2017年03月02日

さらなる深みへ

2日前、はこぶね倶楽部のメンバーと会って、
「ネガティブ観念の特定」を行いました。
    
  
結局、停滞の原因は
  
【 優等生のネガティブ観念 】でした。
  
  
私は、「優等生病」などと言いますが、
  
要するに、
  
・自分の「未熟さ」を認めたく無い
・自分の「頭の悪さ」を認めたく無い
・自分の「無知さ」を認めたく無い
・自分が「出来ない側の人間」である事を認めたく無い
  
という気持ちの「元凶」となる観念です。
  
  
それの何がいけないのか?というと、
  
人間というのは、
  
「自分は何も知らない」と思うから、貪欲に知ろうとします。
「自分は何もわかっていない」と思うから、貪欲に理解しようとします。
  
  
例えば、宇宙科学の最先端を研究しているNASAの研究員に、
「あなたは宇宙について、どれくらい理解していますか?」
  
と聞いたら、その研究者は、
「ほとんど何もわかっていないよ!」というでしょう。
  
  
科学者は、「わからない事にチャレンジする人種」ですから、
  
【 自分には、わかっていない事が多々ある 】と言うのが前提です。
  
  
そうして、わからないことを解明、究明していこうとするから、
 
賢くなっていくわけです。
  
  
一方、「自分はわかっている、自分は知っている」
  
と思っている人には、【 学習意欲 】がありません。
  
  
学教教育で、
  
・わからない人間には価値が無い
・知らない人間には価値が無い
  
と、叩き込まれているので、
  
「わからない自分、知らない自分」を認めたがりません。
  
  
自分が理解できていなくても、それを認めたく無いのです。
  
  
自分が「わからない事」に出会っても、
【 理解できない自分 】を認めたくありませんから、
  
わからない事に出会っても、考え抜いて理解しようとしないし、
そもそも、理解しようと思っていないんだから、理解もできません。
  
  
って事で、
  
・科学者は、「自分はわかっていない」が前提で、アタマを使います。
・優等生病は、「自分はわかっている」が前提で、アタマを使いません。
  
  
しかも、人間は「恐怖」を感じると、
アタマが真っ白になって、「理性」が吹っ飛びます。
  
  
ですから、
  
・わからない人間には価値が無い
・知らない人間には価値が無い
  
と思っていて、強い恐怖を持っている人は、 
 
アタマも使いませんし、理性も吹っ飛びますから、
まったくアタマが良くなりません。
  
  
つまり、【 優等生の観念 = アホになる病 】です(笑)
  
  
まぁ、私が最近言っている「奴隷根性」とも言えます。
  
  
ここでいう「優等生」というのは、優秀な人間の意味では無く、
   
【「学校教育の価値観における優等生」にすがりたがる人間 】
  
という意味であって、一種の皮肉です。
  
  
学校教育の価値観を植え付けられ、
  
・わからない人間には価値が無い
・知らない人間には価値が無い
・できない人間には価値が無い
・失敗する人間には価値が無い
  
という観念と恐怖を持ってしまった人は、
  
「奴隷根性」が染みついて、
「主体性」が無く、アタマを使わない「アホ」になってしまうのです。
  
  
命令された事をこなし、「暗記」と「計算」は出来る様になっても、
「自分のアタマで自律して考えないアホたち」を、
  
現代の学校では育成している訳ですね。
  
  
まぁ、他の人に言わせれば、「社畜養成所」という人もいます(笑)
  
それもなかなか的確な表現です。
  
  
「コンピュータが無い時代」はその能力が重宝されたのでしょうが、
    
コンピュータがあるご時世、何の役にも立ちません。
  
  
そもそも、学校の先生が「お上」に従う奴隷根性ですから、 
   
「奴隷思考の教師」が子供を教えたら、立派な奴隷に育つでしょう。
  
  
では、なぜ
  
・わからない人間には価値が無い
・知らない人間には価値が無い
・できない人間には価値が無い
・失敗する人間には価値が無い  
  
という価値観が、【 人間をアホにする元凶 】だとわかっていても、
  
多くの人は、その価値観をなかなか捨てる事が出来ないのでしょうか?
  
  
それは、反証がわからないからです。
  
・わからない事の価値
・知らない事の価値
・できない事の価値
・失敗する事の価値
・落ちこぼれの価値
 
それが、まったく理解できていません。
  
  
エジソンの、
  
「自分は失敗などしていない
 上手く行かない方法を見つけただけだ!」
  
という発言は有名ですが、
  
【 上手く行かないことの「メリット」や「ポジティブ面」】を、
  
エジソンは理解していました。
  
  
結局、
  
・アタマが悪いこと
・わからないこと
・知らないこと
・できないこと
・失敗すること
・落ちこぼれになること
  
の「ポジティブ面」や「メリット」が理解できないから、
 
優等生病から抜け出すことが出来ないのです。
  
  
それに、ほとんどの人は、
  
【 先生は無条件に正しい 】と思っています。
  
  
「これほど、バカバカしい思い込み」もありません。
  
  
集団を作ると、その中で「出来ない側の人」が必ず生まれます。
  
その「出来ない側の人々に対する接し方」で、
教師としての能力が決まります。
  
  
そもそも、教師の役割は、 
 
【 わからない人をわかる様にする事 】
   
【 できない人をできる様にする事 】
  
です。
  
  
そういう意味で「優秀な生徒」は、スムーズに理解して、
出来る様になってくれますから、手が掛かりません。
  
  
逆に、「優秀で無い生徒」は、手が掛かります。
  
手の掛かる相手がいるからこそ、
「教師としての能力」を磨くことができるのです。
  
  
「私は、元から優秀な生徒しか相手にしません」って言うのは、
  
医者に例えると、
「私は風邪みたいなカンタンな病気の患者しか相手にしません!」
  
って事です。
  
  
そんな医者、能力が高い訳がありません。 無能です。
  
「難病患者を治療できる医者」ほど、能力が高いわけです。
  
  
つまり、「優秀な生徒しか相手にしない」というのは、
  
【 自分は教師として無能! 宣言 】なのです(笑)
  
  
実際は教師が無能なのに、
  
「できない生徒の自分」を責めて、落ち込んでいる人が多いわけです。
  
  
いやいや、できない生徒を責める教師は、 
   
【「自分の能力の低さ」を生徒に責任転嫁してるだけ 】ですから。
  
  
そんな無能教師の言うことなど、鵜呑みにする必要はありません。
  
  
「出来ない生徒、わからない生徒」を冷たくあしらう教師ほど、 
   
【 教師としてのレベルが低い 】と言う事です。
  
  
で、「レベルの低い教師」の言うことを鵜呑みにして、
  
自分を責めて、自信を無くしている人が多いわけです(笑)
  
  
自分が「わからない事、知らない事、出来ない事」を恐れ、認めず 
  
「学習意欲」や「向上心」を失い、奴隷と化しているのです。
  
  
それが、【 優等生病の人の状態 】です。
  
  
私にとっては、「理解力に乏しい、ネガティブな生徒」ほど、 
  
【 自分の指導能力を高めてくれる相手 】だと思うので、嬉しいのです。
  
  
そもそも、教育にお金を払っている時点で、
生徒は「最低限のやる気」を持っている訳ですし、
  
たとえ本人のデキが悪くても、悪気がある訳ではありません。
  
  
本人も、なりたくて
わざと「出来ない人間」になっている訳では無いでしょう。
  
  
出来ない本人も、
  
「できれば出来る様になりたい! 優秀になりたい!」
と思っているハズです。
    
  
教育にお金を払わなくなったら、
本人に「最低限のやる気が無い」と言う事なので、
  
それはどうしようも無いと思いますが、
  
お金を払っていると言う事は、
「最低限のやる気」はある訳です。
  
  
その、「最低限のやる気」を持っている生徒に、
結果を出させてあげられないとしたら、
  
それは、完全に【 教師側の責任・能力不足 】です。
  
  
私はそう考えて、仕事をしています。
  
  
ですから、デキの悪い生徒が目の前にいても、
  
「自分を鍛え高めてくれる相手」だと認識しているので、
全然ネガティブな気持ちになりません。
  
  
ここで大事な事は、
  
全ての物事に、
「ポジティブ面・ネガティブ面が存在する」と言う事です。
  
この宇宙の真理を、【 陰陽表裏一体 】と言います。
  
  
「できない事、わからない事、知らない事、失敗する事」の
ポジティブ面がわかっていないから、
  
「できない事、わからない事、知らない事、失敗する事」を、
強く恐れるのです。
  
  
ですから、まずは【 物事に対する見方・捉え方 】が大切です。
  
  
以前、「感情に対する認識」についての記事を書きましたが、
  
私は、「ネガティブ感情のポジティブ面」を見抜いているので、
ネガティブ感情を恐れませんし、
  
必要とあれば、積極的にネガティブ感情を感じます。
  
  
ネコは、獣医さんから注射を打たれても、
それが病気の治療や予防に繋がる事を知りません。 
  
だから、「獣医は自分を攻撃する敵だ」と思い込みます(笑)
  
  
「自分に痛いことをしてくる=敵」って事です。
  
でも、注射は痛いけど、
実際にはそれ以上に、自分の命を助けてくれている訳です。
  
  
ネガティブ感情を「悪いモノ」だと思っている人は、
  
ネガティブ感情を感じさせてくる人間を敵だと思い込みます。
  
  
それは、反応がネコと同じですから、「ネコ人間」です(笑)
  
  
そうならない為には、
  
一見、ネガティブに見える事の
「ポジティブ面を見抜く能力」が必要ですし、
 
逆に、一見ポジティブに見える事の、
「ネガティブ面を見抜く能力」も必要です。
  
  
例えば、ポジティブ面(良い部分)しか見えず、
ネガティブ面を見抜けない人は、
  
詐欺の仕掛ける儲け話などで、カンタンに騙されます。
  
  
「こんな甘い話には、裏があるかも知れないな…」
  
と、ネガティブ面を知ろうとする事で、バランスが取れます。
  
  
つまり、【 宇宙は陰陽表裏一体である 】と言う事を理解し、
  
何を見ても
  
「ポジティブ面・ネガティブ面」
「メリット・デメリット」
  
の両面を、
  
バランス良く見抜ける能力が、最重要なのです。
  
  
そして、自分が物事をバランス良く見抜き、
正しく認識できている時は、
  
何を見ても、「感謝の念」を持つ事ができます。
 
  
自分の病気の治療のために、医者が注射を打ってくれたら、
たとえ痛くても、「有り難いな」と思えるでしょう?
  
  
それと同じく、ネガティブ感情が沸いても、
  
それが、【 自分の長期的幸せに必要な事だ 】と理解していれば、
  
「ネガティブ感情を感じる機会」にも、感謝の念を持つ事ができます。
  
    
ちなみに、私は「長期的幸せ」を他人に提供したいと思っています。
  
長期的幸せの為には、
「恐怖」や「ネガティブ感情」に真正面から立ち向かう姿勢が必要です。
  
  
逆に、私は長期的な幸せなんてどうでも良い、目先が大事なんだ!
  
と言う人には、麻薬をオススメします。
  
  
一瞬だけ快楽を得ても、その後ずっと苦しい人生です。
  
  
私の提供している事は、麻薬とは対極ですからね。
  
  
最近の私の心理研究の結果で、
  
「主体性が大事だ」という話をしてきましたが、 
  
しばらくして、
  
主体性よりも、まずは「感情のメカニズム」を理解し、  
ネガティブ感情に対する認識を正しく持つことの方が優先 
  
って事がわかりました。
  
  
今回はさらに、「感情のメカニズム」よりも、 
  
【 物事の捉え方 】の方が大事だって事がわかりました。
  
  
結局、
  
「感情に対する認識」を改めるにも、
「優等生病」から脱出するにも、
  
「自分が悪いことだ」と思い込んでいる要素の、
  
【 ポジティブ面を見抜けるかどうか? 】が大事なのです。
  
  
物事のポジティブ面を見抜けてこそ、
ネガティブな思い込みは手放しやすいのです。
  
  
逆に、ポジティブだと思い込んでいる事の、
ネガティブ面を見抜く事も大事です。
  
  
つまりは、
  
【「バランスの取れた見方・捉え方」ができるかどうか? 】です。
  
  
何に対してもバランスの取れた見方・捉え方ができるようになると、 
 
何事に対しても、
  
【 有り難い、ラッキーだ 】という気持ちになります。
  
  
例え、自分が交通事故に遭ったとしても、
  
瞬時にそのポジティブ面を見抜く事が出来れば、
  
ネガティブな気持ちに陥る事はありません。
  
  
感情は、「自分の考え方・捉え方」によって生まれますから、
  
自分の捉え方がポジティブである限り、
ポジティブな感情しか湧いてこないのです。
  
  
例えば、江戸時代のキリスト教弾圧下の日本では、 
キリスト教の人々が拷問にかけられましたが、
  
その拷問ですら、「神が与える名誉ある試練」として、 
喜んで拷問を受けた人もいるのです。
  
  
「痛み」や「不快感」は感覚ですが、感覚と感情は別です。
  
痛くても、不快感があっても、
「それが自分の為になっている」と理解していれば、
  
【 ポジティブな感情 】が沸いてくるのです。
  
  
SMプレイもそうですよね?
  
ムチで打たれても、ポジティブな感情が湧く人はいるのです。
  
  
「こういう場合、イヤな気持ちがするのは当然だ!」
  
という人もいるでしょう。
  
  
それは、一般的に、常識的に、そういう人が多いというだけで、
真実ではありません。
  
  
「物事の見方・捉え方」さえポジティブであれば、
 
何を見ても、【 有り難い・ラッキーだと 】思えるようになるのです。
  
  
ですから、長期的な幸せを求める人は、
   
まず、【「物事の見方・捉え方」のバランスを取る訓練 】が必要です。
  
  
「災い転じて福と成す」という諺もありますが、
  
一見ネガティブに思える事態にも、
ポジティブ面は必ず存在しているのです。
  
  
もし、長期的な幸せを求めないのであれば、 
  
そんな面倒くさい事をする必要はありません。
  
  
理性を捨て、感情と衝動の赴くままに行動し、
  
給料日にパチンコとキャバクラや風俗にでも行って、
散財していて下さい。
  
  
【「物事の見方・捉え方」のバランスを取る訓練 】
  
というのは、理性を働かせる訓練でもあります。
  
  
物事を、理性的に捉える訓練です。
  
  
自分の「見方・捉え方」が偏っていると、
  
ネガティブな出来事で、必要以上に落ち込んだり、
逆にポジティブな出来事で浮かれて、浮き足立ってしまいます。
  
  
どちらも、感謝の状態ではありません。
  
  
見方・捉え方のバランスが取れている状態は、
  
【 感謝の念 】を持てている状態です。
  
  
何を見ても、何が起こっても、
「感謝の姿勢を崩さない精神状態・意識状態」にまで成長する事が、
  
【 悟り・解脱 】なのです。
  
  
「ネガティブ観念」を持っている状態とは、
即ち、「偏った見方・捉え方」をしている状態です。
  
  
【 バランスの取れた見方・捉え方を心懸けよう 】とする事は、
  
それだけ、「自分のネガティブ観念を減らす方向性」を持っていると言う事です。
  
  
全ての現実、状態は、
  
【自分自身の「観念」と「感情」】によって創り出されます。
  
  
・「バランスの取れた見方・捉え方を心懸ける事」も、
 
・「感情のメカニズムを理解する事」も、
  
  
現実を創っている「自分自身の観念と感情」に対して、
  
【 主体性を持つ 】と言う事なのです。
  
  
逆に、「自分の観念と感情」に主体性を持てなければ、
  
自分の人生を自分で舵取りしている訳では無く、
    
川を流れる葉っぱの様に、
【 周りに流され、漂う人生になってしまう 】ということです。
  
  
私は、「長期的な幸せ」を求める人の為に、記事を書いていますが、
 
そうで無い人は、私の語る「面倒くさい事」などしなくて良いです。
  
  
どうぞ、「目先の感情(恐怖・悲しみから逃げ、快楽を求め)」を大切にして、
  
主体性も無く、「周りに流され、漂い続ける人生」を選択して下さい。


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