2017年02月17日

教育は聖職

「教育」に携わろうと思ったら、強い責任感が必要です。
  
  
特に、思想や哲学に関連する教育は、人の一生を左右します。
  
  
医者は、「人の命を預かる仕事」です。
  
間違えば、人の命を奪ってしまう可能性がありますし、
カンタンには医者にはなれません。
   
  
教育者は、「人の人生(一生)を預かる仕事」です。
   
間違えば、人の人生を狂わせてしまう可能性があります。  
でも、カンタンになれるし、名乗れてしまいます。
  
  
だから、レベルの低い無責任な教育者が、巷には溢れているのです。
  
  
そもそも、ほとんどの教育者には、
   
【 人の人生を預かっている 】という自覚がありません。
   
  
子供の親、学校の先生なども含め、
  
【 他人の思想や哲学に影響する立場の、全ての人間 】は、 
  
「自分が他人の人生を左右している」という自覚が必要です。
  
  
本人の持つ思想や哲学によって、その人の一生が決まります。
  
  
医者が、間違って他人の命を奪えば刑事責任を問われますが、
  
教育者が、他人の人生を狂わせても、刑事責任を問われません。
  
  
だから、教育に対して緊張感が無いのでしょう。 
  
ミュージシャンがライブで演奏する時の方が、
よほど緊張しているんじゃ無いですか?
  
  
私は、自分のコンサルティングを【 手術 】だと思っています。
  
  
非常に高い集中力を発揮して、
時には、8時間くらいぶっ通しで思考をフル回転させながら喋ります。
  
  
それも、
  
【 自分が話す以上「高い成果を出さなければならない」】という、
  
強いプレッシャーを自分に掛けているからです。
  
  
「相手の観念が変わった」と思えるまで、
時間無制限で、粘り強く考え続けます。
  
  
私にとって、コンサルティング中に(波動的に)邪魔が入ると言う事は、 
  
自分の外科手術を邪魔されるのと同じ事なのです。
  
  
手術って、場合よっては、
何十万、何百万、何千万円ってお金が掛かります。
 
ですから、私がコンサルティングで高額な金額を受け取るのも、
別にぼったくっているのではなく、当然の対価です。
  
  
医者は、人の命を左右する「怪我」や「病気」を治療しますが、
  
私は、人の一生を左右する「ネガティブな思想」を治療します。
  
  
生命も、人生も、大して価値は変わらないと思います。
  
  
生命の方が価値が高くて、人生の方が価値が低いでしょうか?
   
  
でも、人生がお先真っ暗になって、自殺する人もいるわけですし、
終末医療などでは、延命よりも「QOL」が大切にされている訳で、
     
「人生」だって、「生命」と同じか、それ以上に大切でしょう。
  
   
しかし! 
  
  
人生を左右する「思想・哲学の教育」に携わりながら、
  
「責任感の無い奴ら」のなんと多いことか!
   
  
飲食店だって、
食中毒を出したら営業停止、客足が止まれば閉店です。 
  
リスクがあるわけですから、緊張感を持って営業しているハズです。
  
  
しかし、巷の教育者は、何のリスクも背負っていません。 
  
宗教家だって、自分の教える教義で他人を不幸にしても、
何のリスクも負いません。
  
 
個人的な「表現の自由、思想の自由」は許されるべきだと思いますが、
  
  
他人に強く影響する教育に関しては、
  
医者と同じように、カンタンになれなくしたり、
ずさんな仕事をしたら、刑事責任を問われたり、
  
そういう「リスク」を背負わせるべきです。
  
   
それぐらい、【 非常に重い責任の仕事 】なのですから。
  
  
リスクを持たせれば、
レベルの低い奴らを一掃できるでしょう。
  
  
私から見れば、
 
巷に「人を治せない藪医者」が溢れていてる様に見えます。
  
  
巷のレベルの低い教育者が教えているのは、主に【 経験則 】です。 
  
   
私から見れば、
  
【 私の健康の秘訣は、毎朝納豆を食べることです! 】  
  
と、堂々と教えて、お金を取ってプロぶっているのと同じ事です。
  
  
人によって体質も違いますから、
自分の健康法が万人に当てはまる訳がありません。
  
  
それと同じで、
巷の「心理、思想、哲学」を語っている人間も、
  
自分の「経験則」を堂々と語っていますが、
健康や医療に例えると、どれだけレベルが低いかわかるでしょう。
  
  
結局、自分の人生がネガティブでも、
  
それを
   
・「自分の思想」が原因
・「他人から受けた思想教育」が原因
    
と、思えていないのです。
  
  
別の、もっと表面的なこと…
  
例えば、「国や社会のせい」にしているのです。
  
  
つまり、国の政策や社会福祉は重要視されていても、
  
【「ポジティブな思想教育の価値」は、
  誰もわかっていないし、軽視されている 】
  
という事です。
  
  
現代の学校教育では、
  
学問は教えられますが、
思想的にはネガティブに洗脳されてしまいます。
  
つまり、学校側には自覚は無いでしょうが、
本質的には「ネガティブな思想教育」を受ける事になってしまうのです。
  
  
誰もかれも、
  
「思想が人生に与える影響力」や「何がポジティブな思想なのか?」
  
と言う事が、わかっていないのです。 
  
  
学ぶ側も、教える側も、 
  
【「思想」や「思想教育」の影響力や重要性 】を理解していません。
  
  
だから、【 責任感の無い、低レベルな教育者 】が社会に蔓延するのです。
  
  
「思想の自由」は許されるべきです。
  
例えば、とある宗教では輸血(他人の血を混ぜること)は、
良くないことだと教えられています。
  
  
そういう思想を持つこと自体は自由ですが、
  
ただ、「ネガティブな思想」は「ネガティブな結果」を生みます。
  
  
個人的にネガティブな思想を持ちたければ、そうしていれば良いですが、
 
もしそれが社会全体に正しい事として広まったら大変です。
  
  
それを理解した上で、
  
・ポジティブな思想を持つ事の「重要性」や「価値」
・ポジティブな思想を持てる「選択肢」や「機会」も、
  
同時に伝えられるべきだと思います。
  
  
本人の持つ「思想や哲学」が、「人生全体、一生」を左右します。
  
  
だからこそ、「他人の思想や哲学」に影響を与える教育者は、
  
「他人の人生を狂わせてしまうリスクもあるのだ」と自覚し、
  
【 他人の人生を預かるという強い責任感 】が必要なのです。
  
  
教育は、医者と同じく大事な仕事なのに、
  
誰も、その重要性を理解していません。
  
  
【 人生は、「本人の持つ思想や哲学」で決まる! 】
  
と、学ぶ側も、教える側も、誰もが思えていないからです。 
  
  
それが真実なのに、真実が理解できていないからです。
  
  
学ぶ側の見る目が厳しくならないと、教える側のレベルも上がりません。
  
消費者が厳しくなれば、企業の態度が変わるのと同じです。 
  
  
【 教える側も、学ぶ側も、何も解っていない 】と言うのが、
   
この惨状を創り出しています。
  
  
本来は、教育も医療と同じように価値と責任ある仕事のハズなのに、
  
教育を舐めた教育者が蔓延している現状は、本当に嘆かわしいです。
  
  
詐欺の被害者が、騙されたことに気付かない限り、
   
詐欺師は詐欺を続けます。
  
  
それと同じで、一般の人々が教育者に厳しい目を向けない限り、 
 
教育者のレベルは上がりません。 
  
  
それも、学校教育によって、
 
【 教育者(先生・権威・教授など)の言うことが、無条件にマル 】
  
【 自分が少数派だとしても、多数に合わせることが正しい 】
  
という、奴隷教育を受けて洗脳されているから出来ないのでしょう。
  
  
ですから、教育者に逆らえない、強気に出れないのです。
  
  
考えれば考えるほど、今の世の中は重症です。


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