるに値しません。
  
  
私から見たら、「常識を鵜呑みにする人」は、
  
昔の【 地球は平面であると信じていた人たち 】と同じです。
  
  
別に、間違った事を信じていても特に困ってないし、
何の問題も無かったから、
  
当時の人たちはそれでも良かったのでしょう。
  
  
ただ、私の望みと目的は、
  
【 効率的に望む結果を出す 】
  
という事なので、
  
出来る限り慎重に、真実と事実を突き止めようとするのです。
  
  
ここで明らかにしたいことは、
 
常識を信じたい人は、別にそれでもいいですけど、
【 間違った事を信じてしまう確率が、極めて高くなる 】
  
という事です。
  
  
そして、事実と異なる間違った事を信じている限り、
  
【 自分の望むような結果は出せない 】という事です。
   
   
疑うっていうのは、自分のアタマに負荷がかかります。
  
他人の言うことを鵜呑みにして、信じてしまったほうが、
アタマを使わなくて良いのでラクでしょう。
  
  
おそらく、ほとんどの人が常識を覆されたくないのは、
  
「一体何を信じて良いのかわからなくなる状態」に
陥りたくないからだと思います。
  
  
本来、考える事は楽しいのですが、
  
多くの人は、用意された正解が無い「問い」について考え、
答えを探ることに、嫌気が刺している様です。
  
  
それも、学校教育の弊害です。
  
  
「今日の昼ご飯は何食べようかな?」は、考えるのに、
  
「これから人生をどうしていくの?」は、考えたく無いのです(笑)
  
  
他人から敷かれたレールに乗ることに慣れきっていて、
レールを用意して欲しいのです。
  
  
昔は、「終身雇用・定年退職」というレールが存在していましたが、
それも、もうほとんど存在しないも同然です。
  
だから、現代人は将来に不安を感じているのです。
  
  
そして、その不安は必ず現実化するでしょう。
  
  
私は、他人に「レール」や「正解」を用意することは出来ませんが、
  
納得の行く「答え」に辿り着くためのヒントを
たくさん持っています。
  
  
しかし、何よりも大切な事は、
  
【 本人が何を望むか? 】です。
  
  
「幸せになりたくない人」に対して、
【 幸せになる方法 】を伝えても、意味はありません。
  
「自分の情熱を見つけたくない人」に対して、
【 情熱を見つける方法 】を伝えても、意味はありません。
  
  
多くの人が、満たされた人生を送れないのは、
「強い望みを持っていない」からで、
  
「望みを持ってもどうせ無駄、叶わない」  
と思い込んでいるからでしょうね。
  
  
【「自分は無力だ」という思い込み 】が激しいのです。
  
それも、「先祖、親」から代々引き継いできた思い込みです。
  
  
子供は、親の思い込みを引き継ぎますからね。
  
  
そんな人に、
  
・現実は自分の意識が創っている
・自分を変えることで、現実も人生も大幅に変えられる
  
と言っても、なかなか信じられないでしょう。
  
  
私は、他人に何か強い望みや目的があれば、
その望みを叶え、目的を達成する方法を伝える事ができます。
  
ただし、絶対的な「宇宙の法則」に反すること以外は…ですが。
  
  
最終的に問われるのは、
  
本人の【 強い望み、想い、意志 】ですね。
  
  
それが無い人は、人生を変えることが出来ませんから、
諦めるしか無いでしょう。
  
  
人生は厳しいのです。
  
舐めてかかって、余裕しゃくしゃくで乗り越えられるほど、
イージーなゲームではありません。
  
  
舐めてかかったらやられてしまうからこそ、
真剣に、本気で取り組まなければならない。
   
それこそが、人生というゲームです。
  
  
それがわからない日本人はイージーモードで遊びすぎて、
本来の難易度を忘れてしまうくらいに、平和ボケしているのです。
  
  
他人から諦めろ!って言われて、それで諦めてしまうくらいでは、
  
どのみち、自分の意志はその程度で弱かったという事です。
  
  
もちろん、他人から「お前はやれば出来る!」って
励ましてもらったから、成し遂げられたっていう人もいるでしょうけど。
  
  
でも、この世には、
    
「諦めろ」って言う人と、「やれば出来る」って言う人と、
両方が存在していると思うんですね。
   
   
「宇宙の法則に反する願い(他人の自由意志の侵害など)」
はどうやっても叶いませんから、潔く諦めた方が良いですが、
   
自分の幸福追求は誰でも実現可能だし、諦める必要がありません。
  
  
最後は、「自分がどっちの意見を信じるか?」でしょう。
  
  
「何を信じるか?」という基準で、人の人生も決まってしまうのです。


mixiチェック

haxe501 at 15:14│clip!