2016年09月12日

愛を感じるには、動機にフォーカスする

前回の記事で、
   
「他者から愛される自信」を持っていなければ、
いくら実際に他者から愛されたとしても、
  
それを感じる事はできない。
  
  
と言う事を書きました。
  
  
実際に愛されたとしても、それを感じられないのは、
視野が狭いからであって、
  
「視野が狭い」と言う事を具体的に言うと、
  
【 目に見えない「動機」が見えておらず、
  目に見える「表現」しか見えていない 】
  
と言う事です。
  
  
例えば、親から過度に心配をされると、
  
「心配しなくていいから、信頼してくれよ。 鬱陶しいなぁ…」
  
と思う事もあるでしょう。
  
  
確かに、「心配」はネガティブな発想です。  
  
  
しかし、心配するのは、愛情があるからです。
 
【 良くなって欲しい、悪くなって欲しくない 】
  
と思っているからこその心配です。
  
  
表現だけを見るとネガティブに見えるかも知れませんが、
  
動機に目を向けると、
自分を大切に想い、尊重してくれているのを感じます。
  
  
自信が無い人、視野が狭い人は、
  
「自分の欲しい表現」じゃ無いから、愛を感じられないのです。
  
  
自分は「プレゼントA」を欲しがっていたとしても、
自分に与えられるのが「プレゼントB」だったら、
   
「こんなモノは欲しく無い! 
  
 欲しく無いモノをよこそうとするのは、
 自分を愛していないからだ!」
  
という、短絡的な結論に至ってしまうのです。
  
  
「表現の領域」では、欲しく無いモノをもらったとしても、
  
「動機の領域」を見ると、愛を感じる事ができます。
  
  
「愛」とは、「大切に想う気持ち」ですから、
  
  
何かを大切にしている人は、愛を持っている人です。
  
  
そして、「大切な想い」が強ければ強いほど、
  
【 愛が深い 】と言う事です。
  
  
そして、「他者から愛される自信」に乏しい人は、
  
大切に想われていても、それを感じる事ができません。
  
  
他人の愛情表現に対して、
「こんなモノは欲しく無い!」と、駄々をこねる子供なのです。
  
精神的には。
  
  
視野が狭い人ほど、
目先の事、目に見える事にしか考えが及びません。
  
視野が広い人ほど、
目に見えていない領域にまで考えが及び、イメージする事ができます。
  
  
視野を広げれば、今まで認識できていなかった、
数多くの「愛」に気付き、それを感じる事ができます。
  
  
視野を広げるには、

目に見える「表現」では無く、
目に見えない「動機」を見る事です。
  
  
表面的には同じ様な行動でも、
  
ポジティブな動機で行えば、ポジティブな結果が生まれ、
ネガティブな動機で行えば、ネガティブな結果が生まれます。
  
  
自信の無い人ほど、
  
「目に見えないモノ」が信じられず、  
「目に見えるモノ」だけに囚われてしまいます。
  
  
特にわかりやすい例が、「お金」です。
  
  
多くの人は、「お金があれば安心」と思っています。
  
私はそうは思いません。
  
  
私にとっては、
「助け合える人たちとの信頼関係」があれば安心です。

信頼は目には見えませんが、私はそれを信じていますし、
他人を信頼できるのは、自分に自信があるからです。
   
   
私は、弟子たちと助け合って生きていますが、
   
もし、助け合うのが赤の他人で、助け合う度に、
いちいちお金を払わなきゃいけないとなれば、
   
そっちの方が面倒です。
  
  
他人を信じれない人は、自分に自信が無いからです。
  
  
お金に囚われる人は、
いざというとき、「他人はアテにならない」と思っているのです。
      
確かに、アテにならない様な人物もいるでしょう。
  
  
でも、自分がいざというとき、他人を見捨てて逃げるタイプの人間だから、
「自分もきっと見捨てられるに決まっている!」と思っているのです。
  
  
お金は、他人と助け合うための道具であって、
本当に重要なのは、「他人との助け合い」なのに、
  
「人」よりも「道具」の方を信用しているのです(笑)
  
  
その道具さえあれば、
無条件に助けてもらえると思っているのでしょう。
  
  
しかし、
  
・お金をもらっても、やりたくない事はしない
・お金をもらっても、付き合いたくない人とは付き合わない    
  
というタイプの人が増えていますから、
そういう人が増えれば増えるほど、
  
お金は無条件に他人の助けを借りられる道具では無くなります。
  
  
お金を介在させると、
他人と心理的距離を取りながら助け合いができますけど、
   
お金に依存する人は、他人と深く関わりたくないのです。
  
  
他人と深く関わる事は、自分の内面と深く関わることでもあります。
  
  
自分の内面のネガティブと向き合いたくない人は、
  
他人とも深い付き合いをしたいと思わないのです。
  
  
私は逆に、他人とは「深い付き合い」を望んでいますし、
  
逆に、「他人とは浅い付き合いだけで良い」と言う人とは、
話が合いません。
    
  
私は、自分の内面とも向き合ってきましたが、
私は、自分の内面を探求するのが好きなのです。
  
それと比例して、他人と深く繋がりたいとも思うのです.
  
  
他人を恐れる人は、
自分の内面を探求することにも、恐れを抱いています。
  
  
自分のネガティブ面(ダークサイド)を知るのが怖いのです。
  
潔癖症というか、
清廉潔白でありたいと思っているのでしょう。
  
  
しかし、自分自身の陰陽両面を統合することで、人間の精神は成長し、
  
ニュートラルな立場から、
自分の望むポジティブな選択が出来る様になります。
    
  
つまり、ネガティブに対して寛容になればなるほど、
ポジティブな存在となり、ストレスも減るのです。
  
  
学校のPTAみたいに、
「あのテレビは下品だから見てはいけない!」
  
という主張をするようなタイプの人こそ、ネガティブなのです。
  
  
まぁ、ネガティブな人も、
何を愛しているからこそ心配する訳ですが。
  
 
世の中には、
  
他人から愛されているのに、
自分は愛されていないと勘違いしている人ばかりです。
  
  
それは、本人に「自信(愛を受け取る器)」が無いからです。
   
自信がないから、視野が狭く、動機が見えず、表現しか見えません。
  
  
自信が無いから、目に見えるモノだけに囚われ、
  
目に見えない要素が信じられないのです。
  
  
  
私は、7年前くらい前から一貫して、
  
・自信で人生は決まる!
・自信を高め続ける事で、人生は好転する!
  
と、言い続けて来ました。
  
  
でも、「自信を高めること」を【 最優先 】にして生きている人は、
ほとんどいないでしょう。
   
  
たとえ私の話を聞いたとしても、
別の事に意識が行っているのでしょう。
    
  
人類全体の自信が高まれば、それで世界平和なのですが…。
  
  
世界平和まで、あと30余年かかるとすれば、
今生まれた子も立派な青年です。
  
  
現在世の中を動かしている人たちとの世代交代と、
世の中の進歩は、並行していく言う事でしょう。
  
  
ネガティブな人がポジティブになっていくには、
本人の強い意志が必要です。
  
その過程で、多くの学びもある訳ですが。
  
  
せめて、今生まれた子は、
世界のために、自信を失う事なく育って欲しいですね。


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