2016年02月21日
どうせ理解してもらえない? が、戦争の原因
私が伝えている「心理の法則(メカニズム)」には、
【 自分が「受け取りたいモノ」と「与えたいモノ」は同じである 】
というモノがあります。
情熱に「個人差」はあれど、
・美味しいモノを食べるのが好きな人は、
美味しいモノを作るのも好きです。
・歌を聴くのが好きな人は、
歌を歌うのも好きです。
・絵を観るのが好きな人は、
絵を描くのも好きです。
・学ぶことが好きな人は、
教えることも好きです。
私は、【 理解 】に対して、
非常に強いモチベーションがあります。
私は、好奇心旺盛なので、
【 ありとあらゆる事の本質を理解したい】し、
それだけ、【 他人に本質を理解させたい 】というパッションも強いです。
しかし、弟子の中には、
「どうせ他人には理解してもらえないだろう…」
と、最初から諦めて、
【 他人に「自分の考えや思い」を伝えようとしない子 】がいます。
私は、
・理解してもらえる可能性がある
・きっと理解してもらえるだろう
と思っているので、
相手に対して、粘り強くメッセージを伝え続ける訳ですが、
【 どうせ理解してもらえないから、最初から伝えない 】
というのは、それとは真反対です。
で、そういう弟子は、
【 他人には「自分の考え」を理解してもらえないだろう 】
と思っているようですが、
そもそも、
【 自分の方こそ、他人の意見に対して、聞く耳を持っていない 】のです。
自分が「他人の意見」を聞くつもりが無いから、
「他人も自分の意見を聞くつもりが無いだろう」と思っているのです。
つまり、【 自分の方こそ、「他人に歩み寄る姿勢」が無い 】のです。
それは、
【 自分と他人はまったく違う存在だ 】
という、分離感(ネガティブ観念)から来ています。
「宇宙の全ての存在は元々ひとつで、ワンネスである」
という事を理解していく事が、
精神性を高めていくプロセスな訳ですが、
それとは対極の思考であり、【 超ネガティブ 】です。
私は生まれつきかも知れませんが、
「自分と他人は同じ人間だ」という気持ちが強いです。
だから、
・他人が大成功するのを見ると、
「自分も成功できるはずだ!」と思いますし、
・他人が大失敗して落ちぶれてしまうのを見ると、
「自分も気を抜いたら、そうなってしまうぞ!」と思っています。
自分の事を大切にするように、他人も大切にしますし、
自分の事を真剣に考えるように、他人の事も真剣に考えます。
しかし、【 自分と他人は違う存在だ 】
というネガティブ観念が強い子は、
・他人が大成功するのを見ても、
「あの人は特別で、自分には関係無い」と思いますし、
・他人が大失敗して落ちぶれてしまうのを見ても、
「自分は、ああはならないだろう」と、
根拠も無く幻想を抱き、慢心しているのです。
弟子の中でも、
「大きな夢(ポジティブな未来)」を描ける子ほど、
「落ちぶれた自分(ネガティブな未来)」も感じています。
だから、「強い危機感」と「高い理想」の両方を持って、
成長に取り組んでいます。
一方、やる気の無い子は、「大きな夢」も描けていないし、
「自分は落ちぶれないだろう」と、根拠も無く、タカをくくっています。
それは、【 自分と他人は違う 】という分離感が原因です。
【 自分と他人は、同じ人間である 】
そう思えている人ほど、ポジティブだし、現実が見えています。
【 自分と他人は、違う存在だ 】
そう思っている人ほど、ネガティブだし、現実が見えていません。
そもそも、「人種差別」や「戦争」が起きるのも、
多くの人々が、【 自分と他人は、違う存在だ 】
と思っているから起こる訳です。
【 自分と他人は、違う存在だ 】
と思っている人間こそ、「戦争の原因」を作っているのです。
弟子にしても、
【 自分と他人は、違う存在だ 】と思い続けるという事は、
ある意味、「間接的に戦争に荷担している」のと同じです。
戦争も、「他人とはわかりあえない」と思っているから、
「話し合い」では無く、【 武力行使 】をしているわけです。
まぁ、弟子に関しては、武力行使はしないでしょうが、
精神的に鎖国をして、他人との関わりを自ら断ってしまっています。
でも、ネガティブなエネルギーが、
外に向かうか、内に向かうか?の違いで、根本は同じです。
【 自分と他人は、同じ人間である 】
そう思えないこと自体が、【 超ネガティブである 】という事です。
【 自分と他人は、同じ人間である 】
私は、昔からそう思ってきましたし、今でもそう思っています。
だから、
自分は厳しい環境の中、生き抜いて成長して、幸せになれたし、
他のみんなも、同じようにすれば、成長して幸せになれると思っています。
私は、他人に対して厳しい態度を取るときもありますが、
その10倍は、自分自身に対して厳しいです。
【 厳しさが人を鍛える、厳しさが人を成長させる 】
と理解しているからです。
私は、自分自身が厳しさに耐えられるし、
他人も耐えられるだろうと思っています。
でも、自分と他人、全てが同じでは無い。
違う所は、違う訳です。
他人と比較すると、
私の「意志の強さ、本質に対する理解力」は、尋常では無いようなので。
そういった「個々の違い」を認めていく事も大事です。
何事もバランスです。
自分と他人、
・同じ所は、同じと認める(基本的な部分)
・違う所は、違うと認める(人それぞれの個性)
そのバランスが取れている状態が、ニュートラルです。
私は、自分と他人を同じだと思いすぎてきたので、
「自分と他人の違いを認める修行」をしてきました。
でも、違うと思いすぎてきた人は、
「自分と他人が同じだと認める修行」が必要でしょう。
とにかく、
他人に対して、「どうせ理解してもらえない」
と思っている人間は、
自分の方こそ、
・他人の考えを理解する気も無いし、
・他人に歩み寄る気も無いのです。
だから、大切な事が何も理解できていない。
精神的に鎖国して、自分の狭い考えに固執し、
自分と同じような意見の人だけと付き合い、
それ以外の人は排斥しようとして、戦争の原因を作っているのです。
他人に対して、「どうせ理解してもらえない」
と思っている人間は、
【 他人を悪者にして、被害者ぶっているようですが、
自分の方こそが、他人を理解しようとしない加害者である 】
という事実を、まずは素直に潔く認めることです。
【 自分が「受け取りたいモノ」と「与えたいモノ」は同じである 】
というモノがあります。
情熱に「個人差」はあれど、
・美味しいモノを食べるのが好きな人は、
美味しいモノを作るのも好きです。
・歌を聴くのが好きな人は、
歌を歌うのも好きです。
・絵を観るのが好きな人は、
絵を描くのも好きです。
・学ぶことが好きな人は、
教えることも好きです。
私は、【 理解 】に対して、
非常に強いモチベーションがあります。
私は、好奇心旺盛なので、
【 ありとあらゆる事の本質を理解したい】し、
それだけ、【 他人に本質を理解させたい 】というパッションも強いです。
しかし、弟子の中には、
「どうせ他人には理解してもらえないだろう…」
と、最初から諦めて、
【 他人に「自分の考えや思い」を伝えようとしない子 】がいます。
私は、
・理解してもらえる可能性がある
・きっと理解してもらえるだろう
と思っているので、
相手に対して、粘り強くメッセージを伝え続ける訳ですが、
【 どうせ理解してもらえないから、最初から伝えない 】
というのは、それとは真反対です。
で、そういう弟子は、
【 他人には「自分の考え」を理解してもらえないだろう 】
と思っているようですが、
そもそも、
【 自分の方こそ、他人の意見に対して、聞く耳を持っていない 】のです。
自分が「他人の意見」を聞くつもりが無いから、
「他人も自分の意見を聞くつもりが無いだろう」と思っているのです。
つまり、【 自分の方こそ、「他人に歩み寄る姿勢」が無い 】のです。
それは、
【 自分と他人はまったく違う存在だ 】
という、分離感(ネガティブ観念)から来ています。
「宇宙の全ての存在は元々ひとつで、ワンネスである」
という事を理解していく事が、
精神性を高めていくプロセスな訳ですが、
それとは対極の思考であり、【 超ネガティブ 】です。
私は生まれつきかも知れませんが、
「自分と他人は同じ人間だ」という気持ちが強いです。
だから、
・他人が大成功するのを見ると、
「自分も成功できるはずだ!」と思いますし、
・他人が大失敗して落ちぶれてしまうのを見ると、
「自分も気を抜いたら、そうなってしまうぞ!」と思っています。
自分の事を大切にするように、他人も大切にしますし、
自分の事を真剣に考えるように、他人の事も真剣に考えます。
しかし、【 自分と他人は違う存在だ 】
というネガティブ観念が強い子は、
・他人が大成功するのを見ても、
「あの人は特別で、自分には関係無い」と思いますし、
・他人が大失敗して落ちぶれてしまうのを見ても、
「自分は、ああはならないだろう」と、
根拠も無く幻想を抱き、慢心しているのです。
弟子の中でも、
「大きな夢(ポジティブな未来)」を描ける子ほど、
「落ちぶれた自分(ネガティブな未来)」も感じています。
だから、「強い危機感」と「高い理想」の両方を持って、
成長に取り組んでいます。
一方、やる気の無い子は、「大きな夢」も描けていないし、
「自分は落ちぶれないだろう」と、根拠も無く、タカをくくっています。
それは、【 自分と他人は違う 】という分離感が原因です。
【 自分と他人は、同じ人間である 】
そう思えている人ほど、ポジティブだし、現実が見えています。
【 自分と他人は、違う存在だ 】
そう思っている人ほど、ネガティブだし、現実が見えていません。
そもそも、「人種差別」や「戦争」が起きるのも、
多くの人々が、【 自分と他人は、違う存在だ 】
と思っているから起こる訳です。
【 自分と他人は、違う存在だ 】
と思っている人間こそ、「戦争の原因」を作っているのです。
弟子にしても、
【 自分と他人は、違う存在だ 】と思い続けるという事は、
ある意味、「間接的に戦争に荷担している」のと同じです。
戦争も、「他人とはわかりあえない」と思っているから、
「話し合い」では無く、【 武力行使 】をしているわけです。
まぁ、弟子に関しては、武力行使はしないでしょうが、
精神的に鎖国をして、他人との関わりを自ら断ってしまっています。
でも、ネガティブなエネルギーが、
外に向かうか、内に向かうか?の違いで、根本は同じです。
【 自分と他人は、同じ人間である 】
そう思えないこと自体が、【 超ネガティブである 】という事です。
【 自分と他人は、同じ人間である 】
私は、昔からそう思ってきましたし、今でもそう思っています。
だから、
自分は厳しい環境の中、生き抜いて成長して、幸せになれたし、
他のみんなも、同じようにすれば、成長して幸せになれると思っています。
私は、他人に対して厳しい態度を取るときもありますが、
その10倍は、自分自身に対して厳しいです。
【 厳しさが人を鍛える、厳しさが人を成長させる 】
と理解しているからです。
私は、自分自身が厳しさに耐えられるし、
他人も耐えられるだろうと思っています。
でも、自分と他人、全てが同じでは無い。
違う所は、違う訳です。
他人と比較すると、
私の「意志の強さ、本質に対する理解力」は、尋常では無いようなので。
そういった「個々の違い」を認めていく事も大事です。
何事もバランスです。
自分と他人、
・同じ所は、同じと認める(基本的な部分)
・違う所は、違うと認める(人それぞれの個性)
そのバランスが取れている状態が、ニュートラルです。
私は、自分と他人を同じだと思いすぎてきたので、
「自分と他人の違いを認める修行」をしてきました。
でも、違うと思いすぎてきた人は、
「自分と他人が同じだと認める修行」が必要でしょう。
とにかく、
他人に対して、「どうせ理解してもらえない」
と思っている人間は、
自分の方こそ、
・他人の考えを理解する気も無いし、
・他人に歩み寄る気も無いのです。
だから、大切な事が何も理解できていない。
精神的に鎖国して、自分の狭い考えに固執し、
自分と同じような意見の人だけと付き合い、
それ以外の人は排斥しようとして、戦争の原因を作っているのです。
他人に対して、「どうせ理解してもらえない」
と思っている人間は、
【 他人を悪者にして、被害者ぶっているようですが、
自分の方こそが、他人を理解しようとしない加害者である 】
という事実を、まずは素直に潔く認めることです。
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