2016年11月17日

死のシュミレーション

私は【 自分や親の「死」】について考える様に、人に勧めています。
  
  
なぜなら、【 生と死は表裏一体 】です。
  
  
「死」について考える事は、
「人生を真剣に考える事」とまったく同じなのです。
  
  
で、そのカルマが返ってきて、
  
私は、「ぼくらの」というアニメを見ています。
  
  
ちょっと古いアニメで、存在は昔から知っていましたが、
昨日、なんとなく見てみようと思いました。
  
  
このアニメは、巨大ロボットが出てくるロボットアニメで、
十数人の「13歳の子供たち」が主人公です。
  
その子供達が、ロボットを操縦して、
次々と現れる敵を倒さなければならないのですが、 
  
敵を倒さなければ、地球が滅亡してしまいます。
  
  
しかし、敵を倒すためにロボットを操縦した代償として、
パイロットの子供は一人ずつ死んでしまうのです。
   
  
「地球を守って死ぬか?」 「地球が滅亡して死ぬか?」
  
という、究極の選択。
  
  
その設定が面白いなと思って、
  
【 人が死に直面した時、何を思い、どう決断するのか? 】
  
そこに興味がありました。
  
  
「死」について考える事は非常に哲学的ですし、
  
その分だけ、「生」についても考えさせられます。
  
  
例えば、「自分の命があと一週間で尽きる」 としたら、
  
【 自分は何を思い、どう行動するだろうか? 】 とかね。
  
  
私なら、
  
・お客さんに迷惑が掛からない様に、
 「仕事の終わり方」を考える
   
・自分の愛する人(ソウルメイト)の事を考える
  
・動画や音声、文章を残すなどして、
 社会や世の中に対して何か価値を残せないか?考える
  
って感じですね。
  
  
1.仕事
2.個人的な愛
3.世の中
  
という風な優先順位で考え、行動していくと思います。
  
  
何を感じるか?というと、
  
「道半ばで死ぬ」のは非常に悔しいですが、
それも「天の定め、天の導き」として受け入れようとするでしょう。
  
ただし、「後悔」は一切無いです。
   
  
「全力でやれる事をやってきた」と思うので、後悔は無いのです。
  
そんな自分を誇らしく思うでしょうね。
  
  
実際の世の中で、
  
【 地球を守るために死ねる人(命を捧げられる人)はいますか? 】
  
って募集すると、たくさんの応募があるでしょう。
  
  
自爆テロを行う人も、
自分の命よりも大切な大義に命を捧げているつもりでしょうし、
  
「死ぬ可能性が高い」って言われても、
火星に移住したいって応募する人もたくさんいます。
  
  
世間では「命が一番大事」だと思われがちですし、
実際、「自分の命が一番だ」って言う人も多いでしょう。
  
でも、そんな人ばかりでは無く、
  
【 自分の命を捨てでも、追い求めたい何か? 守りたい何か?】
   
を持っている人たちも多数存在しているのです。  
  
  
意義ある事に命を捧げる事によって、
【 自分の存在価値を感じたい 】と言う人もいるのです。
  
  
私も、過去はそういう人間でした。
  
  
・愛する人を守るために死ぬとか、
・何かしらの大義の為に死ぬとか、
  
そういうのがカッコ良いと思っていました。
  
 
死の恐怖は大きいからこそ、
【 死の恐怖を乗り越える事 】がカッコ良いと思う訳です。 
  
  
武士みたいな思想ですけど、
おそらく、過去世で騎士とか武士だったことがあって、
  
そういう美学を大事にしていたのだと思います。 
  
  
そして、大切な人を守れず、先立たれた過去世もあって、
  
先に死なれて感じる「深い悲しみ」や「後悔」から、
大切な人を守って死ぬ方が良いと思ったのかもしれません。
  
  
でも、私も精神的に成長してきて、
そういう気持ちも無くなって来ました。
  
  
今の私は、「生きていたい」と思います。
  
  
死に対する恐怖は、自殺願望を経て乗り越えてきましたが、
  
【 自分が長生きする方が、
  他人や世の中に大きく貢献できる自信がある 】ので、
  
そういう理由で、生きていたいと思います。
  
  
自分の「生きていたい動機」が、
  
「死に対する恐怖」からでは無く、【 世の中への貢献の為 】です。
  
  
要するに、「自分の存在価値への自信」が高まれば、
  
自分の命を粗末にする事も無くなります。
  
  
自分の命を軽々しく思ってしまうのは、
  
【 自分自身にそれほど存在価値を感じていないから 】でしょう。
  
  
だからこそ、自分の存在価値を感じられる事に対してなら、
  
「命を捨てても良い」と思うのです。
  
  
  
・生きている方が人の役に立てるなら、生きていたい
・死んだ方が人の役に立てるなら、喜んで命を捧げたい。
  
  
死の恐怖を乗り越え、真剣に貢献を考えている人は、
そう思うでしょう。
    
  
しかし、恐怖に怯えている人は、
  
・「死ぬ事が怖い」から、生きていたい
・「生きる事が辛い」から、さっさと死にたい
  
  
と、「生きたい」にしろ、「死にたい」にしろ、
  
動機が【 他者への貢献 】では無く、【 イヤな事から逃れたい 】です。
  
  
結局、自分の事しか考えられていません。
  
  
・「生きる事」が正しいかどうか?
・「死ぬ事」が間違っているかどうか? 
   
ではなくて、
  
ポジティブな人は、
生きるにしろ、死ぬにしろ、【 他者への貢献 】が動機です。
   
ネガティブな人は、
生きるにしろ、死ぬにしろ、【 嫌な事から逃れたい!】が動機です。
  
  
私は、死ぬ時だって人の役に立って死にたいし、
今は、生きている方が人の役に立てると思うから、生きていたいのです。
  
  
それは、私が人生に「意義」を求めているからです。
  
別に、それが正しいという話じゃ無くて、個人的な好みです。
  
  
恐怖に怯えている人は、
  
・「生きる事が辛い」から、死んでしまいたい
・「死ぬ事が怖い」から生きていたい
  
と、動機が後ろ向きです。 
  
恐怖から逃れる事しか考えていません。
  
  
そして、「後ろ向きの動機」しか持てないなら、
  
幸せになれるハズがありません。
  
  
恐怖に対して、目を背けたり、逃げるのでは無くて、
  
覚悟を決めて、正面切って乗り越えなければ克服できません。
  
  
幸せな生き方、幸せな死に方をするには、勇気と覚悟が必要です。
  
  
その勇気と覚悟を持てないのであれば、
  
生きたって、死んだって、
  
どっちにしろ、【 苦しい結末 】しか待っていないのです。
  
  
恐怖から逃げるのでは無く、正面から向かい合う勇気を…、
 
それを持てるかどうかが、
「天国の人生」と「地獄の人生」の分かれ目です。


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