2017年04月18日

40年ギャップ説

イギリス人の教育者「マイケル・バーバー」という人が、
「40年ギャップ説」というのを唱えていた…、
  
という記事を目にしました。
  
  
40年ギャップ説というのは、
  
子供の親は、自分が受けた「20年以上前の教育」を基準に、
自分の子供に教育しようとして、
  
教育者は、「20年後の世界」をイメージして、
教育しようとする…
  
  
「親」と「教育者」で、【 教育方針に40年のギャップがある 】
  
という話です。
  
  
まぁ、20年後を予測して子供に教育しようとする、
「優秀(まとも)な教育者」は、
  
全体から見ると、かなり少ないと思いますが…(笑)
  
  
私が以前書いた記事と同じ内容だったので、
自分以外にも同じ視点を持っている人はいるんだな…と思いました。
  
http://growheart.livedoor.biz/archives/51997692.html
  
  
20年前の価値観は、「高学歴(大卒以上)」を獲得し、
  
公務員や大企業に勤めて、
高卒にはもらえない高い給料をもらおう…、
  
という価値観です。 
  
これは、【 40年遅れ 】という事になります。
  
  
そして、現代の価値観は、
  
【 英会話 】や【 ITスキル(プログラミングなど)】を、
身に付けさせようという価値観です。
  
それでも、「20年遅れ」です。
  
  
AIなどの進歩で、
「音声自動翻訳」がかなり発達してきているので、
    
今後は、「英会話習得の必要性」が、
現在よりも下がってくるハズです。
  
  
じゃあ、本来は現在に行うべき
「20年後に活きる教育」は何か?っていうと、
     
私が現在「はこぶね倶楽部」で
伝えている様な内容になってくるでしょう。
  
  
基礎編として、

【 心理・経済・健康・スピリチュアルの本質 】
  
  
応用編として、
   
【 自分自身の「情熱」を自覚し、
 「自分固有の才能」を使って仕事ができるように、
 「必要な知識と経験」を積んで行ってもらう…】
  
という事です。
  
  
これらを学んでいる「はこぶね倶楽部」のメンバーは、
「20年後の教育」を【 先取り 】している事になります。
  
  
こういう教育が全人類に広がれば、
  
現在、人々と国家が抱えているあらゆる問題も、
一気に解決する事になります。
  
  
私は、あらゆる問題を解決できる「答え」を知っているのに、
   
積極的にそれを知ろうとする人が、皆無に等しいくらい少ない事に、
一種のもどかしさを感じています。
  
  
「問題だ!問題だ!」と、叫んでいる人が目の前にゴマンといて、 
  
その問題を解決する方法を自分が知っていて、
その人達に「問題の解決法を知ってるよ!」と叫んでみても、
  
誰も聞きに来ないとしたら、もどかしいと思いません?
    
  
私が感じているのは、「そういう気分」です。
  
  
まぁ、私の存在を知っているのに、
聞きに来ない人の気持ちもわかりますよ。
    
目先で「そこまで切羽詰まっていない」から、
わざわざ他人を頼ろうとも思わないのです。
  
  
それに、「問題の解決法」を一度知ってしまえば、
  
もう、「解決できないのも仕方がない…」
などと【 言い訳 】ができなくなります。
  
  
【「一切、言い訳ができない状況」に自分を追い込むこと 】も、
  
凡人の嫌うことですからね。
  
  
そこまで切羽詰まっていないのに、
  
わざわざ、【 言い訳ができない状況 】に、
自分を追い込みたくないのでしょう。
  
  
ですから、人間の心理として、
  
【 相当切羽詰まらないと、本腰を入れて問題解決に乗り出さない…】
  
という事なのです。
  
  
みんな、【 ラクをして問題解決したい 】と思っているので、
  
「負担を伴う確実な根本解決法」が目の前にあっても、
  
有り得もしない「ラクな答え」を探してしまうのです。
  
  
そういう「甘え」が通じるのも、目先で余裕があるウチだけです。
  
  
本来は、「余裕があるウチ」に対策を講じる事が、
効率的でベストなのですが、
  
多くの人は、余裕がなくなってから泣きつくのです。
  
  
でも、そういう状況に追い込まれてからでは余裕が無いので、
問題解決に取り組むにも、余計に大変なのです。
  
  
私が辿り着いた結論に、
  
【 人間は、痛い目を見るまで自分を変えようとしない 】
  
という事があります。
  
  
ですから、自分を変えようとしない人は、
  
【 まだ、それほど痛くない 】のです。
  
  
「社会の抱える痛み」が限界に達したとき、
  
私の持つ答えを知りたがる人が増えるでしょうし、
  
私は、それを待っているという事です。
  
  
逆に言うと、
  
「痛い(精神的、肉体的、経済的に)」ってことは、
自分を変える良いチャンスです。
  
  
まぁ、私は他人が痛い目を見ようとも、
その時点で「自分を変えよう」と思おうが、思うまいが、
  
どっちでも良いです。
  
  
「本人の選択」だし、
それが例えどれほどネガティブな選択だとしても、
  
【 本人の選択(自由意志)を尊重する事 】が、「無条件の愛」ですからね。
   
  
私は、「辞書」や「辞典」と同じで、
知りたいと思っている人に、答えを伝えるだけです。
  
  
押しつけがましい「宣教師」などではありません。
  
  
私は、自分の意志を持って自分に出来る事を行っていますが、
  
「私という人間を、社会がどう扱うか?」
  
それは、社会側の選択なのです。


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