2016年01月07日
死生観・人生観
先日、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」
の話題を出したので、もう一度見てみましたが、
何度見ても、やっぱり同じ所で泣いてしまいます(笑)
ここまで自分の心が動かされる映画は、他にありません。
なぜ、フィクションだと分かっていても泣くのだろう?
と思いましたが、
きっと「過去世のトラウマ」と関係がある気がします。
【 愛する人がピンチの時に、命を懸けて守ろうとする 】
そういう姿に、過去世のトラウマが反応している気がします。
私は、「命を懸ける」という言葉をよく使いますが、
なぜそういう言葉を使うか?というと、
私は【 自分自身の死 】というモノを、
とてもリアルに感じているからだと思います。
中学生の時に、自殺願望を持ち、
【 死ぬか? 生きるか? 】
【 自分の人生は、
生きる価値があるのか? 生きるに値するのか? 】
という事を、本当に真剣に考えました。
別に、年老いたりするまでも無く、いくら若かろうとも、
人間、【 精神的、経済的、健康的 】のいずれかが、
落ちるところまで落ちると、【 死 】が待っています。
私は、それをリアルに感じているのです。
【 落ちるところまで落ちると、「死」が待っている 】
それを実感していますし、
「大きなテーマ」を考えるときには、
・これは、「自分の生命」よりも重いのか?
・これは、「自分の人生」よりも重いのか?
と、
【 自分の生命や人生と、他の何かを、天秤に掛けて考える 】
という癖が染み付いているのです。
だから私は、自分の人生に対して【 命懸け 】なのです。
それは、【 自分の「死」をリアルに意識している 】という事が、
とても大きな要因となっています。
私にとっては、「死と隣り合わせの状況」を生き抜いてきたので、
「死」は身近な存在なのです。
中学校とかの義務教育で、
「自分の死について真剣に考える授業」
とかがあっても良いんじゃ無いかと思います。
それぐらい、生きる上で大切なテーマだと思います。
若い人ほど、「自分は死なない」と思っています。
しかし、それは現実が見えていません。
自分が死ぬ可能性は、いつでも存在しています。
【 精神的、経済的、健康的 】のいずれかが、
落ちるところまで落ちると、死んでしまうのです。
そうならない為には、
【 精神性、経済力、健康体 】の維持向上に対して、
真剣になる事です。
「落ちるところまで落ちれば、死ぬ」と言う事がわかると、
自然と真剣になると思います。
海で溺れかけているのに、必死に助かろうとしない人は、
おそらくいません。
自殺願望を持つくらいの苦しい事が無い限りは、
人は、「生きていたい」と思うモノです。
今の私は、何が何でも生きていたいと思っています。
もちろん、
宇宙から「全体の為に命を捧げろ」と言われたら、
そうすると思いますが、
自分が全体に奉仕・貢献をし続けるには、
生きている必要がありますし、
【 生きている間に、自分の責任を果たさなければならない 】
という責任を感じるからです。
私は、【 生死 】について、よく語りますが、
それは、私にとって【 生死 】が身近なテーマだからです。
普通の人は、面倒くさかったり、怖かったりして、
自分の【 生死 】について、真剣には考えていないでしょう。
「何でそんな事を考えなきゃいけないんだ?」と、
【 考える意味や価値 】を感じない人もいるでしょう。
しかし、宇宙は陰陽表裏一体です。
「自分の死」というテーマを考える事によって、
「自分の生」についても、真剣に考えざるを得ません。
「死」を最悪の出来事と考えて、
真剣に向き合うのであれば、
自分にとっての「最高の人生」についても、
同時に真剣に考える事になるのです。
最高の人生を送るためには、自分の死について考える事が、
必要不可欠な事です。
【 自分の死について真剣に考え、リアルに感じる 】
これが出来たら、「生き方」が変わりますよ。
もちろん、良い方向にです。
の話題を出したので、もう一度見てみましたが、
何度見ても、やっぱり同じ所で泣いてしまいます(笑)
ここまで自分の心が動かされる映画は、他にありません。
なぜ、フィクションだと分かっていても泣くのだろう?
と思いましたが、
きっと「過去世のトラウマ」と関係がある気がします。
【 愛する人がピンチの時に、命を懸けて守ろうとする 】
そういう姿に、過去世のトラウマが反応している気がします。
私は、「命を懸ける」という言葉をよく使いますが、
なぜそういう言葉を使うか?というと、
私は【 自分自身の死 】というモノを、
とてもリアルに感じているからだと思います。
中学生の時に、自殺願望を持ち、
【 死ぬか? 生きるか? 】
【 自分の人生は、
生きる価値があるのか? 生きるに値するのか? 】
という事を、本当に真剣に考えました。
別に、年老いたりするまでも無く、いくら若かろうとも、
人間、【 精神的、経済的、健康的 】のいずれかが、
落ちるところまで落ちると、【 死 】が待っています。
私は、それをリアルに感じているのです。
【 落ちるところまで落ちると、「死」が待っている 】
それを実感していますし、
「大きなテーマ」を考えるときには、
・これは、「自分の生命」よりも重いのか?
・これは、「自分の人生」よりも重いのか?
と、
【 自分の生命や人生と、他の何かを、天秤に掛けて考える 】
という癖が染み付いているのです。
だから私は、自分の人生に対して【 命懸け 】なのです。
それは、【 自分の「死」をリアルに意識している 】という事が、
とても大きな要因となっています。
私にとっては、「死と隣り合わせの状況」を生き抜いてきたので、
「死」は身近な存在なのです。
中学校とかの義務教育で、
「自分の死について真剣に考える授業」
とかがあっても良いんじゃ無いかと思います。
それぐらい、生きる上で大切なテーマだと思います。
若い人ほど、「自分は死なない」と思っています。
しかし、それは現実が見えていません。
自分が死ぬ可能性は、いつでも存在しています。
【 精神的、経済的、健康的 】のいずれかが、
落ちるところまで落ちると、死んでしまうのです。
そうならない為には、
【 精神性、経済力、健康体 】の維持向上に対して、
真剣になる事です。
「落ちるところまで落ちれば、死ぬ」と言う事がわかると、
自然と真剣になると思います。
海で溺れかけているのに、必死に助かろうとしない人は、
おそらくいません。
自殺願望を持つくらいの苦しい事が無い限りは、
人は、「生きていたい」と思うモノです。
今の私は、何が何でも生きていたいと思っています。
もちろん、
宇宙から「全体の為に命を捧げろ」と言われたら、
そうすると思いますが、
自分が全体に奉仕・貢献をし続けるには、
生きている必要がありますし、
【 生きている間に、自分の責任を果たさなければならない 】
という責任を感じるからです。
私は、【 生死 】について、よく語りますが、
それは、私にとって【 生死 】が身近なテーマだからです。
普通の人は、面倒くさかったり、怖かったりして、
自分の【 生死 】について、真剣には考えていないでしょう。
「何でそんな事を考えなきゃいけないんだ?」と、
【 考える意味や価値 】を感じない人もいるでしょう。
しかし、宇宙は陰陽表裏一体です。
「自分の死」というテーマを考える事によって、
「自分の生」についても、真剣に考えざるを得ません。
「死」を最悪の出来事と考えて、
真剣に向き合うのであれば、
自分にとっての「最高の人生」についても、
同時に真剣に考える事になるのです。
最高の人生を送るためには、自分の死について考える事が、
必要不可欠な事です。
【 自分の死について真剣に考え、リアルに感じる 】
これが出来たら、「生き方」が変わりますよ。
もちろん、良い方向にです。
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