2016年03月28日

「可哀想」という概念を捨てる

日本の常識的には「美徳」とされていても、
  
宇宙の法則から見ると、まったくポジティブでは無く、
むしろネガティブだ!と言う事があります。
  
  
それが、「可哀想」という概念です。
  
【 可哀想だから助けてあげよう! 】
  
というのは、非常にネガティブな発想と行動です。
  
  
私は、【 共感はしても、同情はするな 】
  
と言ったりしていますが、
  
これも、【 表面的には似ているけど、中身が全く違うこと 】です。
  
  
私は、「外側は似ているけど、中身は全く違う」  
という事柄の区別を付ける天才です。
  
  
「共感」は、「他人の気持ちが理解できる」という事で、
同じ目線になっていますが、
  
「同情」は、「可哀想だから過保護にしよう」という事で、
上から目線になっています。
  
  
それで、(自分や他人が)「可哀想だ」という発想をしている人は、
  
自分を高めていく事が出来ません。
  
  
「不幸な人は可哀想だ!」と思っている人は、
なかなか幸せにはなれないし、
  
「貧乏な人は可哀想だ!」と思っている人は、
なかなか豊かにはなれません。
  
  
私は過去、幸せになる方法を勉強していく上で、
  
自分が「幸せになれる考え方や行動」をしてこなかった事に気付き、
  
【「自分の考え方や行動」を変えること 】で、幸せになってきました。
  
  
それは、「不幸の原因」が自分にあった訳で、
  
「周りのせいでは無かった」と気付いた!という事です。
  
  
「可哀想」という事は、
  
【 本人に原因が無く、本人は被害者で、周りが悪い 】
  
という発想です。
  
  
それは、「自業自得、自己責任」の考えではありません。
  
  
実際は、「全て本人に原因がある」にも関わらず、
「周りのせい」にしているから、
  
「自分の変えるべき部分」を変えようともしないし、
現実は何も変わらないのです。
  
  
でも、私は長らく、
【 貧乏な人は可哀想だ! 】という気持ちを捨てられませんでした。
  
   
だから、
  
【 貧乏な人を助けたいと思って、
  貧乏な人に、自分の仕事を安く提供する 】
  
という事をやり続け、
いつまで経っても自分は豊かになれませんでした。
  
  
幸せにはなれだけど、豊かにはなれなかったのです。
  
  
しかし、今では「貧乏な人は可哀想だ」と思わなくなりました。
  
  
そして、自分は豊かになれたし、自分が豊かになった分だけ、
  
周りの人の豊かさレベルも引き上げられる様になりました。
  
  
手っ取り早く、自分の現実を良くしたいと言うのであれば、
その方法を教えましょう。
  
  
・「お金」が欲しければ、
 お金持ちの役に立つ事です。
  
・「幸せ」になりたければ、
 幸せな人の役に立つ事です。
  
・「健康」になりたければ、
 健康な人の役に立つ事です。
  
・「素敵な恋人」が欲しければ、
 恋愛が上手く行っている人の役に立つ事です。
  
  
だいたい、成功している人の多くは、
「自分を引っ張り上げてくれる先輩成功者」の世話になっています。
  
そういう人は、【 先輩成功者に喜ばれる様な事 】を、
たくさんしてきているのです。
  
  
「目上の人」の役にたくさん立っているから、
自分を引き上げてもらえるのです。
  
  
しかし、「可哀想」という概念を持ち続ける限り、
  
「目上の人」では無く、
「目下の人」の役に立とうとばかりしてしまい、
  
結局、効率良く自分を高めていく事が出来ません。
  
  
日本という国には、
この「可哀想」という概念がこびりついています。
  
  
そのせいで、貧乏人に優しく、金持ちに厳しい訳です。
  
【 金持ちの役に立たなければ、
  全体が豊かになれないにも関わらず… 】です。
  
  
だから、シンガポールのような
「金持ちに優しい国」にお金が集まり、
  
その国全体が潤って、
その国の一般庶民にも、仕事とお金が回ってくるのです。
  
  
多くの日本人には「正しい経済観念」が無いから、
日本はバカな経済政策を続けるし、
  
海外には無い様な、
無意味な金融商品が売られ続けるのです。  
  
  
いやいや、貧乏な人は自業自得です。
  
  
足りないのは、そういう事を教える【 経済教育 】であり、
  
ただ「貧乏な人に金をばらまく様な政策」をやっても、
まったく意味がありません。
  
  
「可哀想な人を助けるのは良い事だ」と思い込んでいますが、
  
宇宙の視点から見れば、まったくポジティブな事ではありませんし、
  
むしろネガティブです。
  
  
自分を高め、自分がまず幸せになり、
次に、周りの人を幸せにしていこうと思えば、
  
【 目上の人の役に立っていくこと 】が大事なのです。
   
  
もちろん、目下の人にもサポートは必要ですが、
  
「可哀想」という概念を持っていると、相手を「過保護」にしてしまい、
   
相手の「自立心」や「責任感」を奪ってしまう結果になります。
  
  
結局、ネガティブな結果を生み、全体の損失になるのです。
  
  
「可哀想」という概念を捨てると、
全体が調和して、ポジティブになっていきますが、
    
  
「可哀想」という概念を持ち続ける限り、
 
「被害者」と「加害者」が生まれ、
  
苦しい境遇に居る人を「過保護」にし、
相手に必要な「自立心」や「責任感」を奪ってしまいます。
  
  
私も、長らく「可哀想」という概念を捨てられませんでした。
  
だから、余計な過保護ばかりを繰り返して来ました。
  
  
しかし、「可哀想」という概念を捨てれば捨てるほど、
  
自分をスムーズに高めていく事が出来ますし、
結果的に、必要な相手により大きく貢献していく事が出来ます。
  
  
可哀想という概念を持っていると、
  
自分が幸せになれない、自分が豊かになれない、
他人を幸せに出来ない、他人を豊かに出来ない。
  
  
なぜなら、それは「自業自得、自己責任」ではないし、
  
自分に対しては、被害者意識と依存心を生み、
他人に対しては、無駄に過保護にしてしまうからです。
  
  
「可哀想」というのは、
  
正しいようで正しくなく、
ポジティブなようでポジティブでは無い、  
  
トリックのような概念です。
  
  
日本中にこびりついた「可哀想」という概念を捨てなければ、
   
日本全体がポジティブになっていく事は出来ないのです。
  
  
自分や他人を「可哀想」と思っている限り、
  
誰かを加害者にし、誰かを被害者にし、
  
自分より上の人間には依存的になり、
自分より下の人間には過保護になり、
  
アンバランスで歪んだ発想と行動を繰り返します。
  
  
私は、本人の意志さえあれば誰でも、
  
幸せになれる方法も、豊かになれる方法も教えています。
  
  
その方法を聞いて実践しないというのであれば、
それは本人の選択であり、本人の責任です。 
  
  
・本人がそれほど幸せになりたいと思っていない
・本人がそれほど豊かになりたいと思っていない
  
という事です。
   
   
幸せにならないのも、豊かにならないにも、
本人の選択ですから、まったく可哀想ではありません。
    
  
宇宙にはそもそも、可哀想な存在など居ないのです。
  
  
「可哀想という概念」を捨てた人から、
  
ポジティブで調和的なバランスを、
生活の中で、人生の中で、実現していく事になります。


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