2016年10月30日

学校教育の具体的弊害

昨日に引き続き、子供の教育について語ります。
  
  
まず前回の記事でも明らかにしたように、
  
過去と現在では、  
【 豊かさのルール 】が変わったと言う事です。
  
  
昔は、
  
暗記と計算に優れ、上司の指示に忠実に従い、
正確でミスをせず、退屈な作業も淡々とこなせる
  
そういう人間が豊かになれました。
  
ある意味、コンピュータやロボットの様な人間です。
  
  
しかし、これからの時代はまったく逆です。
  
社交性、創造性、自発性に優れていて、
既存の常識を疑い、イノベーションを起こせる、
  
退屈を嫌い、自分の情熱に従って生きている人間が、
豊かになれるのです。
  
  
  
私が【 学校教育の弊害 】だと思っているのは、
  
  
1.暗記と計算を重視した学問の教え方
  
これは、コンピュータとインターネットの発明によって、
重要性が薄れたという事です。
  
  
  
2.減点方式のテスト
  
テストでは、「一発目で100点を取る事」が、
最も素晴らしいという観念を植え付けます。
  
そうすると、
  
何度もチャレンジして、
徐々に上達していく事が素晴らしいとは思えなくなり、
  
「完璧主義」と「失敗恐怖症」を生み出します。
  
  
  
3.イヤな勉強、退屈な勉強でも無理矢理やらなければならない
  
これは、サラリーマンになったときに、
  
「上司の指示」に対して何の疑問も持たず、忠実に従い、
「退屈な作業」も淡々と出来る様になるための訓練ですね。
  
その分だけ、人それぞれの固有の情熱や才能が発揮されなくなります。
  
  
  
4.みんなと違う事をするのは悪いこと
  
人と違っていたら怒られてしまうから、
これも、子供の情熱を削いでしまう。
  
人と違う事をやろうとする時のチャレンジ精神を奪う。
  
  
  
5.時間割が決まっている
  
現在では、時間や場所に縛られない
ノマドワーカーも増えていますが、
  
時間を縛っているのは、
「みんなで工場で働くことが当たり前の時代」の名残でしょう。
  
  
起きる時間も、何を勉強するのか?も、決められているから、
自発的に学ぶ意欲を削ぎ落とす。
    
  
という感じですね。
  
  
  
学校教育も良いところあるよって言う人もいるかもしれません。
  
でも悪いですが、私はまったく思えません。
  
  
  
私は子供の頃から、
本を読んで学習する事が大好きな子供でした。
  
  
自宅には、児童向けの学習図書がたくさんありました。
  
その多くは「マンガ」でわかりやすく表現しているモノが多く、
クソつまらない学校の教科書とは違って、楽しく学べました。
  
  
学校では、【 つまらない事に耐える訓練 】をさせられているのです。
  
  
私は、学問自体を否定しているのでは無いです。
  
「学校の教え方」が時代に合っていなさすぎて、
【 何世代前の教育をしているんだ!? 】と言っているのです。
  
  
みんなで「決まった時間に工場で働いていた時代」とは違うのです。
  
  
私が子供の頃に自発的に楽しく学んだ事は、鮮明に覚えています。
  
それに、人生を生きる上で、非常に役に立っています。
  
  
  
私は受験勉強を義務感で行っていましたが、
  
「受験勉強で何を学んでいたのか?」すら覚えていません。
  
今の仕事にも、まったく役に立っていません。
  
  
義務感でイヤイヤ学んだ事など、役に立たないのです。
  
  
学校で勉強した事より、
家で学んだ事の方が覚えているし、役に立っているのです。
  
  
  
私はエジソンの伝記をよく読んでいましたが、
  
エジソンは、学校に行っていないのです。
  
  
2つの「泥だんご」をくっつけて、1+1は=1じゃないのか?
  
とか、そういう質問を学校の先生にして、
  
「この子は頭が腐っている」と言われてしまった、と書いてありました。
  
  
なるほど、エジソンは【 ユニークな捉え方、視点、好奇心 】が才能で、
  
学校の先生には、それが理解できなかったんだ。
  
  
と、私は思いました。
  
  
エジソンの伝記を読んだ時点で、
既に学校教育はそれほど信頼していなかったのかも知れません(笑)
  
  
そして、私の子供時代を振り返っても、
  
本当に役に立っているのは、【 親の教育だったり、家で学んだ事 】です。
  
  
もちろん、学校で学んだ内容が楽しかったという人は、
それを覚えているし、役にも立っていると思います。
  
でも、その内容って、
わざわざ学校でなくても学べると思いますけど。
    
  
私は、中学生の時に不登校になりましたが、
  
それでも、高学歴の普通の人より、超絶幸せで自由な生活をしています。
  
  
しかし、短絡的に、
「学校に行かなければ上手く行く」という訳でもありません。
  
  
親自体がネガティブだったら、学校に行っても、行かなくても、
子供はネガティブな影響を受けます。
  
  
私は、学校教育を遥かに上回る教育が出来る自信があるからこそ、
  
学校に行かせなくても、優秀な人材に育てられる自信があるのです。
  
  
親がネガティブで賢くもなかったら、
  
もしかしたら、学校に行かせた方がまだマシかもしれません。
  
  
それは、家庭によってケース・バイ・ケースだと思います。
  
  
ただ、

「国が頼りにならない、学校が頼りにならない」
  
という状況になったときに、
  
  
「親として、自発的に対策を打てるのか?」って話です。
  
  
国や会社や学校がネガティブな方向に進んでいる事がわかっているのに、
  
【 これから「沈むとわかっている船」に乗り続けるのか? 】
  
って話です。
  
  
「学校が頼りにならないから、自分が子供の教育方針を考えないと!」
  
ってなった時に、ちゃんと考えてあげられるのでしょうか?
  
  
結局、子供の教育を「学校任せ」にしていて、
  
【 親としての教育責任 】を放棄しているのです。
  
  
そういう人は、子供がネガティブな方向に進んでいても、
  
それを止める事すらできません。
  
  
みんなが乗っている船から、「一人で脱出する覚悟」が持てない人は、
  
「これから沈むとわかっている船」でも、乗り続けるしかありません。
   
  
  
学校教育が、これからの経済的自立に役立たないとすれば、
  
学校教育は【 沈む船 】です。
  
  
「学校が頼りにならない」とわかっていても、

学校に行かせ続ける、親が教育方針を考えないという事であれば、
  
  
それは、【 沈む船に乗り続ける 】と言う事です。
  
  
私の父親は、「子育て」を学校に丸投げなんかしていませんでした。
  
  
私の父親は、自宅でたくさんの学習機会を与えてくれました。
  
母親も、厳しく躾けてくれました。
  
  
私は、学校に育てられたのでは無く、親に育てられました。
  
  
親が、自分が育てる!という意識を持たず、
  
「教育」や「子育て」を【 学校に丸投げ 】しているから、
  
「学校が頼りにならない」とわかっていても、
学校に行かせ続けるしか無いのです。
  
  
私の父親は、自立心が強い人でした。
  
だから私も、自立心が強く育ちました。
  
  
教育を学校に依存している限り、
  
子供をポジティブに育てる事は出来ないのです。
  
  
もし、学校が頼りにならないとしても、
  
それでも、学校に行かせますか?
  
  
それは、自分が親として
教育方針を考えてあげられていないのです。
  
  
学校が頼りにならないなら、自分で教育方針を考えないと!
  
それが、【 子育てや教育において、自立している親 】です。
  
  
教育を学校に丸投げしているとしたら、
  
「学校が頼りにならない、学校が間違った方向に進んでいる」
  
という状態になっても、何の対策も出来ません。
  
  
それは、【 自分の責任で子供を育てるんだ! 】という覚悟が無いのです。
  
  
【 みんなが乗っている沈む船から、一人で脱出する覚悟 】が持てないから、
  
沈む船に乗り続け、みんなと一緒に沈むのです。
  
  
学校が頼りにならなくても、学校に行き続けるというのであれば、
    
大人が、潰れるとわかっている会社に、
転職もせずに、しがみ続けるのと同じです。
  
  
潰れそうな会社でも、転職する覚悟を持てなければ、
  
勤め続けなければなりません。
  
  
それは、「依存しているから」です。
  
  
自立心を育み、依存心を断ち切らない限り、
  
国、会社、学校など、
「常識」や「既存の大きな組織」に頼り続けるしかありません。
  
  
たとえ、それが沈む船だとしても、脱出できないのです。
  
  
自分の人生を、子供の人生を、
いかに「会社、学校、国など」に依存しているか?
  
という事です。
  
  
じゃあ、会社、学校、国が頼りにならなくなったら?
  
その時はどうするのでしょう?
  
  
一緒に沈むのでしょうか?
  
  
子供の教育を「学校」に丸投げしている人は、
自分の経済状況も、「国」や「会社」に丸投げしています。
  
国や会社が頼りにならなくなっても、自ら対策をしません。
    
  
 
頼りにならない場所からは脱出する「フットワークの軽さ」が必要です。
  
  
海外の人は、「自分の国」が頼りにならなくなったら、
亡命したり、移民になったりします。
  
  
日本人にはイメージしにくいかも知れませんが。
  
  
そのフットワークの軽さがなければ、
  
国と一緒に滅びてしまいます。
  
  
学校教育が頼りにならなくなった時、
  
それ以外の選択肢を模索し、飛び移れるフットワークの軽さが、
  
身を助けるのです。


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