2017年02月02日

「意志の強さ」は何で決まる?

一週間くらい前に、
  
江戸初期におけるキリスト教弾圧を描いた
「沈黙」という映画を観てきました。
  
  
私は、「宗教の教えが正しい訳では無い」と理解しているので、
ニュートラルな気持ちで淡々とみていましたが、
   
敬虔なキリスト教信者が観たら、
きっと心揺さぶられるだろうな…と思いました。
  
だからこそ、海外で映画化されたのでしょう。
  
  
子供の頃は、やっぱり娯楽映画が好きでしたが、
大人になってからは、クソ真面目な映画も好きになりました(笑)
  
  
一方的に日本が悪い訳でも無いし、
キリスト教が悪い訳でも無い…
   
「善悪で計れないテーマ」だからこそ、
惹き付けられる人もいるでしょう。
  
  
私はキリスト教信者では無いので、
その映画を観て、特に感動する場面はありませんでした(笑)
  
  
心理のプロとしては、
  
「あー、自分はめちゃくちゃ善いことをしているつもりでも、
 精神的に傲慢だから苦しむんだよなぁ…」と、
  
当時の人々に突っ込みを入れたい所が多かったですね(笑)
  
  
でも、仕事で使えるネタを得ました。
  
  
良い人生、良い生活を送りたければ、
【 何よりも「人間観・人生観」をポジティブにする事が最優先 】
  
という発見が、私の最新の研究成果ですが、
   
  
人間観がネガティブな人の中には、
  
【 人間はみんな、追い詰められたら我が身可愛さに他人を裏切る 】
  
という思い込みを持っている人が多いです。
  
  
そういう人も居ることは確かですが、裏切らない人もいます。
  
  
キリスト教弾圧下では、「踏み絵」が行われました。
  
  
イエスやマリアの絵を踏ませ、
  
キリスト教信者かどうか見極めたり、
キリスト教への信仰を捨てさせる訳です。
  
  
でも、「踏み絵」を踏まずに、
拷問されたり、殺された人も、たくさんいる訳です。
  
  
そういう人って、「意志が強い」ですよね?
  
国の政治の方針に従う事も無く、逆らって、
殺されても、拷問されても、信仰を捨てないのです。
  
  
目先でラクになるよりも、どれだけ苦しめられても、
「自分が正しいと信じる信念」を貫いている訳です。
  
どれだけ苦しめられても、命が危険に晒されても、
自分が守り抜きたい「信念」や「他人」を裏切らないのです。
  
  
たとえ「宗教の教え」が間違っていたとしても、
  
どれだけ苦しめられても信念を貫く姿勢は、
「純粋で、強く、美しい」と思います。
  
  
つまり、事実として「意志が強い人はたくさんいる」という事です。 
  
  
【 人間はみんな、追い詰められたら我が身可愛さに他人を裏切る 】
  
こういう思い込みを抱いている人は、
「間違った思い込み」を持っていると言うことです。
   
   
なぜ、「人は裏切るモノだ」と思いたがるのでしょう?
  
それは、自分こそが意志弱く、他人を裏切る人間だからです。
  
  
自分自身が弱いから、「他人にも弱くあって欲しい」のです。
  
自分が弱い事に対して、
「みんなそうだし、仕方が無いよね」と、言い訳をしたいのです。
   
  
「他人の強いところ」を見せつけられるとと、
【 自分との歴然の差 】を感じて、惨めさを感じる訳です。
  
  
「人間はみんな弱いから、自分が弱くても仕方が無い」
と思いたいのです。 
    
  
しかし、そういう思い込みに反して、
実際に「意志が強い人」は数多く存在しています。
  
  
拷問されても、殺されても、信念を折らない人はたくさんいるのです。
  
  
じゃあ、「意志が強い人」ってどういう人か?
  
それは、【 主体的に情熱に従って生きている人 】です。
  
  
誰でも、自分が好きな活動に夢中になって、
没頭して、ハマっている時には、意志が強くなるモノです。
  
  
母親が、「ご飯できたよ〜」って呼んで来ても、
  
【 今やっていることをやめたくない! 】
  
そういう時は、誰でも意志が強くなっているのです。
  
  
私の意志が強いのは、 
 
偉人が成し遂げる様な、
「偉大な達成」に情熱を感じているからです。
  
「偉大な達成」に情熱を感じているから、
多少苦しくても、折れないのです。
  
  
逆に、自分がイヤイヤやっている時は、意志が弱くなります。
  
  
多くの人が、勘違いしています。
  
意志の強さとは、
「イヤな事をどれだけ無理矢理できるか?」だと。
  
  
それは、大きな間違いです。
  
  
学生時代に、イヤな受験勉強を無理矢理に頑張れる人を、
「意志の強い人だ」と思い込んだのでしょう。 
  
  
違います。
  
  
・イヤな事を我慢できる = 意志が強い
・イヤな事を無理矢理できる = 意志が強い
  
  
そういう風に勘違いしている人は多そうですが、
まったくの間違いです。
  
  
「意志の強さ」とは、【 どれだけ好きな事を頑張れるか? 】です。
   
   
イヤな事に対しては、意志が強くなる必要がありません。
  
  
「自分の意志が弱いこと」を裁き、罪悪感を抱いている人は、
  
本当は、「自分も意志が強くなりたい」のだと思います。
   
   
意志が強くなりたいのであれば、
  
・主体的になること
・情熱的になること
  
が、必要です。
  
  
義務感で、イヤイヤやっている事に対して、
意志が強くなる必要は無いのです。
  
  
じゃあ、どうすれば主体的になれるか?
  
・頼り(アテ)にならないモノを頼り(アテ)にしない
・他人の期待には応えられないし、応える必要も無いと理解する
  
そういう事が大切です。
  
  
「他人の期待に応えたい」と思う人は、
  
他人の期待に応えることによって、
「好かれたい、愛されたい」と思っているのです。
  
裏を返せば、「好かれる自信、愛される自信」がありません。
  
  
私は、あまり他人の期待に応えていませんが、 
愛される自信も、好かれる自信もあります(笑)
  
  
別に、他人の期待に応えなくても、好かれるし、愛されるのです。
  
自分のやりたい事をやっていれば、
それだけで好かれて、愛されるのです。
   
  
他人を気にしてばかりいるから、
自分軸が持てず、他人軸で生きていて、
  
「主体性」も「情熱」も持てないのです。
  
  
そして、自分は意志の弱い人間だと、自分を責め続けるのです。
  
  
意志が弱いのは、自分が好きでも無い事をやっているからです。
  
そして、主体的に生きていないからです。
  
  
意志を強く持ちたいのであれば、
  
まず、
  
【 人間はみんな、追い詰められたら我が身可愛さに他人を裏切る 】  
  
という思い込みを捨てる事です。 
  
  
それは、間違いなのですから。
  
  
どれだけ苦しめられても逃げない、
「意志が強い人」は確実に存在しているし、
  
  
意志が強い人になりたければ、
  
【 主体的になる、情熱的になること 】を目指す事です。
  
  
もちろん、生まれつき、
比較的に意志が強い人、弱い人はいるでしょう。
  
個性や才能にバラツキはあるでしょう。
  
  
しかし、「後天的に伸ばせる余白」も多く存在しているのです。
  
  
それを伸ばそうとするかどうかは、本人次第です。


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