2017年01月13日

教育の有り難み

私は、「教育」っていうのは、
とてつもなく価値があって、有り難いモノだと思っています。
  
  
しかし、どうやら私の様に思えている人は少ない様です。
  
  
教育に高い価値を感じていないから、積極的に学ぼうとしない。
  
積極的に学ぼうとしないから、成長しない。
  
成長しないから、現実が良くならないのです。
  
  
いいですか?
  
  
人間は、教育を受けなきゃ、文字すら読めないのです。
  
  
文字が読めるのは、
人間として生まれたから当然の事では無くて、
  
【 教育を受けたから 】です。
  
  
文字が読める人間と、
読めない人間の【 差 】生むのが、「教育」です。
  
  
私の父親は教育熱心で、
 
幼少の頃、私の自宅には、  
たくさんの「知育玩具、児童向け学習図書」がありました。
  
  
私の自宅には、楽しく学べる教材がたくさんあり、
そのおかげで、今の私が作られていると思います。
  
  
しかし、貧困家庭では、
  
そういう子供の成長に役立つオモチャや、
本すらも買ってあげられないのでしょう。
  
  
確かに、「経済格差」が「教育格差」を生んでいるとも言えます。
  
しかし、裕福な家庭で育った子が、みんなまっとうに育つか?
  
というと、そうでもありませんので、
  
「お金さえあれば、必ず教育が充実する」という訳ではありません。
  
  
なぜなら、お金よりも、
  
【 どのような教育を施せばよいか? 】
  
という、「中身」が何よりも大切だからです。
  
  
貧しい家庭で育っても、親がポジティブだったら、
それだけで、非常に優秀な子に育ちます。
  
逆に、裕福な家庭で育っても、親がネガティブだったら、
それだけで、自分に自信が持てない子に育ちます。
  
  
弟子たちを見ていたらよく分かります。
  
  
著名な事業家やスポーツ選手が、
将来は、教育に携わりたいと言います。
  
  
教育が大事。 それはその通りです。
  
  
しかし、【 何を教えるべきか? 】
  
という中身については、おそらく解っていないでしょう。
  
  
なぜそう言えるか?
  
  
私は、【 何を教えるべきか? 】について、研究してきましたが、
  
私の辿り着いた結論は、
  
膨大な時間とエネルギーをかけて徹底的に研究して、
ようやく辿り着いた結論なのです。
  
  
本業が事業家やスポーツ選手という人が、
  
パッと思いつくような中身では無いのです。
  
  
それに、教育の中身は大事ですが、
  
それよりも、【 教育を受ける側の姿勢 】も同じだけ大切です。
  
  
今の世の中、たくさんの人々が情報を求め、
本や雑誌を買ったり、ネットサーフィンをしています。
  
  
その情報を求める動機が、
  
「学びたい!」なのか?
「共感したい!」なのか?
  
で、大きく違います。
  
  
ほとんどの人は、
「学びたい!」よりも、「共感したい!」が優勢です。
  
  
何故かとういと、寂しいからでしょう。
  
  
寂しいから、自分が共感できる人や情報を求めているのです。
  
  
しかし、共感を求めると言う事は、
  
自分がネガティブ思考の人間であるならば、
「ネガティブな情報に共感する」と言う事です。
  
  
そういう判断基準である限り、成長はしません。
  
ネガティブな人間が、ネガティブな情報を見て、共感しても、
何も起きません。
  
  
例えば、
  
内心で、「戦争して隣国をぶっ潰せ!」と思っている人が、
「戦争は行うべきである!」という記事を読めば、
  
「うんうん、その通りだね!」って共感します。
  
  
情報を得て、何かその人の思想が変わるでしょうか?
  
変わりません。 
  
むしろ、ネガティブな思想が増長されます。
  
  
一方、「学ぼう」という動機で情報を求める人は、
  
「自分の耳が痛くなるような話」にも、素直に耳を傾けます。
  
  
目的が、寂しさを紛らわす「共感」では無く、「成長」だからです。
  
   
学びたいと思っている人、成長を目指す人は、
  
自分が考えも付かないような情報にこそ、価値を感じます。
  
  
どちらかというと、共感できない情報に価値を感じるのです。
  
  
例えば、私が過去にバシャールの本を読んだとき、
  
エササニでは、
【 惑星の全ての人々が、全員と結婚しているのと同じ状態 】
  
という事が書いてあって、当時は正直理解不能でした。
  
  
イメージ出来ないんです。(今では理解もイメージも出来ていますが。)
  
  
私は、そういう「自分の視野の外」にある情報にこそ、
価値を感じます。
  
  
なぜなら、そう言った情報こそが、
自分の視野を広げてくれるからです。
  
  
「共感できる情報」って言うのは、【 自分と同じレベル 】って事です。
  
  
「共感できない情報」って言うのは、
【 自分のレベルよりも、レベルが高い情報 】という事です。
  
  
共感を求める人は、レベルの高い情報に価値を感じない。
  
そもそも、成長よりも、目先の寂しさを埋める方が大事だから。
  
  
SNSのいいね!ボタンも、
  
「勉強になった!(理性)」じゃなくて、
「共感できた!(感情)」って意味で人は押しています。
  
  
日本人って、世界有数の「寂しがり屋の集まり」だと思いますね。
  
  
それは、
  
・一人では生きていけない。
・他人に嫌われたら、村八分にされてしまう。
  
という発想で、
  
狭い島国の中、同じ民族の中で生きてきた結果でしょう。
  
  
そして、大きく劣った人間、大きく優れた人間を仲間はずれにして、
  
「出る杭」を叩きまくって、
「平均の範囲内に収まる事」を一番良しとするのです。
  
  
その平均こそが、常識と呼ばれるモノです。
  
  
結局、各々が孤独を乗り越えなければ、
  
教育の価値すらも、人々は理解できないのでしょう。


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