2016年12月23日

ポジティブな概念を理解するのは容易では無い

最近、人と話していると、
  
「中井さんと話していると、頭を使って疲れる…」
  
と言われます。
  
 
まぁ、私と話すと、
普段は使っていない頭を強制的に使わさせられますからね(笑)
  
  
例えば、【 自分にとって、何が幸せなのか? 】
  
というテーマは、他人から教えてもらえる訳では無く、
  
自分で考えていく必要があります。
  
  
人によって「好きな食べ物」は違いますけれど、
  
自分の好きな食べ物は、
他人から教えてもらう訳ではありませんよね?
  
  
「自分の好み、自分の幸せ」を見つけるのは、
他人の仕事では無く、自分の仕事です。
  
  
「自分の人生を他人に何とかしてもらおう」と思っている人ほど、
      
普段、他人の命令に従うだけで、自分の頭を使っていません。
  
  
幸せになるには、
「自分にとって何が幸せなのか?」を自覚する必要があります。
  
それは、他人が教えてくれるモノではありません。
  
  
ですから、
  
幸せになるには、自分の頭を使って考える事が必須なのです。
  
  
私は、考える事が好きなので、それが苦になりませんけどね。
  
   
私にとって考える事は、「なぞなぞ」を解くようなもので、
  
答えが解った瞬間のスッキリ感、爽快感が好きなのです。
  
  
しかし、私みたいに考える事が好きな人ばかりではありません。
  
  
私は筋トレが好きか?って言われると、好きではありません。
  
必要だからやっている感じです。
  
  
でも、筋トレがめちゃくちゃ好きな人もいますからね。
  
  
でも、引き締まった身体を手に入れる為に、筋トレが必要な様に、
  
【 幸せになるためには、考える事は必須 】です。
  
  
で、私はいつも、「ポジティブな概念」を
他人に理解させようとしていますが、
  
私にとっては「楽しくすんなりと出来る事」でも、
他の人にとってはそうでない様で、
  
【「ポジティブな概念」を理解する事 】って、
  
めちゃくちゃ頭を使う事なんだなって思います。
  
  
私の記事も、頭を使って読まないと、
  
まったく理解できないと思います。
  
  
考えずに流し読みしている人は、何も理解できていないのと同じです。
  
  
常識に染まった考えをして生きてくると、
  
意識が、「ネガティブな概念」に染まっています。
  
  
その概念を塗り替えようとしたとき…、
  
【 今まで信じてきた事と「違う事」】を言われるわけです。
  
  
人間にとって、
  
【 今まで信じてきた事を塗り替える 】
  
という行為は、非常に頭脳に負担がかかる事です。
  
  
例えば、今まで自分が悪いと決めつけてきたことに対して、
  
「実は、全然悪く無いんだよ!」って言われたときに、
  
「え?どういう事?」と、混乱すると思います。
  
  
で、「新しい概念」が正当かどうか、検証する事になります。
  
  
その【 検証 】に、めちゃくちゃ頭を使うのです。
  
  
「本当に悪く無いの? 本当に?」 と、
  
新しい概念が正しいのかどうか、自分で納得するまで考えます。
  
  
そして、考え抜いて、腑に落ちて、心底納得できて、
  
ようやく、【 新しい概念 】を採用する訳です。
  
  
ですから、【 自分の持っている概念を塗り替える 】というのは、
  
「超」が付くほどの「頭脳労働」な訳です。
  
  
例えば、私は「お金って奪い合うモノじゃ無いんだよ」と人に言います。
  
「お金って、助け合えば増えるんだよ」って言います。
  
  
それが真実なのですが、
  
今まで「ネガティブな概念」に染まってきた人は、
  
それをカンタンに信じる事がでいません。
  
  
私が「例え話」を使って、「わかりやすい話」を何度もして、
  
ようやく、理解できてくるのです。
  
  
理解には、検証(シミュレーション)が必要ですからね。
  
  
で、他人の命令に従いたい、他人から答えを教えてもらいたい
  
という、奴隷根性に染まっている人ほど、
   
【 自分が新しい概念を理解する 】ことでは無く、
  
「手っ取り早く、自分が何をしたら良いのか教えてくれ!」
  
という、目先の方法論に依存した態度になります。
  
  
しかし、自分の頭で「新しい概念」を理解しなければ、
  
「目先の方法論」を教えてもらっても意味がありません。
  
  
「奴隷人間」から「自由人間」になればなるほど、
  
他人の命令に従うのでは無く、
「自分自身が理解しなければならない」という態度に変化していきます。
  
  
奴隷人間は、
  
・他人の指示や命令を待つ
  
・その分、自分の頭を使って考えない
  
・「なぜ、それをするべきなのか?」という【 目的 】では無く、
 「とりあえず何をすれば良いのか?」という【 表面的な行動 】を知りたがる
  
という感じです。
  
  
まず、「奴隷人間」から脱却しない限り、
  
自分の頭を使って、「ポジティブな概念」を理解する事も出来ません。
  
  
全ての人間に、「自由意志」は元々備わっている性質です。
  
   
【 自分に自由意志は無い 】というのは、勘違いなのです。
  
  
例えば誰かが、
「どうしてもこうしたい!」という頑なな意志を持てば、
  
それを、他人が止める事は出来ません。
  
  
肉体は止められるかも知れませんが、意志は止められません。
  
  
それは、【 自由意志は他人から侵害できない 】という証拠です。
  
  
全ての人に、自由意志が許されています。
  
許されていると言うよりも、元々備わっている性質です。
  
  
自分には、完全な自由意志が許されている。
  
  
例えば、自分がやろうとした事に対して、
親が反対してくるかも知れません。
  
  
でも、
  
親に刃向かう自由意志もありますし、
親に従う自由意志もあります。
  
  
どちらにしろ、自分の自由意志によって決める選択です。
  
  
親のせいで、自分の自由意志が侵害された!と思うのは、勘違いです。
   
ただ、自分の意志が弱いのを、他人のせいにしているだけです。
  
  
本当に、強い意志を持っていれば、親に刃向かうことだって可能です。
  
  
そうしなかったのも、自分の自由意志によって決めたことです。
  
  
自分に自由意志が無いと感じるのは、
  
自分の意志が弱い事を、他人のせいにしているからです。
  
  
他人に自由意志を侵害されたのではありません。
  
反対されたときに、「自分が折れる」という選択をしたのです。
  
  
自分の意志によって、
親の態度は変えられません。 自分の個性も変えられません。
  
自分の意志では変えられないモノはあります。
  
  
でも、その「変えられないモノ」に出会ったときの、
自分のリアクション(反応)は、自分の自由意志に委ねられています。
  
  
まず、自分の意志には、完全な自由が備わっています。
  
それは、誰にも侵害できないのです。
  
  
自分の意志が他人に影響されたと思っても、
  
影響される事を選んだのも、自分です。
  
  
他人の影響を「撥ね除ける選択」も自分にはあったわけですから。
  
  
カンタンに自分を取り巻く環境は変えられないかもしれませんが、
  
人間には、「選択の自由、意志の自由」が備わっています。
  
  
どんな選択をしても良いのです。
  
どんな意志を持っても良いのです。
  
  
それは、誰にも邪魔されません。
  
  
自分のやろうとしている事を他人に話したとき、
反対されるかも知れません。
    
  
でも、他人は動かせませんから、
  
・他人の反対を押し切って、自分のやりたい事をやる
・他人の意見に流されて、自分が折れる
  
どちらを取るか?は、自分の自由に選べます。
  
  
もし、他人の自由意志に影響できたら、
  
テロだって止められるハズです。
  
  
でも、「どうしてもテロをやりたい!」って言う人を、
他人が止められないから、テロが起きます。
  
  
あなたがやろうとしている事も、  
他人が止められる訳では無いのです。
  
  
他人の話は参考にするかも知れませんが、
  
最終的に、やるか?やらないか?は、自分の意志で決める事です。
  
  
まず、自分には
  
【「選択の自由、意志の自由」が、元々備わっている 】
  
その理解が必要ですね。


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