2016年02月02日
理性・論理の重要性
世の中には、「徹底的に考え抜け!」って言う人がいます。
もう一方で、「考えすぎると良くない」って言う人もいます。
どちらが正解か、わかりますか?(笑)
こういう風に、いろんな人が「対極の事」をいいますが、
それこそ、多くの人が自己啓発などで混乱する原因です。
「考えるな」って言う人は、
【 答えが出ないことで悩んでも、生産的では無い 】
という事が言いたいのだと思います。
私は、
・答えが出ない事で、非生産的に「悩むこと」と、
・答えが出せる事で、生産的に「考える事」を、
明確に区別しています。
私は、「悩むことは無駄」だと思いますが、
「考える事は絶対に必要」だと思っています。
しかし、多くの人は、
「悩むこと」と「考えること」を混同しています。
この区別をせず、言葉の定義も明確にせずに、
情報を発信している人間がいるから、混乱を招くのです。
「プライドを持て!」とか、「プライドを捨てろ!」って言うのも、
似て非なる…というか、同音で対極の意味を持つ言葉です。
プライドには、
「見栄」というネガティブな意味もあれば、
「誇り」というポジティブな意味もあります。
まず言葉の定義を明確にしなければ、
正確に情報伝達を行うことが出来ません。
で、「長期的な幸せ」を手に入れようと思ったら、
ほとんどの場合で、「理性」や「論理的思考」が必要になります。
先日、「衝動・感情・理性」という3種の判断基準について書きました。
よく、理性や論理をバカにしたかのような、
「感情、感覚派の人の意見」を目にする事もありますが、
例えば、「大企業の経営」や、「国の政治や外交」を、
「感情」や「感覚」に任せて運営して、上手く行くと思いますか?
上手く行くわけがありません。
【 冷静かつ思慮深い判断 】が必要になります。
国の政治や外交などの重要案件については
「たくさん頭を使って欲しい」と思っているのに、
自分の人生が、感情や感覚任せで、
「頭を使わなくても上手く行く」って言うのは、矛盾しています。
もちろん、【 感情、感覚、感性 】は大切です。
「幸せ」とは、【 感情が満たされる事 】だと思います。
しかし、長期的な幸せ、長期的に感情を満たそうと思えば、
理性、論理的思考が必要なのです。
「短期的な幸せ」を手に入れるのに、
理性や論理的思考は必要ありません。
ただお金を使うなどして、
食欲や性欲などの【 目先の欲 】を満たせば良いだけです。
しかし、「目先の欲」を満たす事ばっかりやって、
【 長期的な人生の幸せや豊かさ 】が手に入るでしょうか?
「長期的な感情や感覚」を満たそうと思えばこそ、
「理性や論理的思考」が必要なのです。
例えば、私は【 自由人 】です。
嫌いな人とは付き合わないし、仕事も好きなことです。
好きな時間に起きて、好きな時間に寝ます。
欲しいと思ったモノも、大体すぐに買えてしまいます。
ストレスフリーで、物質的にも豊かです。
事実として、「感情」も「感覚」も、高いレベルで満たされています。
それを手に入れられたのは、長期的に物事を考えてきたからです。
目先の事だけ考えて、今の私みたいな生活が手に入るか?
と言うと、手に入る訳がありません。
「目先の感情(幸せ)・感覚(豊かさ)」を優先する人は、
「長期の感情(幸せ)・感覚(豊かさ)」を犠牲にしているのです。
【 自分にとって、どちらが大切か? 】という事です。
・先にラクして、後でずっと、延々と苦しむか?
・先に苦しんで、後でずっと、延々とラクをするか?
だいたい、その2択なのです。
じゃあ、なぜ多くの人は考えないか?
・自分を責める習慣を持っていて、自分に自信が無い
↓
・自信が無いから、勇気も無くて、怖くて責任を背負えない
↓
・責任を背負えないから、自立心も無く、
あらゆる事が他人任せ、状況の流れ任せで、真剣に頭を使わない
という理屈になっています。
という事で、
【 「頭の良さ」と「自信」も非常に密接に関係がある 】
というのも、最近の大きな学びですね。
初めは頭の悪かった弟子も、【 責任感 】を高めてきた子は、
徐々に「慎重さ」を身に付け、「理性的」になってきています。
【 自信が無い → 故に"無責任" → 故に"考えない" → 故に"頭が悪い" 】
という理屈です。
なので、ほとんどの人に足りないのは、【 自信 】です。
自分と他人を褒め、価値を認め、賞賛する人に、自信が身につきます。
自分と他人を責め、裁き、否定し、見下し、
「罪悪感」と「被害者意識」を持つ人は、自信を失います。
あなたは、一体どちらの習慣を強く持っているでしょうか?
それが、ポジティブな人生を歩めるかどうかの分かれ目です。
もう一方で、「考えすぎると良くない」って言う人もいます。
どちらが正解か、わかりますか?(笑)
こういう風に、いろんな人が「対極の事」をいいますが、
それこそ、多くの人が自己啓発などで混乱する原因です。
「考えるな」って言う人は、
【 答えが出ないことで悩んでも、生産的では無い 】
という事が言いたいのだと思います。
私は、
・答えが出ない事で、非生産的に「悩むこと」と、
・答えが出せる事で、生産的に「考える事」を、
明確に区別しています。
私は、「悩むことは無駄」だと思いますが、
「考える事は絶対に必要」だと思っています。
しかし、多くの人は、
「悩むこと」と「考えること」を混同しています。
この区別をせず、言葉の定義も明確にせずに、
情報を発信している人間がいるから、混乱を招くのです。
「プライドを持て!」とか、「プライドを捨てろ!」って言うのも、
似て非なる…というか、同音で対極の意味を持つ言葉です。
プライドには、
「見栄」というネガティブな意味もあれば、
「誇り」というポジティブな意味もあります。
まず言葉の定義を明確にしなければ、
正確に情報伝達を行うことが出来ません。
で、「長期的な幸せ」を手に入れようと思ったら、
ほとんどの場合で、「理性」や「論理的思考」が必要になります。
先日、「衝動・感情・理性」という3種の判断基準について書きました。
よく、理性や論理をバカにしたかのような、
「感情、感覚派の人の意見」を目にする事もありますが、
例えば、「大企業の経営」や、「国の政治や外交」を、
「感情」や「感覚」に任せて運営して、上手く行くと思いますか?
上手く行くわけがありません。
【 冷静かつ思慮深い判断 】が必要になります。
国の政治や外交などの重要案件については
「たくさん頭を使って欲しい」と思っているのに、
自分の人生が、感情や感覚任せで、
「頭を使わなくても上手く行く」って言うのは、矛盾しています。
もちろん、【 感情、感覚、感性 】は大切です。
「幸せ」とは、【 感情が満たされる事 】だと思います。
しかし、長期的な幸せ、長期的に感情を満たそうと思えば、
理性、論理的思考が必要なのです。
「短期的な幸せ」を手に入れるのに、
理性や論理的思考は必要ありません。
ただお金を使うなどして、
食欲や性欲などの【 目先の欲 】を満たせば良いだけです。
しかし、「目先の欲」を満たす事ばっかりやって、
【 長期的な人生の幸せや豊かさ 】が手に入るでしょうか?
「長期的な感情や感覚」を満たそうと思えばこそ、
「理性や論理的思考」が必要なのです。
例えば、私は【 自由人 】です。
嫌いな人とは付き合わないし、仕事も好きなことです。
好きな時間に起きて、好きな時間に寝ます。
欲しいと思ったモノも、大体すぐに買えてしまいます。
ストレスフリーで、物質的にも豊かです。
事実として、「感情」も「感覚」も、高いレベルで満たされています。
それを手に入れられたのは、長期的に物事を考えてきたからです。
目先の事だけ考えて、今の私みたいな生活が手に入るか?
と言うと、手に入る訳がありません。
「目先の感情(幸せ)・感覚(豊かさ)」を優先する人は、
「長期の感情(幸せ)・感覚(豊かさ)」を犠牲にしているのです。
【 自分にとって、どちらが大切か? 】という事です。
・先にラクして、後でずっと、延々と苦しむか?
・先に苦しんで、後でずっと、延々とラクをするか?
だいたい、その2択なのです。
じゃあ、なぜ多くの人は考えないか?
・自分を責める習慣を持っていて、自分に自信が無い
↓
・自信が無いから、勇気も無くて、怖くて責任を背負えない
↓
・責任を背負えないから、自立心も無く、
あらゆる事が他人任せ、状況の流れ任せで、真剣に頭を使わない
という理屈になっています。
という事で、
【 「頭の良さ」と「自信」も非常に密接に関係がある 】
というのも、最近の大きな学びですね。
初めは頭の悪かった弟子も、【 責任感 】を高めてきた子は、
徐々に「慎重さ」を身に付け、「理性的」になってきています。
【 自信が無い → 故に"無責任" → 故に"考えない" → 故に"頭が悪い" 】
という理屈です。
なので、ほとんどの人に足りないのは、【 自信 】です。
自分と他人を褒め、価値を認め、賞賛する人に、自信が身につきます。
自分と他人を責め、裁き、否定し、見下し、
「罪悪感」と「被害者意識」を持つ人は、自信を失います。
あなたは、一体どちらの習慣を強く持っているでしょうか?
それが、ポジティブな人生を歩めるかどうかの分かれ目です。
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